新幹線での口説かれかた

 新幹線は品川駅を静かにゆっくりと出発した。

 あたしの席は2人席の窓側。大崎駅付近の街並みが、窓の向こう側で流れていく。それにしても今日はいい天気だ。

 乗換駅の名古屋まで、あと2駅か。とはいっても、次の新横浜から1時間以上停車しないわけだし、まだまだゆっくり時間あるよね。


 ……名古屋まで、寝てよっか。


「ちょっと、嵯峨野先生! 『純情ヘクトパスカル』の件で相談があるって言ってるじゃないですか!!」


 あたしは『意図的に』無視して眠りこもうと思ったが、隣の席に割って入ってきた編集さんは、それを許そうとしなかった。レディーの睡眠時間を奪おうとするなんて、いい度胸してるじゃないのこの編集。


「…………で、相談って、なによ?」


 あたしは誰にでも目に見える不機嫌のオーラを漂わせながら、編集さんを牽制する。


「いや、あの……、『純情ヘクトパスカル』のイラストは順調かな〜って。」

「……………………は?」


 てゆうか、それはもはや『相談』ではないよね?

 東京から品川までの間に思いついたあたしの口説き文句って、それなの?

 さすがに残念……というより、がっかりだよ!


 あたしが今、絶賛不機嫌なのは、何も眠いからではなく、これは誰かの陰謀だということを知ってしまったからだ。

 東京駅で、伊織さんがこの編集に、『あの子と一緒にいて、メインヒロイン(恐らく恵ちゃん)を嫉妬させろ』というひそひそ話しているのを聞いてしまった。その編集があたしの横に来たということは、『あの子』というのはあたしということだ。なるほど、伊織さんはあたしを利用して、このゲームを作り上げようとしている……そこまでは特にまぁ〜という感じだった。


 が、話はどうやら、そんな単純な構造ではない様相を呈してきた。この陰謀、伊織さんとこの編集だけのものかと思ったけど、何故か英梨々も関わっているようなのだ。

 さっきまであたしの隣の席にいた英梨々が『あたしの用は済んだ』と、まるで合図をとって席を離れたのと同時に、あたしの隣の席に座ったのがこの編集さんだった。そのあまりにも自然すぎる行動の流れは、むしろ逆に不自然でしかなかった。


 伊織さんが英梨々を巻き込んで、あたしをはめた? 今はそう考えるのが普通だ。

 でも英梨々って、そんな簡単に伊織さんの言うことなんて聞くんだっけ?

 どうしてもその点だけが、頭の中に引っかかるものを感じていた。


「ねぇ編集さん。『イラストは順調かな』ってそれ、相談じゃないよね?」

「……ん? あ、そうだね。」


 編集さんは笑って誤魔化そうとする。

 なんだかはっきりしないやつだな〜……。


「アンジェ以外は描けてる。だから大丈夫だって、そう答えたのは編集さん、あんたじゃなかったっけ?」

「……あ、あ〜、そうだったね。」


 はぁ〜、なんだかこれではこの編集さんを虐めてるみたいだ。

 あたしは小さくため息をついた。


 なんで伊織さんは恵ちゃんを嫉妬させるのに、あたしなんかをその相手に選んだんだろう?

 だって、伊織さんとあたしは今日が初対面だ。あたしがこういう性格だって知ってれば、そんな難しいチョイスをするよりも、伊織さんが知り尽くした『blessing software』のメンバーをチョイスしたほうが、『恵ちゃんを嫉妬させる』というミッションを成功させる可能性は高かったはず。


 もしくは…………英梨々が……?


