冴えない絵描きの泣き止みかた
名古屋駅に到着すると、私達は地下にある近鉄名古屋駅ホームへ向かった。
あたしが名古屋に来たのは初めてだった。出海ちゃんはちょっと前まで名古屋に住んでいたということで、その駅の風景を懐かしく話している。兄、伊織さんはと言うと、すぐ隣にいる編集さんに、『この辺りは住所まで名駅と呼ばれていて~』みたいな話で始まる名古屋の
あたしはその声を耳だけで聞いている。
なぜなら、あたしの身体は英梨々に身を預けたままだから。
あたしはまだ泣き止むことなく、顔を伏せたままだったからだ。
何も知らない出海ちゃんはただ『倫也先輩が泣かせたんですかー?』と聞いていたが、別にそんな話ではない。
ただ、あたしが勝手に泣きじゃくってるに過ぎなかった。
なんて自分勝手な女なんだろう。
そんな自分がただただ許せないでいた。
『どうして霞さんと英梨々を振ったの?』
恵ちゃんも近くにいたのに、こんな身勝手な質問、許されるはずないよね。
でも意外だったのは、編集さんはそれをただ黙って聞いてくれただけだったことだ。
あたしは編集さんに質問の答えや言い訳とか、そんなものは求めてなかったんだ。ただ、かっとなって
☆ ☆ ☆
名古屋から伊勢へは近鉄特急で向かうらしい。
近鉄名古屋駅のホームには、古めかしい感じのレトロな特急電車が止まっていた。あたしはその電車の勇姿を顔を上げてちらっと確認すると、ほんの少しだけ勇気が湧いてくる。そしてまたすぐに下を向いて、ゆっくり歩き始めた。
近鉄特急は新幹線のように3列席はないから、全て2人席。電車に乗ると英梨々はあたしを窓側の席へえいっと押し込んだ。あたしは次の電車に乗っても英梨々になされるがまま。
迷惑かけてばかりで、本当にごめんね。英梨々。
まもなく特急電車は、三重県に向けて名古屋駅を出発する。
電車が動き出しても、あたしはずっと下を向いている。
全員で7人。どうせ1人は
身勝手なあたしは当然そのつもりだった。
ちなみに、隣の席にはやはり誰もいる気配がない。
あたしはちょっとほっとしてしまう。なんとも情けない話だ。
でもそこへ男性の声が聞こえてきた。
「隣の席、いいですか?」
そんな質問されても、あたしに拒否できる資格なんてあるわけないので、その声の人の顔も確認せず、ただ下向いたまま、こくんと頷く。
…………あれ?
ただ、あたしはその声から何かを悟ったため、横を振り向いた。
そこにいたのは……やはりと言うべきか、編集さんだった。
ふと周囲を見渡すと、あたしの真後ろでは伊織さんがひとりぽつんと座っていた。なお、想像通り、隣の席は空席だ。
てか、割と空席多いしこの電車……。
あたしはなんとなく、へにゃへにゃと気が抜けてしまった。
☆ ☆ ☆
「なんであんたがあたしの隣の席に座るのよ……。」
あたしは隣の編集さんにしか聞こえないくらいの小さな声で、そう呟いた。
あーもう、なんであたしはそんな言葉しか出てこないんだろ?
「ここしか空いてなかったんだよ。まぁ仕方ないじゃないか。」
それはさすがにダウト!
とゆうか、英梨々もあたしを1人の席にしてくれれば良かったのに。
でもこの状況、誰の陰謀か知らないけど、それを許してくれないんだろうね結局んとこ。
「あのー、嵯峨野さん。さっきの新幹線での質問のことなんだけど……。」
編集さんはもぞもぞとそんなことを言い出す。
「いいよそんな質問答えなくて。あたしも別に聞きたくないし……。」
「でも……。」
「今は、もっとロケハンを楽しもうよ。……ね!」
あたしは編集さんとは顔を逸らしたまま、俯き加減で窓の外を見ながらそんなことを口走ってた。
一番楽しめてない人が何か言ってる。
というか、あたしが一番弄ばれてる気もしなくもないけど……。
「嵯峨野さん、だったらひとつだけ、聞いていいかな?」
すると編集さんはまたあたしに顔を近づけてきた。さすがにちょっと近い……。
いや、そこまで近くないはずなんだけど、今日は妙に距離感が異様に近く感じてしまう。
「なに? ……どんな質問にでも答えられるだけの自信はないけど。」
あたしはなんとかして声を絞り出した。
「ひょっとして嵯峨野さんって、今スランプなの?」
「……うん。」
そのとき、思わずあたしと編集さんの目が合った。
なぜならそのとき、あたしがようやく下を向くのを止めたから。
「それってさ、英梨々が何か関係しているの?」
「…………ノーコメント。」
答えにもなってないような回答をあたしはしてみせると、またもう一度下を向いた。
こんなことばかりの自分が本当に嫌になってくる。
すると、編集さんはもう少しつっこんで、あたしに質問を重ねた。
「嵯峨野さん、何があったの? 答えられる部分だけでいいからちゃんと答えてよ。」
編集さん、何も悪くないもんね。だからー
「あたしは…………。」
だから、その優しい声に、あたしは少しでも応えなきゃいけない。
いつまでも逃げてるわけにはいかないから。
電車は木曽川と
向こうの席で出海ちゃんが『もう三重県ですよ』とか、キーの高い声が聞こえてくる。
☆ ☆ ☆
「あたし、今、『純情ヘクトパスカル』以外のイラストで行き詰まってるんだ。」
霞さんの2番目の作品、『純情ヘクトパスカル』の編集さんに、こんな話から始めていた。たしかに今あたしが描けていないイラストの中に、『純情ヘクトパスカル』のメインヒロイン『アンジェ』が含まれていることも確かだけど、でも最もあたしが思い描けていないメインヒロインは、『アンジェ』ではなく、別のメインヒロインだった。
