夏の花火の楽しみかた
「嵯峨野さんの担当に北田さん?」
「ええ。……あら。このデザート、なかなか美味しいわね。」
「それって倫理君……じゃなかった、安芸君はクビってことですか?」
「違うわ。
「あー、そっちですか。……って、え!? 北田さん、嵯峨野さんに告っちゃった……」
「なにそれほんと!? ……後でその辺りの話は詳しく聞くことにして、短編集の方は詩ちゃん珍しく締め切り守ってきてるし、残りの作業はほぼ嵯峨野さんの絵のみだしね。」
「珍しくというのは心外……という話は聞かなかったことにしますが、まだ最終話である四話目の方は修正するとは思いますけど、第三話についての残りは嵯峨野さんに……って、あらあら。嵯峨野さん、すっかり舞い上がっちゃったわ……」
「今の詩ちゃんの話のとおりだと北田君にアサインというのは少し不安な気もするけど、不死川書店的には他にアサインできる人がいないのよね。おもに人数的に。」
「どれだけ人手不足なんですか不死川書店?」
「まぁ出版社なんてだいたいそんなもんよ。他は知らないけど。……それより詩ちゃん。そろそろそのイヤホンで北田君と嵯峨野さんの会話を盗み聞きするのは止めてあげたら?」
「私は町田さん以外の担当は倫理君しか知らないのですが、会話中のスマホをこっそり鞄の中に忍ばせて、『作家さんの心情を把握するのも担当編集の仕事のうち』とこの技を私に教えてくれたのは、町田さんでしたよね?」
「あら、そうだったかしら~?」
「それはともかく……倫理君と嵯峨野さんは、私や澤村さん以上に似た者同士。だから一度ぶつかってしまうととことんその流れに逆らえないで、このままでは嵯峨野さんが潰れてしまう。だから、その判断は間違えなかったと思います。それに……」
「それに?」
「嵯峨野さんは恋愛をすべきではあったけど、その対象は倫理君ではなかった――」
「あら。どうしてそんな風に思うの?」
「だって、倫理君はいつも無駄に優しくて、それがあまりにも冷酷すぎるから。純粋すぎる嵯峨野さんにはあまりにも非情だわ。」
☆ ☆ ☆
「……えっと~、北川さん……でしたっけ?」
「北田です。嵯峨野さん、先ほど名刺渡しましたよね?」
うん。貰っているし、今でもその名刺はあたしの手の中にある。大切に取っておくべきなのか、そうではないのか、その名刺はあたしに握りつぶされることなく、まだその名刺の形として真四角の状態を保っていた。
どちらかというと、少し話をはぐらかせたかったんだ。なんだか頭が混乱していて、あたしがあたしでいられなくなりそうだったから。
いや、もう今日はとっくに本来のあたしではないかもしれないけど――
もうこの場を今すぐにでも逃げ出したくて、仕方なかった。
紅坂先生の言うとおり、山にでも籠もってしまいたい気分だ。
でもそれをやってしまったら、あたしは――
「それで、北山さんはあたしの『絵』の大ファンだって言うんですか?」
「そうじゃないですよ。僕は嵯峨野さんのことが……。それに僕は北山じゃなくて北田です。」
「だからそのはぐらかせた部分をちゃんと言ってよ~!」
……えっと~、ここで原作の『恋メト』の話を持ってきて、『それは相楽真由あんたのことだよ!!』とか思わず手のひら返しを受けてしまいそうな気もするけど、あたしはそんな原作のことなんかこれっぽちも一ミリも知らないし――
って、あたしは何の話をしてるんだろう???
「ねぇ、北村さん。一つだけ答えて?」
「だから僕は北田……ってそれ、絶対わざとですよね? ……はい、なんでしょう?」
あたしは、本当のことを教えてほしい――
「北里さんが好きなのって、あたしの『絵』? それとも……」
「両方です。それに僕は北田です!」
「……………………」
北田さんはにこっと笑みを浮かべ、そんな風に返してくる。
…………ごめん。ちょっとは怒ってもいいよね?
