冴えない打ち上げの楽しみかた
「真由、どこ行ってたのよ? お義姉さん心配しちゃったじゃないの。」
「あのね英梨々? そこでムダに『お義姉さん』アピールしなくていいからね!」
あたしは『cutie fake』のサークルブースを片づけ終わった後、一人でコミケ会場をぐるぐる回っていた。もうとっくに有名サークルの画集は売り切れていて、あたしは少ししょんぼりしてしまったわけだけど、それでも掘り出し物と思えるものはいくつかゲットできたので、それはそれなりに楽しむことができた。
それにしても、一人でこんなに長い時間コミケ会場をぶらぶらしたのなんて、随分と久しぶりのような気がした。あたしが自分のサークル『cutie fake』のブースを出す前以来のことかな? 最近のあたしはコミケ開始とともに自分の欲しいものをさっさとゲットして、その後は兄と交代でずっと自分のサークルの売り子だもんね。売り切った後もお目当てのものはゲットした後だから、電車が混む前にそのまま帰るだけだったし。
今回、掘り出し物をひたすら探すという、コミケの新しい楽しみ方を覚えた気がする。
こういうのも、悪くないね。
コミケ二日目の終了の放送と温かい拍手を一人で聞くと、その足で打ち上げの会場であるホテルに向かった。赤い絨毯が一面に敷かれた広いエントランスロビーに出迎えられると、案内板で宴会場のある階を確認する。その会場とは、最上階の一つ下の階らしい。大きな窓のあるエレベーターに乗りその階へたどり着くと、降りたすぐ目の前に宴会場があった。
窓の外には夕焼けの日に包まれた東京の景色が広がっていた。
東京湾、レインボーブリッジ、東京タワー……
その絵の具で描かれたような静かな光景は、ただゆっくりとした時間が流れてるようで、どこかもの寂しい雰囲気を感じさせる。
そんな会場に、あたしより先に一人待っていたのが英梨々だったんだ。
英梨々、確か誰かに呼び出されたって言ってた気もするけど、ここに一人であたしより先に……?
一体、誰に呼び出されていたんだろう?
「まぁあたしもあの後すぐこっちに来てたから、みんながどこ行ってたなんて知る由ないけど~」
「って英梨々それじゃああたしにさっき『どこ行ってた?』と聞いたあれはナニ!?」
「そんなの、真由がひとりで負け犬っぽくここにこうしてやって来たから、それを察してあげたに決まってるじゃない。」
「そこであたしに『負け犬』属性を付けるな~!!」
まさか英梨々にそれを言われるとは思わなかったよ。
……とは言え、あながち間違ってもいないような気がして、それはそれでなんだか悔しいのだけど。
「あら柏木センセ。私にゲームで負けてどこ行ったかと思ったらこんなところに逃げこんでたの? とんだ負け犬じゃないの。」
「うっさい黙れ! あんたが大人気ない手ばかり使うからゲームに飽きちゃっただけよ。」
「それより柏木センセ? こちらのお嬢さんは…………あ~、霞センセの例のお友達さんか。」
「え? あ、はい。……どうも。」
英梨々のことを探していたのだろうか。その女性は突如あたしの前に姿を現した。
細身の身体のわりに、一般的な女性よりはやや低い声。年は三十代前半だろうか。いや、もっと若そうにも見えるし、さらに上にも見える。年齢不詳。その美しい顔からは、疲れのようなものさえも伺える。相当やり手のキャリアウーマン。そういうと町田さんが該当するわけだけど、確かに町田さんと似たような雰囲気を感じる。
というよりこの顔、前にどこかで雑誌で……。いや待って。英梨々のことを『柏木センセ』と呼んでいる。つまり英梨々の正体を知る、数少ない人物の誰かだ。
……あ、そっか。この人が――
「嵯峨野センセのゲームもさっき柏木センセと楽しませてもらったよ。シナリオはあの坊やの彼女が書いたものらしいな。絵も文章もなかなか面白かったよ。」
「あ、ありがとうございます。紅坂……先生……?」
――そう。この人は間違えなく、紅坂朱音先生。
去年、霞さんと英梨々とともに、超大ヒットゲーム『フィールズ・クロニクル』を作り上げた人、張本人だ。
そんな先生を目の当たりにして、あたしの顔はやや固まってしまう。前からいろんな人に話は聞いてたとは言え、やっぱしいざこうして面と向かうとさすがに緊張するよね。
「あれ? 真由にこの人を会わせたことなんてあったっけ?」
「あ、いや、前に雑誌で顔を拝見させてもらっていただけだよ。それにあたしのこと『嵯峨野文雄』って知ってるみたいだし……」
普通の人から見たらあたしは、嵯峨野文雄の妹であって、嵯峨野文雄本人にはならないはずだ。あたしはただの一般人のはず。
そうは言うものの、紅坂先生から見たあたしって、いったい――
そんなあたしの身体を、紅坂先生は下から上まで撫で回すように、じっと見つめている。
「ふん。なるほど。やはり思った通りだ。」
すると紅坂先生は突然こんなことを言うんだ。
