6-4. なぜ〈呼ばい〉を使わなかった?

 テオはしばらく黙っていたが、竜車りゅうしゃが目の前に見える頃になって、ようやく「殿下」と呼びかけた。

「この国で〈竜の心臓〉を持たずに生きるということがどんなことか、あんたにわかりますか? 〈血のばい〉に選ばれただけで、それ以外のなにも持たないのに、俺たちの上に立つということが? 〈竜殺しスレイヤーフィル〉がどんな思いで、あんたを守っていると思う?」

 テオの金茶の瞳は、試すような色だった。

「わからない……」

 フィルがどんな気持ちで、リアナを守っているか。それを知ることができるなら、なんでもする、と思わず言いそうになる。


「理由を聞きたい。でも、フィルは話してくれないと思う。どうしてなの? わたしが王の子だから?」

「俺たちは竜とのつながりを持たない。だからあの戦争の頃、竜祖と王への忠誠を誓っても、それを信じない者が大勢いた。〈ハートレス〉たちはずっと、戦うことで自分の存在価値を示せと教わってきたんです。使い捨て同然でも文句なんて言えなかった。地獄のような戦場に送られて、古竜一柱ひとはしらの援護もなく、文字どおり死ぬまで戦って……その結末が、このザマだ」

 テオのゆがんだ笑みは、どこかに凄絶せいぜつなものを感じさせた。戦場で地獄を見て生還せいかんしたというのなら、心にどんな魔を飼っていてもおかしくない。

 彼も。フィルバートも。

「殿下、あんたは俺に頼めると考えているんです? ……傭兵ようへいくずれとはいえ、俺たちはやすかないですよ」


 挑発ちょうはつ的な言葉に、リアナは顔をあげた。

 交渉は常に自分の有利な手札を揃えてから。イニはそう言っていたけれど、残念ながらそんなに都合のいいものはいつもないし、今回だってない。けれど、テオを交渉に応じさせることができる可能性はある、と思った。

 それは、テオがを語っているからだ。

 『これは、警告です』――そう甘くささやいたフィルの声を思い出す。彼はめったに本音を口にしない。もし同じ依頼を口にしたら、フィルならかつて自分が率いた部隊の話などしなかっただろう。

 でも、テオは違う。彼は少なくとも、〈ハートレス〉の不遇ふぐうを訴えるくらいには、自分を信用しているのだ。

 そこに、可能性がある、とリアナは思う。

 

 竜車の近くに待っていた竜騎手たちが、彼女を出迎えようと向かってきた。竜に選ばれた者たちの自信に満ちた足取りを見つめるテオの羨望せんぼうの視線を、リアナは嫌でも感じざるを得なかった。

 自分もかつては、〈ハートレス〉と宣告されるのをなにより恐れていたのだ。そんな自分の無知を、リアナは忘れないと決めていた。


「……あなたたちの部隊を再建さいけんする、そして〈ハートレス〉の名誉を取り戻す。これがわたしの提供できるものよ」

 テオは少しばかり興味をかれる、という顔を作った。「思ったより大きく出ましたね」

 それは、実現可能性を考えてというより、単にリアナの言葉を面白がっているだけというふうにも見える。

「……だけど、あの人はそれを望んでませんよ」


 その反論は予想していた。リアナは、外套コートの下で拳を握る。

「フィルじゃなくて、あなたはどうなの? 偏見へんけんや差別を取りのぞくために、自分の運命を変えるために戦ったんじゃないの? ……

 わたしはフィルを理解したい。そして、最初の一歩は、〈ハートレス〉のことからはじめるって決めたの。だから協力して」


 テオは皮肉げな笑みを浮かべた。「きれいごとだな」

 その言葉に十ほどの反論を思い浮かべたとき、青年はふっと頬をゆるめた。説得されたというふうではなく、ただなにか――何だろう?

 リアナには理解できない、なんらかの表情を浮かべて、テオは彼女の背を押した。

「だけど、一度だけ頼みを聞いて差しあげますよ。カロスにやった、あんたの〈竜の心臓〉に免じて、ね」


 ♢♦♢


 竜車に乗り込むリアナに、テオは声をひそめて忠告した。

連隊長フィルバートは今夜は来れませんし、俺はこっから先はついていけない。なにか異変を感じたら、すぐに〈ばいのきみ〉を呼んでくださいよ」

 この場合の〈ばいのきみ〉とはデイミオン卿のことである。竜騎手たちがいる前で、あからさまに警戒しろとは言えないのだろう。彼らが無能だと言っているようなものだ。

「ねぇ」

 窓から首を出し、リアナは呼びかけてにっと笑った。

「気づいていないのかもしれないけど、あなたけっこうお人よしよ」

「ハァ?」

「ああやってわたしを挑発して本音を言わせても、あなたに益はないわけでしょ。厳しく言ってくれるあたり、逆に優しいと思うな」

 テオは苦虫をかみつぶしたような顔をして、身をひるがえしていった。


 ♢♦♢


 竜車の中で、リアナは黙ってつらつらと考えていた。 

 メドロートに教わった白竜の竜術の基本。それから、ファニーに教わったオンブリアの地理や歴史。王佐のエサル公との会話で、リアナは自分がかなり真実に近づいていると確信を持ちはじめていた。先ほどテオに頼んだことは、本来ならフィルに頼もうと思っていたことだったが、振りかえってみるとやはり彼が適任ではないかと言う気がしている。

