冴えないコンペの進めかた
ここは都内某所の会議室。
会議室には三人の女性。いずれも顔を知る面々が集まっていた。
「町田さん。突然私をアニメーション製作会社に呼び出すとか、どういう了見でしょうか?」
「あら?
「アニメ化? そんな話、私は初耳なのだけど。それに、そんな大切な話の日に、あの担当編集はどこへ消えたのかしら?」
「そんなに詩ちゃん心配なの? TAKI君なら昨日電話したら『明日は大切な用事があるから』とか言ってくれて、ちゃんと要件も聞かずに電話切られちゃった。でもTAKI君の用事の詳細については、私より詩ちゃんの方がよーくご存知なのでは?」
「えーそうですね。今日が九月二十三日で、こんな大切な仕事の日に、彼女とデートしてるくらいのことは知ってます。全く、倫理君のくせにデートとか生意気よ。倫理君のくせにぃー!!!」
霞さんは何かを思い出したかのように急にねじが取れたみたいに騒ぎ出した。
そういえば恵ちゃん言ってたもんね。
『今年こそは絶対に逃がさない』って。
それにしても、女同士のこういう話は本当に怖い。
「苑子。あなた、原作側の関係者に全然何も話していなかったわけ? 一体どういうやる気のなさよ?」
「それはこっちの
「そう、それよ! 今日はキャラデザのコンペだって、ちゃんと苑子には伝えたはずよ。それなのに作品の絵描きがこの場にいないとか、お話になってないんじゃなくて?」
「だって~『アルバイトの卒業試験』とやらで丁重に断られちゃったんだもん。いくらアルバイトとはいえ、卒業してもらえなかったら今後にも影響出かねないしねぇ~」
そう。あたしにとって、今日は『アルバイトの卒業試験』。
まさかその試験官がこんなにも身近な人達だってことは想像してなかったけど。
「あの~町田さん。この方は……?」
「あー、詩ちゃんは初対面だったわね。竹下千歳。不死川書店アニメ事業部プロデューサーで、人呼んで『原作クラッシャーアンド原作者クラッシャー』。」
「そう呼んでるのは苑子だけじゃない。酷い言い様よね。」
「ええそうね。一応大学からの同期だし、そうなっても仕方ないのでは?」
「ということはまた私の先輩に当たる方というわけですね。でも、竹下さん……って、つい最近どこかで聞き覚えのある名前だけれども……」
霞さんはそう言うけど、それがどこで聞いた名前だったかまでは思い出せてないようだった。
竹下さんは『純情ヘクトパスカル』出版社の、アニメ事業部の担当者の方だって、あたしは昨日鈴城さんに教えてもらっていた。前回初対面の時に道理でわからなかったわけだ。アニメ事業部とかあたしが知るはずもない。
なんでも町田さんと竹下さんは会うといつも喧嘩ばかりしているんだとか。大学生の頃からの知り合いだって聞いたけど、過去に何があったのだろう?
「キャラデザのコンペに、原作側担当編集も絵描きも不在とか、今日は延期にした方がよいのではなくて?」
「そうねぇ~。TAKIくんも嵯峨野さんもいないし、荻島さんに頼んで別の日に設定してもらうというのもありかしら?」
……え、ちょっと。ちょっと待って!
あたしならここにいるから~!!
「お待たせしました。それではこれからコンペを始めたいと思います。」
そんな町田さんと竹下さんの会話に割って入るように、荻島さんと鈴城さんが会議室のドアを開けた。
「荻島さん。大変申し訳ないのですが、今日は主要メンバーが揃ってなく……」
「竹下さん。残念なことにこちらも他に時間が取れる日もないため、本日コンペとさせてください。」
「だけど今日は困ったことに嵯峨野先生もいないのよねぇ~」
「町田さん。その点は心配には及びません。私から文雄さんの知人の方に連絡を取ってありまして、嵯峨野先生のご意見は既に頂戴しておりますので。」
鈴城さんの言う『文雄さんの知人』って、あたしのことかな?