間もなくあたしの頭の中はクエッションマークで埋め尽くされる。
「あの~、何が思ったとおりなのでしょうか?」
あたしは紅坂先生に、恐る恐るそう聞いてみた。
「そこにいる柏木センセよりもずっとセンスがいい。嵯峨野センセのあの絵も納得だわ。」
「……え?」
紅坂先生はそんなことを言うんだ。でも、あたしはその表情にどこか釈然としないものを感じていたけど。
「あの~あたし、誉められ……」
「センスはいい。ただそれだけ。それ以上のものがまるで備わっていないけどな。」
「……てるわけではないんですね……」
なんというか、紅坂先生はオチまでしっかり忘れていなかったようだ。
うん。釈然としなかった理由の正体がはっきりと理解できたよ……。
「ちょっと紅坂朱音? あたしより真由の方がセンスがいいって、どういう意味よ!?」
が、英梨々にはそこは納得いってなかったようだ。
うーん……それについてはなんとなくだけど……
「だってお前が絵を描くときは、いつもジャージ姿じゃないか。あんな姿を男の前でも平然と見せるとか、そりゃ男にも逃げられて当然だろ。」
「逃げられてなんかないもん全然連絡取れないだけだもん!!」
「それを『逃げられた』って言うんだよ? 柏木センセ、いい加減男というものを学んだらどうだ?」
「それをあんたに言われたくないっ!!」
うん、ごめん。申し訳ないけどそれについては英梨々に賛同できないよ。英梨々って自分の部屋だけならまだしも、タキ君の部屋でもジャージ姿だったし。さすがにね……
でも今の紅坂先生の『男に逃げられた』って話の下り、それって我が兄のこと言ってるのかな?
まったく英梨々のやつ、紅坂先生と何を話していたのだろうか。
「いつも霞センセの作品を通して、嵯峨野センセの絵も見させてもらってるよ。」
「あ、ありがとうございます……」
こんな大御所の作家さんに、いつもあたしの作品を見てもらってる。それはそれで素直に嬉しかった。
でも、あたしの絵の評価については……聞きたいような、聞きたくないような……
「ただ、私に言わすと全然物足りない絵だけどな。」
「はぁ~…………」
が、あたしの気持ちなど一切お構いなく、あたしへの批評が始まろうとしている。
「そうだ嵯峨野センセ? お前がもし、このポンコツ娘と肩を並べるような一流の絵描きを目指しているんなら、何も考えずに描いてみろ?」
そして紅坂先生は、あたしにこんなことを言うんだ。
「何も考えず……に?」
「今のお前の絵は無茶苦茶可愛い。でもただそれだけ。お前の日頃の迷いが絵から滲み出てくるようだよ。それが絵に余計な雑念を与えている。」
「あたしの絵に……迷い……?」
だけどその指摘には、あたしにも十分なほど思い当たる節があった。
正直何をどう描けばいいのか、自分でもわからなくなってるんだ。
あいつに『凄くない』と言われてから……あいつにどうしたら『凄い』と言われるのかって……
あの、タキ君の部屋で合宿していたあの日の夜……いや、既に朝だったかもしれない。
それからのあたしは、何もかもが中途半端になってる気がする。
「嵯峨野センセ。こいつをよく見てみろ。絵を描くときは色気全くゼロ。それなのに凄い絵を何枚も描いてきやがる。なんか、同じ絵描きとして腹立たしくねーか?」
「そこでいちいちあたしをだしに使うな!」
「でもよ〜、嵯峨野センセは違うだろ? 明らかにこいつよりも『可愛い』という一点に置いては、ずば抜けてセンスがいい。だけど絵にはそれがまだまだ全然活きちゃいない。中途半端のろくでなしだ。そういうのも十分腹立たしいよな。」
「腹立たしい……?」
ケラケラ笑いながらそう話す紅坂先生に、腹立たしさを感じていたのはあたしの方だった。
いや、それはどっちかというと紅坂先生に対してではなく、あたし自身に対してだけど――
「ああ。お前の絵を見てると何もかもが煮え切らなくてイラッとする。」
「っ…………」
「そうだ。いっそその髪を全部切り落として、本気で坊主にでもなってみたらどうだ?」
「坊主!??」
「あー。お前みたいな半人前の絵描きはその方が絶対お似合いだ。どうだ、いい考えだろ?」
「……………………」
「あ~、女だから坊主というか尼さんか~。それでいっそ名前の通り嵯峨野の山にでも籠もって修行するとか。はははっ。そうすればきっといい絵が描けるぞ~」
「ちょっと紅坂朱音!! さすがに言い過ぎ!!!」
前言撤回。やっぱし悔しい。
滅茶苦茶悔しいよ。
初対面の紅坂先生にここまで言われるなんて、本当のこととはいえ、辛い。
さすがに泣きたくなってきた……
「絵描きなめてんじゃねーぞ。その中途半端を止めて、もっと本気でがむしゃらに絵を描いてみろよ!!」
紅坂先生の怒声が鋭い槍のように、あたしの胸を強く突き刺した。
そんなの、言われなくてもわかっているはずなのに……
なのに…………
あたし、本当に絵描きやめようかな……?