それは北田さんにとっては、悪気はないのかもしれないけど。
「そっか。それってやっぱし、あたしの『絵』も、あたし自身も、どっちも一番じゃないってことだよね……」
ひねくれ者のあたしは、そう解釈するのが精一杯だった。
北田さんは何一つ悪いこと言ってるわけではない。
彼は彼の本音を正直に、それも前向きな言葉をかけてきてるに違いないのに――
なによりも、今のひねくれたあたし自身が、一番大嫌いだ。
「そ、そんなこと言ってな……」
「そんなこと言ってるよね? 北田さんの言ってることって、結局そういう意味だよね?」
「そんなつもりはないです。」
「北田さんにそのつもりはなくても、あたしにはそう聞こえるの。今のあたしには!」
やばい。……また、涙が出てきそうだ。
もう今日はこんなのばっかで、本当に自分が嫌だ。
あたしが勝手なこと言って、勝手に傷ついてるだけなのに。
北田さんをこんな風に傷つける必要なんて、どこにもないはずなのに……
……あたしは…………
「ごめんなさい、北田さん。あんたがあたしをどう思ってるのか結局よくわからないけど、あたしはあんたの気持ちに一ミリも応えられそうにないよ……」
「……嵯峨野……さん?」
あたしはくるっと身体を反転させて、後ろを振り向いた。
彼に……恐らく何一つ罪はないであろう彼には、涙を見せたくはなかったから。
――もう、ここを出よう。
ここはあたしみたいな絵描きがいる場所ではない。
だってここは、もっと華やかで、もっときらきら輝いてて――
そしてあたしは、その宴会場の扉を開け、ひとり外へ飛び出した。
「待ってよ嵯峨野さん!!」
ごめんね、北田さん。
あんたは絶対に、悪くはないよ……。
悪いのは全部、あたしだから。
「だから待ってってば!」
宴会場の奥の方――遠くから、そんなあたしを追いかける声が聞こえる。
あたしはもう、あんたに返せる笑顔なんてどこにもない。
だから、あたしは……
「嵯峨野さんっ!!!」
宴会場を出てすぐの場所で、そんなあたしに追いついて、彼はあたしの右腕をぎゅっと握ったんだ。
ずるいよ、いつもそうやって……
…………え?
「タキくん?」
……そう、あたしに追いついたのは北田さんではなく、タキくんだったんだ――
☆ ☆ ☆
宴会場の中からはまだ賑やかな声が聞こえていた。
あたしはそんな場所から逃げようとして、だけど逃げきれず、タキくんに捕まって――
窓の外はもうすっかり真っ暗になっていた。
真夏の日の夜――だけど大都会、東京の夜に、星が輝いている気配はなかった。
「ちょっと。離してってば! 痛いじゃない!!」
「ご、ごめん……」
……またあたしはそうやって、酷い言葉を浴びせることしかできない。
自分勝手で、救いようもないほどの最低なあたし――
「ど、どうしてあたしなんか、追いかけてくるのよ?」
「打ち上げが始まる前から悩んでるみたいだったし、それに今だって泣いてるし……」
「泣いてなんかないもんあんたの目は節穴なの?」
「嵯峨野さん! もうそんな顔しないで!!!」
え……?
あたしはこいつにどんな顔をみせているんだろう?
きっと、あたし自身も見たことがないような、酷い顔――
「あんたには、恵ちゃんがいるでしょ? あたしなんか放っておいてよ……」
「もう放ってなんかおけないよ! 俺の担当する大切な絵描きさんが、今日はずっとそんな顔してばかりいるんだから……」
「そ、そんなこと言って、あんたにとっての大切な人は、霞さんであって、出海ちゃんであって、英梨々であって、それに恵ちゃんなんでしょ? あたしなんか全っ然、眼中にないくせに。」
「そんなことない! 確かに詩羽先輩も英梨々も出海ちゃんも、そして恵も、俺にとっては大切なメンバーだよサークル仲間だよ。だけど、嵯峨野さんだって、俺が仕事で初めて担当する大切な絵描きさんなんだよ!!」
「嘘つき。どうせあたしなんか英梨々や出海ちゃんみたいに『凄い絵』が描けるわけじゃないし、何を描いても中途半端。目の肥えたあんたが、そんなあたしの絵になんか興味あるわけないよね?」
「そんなわけ、あるかよ!」
「もう放っといてよ、あたしのことなんか〜!!」
「そんなこと言うなよ……お願いだから……」
「……ってあんたが泣くな〜!!!!!」
もうやだよ……こんなの…………。
こいつ、あたしを励まそうとしてるのか知らないけど、自分が泣き出すんだもん。
そんなの、ずるいに決まってるよ絶対にずるいよ……
あたしの頭の中はもう完全に思考停止状態になっていた。
何が起きているのか、もうわからない。もう何も聞きたくない。話したくもない。
……気がつくとあたしの身体は、タキくんの胸元に全体重を任せてしまっていた。
もう、恥ずかしいとか、他の人の視線とか、考えてる余裕すら全くなくて――
ただただ、子供みたいに泣き崩れていたんだ。
☆ ☆ ☆
それから、どれくらい時間が経っただろう?