 その瞬間、あたしの頭の中には、霞さんの例の短編がフラッシュバックされた。


 あたしが今、スランプに陥っている原因となってるその短編。

 その短編のモデルは、英梨々と、今あたしの隣りに座っているこの―


 そのことを考えてたら、気分が悪くなってきた。新幹線の揺れに酔ってしまいそうだ。

 とにかく気分を落ち着かせようと、ペットボトルのお茶を一口飲む。


「どうしたの嵯峨野さん。すごく気分が悪そうだけど。」


 あ。あたしの異変は編集さんに気づかれてしまったようだ。


 するとあたしは思わず、こいつに向かってちょっと大声を出してしまった。


「ねぇ〜、あんたってさー…………」


 そんな大声で話すことなんてなにもなかったはずなのに。

 少なくとも気を遣ってくれてる編集さんに、失礼だよ……。


 だけど、あたしはその後に続ける言葉を出すことができなかった。


「どうしたの、嵯峨野さん?」

「ううん、なんでもない。」


 あたしは我に返って、何もなかったように取り繕うとする。我ながら情けないね。

 すると間もなく、新幹線は新横浜駅に到着することを告げる車内アナウンスが流れた。


 ☆ ☆ ☆


「ねぇ編集さん。あんた、あたしの隣りに座るだけの用事があったんじゃないの?」


 新横浜を発車すると、ようやくあたしも調子を取り戻せてきた。

 それにしてもこの状況、やっぱりどうしても苦手だ。

 なんとか、この編集をどこか別の席に移動させる方法はないものか。


 ……伊織さん、ごめんね。


「あ、あ〜……。いや、どうしたらアンジェを描いてもらえるかな〜?って。」

「ごめん、それあたしに対する嫌味にしか聞こえない気がするんだけど、気のせいかな〜?」


 どこまであたしの絵のことで引っ張ろうとするんだろうこの編集は。

 もう少しまともな言い訳してくれれば、その陰謀とやらに少しは協力しようという気になるんだけど、どう考えてもそれはあたしをちくちく刺しているだけのようで、本当に救いようがなかった。もういい加減、誰かと席を変わって欲しい。

 てゆかこいつ、あたしを今日ここで口説き落とすとか、そういうのじゃなかったの?


 なんであたしはここまでこいつに拒否反応を示しているんだろう……?


 すると編集さんは薄い笑みを浮かべて、こんな風に答えた。


「いやいや、そうじゃないって。嵯峨野先生にはいつも期待してますから〜!!」


 ……こいつ、本当にそんな風に思ってるのかな?

 でも、薄い笑みだったからこそ、それはあたしの心を落ち着かせるのに、十分な暖かさが含まれていた。

 あたしも思わず、ふと笑ってしまう。


 新幹線はすっと相模川の橋を渡り、まもなく窓には富士山が見えてきた。


「ねぇ。あたしを『純情ヘクトパスカル』のイラストレーターに推したのって、編集さんだったよね?」

「ああ、そうだよ。」

「……あたしの絵、どこが良かったの?」


 すると編集さんは何一つ躊躇することなく、語り始めた。


「だって、嵯峨野先生の絵は、最高に萌え萌えで可愛い絵じゃないか!」

「……はぁ〜。」


 そこまで何のためらいもなく堂々と言われると、嬉しいと言うよりはちょっと……いや、かなり恥ずかしい。


「霞詩子の次回作が学園ラブコメだって聞いた時、その小説にぴったりフィットするのは、間違えなく嵯峨野文雄の絵しかないって、俺は確信したよ!」

「ふーん、そうなんだー。」


 あたしは自分の話を聞いてるはずなのに、思わず顔がフラットになった。


「あの時町田さんは『イラストレーターを自由に選んでいいよ』ってほぼ丸投げで言ってくれたんだけど、その直前の同人イベントで嵯峨野先生の作品見つけてて、瞬間的に『もうこの人しかいない』ってピンときたよ。」


 本当にこの編集さん、どこにいても誰に対しても、好きなものに対して熱く語るんだね……。


「つまり、ただとびっきりに可愛かったってこと?」

「ああ。ひたすら可愛さだけを追求してて、それでいて浮かれすぎてないしセンスがいい。この絶妙なバランス感覚こそがまさに嵯峨野文雄の真骨頂だと思うんだけど……相楽さん、どう思う?」

「あははははは…………。」


 あたしはもはや笑ってごまかすしかなかった。

 って、その質問をあたしに振るな〜!!!


