二の巻 「館林忍軍」

(3)待ち人来たらず

「……遅いね、お頭」

 冷えてきた両手を擦りあわせ、小太郎こたろうははぁと息を吹きかけた。

「……うむ」

 目深に編笠を被り、虚無僧姿の鬼伯きはくが重い口調で返事をする。


 二人は館林の城下町を離れ、裏山の街道へ移動していた。山の中腹の峠からは、煌々と照る月の光の下、眠れる館林城下の街並が見える。


「もう、約束の子の刻(深夜0時)を半時以上過ぎようとしてるよ? 鬼伯」

「……うむ」

 両腕を組んだまま、館林城下を見下ろしながら、鬼伯は再び重く短く返事をした。


「おいらのような子どもは、とっくに寝る時間じゃない?」

「……うむ」

 ぷっと小太郎は頬を膨らませ、仏像のように微動だにしない鬼伯の仏頂面を覗き込んだ。


「鬼伯ってば、さっきから生返事ばかりでつまんねーよ!! おいら、眠くて目蓋がもうー、くっつきそうになるのを必死でこらえてんのにっ! ちゃんと話し相手してくれなきゃ、立ったまま寝てやるからな」

「……小太郎」


 ようやく鬼伯が動いた。腰まで伸びた白髪がふわりと揺れ、その長身が小太郎の視線に合わせるようにかがめられる。


「清月の奴、手こずってるのかもしれん。小太郎、あれを頼むぜ」

 小太郎のくりくりとした茶色の目が、忙しげに瞬きをする。

「えーっ。鬼伯、おいら眠いっていっただろう? 疲れる事はやだよ」

 鬼伯の三白眼が細くなった。


「だから言っただろう。餓鬼のくせに大人の仕事にしゃしゃり出るなって。嫌なら邪魔だから、とっとと紫嵐の里へ帰れ!」

「ちぇっ……めんどくさい事はいつもおいらにやらせるんだから……」


 小太郎は悔しげに唇を噛みしめて鬼伯を睨み付けた。

 負けん気だけは強い子どもである。


「どうだ。やるのか? それともやらないのか?」


 相変わらず厳しい口調の鬼伯に、小太郎は渋々といった腐りきった表情で言い返した。


「わかったよ。やればいいんだろ! や・れ・ば!」

「よし。いい子だ」

 仏頂面はどこへやら。鬼伯が目を細めてにんまりと笑う。


「この仕事が終わったら、林檎飴でも買ってやるぞ」

「鬼伯ー! そ、それホントかーぁ!!」


 小太郎は目をきらきらさせて鬼伯をみやった後、紺の着物の懐に手を入れて、一枚の折り紙を取り出した。それで鶴を折り、ふっと息を吹きかける。

 淡く折り鶴が光ったかと思うと、それは一羽のふくろうへと姿を変えた。


「行け。お頭の様子を見に行くんだ」


 小太郎は己の体をすっぽりと包んでしまうほど、大きな両翼を広げた梟に命じると、前方の館林の城下めがけてそれを放った。

 風を切る物音一つたてず梟は夜空へと舞い上がり、飛び去っていった。


「……言われた通り、しきを放ったよ」


 ふうとため息一つついて小太郎は目をこすった。


「ご苦労。じゃ、奴が帰ってくるまでお前は寝ろ。あまり夜更かしばかりしてると、大きくなれないからな」

「鬼伯みたいに……馬鹿でかくなんか……なりたく、ない……」


 小太郎の両目ははや閉ざされていて、本当にこの童は立ったまま眠っているのだった。


「まったく……餓鬼のくせに」


 ふっと微笑した鬼伯は、羽毛布団のように軽い小太郎の体を担ぎ上げると、傍らの太い松の木の根元に、その身をもたれかけさせてやった。月の光が顔にかからないように、影になるように気をつけて。