それすらもわからないまま、少なくとも五分くらい、彼にあたしの身体を預けていた気がする。
ようやく落ち着いてきたとき、ふと、恵ちゃんのことが脳裏に過った。
こいつは誰に対しても優しすぎるから、だから恵ちゃんも苦労が絶えないんだろうなって……
恵ちゃん、本当にごめんね――
『大丈夫?』と声をかけてきたタキくんに対してあたしはこくんと頷くと、あたしとタキくんは黙ったまま宴会場と隣接しているラウンジにやってきた。タキくんは自販機でペットボトルのお茶を購入すると、それをあたしに手渡してきた。
ラウンジの窓の外は、先ほどの宴会場と同じように東京湾の夜景が広がっている。
建物の高い場所にいるせいか、何もかもが小さく見えて、自分の醜さが浄化されてしまいそうだった。
ほんと。醜いだけのあたしなんか浄化されて、このまま跡形もなく消えてしまえばいいのにね――
「ごめんね、タキくん……」
あたしは小さな声でそう零した。
するとタキくんは不可解な顔をしながらこっちをじろじろ睨んでくる。その顔はただ驚いているだけなのか、もしくは何か文句の一つや二つくらい言いたそうな顔でもあった。
「……な、なによ?」
「いやぁ~今朝からあんな俺に文句ばっかり言ってたくせに、急にそんなこと言うから……」
「文句なんか一言も言ってないでしょバッカじゃないの?」
「いや今のそれって『文句』って言わない? 俺の日本語間違ってる!??」
ふふっ。バカはあたしだよ――
「ありがと。タキくん。」
「えっと~、俺どう反応していいのか全くよくわからないからもうそういうの止めて~!」
そんな風に冗談めいたことを言うタキくんに、あたしは少しずつ、素直な気持ちを出すことができた。
いつでもこんなあたしでいられたら、北田さんに対しても優しくできると思うのに――
「でもさ……あんたは、恵ちゃんなんだよね。」
「なんのこと?」
「ん? あんたの一番好きな人……」
あたしはタキくんが買ってくれたペットボトルのお茶を少しずつ口にしながら、そんなことを言っていた。喉が渇いていたせいだろうか、さっきまで意識も朦朧として息苦しささえ感じていたのに、今はそんなのどこかへ消えていた。
「ああ。恵が一番大切かな。」
「それ、ちゃんと恵ちゃんに言ってあげなきゃダメだよ。あたしのところでこんな風にかまけてないでさ。」
「だって今日の嵯峨野さん……いや、昨日から嵯峨野さん少し様子が変だったから……」
「もう大丈夫だよ。」
ううん。本当は大丈夫じゃない。
けど、タキくんがこんな風に長々とあたしのところにいると、今度は恵ちゃんが心配だから。
だから、タキくんには恵ちゃんのそばにいてあげてほしいなって。
「そっか。……じゃあ、俺はそろそろ打ち上げ会場に戻るわ。」
「うん。あたしはもう帰る。美味しいものもたくさん食べたし、もうお腹いっぱいかな。みんなによろしく。」
その時だった。窓の外に、ぽーんと、大きな花火が打ち上がったんだ。
お台場の花火大会、今日だったんだね。
ホテルの中にいるせいか、その音はここまで聞こえてこないけど、ただ大きく広がるその光の輪は、綺麗に輝いて――
「わかった。伝えとくよ。」
――彼の顔もその光を反射するように、光り輝いて見えた。
優しくて、暖かくて、力強くて……。
そう。あたしとは別世界の人なんだよ、きっとね……
「ねぇ。最後にひとつだけ聞かせて?」
「なに? 嵯峨野さん。」
あたしは戻ろうとするタキくんを、もう一度だけ呼び止めた。
もうこれで最後にするから――
「今回の、夏コミのあたしの中で、どれが一番良かった?」
するとタキくんはほとんど迷うことなく、こんな風に答えるんだ。
「う〜ん……全部かな?」
「ふふっ、ありがとう。」
そしてもう一度、窓の外が大きく光り輝く。
とても大きな花火――それが、儚くも、虚しくも散っていく……。
「あたしね、さっき町田さんと話して、一ヶ月ほど夏休みを戴くことにしたから。」
「夏休み?」
「そう。『純情ヘクトパスカル』も、霞さんの短編集もしばらく新刊は出ないってことだし、ちょっと気分的に、しばらく仕事から離れてみようかなって……」
「……そっか。」
「だから……しばらく会うことはなくなるね。あたしたち……」
「そう……だな。」
「もしあたしが仕事に復帰したら、あんたに一番にあたしの絵を見てもらっていいかな?」
「もちろんだよ。俺、嵯峨野さんの担当編集だからな。」
「……そう……だね……」
気づけば四月から、ずっとあたしの側にタキくんがいて、あたしの絵を見てもらっていた。
もう数え切れないほどの枚数を見てもらって、数え切れないほどぶつかってばかりいる。
そんな彼に次に会うとしたら、およそ一ヶ月後。
学校は夏休み。仕事以外ではお互い特に用もないし。
そして、その時――次にタキくんに会う時、あたしは本当に絵描きとして――
「じゃあね、タキくん。」
「ああ、またな。」
サヨウナラ。
あたしの大好きな担当編集さん。
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