第28話 風間響太郎 その3
肉の焼ける音がする。貝の焼ける匂いがする。
鉄板焼き屋の店内は適度な喧騒に包まれていた。
僕と
そして痛恨のミスに気づいた。ああ、僕としたことが。
店に入る前に
まあ、頃合いを見て連絡をしよう。
なんてことを考えていたら風間が話しかけてきた。
「覚えているかい。確か君はこう言っていた。人間は食べたり飲みながらじゃないと話ができないってね。だから今日は大いに食べ、大いに飲もうじゃないか。目に入ったものは片っ端から注文すればいい」
そう言うと彼は、ホタテ、アワビ、A5の黒毛和牛や伊勢エビを立て続けに注文した。
飲み物に関しては、二人ともアルコール類は頼まずに仲良くウーロン茶にした。
彼が僕と話したがるのは何故なのか、何を話したいのかは自然とわかるだろう。
「確か風間先生は実家の母親の介護のために学校を辞めたと聞きましたが」
そんな理由は見え見えの嘘に決まっているが先ずは軽くジャブを放ってみた。
「ああ、介護離職はこの国の抱える爆弾だ。いずれ一斉に爆発するだろう。私としても途中で教壇を降りるのは心残りだった。だから今夜は君に歴史の特別授業をしてやろう」
風間のまさかの返し。ここに来たのを少し後悔。
「……。しばらく見ない間につまらないジョークを言うようになったんですね」
特別授業なんて冗談じゃない。
ここでウーロン茶を一口飲む。口の中の乾きを潤した。
戦いはまだ始まったばかり。これは戦いなのだ。
「こんなことしていて大丈夫なんですか? 鉄板焼き屋で特別授業をしている場合じゃないでしょう。追われている身なのに」
風間の行動は大胆不敵と言うには無防備すぎる。
「ああ、
「いや、とてもじゃないけど格が違いすぎて僕には無理です」
そう、僕は捕まえない。僕はね。
捕まえるのはやはり蛇の目の役割だ。何とかして柴先生に連絡を入れなければ。
「では今から特別授業を始める。歴史とは戦いの記録である。それも勝者の側からの記録だ」
サラダを口に運ぶ箸が止まった。コイツ、本当に始めやがった。
「正義の名のもとに戦いが起こる。民族の数だけ、国の数だけ、正義は存在する。やがて勝者が正義となり、敗者は悪となる。そう教えたはずだ。覚えているな」
「ええ、なんとなく」
「それはそれぞれが信仰している神々の代理戦争でもある。邪神や悪魔と呼ばれているのは元々戦いに負けた側の異教の神々だ」
「はあ」
なんとも場違いな話題だった。それよりも注文したものが早く食べたかった。
「私は前に邪神のレプリカ像を紹介した。それは色々な地域で、様々な時代で、多くの名で呼ばれている」
「例えば?」
そんなに興味はないが、ご馳走になる手前、義理で聞いてみた。
「バアル、イブリース、アル・シャイターン、アンラ・マンユ、ルシファー等など。私自身はシャイターンと呼ぶのを好んでいる。前に教えたように戦いに負けた民族の神は悪魔や邪神にされ、一方的に絶対的な悪にされた。私は負けた側の神、弱者が崇めていた神々に強烈なシンパシーを感じる。なぜなら、私もまた負けた側であり弱者だからだ」
「なんと言いますか、勝手にお前一人で拝んでろ。おっと、思わず本音が。すみません」
僕としたことが。もっと下手に出て相手に喋らせて情報を引き出さねば。
「……。話を変えよう。君は人を殺したいと思ったことはあるかな?」
「そりゃ、ないと言ったら嘘になります」
その時、ちょうど焼き上がった料理が目の前に出された。
とても美味しそうな匂いが空腹を刺激した。
「私はね、私の妻と娘を殺した犯人を殺したいと思った事がある。いや、殺すと誓った」
一気に食欲は失せた。
「私が家に帰ってくると、妻は慰みものにされ変わり果てた姿に、娘も同じ目にあっていた。犯人はまだ家の中にいて格闘をしたが刃物を持っていたので私も何箇所か刺された。犯人はその間に逃げたが顔はバッチリと見た。あの有力政治家、小野静也の息子でタレントの小野太郎だった。間違いない」
凄惨な過去だった。この風間先生にそんな悲劇があったなんて思いもしなかった。
それに小野静也と小野太郎の名を聞いてある事件が記憶によみがえった。
ウーロン茶をピッチャーで持ってくるように頼んだ。
喉が渇きすぎる。
空腹はもはや感じず、食欲どころか吐き気がする始末だった。
「小野親子は車ごと爆殺されたけど、それは風間先生が……」
「いや、私ではない。シャイターンのお力だ。警察に小野太郎が犯人だと証言をした。だが、目撃情報はきっと見間違いで証拠にならないと相手にされなかった。圧力がかかっていたのは明らかだった。動機のない快楽殺人。涙も枯れ果てた時にシャイターンが私の前に現れこう告げた。『汝、我を崇め奉れ。さすれば汝の願いは叶うであろう。我は弱者に寄り添う神であるがゆえに』」
「……」
「顔は爬虫類のよう。六対の翼を持つ禍々しい姿。だが、直感でわかった。弱者の味方であることが。この不気味な姿だからこそ勝者どもに対抗できるのだと。シャイターンに祈ったら結果はご覧の通りさ」