 わたしの推測は、たぶん正しい、と思う。

 けれど、どうしてもあと一か所だけ、わかっていないことがある。

 まだなにかある、とリアナは思った。なにかがひっかかる。

 


 竜車りゅうしゃが止まった。考え事をしていたリアナは、狼狽ろうばいしてあたりを見まわした。ハダルクもややけげんそうだ。車の扉がさっと開き、レランが少年じみた顔をのぞかせた。

「道路に倒木とうぼくがあります。念のために迂回うかいしたほうがいいかと……」

 ハダルクが顔をしかめた。「罠かもしれない。道を変えたくはないが……注意して進め」

 しばらく進むと、かつんと乾いた音が天井に響き、また車が止まった。小石でも落ちたのだろうか、と上を見上げる。カーテンを開けて外の様子を確かめようとすると、「窓から離れてください!」と怒鳴られた。慌てて言われたとおりにする。すぐに、ボッ、ボッという音が続いて、カーテンに矢が突き刺さった。思わず片手を顔の前に出してしまい、矢じりに触れた手のひらから血がこぼれる。

「何っ……」

「身体をかがめて!」

 ごとんという大きな音と、走り竜ストライダーのシューッという威嚇いかく音が続いた。リアナはそっと呼びかけてみた。

「ハダルク卿……?」

 返事の代わりに、急に窓がバンッと開き、手が入って来た。思わず身を固くする。ハダルクだった。

「……矢をかけられた。ご無事ですか、殿下?」

「え、ええ」

「止まると危ないので、一人が矢避やよけ、私がぎょしてこのまま突っ走ります。揺れますから口を閉じて、舌を噛まないように!」

「わかったわ!」

 応答するのと同時に窓が閉じ、竜車は恐ろしい勢いで走りはじめた。その間も天井には矢の当たる音が降りつづき、リアナは座席の下で身を固くして震えながら到着までの無事を祈った。



 外に出てもよい、と声をかけられたのは短い夕立ゆうだちほどの時間の後だった。ずっと同じ姿勢で固まっていたことと緊張のために、竜車を降りるときによろめいてしまう。

 そこは、すでに掬星城きくせいじょうの前庭だった。

「〈通信手シグナラー〉はデイミオン卿に報告を。殿下の安全を確保したのち、私が追って報告に上がる……」

 ハダルクは途中で言いかけた言葉を止めた。「いや、その必要はなさそうだ」

 こちらに向かってずんずんと近づいてくる人影は、城門から入り口まで並ぶ松明の火で、闇の中にはっきりと浮かび上がった。甲冑こそ着けていないが、昼間と変わらない長衣ルクヴァ姿のデイミオンだ。ハダルクが寄っていくので、報告を受けるのだろうと思ったが、彼を無視してそのままリアナのほうに近づいてくる。顔を見るまでもなく、デイミオンは激怒していた。

「なぜ〈ばい〉を使わなかった? なんのために訓練したと思っているんだ!」

「――デイミオン」

 自分でも、声が出たことが不思議だった。それくらい恐ろしい思いをしたのだが、デイミオンの怒鳴り声を聞いて、なぜだか心のせんがゆるんだようだった。

「手を怪我したな?」

 ろくに見もせずに言うあたり、〈ばい〉で感じ取っていたのだろう。手を取ってあらためられるので、リアナはされるままになった。

「びっくりしたの」言いわけのように言う。「降りるときにあわてて、矢の先に触っちゃっただけ……」

「猟犬に追われるウサギのように怯えていたくせに。なぜ私を呼ばなかったんだ!」


「若い女性に、そんなふうに怒鳴ってはいけませんよ、閣下かっか……」

 ハダルクがやんわりと注意した。


 さらにぶつぶつと小言を言われながらも、リアナは不思議と恐怖が消えていき、落ち着きが戻ってきたような気がした。デイミオンが怒っているのが、自分を心配してくれているからなのか、自分の身に何かあると疑われるという例の政治的判断のためかはわからなかったが、今日のところはどちらでもいい。


 ほっとして涙がでるほどに、彼女は安堵あんどしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る