3-7. 〈ハートレス〉

「――デイミオンさま!」

 騎手の一人が、驚いたように声をあげた。「これは――あの――」

 リアナも思わずついていって、青年のうしろからぴょこっと顔を出した。

「どうしたの?」


「やあ、おはよう、デイ。……それに、殿下も。おはようございます」

 やさしげな表情のフィルが、すこし困ったように言った。「起こしてしまったんじゃないといいけど」 


 昨晩はリアナにつきあって遅くまで話し相手になってくれたフィルだが、顔に寝不足のあとはなく、彼の言う通り一週間でも起きていられそうに見えた。昨日は気がつかなかったが、そういえば彼だけが長衣ルクヴァを身につけていない。里にあらわれた官吏も身につけていたルクヴァは、竜族の男性の象徴のはずだ。ほかの騎手たちがみな同じ服なので、一人だけ短いジャケットなのが目立った。


(どうしてかしら?)リアナは青年をじっと観察した。(それに、いま、『殿下』って言わなかった?)

「いったい……?」


「騎竜術の練習に、竜を借りようとしたんだ」他意はない、というふうに、フィルが手を上げてみせた。「タマリスに移動するのに、殿下には竜に乗れるようになってもらわないといけないからね」

「騎竜の練習するの!? やった! わたし初めてなの」

 リアナは思わずガッツポーズをする。言われてみれば、首都タマリスまで竜を使わないわけがない。思わぬ形で願いが叶ったわけだ。


「ねぇ『殿下』ってまさかわたしのこと? わたしまだ、王様になるって決めたわけじゃないんだけど」

「だから、『殿下』なんですよ」フィルがにっこりした。「王位を継いだら『陛下』になる」

「困るなぁ……あっ、ねぇデイミオン、さっきの話なんだけど!」

「デイミオン卿、それでは、こちらの女性が……?」


 デイミオンは二人のやりとりも、リアナから呼びかけられたことも、竜騎手ライダーたちの好奇の目線も、完全に無視した。

 何ひとつ耳に入っていなかったかのように、「それで?」と、騎手たちにうながす。

 騎手たちはそわそわと顔を見合わせるものの、誰も積極的に説明しようとしない。デイミオンは「ハダルク」と一人を指名した。

「だれが閣下に飛竜をお貸しするか、という話になっていました」ハダルクと呼ばれた壮年の男性が、淡々と言った。癖のない銀髪をひとまとめに結って、目は緑で、標本にしておきたいほど竜族らしい容姿をしている。騎手の年長者であるらしい。

「セズー号かニンブル号が適任かと思いましたが、まだ決定しておりません」


「なにか不都合があるか?」デイミオンはいぶかしげだ。「あれ……いや、殿下……は騎竜は初めてだというが、フィルが指導するだろう?」

 『あれ』呼ばわりされそうになったが、対外的には王位継承者だと通すことにしたらしいデイミオンだ。

「いえ、リアナ様のことではなく」体格のいい茶髪の竜騎手が、言いづらそうに付けくわえる。「フィルバート卿に竜を貸すとなると、ためらう竜騎手もおりまして……」

「ためらうだと? なにをためらうというんだ?」

 デイミオンの声が低く、大きくなった。「大戦の功労者、〈ウルムノキアの救世主セイヴィア〉に竜を貸せないというのは、どんなたいした竜騎手ライダー様だ?」

 里長がこんな声を出すのは、聞き分けのない若い飛竜乗りたちを叱りつけるときだったことをリアナは思いだす。


「いえ!」縮こまっていた若い竜騎手ライダーが、あわてて言う。

「むろん、フィルバート卿の武勲はよく存じております。救国の英雄を軽んじているわけでは……」

「ですが、〈竜殺しスレイヤー〉とも呼ばれておられる」中年の竜騎手が声を低めた。「そのようなお方を、われわれ竜騎手ライダーの象徴たる竜にお乗せするのですから、慎重になるのが当然ではありませんか? それに、フィルバート卿は〈ハートレス〉でもあるし」

「シメオン卿! リアナ殿下の御前だ」銀髪の騎手に叱責されて、中年の騎手はようやく口を閉じた。


「〈ハートレス〉!」リアナは思わず、叫んでしまった。思わず、自分の胸のあたりを握りしめる。「ほんとう、フィル?」

「ええ」

 隣のフィルを見上げると、やれやれというふうに苦笑して、肩をすくめてみせる。

「これは、黙っていたと言われても仕方ないかな。……すみません」

「違うの」慌てて首を振る。が、なにが違うのかと問われると、答えにきゅうするのは間違いなかった。


 〈ハートレス〉。竜の心臓を持たぬもの。竜との絆を築くことなく死ぬもの。

 わかってみれば、いろいろなことに納得がいく。デイミオンと対等に話しているのだから、領主貴族に劣らぬ身分のはずなのに、フィルにだけは彼らと違う印象があった。〈ばい〉に詳しくなかったこともそうだし、そして、そう、一人だけない長衣ルクヴァ……それこそ、フィルが竜族の男性とみなされていないことの、なによりの証拠ではないか。

 大戦の功労者。〈竜殺しスレイヤー〉。そんなたいそうな名前で呼ばれていても、竜騎手ライダーたちはフィルバートを遠巻きにして、あきらかによそよそしく距離を置いている。それが、〈ハートレス〉への差別意識を如実に表していた。


「よくわかった」デイミオンは彼らをとがめはしなかったが、雷鳴のような声でのたまった。

「フィル、殿下に騎竜術をお教えしろ。セズー号を使え。いいな、レラン?」

 レランと呼ばれた若い騎手が、首がもげそうな勢いでうなずいた。

「そういうことだ」

 不機嫌な表情のまま、リアナたちのほうを振りかえる。「では殿下、また出発時に。頼むぞ、フィル」

「ああ」

「ご案内します!」リアナたちのほうへ、レランと呼ばれた若者が走り寄ってくる。


 フィルに背中に手をあてて促され、リアナは竜のいるほうへと向かった。背中側ではデイミオンの不機嫌そうな声が続いている。

「来い、ハダルク。二日分の報告を聞かせろ。私の部下が、揃いもそろって腰抜けぞろいだということ以外の報告を頼むぞ」

「では、閣下、まず今朝の哨戒しょうかいのご報告からですが――」

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