エピローグ 里の真実とフィルの嘘 ①
黒地に金の肩章がついた軍服に、フィルバートは
かつての連隊の、草色の地味な軍服とは違って、いくらか派手に感じる。「かっこいいのがいいじゃない」とリアナが主張し、エサル公が賛同したというデザインだ。新王と王佐は南部出身らしい派手好みで、そのあたりの意見が合うらしい。
制服はともかく、隊の再建についてはまだ見通しが立っていない。ほかならぬフィルが二の足を踏んでいるからだ。
〈ハートレス〉への偏見と差別を取りのぞき、オンブリアの貴族社会にきちんとした席を与えたい、というリアナの提案には驚いた。ほんのひと月ほど前には、王が誰であるかすら知らなかったような少女が、そんなことを言うのだから。
でも、リアナは〈ハートレス〉たちに光を当てたいと言った。連れ去られた子どもたちを取り戻そうとする行動もそうだ。力あるライダーだけではない、そこにはオンブリアのすべての民に向けるまなざしがある。
それを、今のフィルは代えがたく思う。たとえ王として成熟していくなかで当初の理想が輝きを失うかもしれなくても、リアナは王にふさわしい。
そう思えてよかった、とフィルはあらためて思った。彼女を支えることを選んだ自分の判断は、間違っていなかった。
いつか、連隊を再建することができれば……
それは自分にとっての宿願かもしれない。しかし今はまだ、連帯の再建よりも重要なことがある。彼自身がかつての戦争体験にまだ整理をつけられていないと感じていたし、それに彼女が即位してしばらくの間は、やはり護衛のポジションを近衛兵に譲れないとも思っていた。
リアナを守ることは、彼の誓いだ。十六年前のあの夜からの。
――立てた誓いが重いほど、それは困難のなかで生きのびる力を与えてくれる。
その実感こそ、連隊をうしなってからのフィルが生きる理由だった。決意を新たにすると、フィルは鏡も見ずに自室を出た。
気の重い任務が残っているのだった。
♢♦♢
城の規模から考えると小さな、ガラス張りの温室に足を踏み入れる。ほとんどの鉢は花も葉もなくむき出しのままで春を待っていたが、奥のほうに
形ばかりの挨拶をして、すぐに本題に入った。
フィルが小さなガーデンテーブルの上に広げたのは、歴代の竜騎手たちの名前を記した羊皮紙の束だった。もう一枚は、〈隠れ里〉が開かれたときに王にあてて書かれた誓約書。
〈御座所〉の書庫から、彼自身が探してきたもの。そして、彼女には見てほしくないと思っていたものだった。
しかし、もう隠しておくことはできない。
どう切り出そうかと悩んだが、リアナのほうが、先に口を開いた。
「子どもたちの半数を殺したのは……
「……どこから、それを?」
問われたリアナは乾いた笑みを漏らした。「どこからですって?」
「わたしの悪夢のなかからよ。あれから毎日、ずっと考えてたわ。何度も何度も、くり返し……。子どもたちを殺す必要があるのは、アエディクラでも、デーグルモールでもない。オンブリアの人間だけなの……」
そして、スミレ色の目でフィルを見すえた。
「あなたは知っていたのね?」
フィルバートは
この瞬間が来るのを、彼は里を出てからずっと、恐れていたのだった。
「俺は林のなかにいて、襲撃の瞬間は見ていませんでした」
できるだけ衝撃をあたえないように、事務的に言う。
「あの湖にいたのは、しばらく
「どうして?」
どうして秘密にしていたのか、とその声は問うている。あるいは、どうして彼女一人を守ったのかと。
フィルはエリサ王と里長の誓約書を手にした。
「あなたに知ってほしくなかった。子どもたちの半数を殺したのは、たしかに
先の戦争が終結したころ、竜騎手たちの一部が戦いに
彼らは竜騎手としての地位も名誉も棄て、名も知れぬ里人として平和に穏やかに暮らしていました。あなたが知っているように。……でも、誓約から逃れることはできなかった。