 無邪気な子どもの寝顔を見つめながら、目元に優しげな光をたたえながら、鬼伯は小さくため息をついた。


清月せいげつのやつ、何やってるんだろうな。ま、待たされるのは毎度のことだから、どおってことないけどな」



 ◇◇◇



 かれこれ半時以上も待たされている。

 清月ははや五回目の欠伸を噛み潰した。


 館林忍軍の頭の使いでやってきた、『光華こうか』と名乗る娘に案内されたのは、城下町の街道を北に抜けた竹林の中にある、古びた寺の一室だった。

 寺はおよそ人が住んでいないと容易にわかるほど、荒れ果てていた。

 垣根は崩れ落ち、雑草が生い茂り、境内の障子は破れ放題。だが、苔が生い茂って濃い緑色をした瓦だけは、まだ雨風を十分しのげそうに見えた。


「こんな荒寺でご免なさい。何しろ私達は『九十九つくも衆』に命を狙われているから、一つ所に留まれないの」


 そう言った光華は清月を寺の本堂へと連れていった。二十畳はある広い本堂だ。そこには古びた観音像が奉られていたが、長年積もり積もった埃のせいで、木彫りのそれはすっかり黒ずみ、蜘蛛の巣にまみれ放題だ。


「……依頼文で読んだが、梶尾藩主は長年仕えてきたお主達『館林忍軍』を滅して、新たに『九十九衆』を抱える事にしたそうだな」


 華奢な背中に向かってそう話し掛けると、光華は観音像の前で立ち止まり、その大きな瞳を憂えたように半ば伏せた。


「……もともと『九十九衆』は館林のお城の警備が主の忍軍でした。私達は城内で殿の身辺警護をしたり、隣国の隠密御用を果たしたり、豊富な薬学の知識を利用しての暗殺をしていたんです。でも、最近『会度えど』から密書が殿の元に届いて……その頃から殿の様子がおかしくなったんです」

「様子が?」


 光華はこくりとうなずいた。


「密書が届いた翌日、私達の頭は梶尾の殿に呼ばれて、本日より城内の警備はすべて『九十九衆』に任せると仰せつかったそうです。勿論、頭を含め私達は殿に抗議しました。私達に何の落ち度があったのか。何故、私達が任を解かれなければならないのか」


 光華の顔に落ちる影はさらに濃さを増した。清月は黙ったまま彼女の白皙のそれを見つめた。


「けれどその日のうちに、私達は殿の怒りを買う事になりました。殿のただお一人の御息女、阿湖耶あこや姫が、夕餉ゆうげを召し上がられた直後、毒殺されたのです。私達『館林忍軍』が作る『毒』が、料理の中に入っていたせいで。

勿論、毒味はいたしました。私の従姉妹である夕香ゆうかが。しかし彼女が毒味をしたあとで、誰かが料理の皿を、毒入りのそれとすり替えたに違いないんです。けれど殿は私達『館林忍軍』のやったことだと言い張り、挙げ句の果てに『大君おおきみ』側へ寝返って、自分の命を狙おうとしている裏切り者だと呼ばわりました。

殿は……次は自分が殺されると思ったのでしょう。それで『九十九衆』に私達を滅するように命じました。だから……だから私達は、こうして城を追われ、仕えてきた殿の命によって、命を狙われているのです」

「そうか……」


 清月は言葉少なく返事をした。

 これはまさしく『館林忍軍』を陥れるための陰謀の臭いがする。

 なんといっても、『会度』からきたという密書の内容が気になる。

 血なまぐさい風が頬を撫でていったような気がして、清月はその秀麗な顔をひそやかにしかめた。


「こちらでしばしお待ち下さい。頭を呼んで参りますから」


 光華は観音像の裏手に回り、壁の板にほっそりとした右手をのせた。力を込めるとかたんと小さな音がして、人一人が通り抜けられる通路が開く。

 光華の後ろからその通路に入ると、そこは六畳ほどの茶室のような部屋があった。

 荒寺の中の一室とは思えないほど、この部屋は小綺麗である。障子は破れてはおらず、畳は青々としており、部屋の四隅に灯された蝋燭は、ほっとするような穏やかな光を放っている。


「それでは、清月様」

「ああ。ご苦労だった。光華殿」


 板壁がくるりと回転して少女の姿は消えた。


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