実を言うと、僕はこれを聞いて笑っていた。
例え邪神の力でも復習が果たされ痛快じゃないか、と。
いや、イカン。気をシッカリ持て。
「だけど、人の死を願えば簡単に叶える邪神は危険すぎはしませんか?」
気を取り直して質問した。この質問内容が邪神信仰のネックになるはずだ。
「それは違う。シャイターンは公平で公正だ。死ぬべき人間しか死なない。西富士高校で実験済みだ。イジメに苦しむ少年がヤンキーの死を祈ったが事故っただけだったろう。恋愛問題でもそうだ。別れを祈って成功したのは卑怯な手を使って人の彼氏を奪ったからだ。君も知っているはずだ」
悔しいが、言われたとおりだった。
我が学校から死人は出ていない。
クラスメイトが僕の死を祈ったが生きている。今のところは。
全身から汗が流れていた。
グラスのウーロン茶を飲み干す。ピッチャーの中身は半分ほどになっていた。
「その公平だとか公正だとか言ってますがね、その基準は何なんですか?」
既に奴のペースに巻き込まれ始めている。イラつきを隠せずに聞いた。
「その基準はシャイターンのご意思である」
厳かに風間は答えた。
ああ、ダメだこりゃ。
狂った信仰者に理屈や問答は通じない。
「どうした、さっきから一口も食べていないじゃないか。せっかく頼んだのに。そうか、私の頼んだものがたまたま好みではなかったんだな。よし、今度はウニとフォアグラとエスカルゴを頼もう」
もう勝手にしてくれ、と思った。
「では本題だ。君、私の後継者になってくれ。私も逃亡生活をしながら布教するのはそろそろ限界だ。世界には公平で公正ですぐに願いを叶えてくれる弱者のための神が必要だ。シャイターンのような」
「嫌です。僕に何のメリットもない。人を説得するにはそんなやり方じゃ唐突すぎる。風間先生はイケメンだけど女を口説くのは苦手でしょう、きっと」
「いや、女なんて勝手に寄ってくるから口説いたことはない」
この野郎は!
「大体なんで僕を? ムッチーとアッキーの方がふさわしいはず」
「彼女たちはあくまでも私の信奉者であり、シャイターンの信者ではない。それに彼女たちには平穏無事で幸せな毎日を送ってほしい」
「僕なら波乱万丈で不幸な毎日を送っても構わないと言いたいのか?」
「もうシャイターンに選ばれたのだ。これは運命だ。あきらめろ。テキサスの荒馬のいとこよ」
「話にならない!」
「シャイターンがいなければ誰かが正義の名のもとに泣くことになる。この理不尽な世界をひっくり返すのは君だ。この世の常識や法を捨て去る覚悟を持つ男、
論争が通じる相手ではないようだ。
同じ土俵に乗ってはいけない。
流れを変えたかった。
この場から逃げ出したかった。
僕は席を立った。
「おい、どこに行く? これからさらに大事な話をするのに」
風間が言った。
「ちょっとションベン」
ウーロン茶を飲みすぎていた。
トイレに行って柴先生に連絡を入れたかった。
それよりも、口では抵抗していたがシャイターンの力で弱者を救うという考えに実は魅了されていた。
とにかく一旦、奴から離れたかった。
「こちらを向け、引田文悟」
静かな、それでいて威厳のある言葉に思わず従ってしまった。
そして僕は視た。
風間響太郎が邪神の姿になっていくのを。
爬虫類の顔。背中からは12枚の翼。邪神の眼が赤く光っている。
「今この瞬間、君にシャイターンの種を蒔いた。君が世界に絶望した時。誰かを殺したいと心から願った時。シャイターンの種は花開く」
邪神の声と言葉が僕の体の中にゆっくりと確実に入ってきた気がした。
僕はトイレに駆け込んだ。アレはやばい。
トイレの中でポケットからスマホを取り出し、
「至急、蛇の目の応援を求む。場所は駅前の創作鉄板焼き屋。風間がいる」
柴先生に小声で手短かに要件を伝えた。
ふう、と安堵のため息をついた。
僕は僕の役割を終えた。後は蛇の目に丸投げだ。
しかし、手強かった。この僕がやられっぱなしだった。邪神に変身するのは反則すぎる。
席に戻ると風間の姿がどこにも見えなかった。
キョロキョロしていると蝶ネクタイをした店員が僕に近づいてきた。
「お連れのお客様なら”急用ができた”と言われて帰られました。なのでこちらをお願い致します」
店員から渡されたのは伝票だった。
金額を確認する。
¥58,000也。
これは邪神が最後に見せた幻?
いや、現実だ。
やられた!
考えてみれば奴は最初から
鮮やかなやり口に感心した後はムクムクと怒りが湧いてきた。
風間の野郎、たとえ便所に隠れていても息の根を止めてやる。
『誰かを殺したいと心から願った時。シャイターンの種は花開く』
そんな言葉が頭によぎったが怒りを抑えることはできなかった。
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