名字がないと誰が誰のことだかさっぱりわからないね。
あたしは思わずふっと吹き出しそうになった。
「あら? それって、私より先に嵯峨野さんにはアニメ化の話が伝わっていたってことよね?」
「…………さて、時間も勿体ないので、早速コンペを始めましょう。」
霞さんのツッコミどころはごもっともではあったけど、それをするりとかわす荻島さんもお見事だった。
☆ ☆ ☆
会議室の机の上に数枚の絵、それが三セット並んだ。もちろん誰がどの絵を描いたのかなど、三人には知らせていない。ううん。どっちかというと『P-1アニメーション期待の若手三人が描いた』という話なので、その絵描きの名前には興味がないのかもしれない。
町田さん、竹下さん、霞さんの三人が、絵一枚一枚に目を通す。ただその表情はどこか対照的で、竹下さんは淡々と目を通しているにすぎなかったが、霞さんと町田さんはどこか釈然としない面持ちで、そのうちの一セットの絵に目を落とした。
そう、霞さんと町田さんが目をふと留めたのは、紛れもなくあたしの絵。
二人は何を思って、あたしの絵を見ているのだろう?
「いかがですか? いずれも鈴城が鍛え上げた期待の若手の絵です。」
「若手ってことは実績のあるデザイナーではないということですね?」
自信満々の顔を見せる荻島さんに対して、竹下さんの鋭いツッコミが竹槍のように突き刺さる。
「あははは。これは一本取られましたな。生憎、実績のあるデザイナーは既に予定が一杯でして。」
「でも大丈夫ですよ今回は。P-1アニメーションのとっておきの切り札を用意致しましたので。だから不死川書店のお三方にも納得していただけると思ってます。」
鈴城さんはいつもの優しい笑みを浮かべながら、そんなこと言うんだ。
「……詩ちゃん、これどう思う?」
「どう思うというより、これって……」
「あら。霞先生も苑子もまだ迷っているのかしら? 私としてはもう答えは出ているのだけど……?」
「竹下さん、そうではありません。ただ私は、この絵を本当に選んでいいのか悩んでるだけです。」
えっ…………?
ばこっ
「ばこっ……?」
「今の音って、なんの音かしら?」
「ふふっ。そういうこと……」
痛ーい! あたしは思わず狭い空間の天井に頭を思いっきりぶつけてしまった。
泣きたくなるほど痛いんだけど……。
……でも、絶対に声をあげてはダメだから。
あたしのこと、気づかれてないよね?
「きっと猫が迷い込んだのでしょう。」
「猫? 荻島さん、P-1さんの会議室には猫が現れるんですか?」
「たまに。ほんと、手の掛かる困った迷い猫さんです。」
そこへ鈴城さんが笑いながら、そんな風に補足するんだ。
迷い猫かぁ~……
あたしは目を丸くして、少し落ち込んでしまった。
「それより霞先生? それはいったいどういう意味かしら? ここは遊びの場じゃなくて、アニメーションを創る現場。そんな大切なコンペの場で手抜きみたいなこと言っていいと思ってるの?」
確かに竹下さんの言うとおりだった。これと思ったものを選ばなければコンペをやってる意味がない。だから霞さんの悩みというのは、本来場違いなものかもしれない。
でもだから尚更、バイトのあたしがキャラデザのコンペに参加しちゃまずいと思うんだけどなぁ~……
……という話はもはや今更でしかないけれど。
「それでは、そろそろ一番を決めていただけないでしょうか。」
ここで荻島さんが竹下さんの疑問を打ち消すように、結論の催促する。
三人の顔を見ていると、みんな言いたいことは山ほどあるようだった。
だけどそれはひょっとすると……恐らく、あたしのせい。
そう考えるとやはり胸が痛い。
「間違えなく、三番よ。『純情ヘクトパスカル』のキャラクターの特徴ひとつひとつがよく描かれている。いいえ、むしろ原作の絵そのものだもの。」
まず声を上げたのは、やはり竹下さんだった。
あたしは深く、息を呑む。
……だって、竹下さんの言うとおりだもん。三番の絵はあたしそのものだもん。
そう、あたしの全て。
それは、今のあたしが描いた『純情ヘクトパスカル』全ての想いだったから。
「うーん、三番……かな? 詩ちゃんがそれで良いと言うなら。」
「町田さんは私に全振りですか?」
「だって、これは詩ちゃんと嵯峨野先生の作品だもの。だから私は、詩ちゃんに結論を任せるわ。」
さっき頭をぶつけたときの痛みがまだ残っているのかな。
本当に、涙が出てきそうだよ……。
