3-6. フィルとはまったく違うのね

 まばたきをすると、イニが笑っていた。


 「信じて」そう言って、腰からすらりと剣を抜き、あっと思う間もなくこちらに突き出してきた。よけようと後ずさろうとするが、自分の動きはもどかしいほど遅く、水の中のようだった。いつも温かみのある焦げ茶の瞳は、猛禽もうきんのように冷たく赤く輝いている。

「おまえは女王になる」ずっぷりと胸に剣を刺されながら、リアナはそれを聞いた。痛みではなく、鉛を飲んだような鈍く重い感覚がだんだんと広がっていく。養い親の顔が近づき、「女王に」とささやいたが、顔を離すとそれはすでに違う男の顔だった。血で赤黒くなったロッタの顔が一瞬現れ、そこにケヴァンの顔が重なった。

「信じて」


 疲れきって、もう悲鳴をあげる力も残っていない気がした。目を覚ましたあとでさえ、声は止まないような。

 

 重い頭をあげると、まだ陽はのぼっていない。うす暗く、静かな夜明け前だった。枕元のレーデルルは、身体を丸めて身じろぎもせずに眠っている。ベッドから部屋の中央へと目をやると、仮の寝台にはデイミオンが横たわって寝息を立てていた。フィルがいるはずの寝台は空で、毛布はきれいにたたんであった。


 朝早くから、何をしているんだろう。

 まだ夜明けまで少しあるようだったが、目が冴えて眠れそうにないのが半分、好奇心が半分で起きあがる。扉に手をかけたところで、「おい」と呼び止められた。

「勝手に出歩くな」

 寝息を立てていたのが嘘のような、はっきりした声だ。リアナは振りかえった。「おはよう、デイミオン」

「今日は長い移動になるぞ。自分が寝ていなかったからといって、都合よく途中で休憩できると思うなよ」

 昨晩ベッドを抜け出したことをとがめられなかったのはともかく、朝のあいさつもなし。いったいなんなんだろうか、この男の、この尊大さ。


「あなたって、フィルとはまったく違うのね」

 よく知りもしない男と一部屋にふたりきり、という状況にもかかわらず、リアナはつい皮肉を言ってしまう。

「貴族たちは、みんなそんななの?」


 デイミオンは返答するでもなく、リアナの質問などなかったかのように軽く伸びをして、身体の上にかけていた長衣ルクヴァに腕を通した。見れば、下のシャツはそのままの格好だ。起きてすぐに身支度ができるようにして眠ったのだろう。この旅はそんなに危険がともなうものなのだろうか。

 部屋を出ようとすると、青年はそのまま黙ってついてきた。まさか、トイレに行くのもこのままついてくるんじゃ、とリアナは一瞬怖くなる。昨晩の話が本当なら、彼女はいま、オンブリアの次の王候補。そして背後の青年は、その次の継承権を持つという。夜の間には信じるほかないと思わされたが、朝になってみると、なんだかとても本当のこととは思えなかった。

 

 ずいぶん冷え込む、と思ったら、中庭に通じる回廊を歩いているのだった。柱のわきの雑草にも霜が降りて、縁にむかって白く砂糖をかけたようになっている。 

 国境警備のためにそなえられた竜舎は、襲撃のリスクを分散するために三つの場所に分けられていた。防衛上の理由から、花びら状の平屋になっているのがリアナにはめずらしい。竜は高いところが好きだから、上に飛び上がりにくい平屋の竜舎は窮屈そうに見えるが、小型の飛竜が主体なので問題はないという。


 南の国境付近は、オンブリアのなかでもとりわけ温暖な気候で知られていて、このあたりにはつやつやした丸い葉をあおあおと茂らせた木が多かった。森の植生も豊かで、餌も見つかりやすく、小柄な飛竜たちにとっては居心地がいいのかもしれない。

 彼らがいたのは竜の発着用にひらけた場所で、兵士たちが忙しく動き回っているのが見える。兵舎からは朝食用の煮炊きの煙が上がっていた。


(今のうちに、言っておかないと)

 と、リアナは決意する。昨晩のことを考えてもフィルはいい人そうだが、決定権は貴族のデイミオンにあるようだから、彼を説得しなければ自由にはなれない。

「デイミオン、ついでだから、ちょっと言っておきたいんだけど――」

 言いかける。が、デイミオンはすたすたと自分を追い越して、中庭のほうに歩いていってしまった。うなじでくくった黒髪が房飾りのように揺れている。『〈黒竜大公〉は黒髪で、すごい美男子らしいぜ』……セインがそんなふうに聞かせてくれたことがあったっけ。……向かう先には何人か、人の姿がある。ほとんどが、デイミオンと同じ紺色の長衣ルクヴァを着ている。

 

「デイミオン! ちょっと待ってったら!」無駄に長い脚がうらめしい。背中に向かって叫んだ。

「話があるのよ。返事くらいしても――」


「なんの話をしている?」

 またも、リアナを無視。デイミオンが鋭く問いかけたのは、中庭にいる竜騎手ライダーたちだった。あまり穏やかな雰囲気ではないようだ。


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