「それって、『純情ヘクトパスカル』ではない、別の作品ってこと?」
編集さんは何も知らない。なぜなら編集さん自身がその作品のモデルとして大きく関わってしまっているのだから。
「そう。霞さんが書いてるもう一つの作品。担当は町田さんだから、あんたは知らないよね?」
あたしは話してもよさそうなギリギリのラインまで話そうと、そう思った。
そうすれば、その作品により近づけるのではないかって、また自分勝手にそう思えたから。
「霞さんが別の作品を書いてるのは町田さんからちらっと聞いてる。確か、短編集だったっけ? GWに霞さんが失踪した理由も実はそっちが原因だったって、それとなく町田さんから聞いてたけど。」
「うん、だいたいそれで合ってるよ。」
そこまで理解しているのなら……と、あたしは少し安心して、ちょっとだけ笑みをこぼす。
「でも、その作品のせいで、霞さんだけでなく、嵯峨野さんまでペンが進まなくなるなんて……。」
「そういう作品だったってことだよ。あたしにとってもこの作品が新境地のはずだったんだけどね。」
「霞さんはともかく、これまで無双を誇ってた嵯峨野さんまで描けなくなるなんて、一体どんな作品なんだ?」
「んまぁその表現、正しいかどうかわからないし、とりあえず霞さんには黙っといてあげるよ。」
そんな話をこいつにちゃんとできたことで、あたしは安心感を覚えていた。
するとこいつは、まもなく頭の中で線が繋がってしまったようだ。
編集さんは、急におどおどし始めたのが目に見えてわかってしまった。
「……え、ひょっとして、その作品と英梨々って何か関係あるの!??」
「おっと。それ以上はノーコメントだよ。」
「あれ? さっきまで『どれだけすごい作品なんだ?』ってワクワクしてたまらなかったんだけど、急に嫌な予感がしてきたのは気のせいかな? 嵯峨野さん。」
「だからこれ以上はノーコメントだって。編集さん!」
あたしはこいつに向かって舌をぺろっと出す。
ただ……。あたしは言い訳をするつもりはないけど、ちゃんと伝えておかなくてはと思った。
「でもね、編集さん。これだけは言える。その作品はあたしだけじゃなく、霞さんにとっても新境地なんだって。あたしは読んでて鳥肌が立ったし、これまで経験のない何か特別なものをその作品に感じた。内容はあんたが好きなハッピーエンドではないかもしれない。でも、心がぎゅっと締め付けられるような、そんな作品なんだよ。」
まぁそのモデルが誰なのかは、とりあえずこの場では言わないことにしておくけど。
「だからあたしもこの作品で変わってみたいんだ。もうあんたに『可愛いだけ』とか言われるのも、ちょっとムカっとくるしね。」
「そんなふうに言ったことはないつもりなんだけどな〜。」
「いやいや、絶対にそう言ってるから!!!」
だからあたしは今度こそ新しい自分の絵を描いてやるんだって、そう決めたんだ。
……そして、誰よりもこいつ、『TAKI』に自分の絵を認めさせてやるんだってー
だから、だから……ね……
そしてこいつはこのタイミングで、あたしの核心にあるものをついに突いてきた。
「ひょっとして嵯峨野さん。もしかして嵯峨野さんが描けない絵の中に『俺』も含まれてる?」
そう……なんだ……。
あたしが本当に描くことのできない人物、それは英梨々ではない。
本当に描けないのは、あたしがかつて『TAKI』として信望していた、こいつだったんだー
これはまだ英梨々にも霞さんにも気づかれていない、あたしの本音。
……というより弱み。
でも、だからこそ乗り越えてやりたい大きな壁。
だけどその話は……。
「ふふっ。だから、『ノーコメント』って言ってるでしょ?」
でもね。それはこんな話でもあるんだ。
そのことに気づいたのは昨日やその前とかではない。
それは、ついさっき。新幹線での中でのことだったんだ。
最初はただ英梨々と同じように、こいつの顔も描けないだけだと思ってた。
でも英梨々の隣にこいつがいて、それをひとつのイラストとして収めようとすると、なんだかうまくいかなくて。気づいたら自分の描いたイラストの紙を、ぽいっとゴミ箱に捨てていた。あたしはその描けない理由を、英梨々のせいにしようとしていたのかもしれない。
でも、それは違ってた。そのことにはついさっき、新幹線の中で気づいたんだ。
それに気づいてしまったあたしは、ただ泣くしかなかった。
なぜって、そう簡単に受け止められなかったから。
「あれ? 嵯峨野さん、ちょっとすっきりした顔になってる?」
「そう……かな? さっきと何も変わらないと思ってるけど。」
こいつはそんなこと言うけど、あたしの中ではまだもやっとしたものが残ったままだ。
でもあたしの中でたしかに、何か大きなものが動いているのを感じている。
その正体に気づくのは、もう少し先のことかもしれないけどー
いつの間にか窓の外は、住宅らしき建物が少なくなってきていた。
空はややどんよりと、霞がかっている。
伊勢までもう少しかな?
あたしはペットボトルを手にして、でもこの電車に乗ったときよりは明らかに落ち着いて、お茶を飲んでいる。
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