王との約束を守ることが、ライダーとしての里長の最後の
リアナは両手で顔を覆ったまま、くぐもった声で「あなたが知っていることを、全部教えて」と言った。
フィルは、ひと呼吸ぶんだけためらってから、語りだした。「遺体の状況と、手もとの情報からの推測ですが」
「里長を殺したのは、里の人間――あなたの言う、パン屋のロッタではないかと思います。
おそらくは子どもたちをそれ以上殺させないために、彼を止めるためにとっさに殺したのでしょう。そして残った数名の子どもたちを森へ逃がした――それが正しかったかどうかわかりません。結果として彼らはデーグルモールに捕らえられ、そして今回また連れ去られてしまった。
ロッタの最期は……
めちゃくちゃに切りつけられていたことを覚えていますか? ひどく破損して、腕が黒焦げになっていたことを? 近くに黒焦げの遺体がありましたね? おそらくこうです。
デーグルモールのグループにライダーは一人。そして複数のコーラーがいたのだと思います。
生き残りの子どもたちをまとめて連れ去るため、コーラーと数名の兵士が囲うようにして追い立てていました。
そこにロッタが現れて……
コーラーめがけて斬りこんでいったのです。おそらく一気に剣の間合いに入り、相手が剣を抜かざるを得ないように仕向けた。……そして、どうにかしてお互いの血を流し……その血をさかのぼって逆に黒竜ごと支配した。
彼にはそれができた。彼が隠していた能力、黒竜に命じる強い力で。
黒竜の新たな主となったロッタは、彼に連なるすべてのコーラーを自分ごと焼きつくしました……」
フィルの語りが、リアナの目の前にあの惨劇をよみがえらせた。自分では目にしていない里長とロッタの最期まで。
デーグルモールたちに襲われ、すくない男手として、ウルカとロッタは必死に戦ったに違いない。最初はぎこちなく、しだいに往時の剣技がきらめきを見せ、それでも多勢に無勢で押されていく。
応戦するなかで、いつ、里長は悲愴な決意をしたのだろう。
もはや自分とロッタに子どもたちを守ることはできず、敵国の兵器としないために子どもを殺すほかに道はないと……それが、王への最後の奉公だと……
リアナの目に、みるみる涙がもりあがった。
子どもたちを刺しつらぬく、鬼のような形相の里長ウルカ。幼い悲鳴にふり返ったロッタの顔に浮かぶ絶望。きっと、とっさの出来事だったはずだ。
「やめろおおぉ!」
そう叫ぶ声さえ聞こえるようだった。ウルカは、きっと反論も反撃もしなかったにちがいない。
獣のように叫びながら、ロッタがかつての同輩を斬り殺す。その朝までパン生地をこね、伸ばしていた優しい手で。
かつて戦士だった男の剣技に驚いたとしても、デーグルモールたちは、もう彼に近づきすぎていたはずだ。
あの温和な顔が怒りにゆがみ、決意の一撃が敵のコーラーをつらぬく。逆流した血と命令、脳を揺さぶるほどの強い〈呼ばい〉が、黒竜を支配する……。
それは、理屈の上では、デイミオンがケイエでやったことと似ていた。
黒竜アーダルがオンブリアの
一刻も早くケイエに到着するためにアーダルを置いてきたデイミオンは、そのもともとの序列を利用して、その場にいたすべての黒竜の力をつないで広範な消火活動を成功させた。
ロッタも同じことをしたのだ。ただし、序列の定まっていない、敵の黒竜のライダーに対して。それは、ライダーたちの間では禁じ手として知られている方法なのだとデイミオンが説明したそうだ。
リアナは、紙の上に目を落とし、よく知った名前と見知らぬ家名の組みあわせを見つめた。
そこにあった名前は……。
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