(4)梅の香

 それから時が過ぎる事――半時ほど。

 清月は部屋の片隅に胡座をかいて座したまま、六度目の欠伸をした。

 遅すぎる。

 館林忍軍の頭は何をやっているのだろう。


 清月は油断なく体の左側に置いた刀の鍔に、しなやかな指をかけたまま、辺りの気配を感じ取ろうと五感に意識を集中させていた。

 しかし聞こえるのは竹林のそよそよと葉を擦り合わす音と、時折蝋燭の芯がジッと鋭く燃える音のみである。


 清月は七度目の欠伸をして、思わず目元をこすった。

 鬼伯達と待ち合わせていた子の刻は過ぎてしまっている。しかし、こうも欠伸が出るのはどういうことだろう。集中しているつもりだが、実は気がゆるんでしまっているのだろうか。

 何故気がゆるむのか。

 清月はその理由にハッと気付いた。


 実はこの部屋に通された時に感じたのだが、かすかに梅の香が匂った。香を部屋に焚くとは風流なものだと思った。けれど、香炉自体この部屋には見当たらない。

 燃えているのは四本の蝋燭のみ――。

 蝋燭。

 それははや半分以上が燃え、部屋の天井にはうっすらとそれらが上げた煙が霞のようにこもっている。


『しまった!』


 清月は刀を手に取り、その場から立ち上がろうとした。が、足は清月の意志に反して痺れまったく動こうとしない。


『館林忍軍は薬学に通じている……』


 刀をつかんだまま、何とかしてあの回転する壁の所まで這いずっていったものの、清月は視界が定まらないのを感じた。

 かろうじて抑えていた眠気が津波のごとく一気に押し寄せる。

 眠ってはまずい。

 館林忍軍が何を考えているのか知らないが、早急にここを抜け出さなくてはならない。

 咄嗟に刀の鞘に差してある小柄こづか(小刀)を抜き、それで膝を刺すことで眠気をはらおうとした清月だったが、振り上げた左手は何者かに掴まれ阻まれた。


「あなたを悪いようにはしないわ。紫嵐しらんの清月さん。ただ、ちょっとあなたに聞きたい事があるの」


 明るい栗色の髪が蝋燭の揺れる光で光っている。白い顔の中に朱をさした唇が、そう、言葉を紡いだような気がした。


『お主が、館林忍軍の頭領……だったのか。光華……』

 力の抜けた清月の指から、黒塗りの小柄がこぼれ落ちた。




 ◇◇◇



「あら……」


 座敷の一室で、髪を梳いていたさざなみは、良く知った気配に気付き顔を上げた。障子越しに朝の弱い光が射し、そこに黒い影が映っている。


「薄日が射している今日は……少し風があるのかしら」


 紫嵐の里は霧がたちこめる日が多い。それ故、やまとの国のどこに存在するのか、所在を知っている者は皆無に等しい。霧のせいで、里の存在が隠れてしまっているからだ。


 毎朝の日課である祈祷のため、白い巫女装束と紫苑の袴に着替えていた漣は、背に長い黒髪を流したまま、そっと立ち上がった。

 障子を開けて薄日が射す縁側へと出ると、そこには、ぎょろりと金色の瞳で漣を見上げる、一羽の大きなふくろうがいた。


「まあ。小太郎の『しき』じゃない」


 漣は膝をつき、じっとこちらを見つめる梟へ手を差し出した。そのむくむくとした羽毛に触れるや否や、かの鳥は霧のように瞬時に失せて、白い紙で折られた折り鶴となり、ころりと縁側の板に落ちた。

 漣は大きく表情を変える事なくそれを拾い上げ、再び座敷の中へと入った。

 そして紙を破かないよう注意しながら、折り鶴を開いていった。


『――館林の仕事が長引きそうです。清月の悪い癖がまた出た模様。早く合流することにします。報酬の方はそこそこあるので、終わったら何か美味しい土産を持ち帰ります――<鬼伯きはく>』


 鬼伯からの伝言を読み終えて、漣は口元に小さく笑みを浮かべながら目を伏せた。一見たおやかで華も手折れないような、清楚な印象を受けるその顔の中で、濡れた黒目がちの瞳だけが、疲れたように生気のない光を宿している。


「本当に……悪い癖……」


 漣は髪結いの道具を広げてある、黒塗りの小さな鏡台のそばに再び座した。

 鬼伯からの手紙を傍らに置き、思わず鏡台の上にある、赤い漆塗りに金で桜の蒔絵が施された櫛を取る。


「私達は、私達に課せられた役目を、この地で果たすべきなのです――清月様」


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