 でもなんだか、その熱苦しい編集さんの声はとても心地よい。

 あたしは調子に乗って、鞄の中にこっそり忍ばせていた一冊の同人誌を取り出し、編集さんに見せびらかした。


「でも、最近の同人イベントだったら、あたしはこの人の作品に注目してるんだよね〜。」

「あ、それ、俺も持ってる。この人の作品もいいよね。特に……」


 あー、また始まっちゃった。

 まぁ……いっか。


 ☆ ☆ ☆


 そうして、最近の同人のこと、最近話題のラノベ、今放送中のアニメの話など、編集さんと話をしていたら、新幹線はあっという間に名古屋ひとつ手前の三河安城駅を通過したらしかった。『予定通り、あと10分ほどで名古屋に到着します』という車内アナウンスが流れてくる。

 考えてみたらこんなに編集さんと2人で話をしたのは初めてだった。実のところ、あたしもこの編集さんに負けず劣らずレベルのオタクだ。だからその編集さんの話に深く共鳴できる話も多かった。なんだかんだいって、編集さんだけじゃなくてあたしもいろいろ熱く語っていたかもしれない。でもそれでもちゃんとあたしの話も聞いてくれる。その上でちゃんと編集さんの意見も聞かせてくれる。

 ただの一方通行ではないその会話に、あたしは胸を弾ませていた。

 いつの間にか、誰かの陰謀とか、そんなものはあたしの頭の中から消しゴムで消されてしまったようだ。


 でも、だからこそ―

 あたしは最後にひとつだけ、聞いてみたいことがあった。


「ねぇ、編集さん。『純情ヘクトパスカル』書いてる霞さんって、好き?」

「もちろんさ。俺は編集者であると同時に、霞作品の大ファンだもん。」


 うん、それは知ってる。でも本当に聞きたいのはこっち。


「じゃーさ、霞さんの文章と、あたしの絵、どっちが好き? ……あたしの絵?」


 すると編集さんは、ぷいっとあたしから目を背けて笑いながら、こう答えたんだ。


「いや、嵯峨野さんの作品も好きだよ、もちろん!」

「ふふっ……。ありがとう。」


 そうなんだよね。あたしの絵なんかより、霞さんの文章や英梨々の絵のほうが、今の編集さんは大好きなんだ。あたしはまだまだなんだよね……。うん、そんなこともちゃんとあたしにはわかってる。


 そんな嘘をつくことさえもできない編集さん。

 いつも熱く語って、うざいながらも、ちゃんと見ていてくれる安芸さん。


 でもだから、あたしはやっぱりあんたのことがー


 あ…………。


「え、どうしたの? 嵯峨野さん?」


 心配そうに顔をすぐ近くに寄せてきて、編集さんはあたしの顔をじっと見つめていた。

 気づいたら、あたしの目からは涙が出てきている。

 なぜならその涙は、またあの霞さんの短編がフラッシュバックされたためで―


 あたしはいてもたってもいられなくなった。

 そしてまた、気づくと少し大きめな声を出してしまっていた。


「ねぇ。それなのにどうして霞さんと英梨々を振ったの? 大好きだったんじゃないの? 編集さん、ちゃんと答えて!!」


 あー、やっちゃった……。

 こんなこと、言うつもりなかったのに。

 しかも恵ちゃんのいる前で―


 大声を出したことに気づくと、あたしは顔を下に向けてしまった。その表情を誰にもさとられないように、顔を伏せて。

 あたしは人目をはばからず、泣きじゃくっていることに気づいたから。


 バカだよね、あたしって……。


 そして、新幹線はまた静かに、名古屋駅へ到着した。

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