「霞先生。三番の絵を描いた人は、実はまだバイトの子なの。だけど、一ヶ月前にここP-1アニメーションに弟子入りしてきて、一生懸命沢山の絵を描いてた。でもその気持ちを最後に受け止められるのは、私は霞先生だと思ってる。」
そう、鈴城さんは言葉を添えてくるんだ。
なんだかそれって、蛇足のような話にもあたしは思えたけど、でも霞さんはそれを聞くと、ゆっくりとその話に付き添うように、語り始めたんだ。
「私が結論を出す前に、私の仕事のパートナーについて、少し話をさせてもらえないかしら?」
まるでそれは、昔の子供の頃の話を語るかのように――
「私のパートナー、嵯峨野文雄は、本当に冴えない女の子だった。」
「女の子? 嵯峨野文雄って、あのちゃらい感じの男性だったのでは?」
霞さんのその言葉に反応したのは唯一、竹下さんのみだった。
なぜなら他の全員は、嵯峨野文雄の本当の正体があたしであることを知っているから。
「――いつも優柔不断で、大切な人の前ではいつも素直になれなくて、それでもいつも真っ直ぐ……私の作品や言葉に対しても真っ直ぐ向かい合ってくれて、本当にいつも私を助けてくれた。」
霞さん、そんな風にあたしのことを――
「彼女は正直バカなんですよ。いつも大切なものから逃げてばっかり。自分のことはいつも後回しみたいな……。本当に大馬鹿者よ。」
ふふっ。あたし、ここへ来ても霞さんにけちょんけちょんにけなされてる。
でも正直、その通りだからどうしようもないよね……
「そんな彼女が一カ月くらい前、突然私の作品をほったらかして、アルバイトを始めたとか言い出した。最初それ聞いたときは『何わけのわからないことを言ってるのかしら?』くらいに思ったけど、でも彼女と話していく中で、彼女の本心が聞けて応援したくもなった。それでも私の本音は、彼女が私の前からいなくなってしまいそうで、ただ寂しかった……」
……………………。
「今日はここに、そんな彼女もいない。こんなアニメ化の話なんか聞いたら、彼女は嬉しさのあまり私に抱きついてくるかもしれない。だから誰よりも――倫理君よりも先に、彼女にアニメ化の話を伝えたいって思った。もしも彼女が本当に、私たちの前からいなくなってしまうとしても。」
…………ごめんなさい、霞さん。
「でも、この三番の絵を見て気分が変わったわ。最初は我が子を送り出すような気持ちでいたかったけど、それが見事に裏切られたよう。なによこの絵。私が知ってる『嵯峨野文雄』と全然違うじゃない! 冗談じゃないわ!!」
…………え?
「三番の絵……こんなの、私の知ってる『嵯峨野文雄』じゃない! 私が知ってる『嵯峨野文雄』よりも、ずっと『純情ヘクトパスカル』に深い愛を感じる。」
霞さん…………?
すると霞さんはもう一度視線を落とし、三番の絵……あたしが描いた紫姫アンジェをなぞるように眺め始めた。
「だけどよく見ると、それもやっぱし見間違えよね。ここにいるアンジェは私もよく知ってる紫姫アンジェだったわ。結局、何一つ変わっていない箇所があった。それは私の大好きな、アンジェそのものだもの。」
その言葉がずしんとあたしの胸に、覆い被さってくる。
霞さん、ごめんなさい。
「えっと~霞先生? それでは三番の絵で決定ということでよいでしょうか?」
「いいえ、荻島さん。その前に……」
霞さんは荻島さんの言葉を否定した上で、すっと立ち上がった。
あたしの胸の音が高まっていくのを感じる。
どく、どく、どく……と。
近づいてくる霞さんの足音と、同期を取って――
――がちゃ
「嵯峨野さん。誰をイメージしたのか知らないけど、アンジェに尖った歯はないって、いつも何度も言ってるでしょ!!」
「ひぃー。ごめんなさい!!!」
あぁ~、あたしはもう涙が出てきそうだ。
その会議室にいかにも不自然に設置された小さなクローゼットの扉を開けられて、あたしは霞さんに見つかってしまったんだ。
急に明るい場所に放り出され、その三番の絵に描かれたアンジェには存在しないはずの尖った歯が、より一層輝いて見えた。
☆ ☆ ☆
「嵯峨野さん。いくらなんでもこのクローゼットは不自然すぎるわ。どう見たってこの会議室に似つかわしくないじゃない?」
「だってこの会議室全然隠れるとこないし、空いていた道具もこれくらいしかなかったんだもん!!」
「真由ちゃん、だから言ったじゃない? コンペを眺めていたいという気持ちも理解できたけど、さすがにこれは不自然すぎるって。」