「はーい、茜〜? うちのとっても可愛い大切な絵描きにパワハラとか、さすがにそのくらいでやめてもらえないかしら~?」
いつもは大人気ない、でも今日は救いとも思ってしまう、そんな声が聞こえてきたのはこのタイミングだった。
「おー、やっときたかお
「昨日も飲んで今日も飲むとか、あなた去年倒れてるんだから無理しちゃダメよ。いくらこの会場もあなたが用意したものだからって。」
「若いクリエイターを育ててあげようという親心みたいなものじゃないか。それをとやかく言われる筋合いはないわよ。」
「そう言って嵯峨野先生を大泣きさせる寸前だったじゃない。まだこの子そういうのに慣れてないんだから、大人気ないことやめてあげてね。」
「大人気ないのはそっちの十八番だろ。」
二人の談笑はつい先程までの凍りついた雰囲気を和まし始めた。あたしの未熟さがこの宴会場をそんな場にしてたなんて、それだけだって十分悔しいけど、でもそれはどうしようもない事実だった。
そういえば町田さんと紅坂先生って、同じ大学で同じサークルの、同期って話だったっけ。あたしは二人の会話をするっと聞き流しながら、そんな話を思い出していた。それにこの打ち上げも、もともと紅坂先生が企画したものだったんだね。
あたしの意識は明らかに朦朧としていたけど、ただそれくらいは理解できる程度に、意識はほんの僅かばかり残っていた――
あたしの掌の上には、ぽつり――
あたしの一粒の涙が、こぼれ落ちていた。
☆ ☆ ☆
日が落ち始め、東京湾が夕焼けに染まる頃、ようやく会場に人が集まり始めてきた。
霞さんや出海ちゃん、そして、『blessing software』の面々、タキ君や恵ちゃんがいて……
あまり見かけない顔もいるけれど、あれは紅坂先生のお弟子さん達かな。
他に、不死川書店の建物の中でよく見かける人たちもいる――
あたしには、あまり関係ない打ち上げかなと思ったけど、なんだかんだと知ってる人が多かった。みんな見知った顔同士、楽しく談笑しながら、食事を始めている。
……でも、あたしはもう帰りたい――
そんなあたしは一人で食べ物に集中していた。
こんなに美味しいもの、しかも食べ放題だなんて、なかなかないチャンスだ。絶対に楽しまない方が損だよね。あたしの目の前にはいかにも甘そうなデザートが山のように積まれているし。
ふふっ……
「あら嵯峨野さん。こんなところで食事に没頭してたの?」
そんなあたしに声をかけてきたのは霞さんだった。
最初はフラットで、徐々に冷たいそれに変わるのが霞さんの声の特徴。
でも今日はどっちかというと、ほっといてほしいんだけどな――
「だって、美味しいんだもん。」
「まったく、それじゃあどこかの負け犬じゃなくて、ただの野良犬……」
「え……?」
ふん。どうせ霞さんにはあたしの気持ちなんてお見通しか。
「まぁそんな話をしにきたんじゃなくて、嵯峨野さんを探してた人がいたから連れてきたわ。」
「あたしを、探しに?」
すると霞さんは真後ろにいた男性と入れ変わるように、そのままとっととどこかへ行ってしまった。あたしの目の前に残されたその男性は、どこか照れくさそうにもぞもぞしている。見た目はとてもしっかりしてそうなんだけどな……
……って、この人はさっきも……?