「えっと~このクローゼットを別室からここに持ってきたのは鈴城さんでしたよね? 鈴城さん明らかにあたしよりノリノリでしたよね!?」
あ~あ。見つかっちゃった。
あたしは鈴城さんが隣の部屋から持ってきた小さなクローゼットに身を隠して、その隙間からこのコンペをずっと覗いていたんだ。ところが中は思った以上に狭くて、途中で動いた瞬間頭をクローゼットの天板に頭をぶつけていたりなどしていた。きっと霞さんはその音を聞き逃さなかったに違いない。
本当は出て行く予定、なかったんだけどなぁ~
あたしはここで最後まで黙って、あたしの卒業試験を見守っていたかったのに。
「それでは、改めまして『純情ヘクトパスカル』のキャラデザは、嵯峨野文雄先生に担当していただく形でよろしいでしょうか?」
と荻島さん。もはや笑いを隠す気もないようだ。
「私は異議なしよ。まぁ前もって鈴城さんに相談されてたからこうなることは知ってたけどね。」
「町田さんは知ってたんですか? 今日ずっと私を騙して……そしたら私だけこれを知らなかったということでしょうか?」
「違うわよ詩ちゃん。あくまで不死川側で知ってたのは私だけ。TAKIくんなんか未だにアニメ化の話すら知らないんだから。ま、千歳は前もって嵯峨野先生と面談してたみたいだけどね。」
「まさかこんな若い女の子が嵯峨野先生だったとは知らなかったもの。先日は脅すようなことを言ってしまってごめんなさい。」
「いえ~。あたしも竹下さんが誰なのか聞いたのは昨日のことでしたし……」
「……だけど、それと仕事の話はまた別よ。キャラデザを担当していただく以上、あの日のあんな腑抜けた顔を二度と私に見せないことね。」
「ひぃー、ごめんなさい!!!」
今日のあたしは謝ってばかり。
それにしてもあたし、竹下さんと初めて会ったとき、そんなに腑抜けた顔をしてたっけか?
でもあたしは、確かにあの日から自信そのものを失っていた。
もう絵描きとしては続けられないかもしれない――そう思ったくらいだ。
だけど、そんなあたしをここまで導いてくれたのは鈴城さんだった。
「真由ちゃん、卒業おめでとう。今日からはアルバイトの相楽真由ではなくて、キャラクターデザイナー嵯峨野文雄として、よろしくね!」
「は、はい。ありがとうございます!」
長くて短かった一ヶ月半のバイト生活も今日で終わり。
失いかけていたあたしの絵描きとしての生活が、また戻ってくる。
……でもそれって、あたしの仕事が二倍に増えたと改めて思わないこともないけれど、今はそれを考えないようにしよっと。
だってそれ以上に、『純情ヘクトパスカル』のアニメ化のこと、そしてあたしがキャラデザを担当することが、嬉しくて仕方ないから。
あたしはまだまだ未熟者だと思う。でもそうだとしてもあたしは負けたくない。
紅坂先生にも、そして、あいつにも――
それにしても……。
「あの~霞さん。一つだけ、聞いていいでしょうか?」
「なによ。急に調子乗りまくって見ているだけでも腹が立ってくる嵯峨野先生?」
「あの~……あたしそんなつもりではないのだけどなぁ~……」
霞さんの鋭いツッコミは正直いつものこと。
でもそのちくりと刺してくる痛みは、今のあたしには少しこそばゆかった。
「アンジェにあの尖った歯がなかったら、あたしの絵だって気づいていなかった?」
なんとなくあたしは霞さんに、これを聞きたくなったんだ。
「……さぁ~どうでしょ?」
が、霞さんはあたしの質問をするっとかわしてみせたんだ。
「でもね。嵯峨野さんの絵が変わっていたというのは事実よ。鈴城さんに迷惑かけまくって、どうしようもないほど痛々しい話ではあるけれど。」
「すみません……」
あたしは平謝り……霞さんの言うとおり、確かに今のあたしは調子に乗ってるかもしれない。そんなあたしに霞さんは、すっと右手を差し伸べてきた。
「おかえりなさい。私の大切な、『純情ヘクトパスカル』の絵描きさん。」
でも、今くらいは、少しくらい調子に乗っても悪くないよね。
「ただいま。」
あたしはその霞さんの右手をぎゅっと掴む。
暖かくて、懐かしい。鈴城さんの手とはまた少し違う手。
霞さんの少し力強い握力を右手に感じながら、もう一度頑張ろうって、そんな気持ちにさせてくれる。
霞さん。こんな我が儘なあたしで、本当にごめんね。
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