「初めまして……ではないですね、嵯峨野先生。」
「えっとー、不死川のバイトさん?」
そう。さっき『cutie fake』のサークルブースの片付けを手伝ってくれた、不死川書店のバイトさんだ。名前は覚えてないけど、タキ君よりもずっとその職歴は長くて……
あたしは以前どこかで会ったことがあるんだけど、それがどこだったかは覚えていない。
「僕のこと、覚えててくれたんですか?」
「え、あの……ううん、昔どこかで……顔しか覚えてないです。すみません。」
「しばらく他の人の担当をしていたので仕方ないです。」
そんな風に彼は甘い笑顔をあたしに返してきた。
ついさっきまで、今にもぺちゃんこになりそうだったあたしを、少しだけ和ませてくれて――
すると彼はポケットから名刺入れを取り出して、あたしに一枚の名刺を差し出してきた。
「北田と申します。嵯峨野先生が初めて不死川書店に尋ねてきたとき、一度顔だけは合わせていますよね。」
「あ〜、思い出した! 確か霞さんの原稿を間違えてあたしに渡してきた……」
「いやあの、それは僕がその原稿を受け取ったときには既に間違えられていたんですけどね……。」
そう、彼の言うとおりだった。それは全て、霞さんが仕組んだ罠――
あたしが初めて不死川書店を訪れた日。
それは、まだあたしが『純情ヘクトパスカル』のイラストレーターとして、受諾する前のお話だ。あたしは町田さんから、霞さんが書き上げたばかりという『純情ヘクトパスカル』の初稿と呼ばれるものを読ませてもらっていた。
町田さんが言うには、その原稿は『明るく可愛いラブコメ』……のはずだった。が、読めば読むほどそんな要素はどこにもなく、町田さんの言う、あたしの絵にぴったりな『ポップでキュート』な印象も全く無かったんだ。正直、馬鹿にされてるのかな?と思ったほどの、ラブコメ、ではなく、あたしとはタイプが全然異なる伝記モノだった。
……まぁ不思議に思って、読んでる途中でちらっと表紙を見てみたら、『cherry blessing 第二稿』などと書かれていたことに気づいてはいたんだけどね。
「あたしだってまさかあの時、別の原稿が渡されれてるなんて思うわけないし。」
「本当にあの時は失礼しました。僕の確認不足で……」
「でもあの作品は楽しませてもらったし、あれを読ませてもらってなかったら、あたしはこの仕事を引き受けてなかったかもしれない。だから、北田さんは何も悪くないですよ。」
だって『あの原稿』とは、霞さんと英梨々で作り上げた、今や伝説となってるゲームのシナリオ。しかもそれの修正前。まだタキ君が書いたというゴールデンルートすら含まれていない版だった。売れば確実にプレミア価格だっただろう。
でもそれって、どうせ霞さんがまだ書きあげていなかった原稿の代わりに手渡したものだろうなって、今ならすぐに理解できる。いくつものヒット作を並行して仕事として抱える霞詩子ならではの、ある意味常套手段だ。
「僕はその前から嵯峨野先生の大ファンで、『純情ヘクトパスカル』の絵描きに嵯峨野先生が抜擢されそうと聞いて、すごく楽しみにしていたんです。ところがそんな最中にあんな事件が起きてしまって……」
「事件というか日常茶飯事の間違えでしょあの霞さんに限って。」
「でもそれから詫び一つ入れられないまま、僕は他の作品の担当になってしまって……」
「いや、それは考えすぎというやつでは???」
すると北田と名乗るその男性は、あたしを急に真面目な顔できっと見つめてきた。
そして…………
「僕、嵯峨野先生のことが、好きです。」
……………………
「…………はい?????」
「もう嵯峨野先生のこと、毎日眺めていないとやってられないレベルなんです。」
「え、ちょっと待ってよ!!!!」
「ずっと好きで好きでたまらなくて……」
「やめてよ今はとてもそんな気分じゃ……」
そんな話、このタイミングでとか絶対にやめてほしい――
「特に今回の画集のアンジェのこの絶妙な表情、もう好きで好きでたまらなくて……」
「……………………はい?」
「こんな絵を描ける嵯峨野先生のこと、好きでいられない訳ありません!」
「……えっと〜、ごめんやっぱりちょっと待って。」
「嵯峨野先生のこと、僕にとってこんなに素晴らしい絵、他に見たことないですし。」
「その、あたしの『こと』ってそもそもなんのこと……ていうかもはやその日本語全然よくわからないから〜!」
こうしてあたしは……
人生に一度、あるかないかの高級ホテルの宴会場で
人生に一度、あるかないかの超落ち込んでいる日に
人生で初めて、告白された……ようなよくわからない言葉を告げられたのだった。
――あ、『人生で初めて』というのが嘘か真実かについてはヒミツってことで。
あたし、そもそもオタク女子だしね、うん。
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