7-4. デーグルモールへの変容


 その場に残された唯一のデーグルモールは、ゆっくりと死につつあった。


 遠目でも、なにか得体のしれない不気味さが感じられた。黒竜とその主人の近くで見たときから違和感があったが、戦闘を終えてみると、異様がはっきりした。

 身体は膨張している。肉ではなく、空気でも詰まっているかのようだ。巨大に見えたのは、何本も受けた矢のせいばかりではないということだ。


「殿下、お近づきになってはいけません」ハダルクが警告した。

「デーグルモールは死人であって不死人です。頭を落として、心臓を貫かなければ、いつまでも動き続ける……失礼を」

 抜身の剣を下げたハダルクが、ゆっくりと近づいていくのをリアナは見守った。


(デーグルモール?……でも、普通じゃない)

 普通の兵士じゃない、と思った。

(仮面をつけていないし――服も着ていない)

 普段は隠されている服の下も、すべて刺青で覆われていた。まるで、身体のなかに種があり、そこから邪悪な樹木じゅもくが枝を張ってツルをのばしているようだ。リアナは自分の腕を確かめずにはいられない。黒い紋様は消えていた。ほっとしていいのかどうかわからない。自分は混乱しすぎているのかもしれない。


 彼女は一歩、怪物に近づいた。ハダルクが手でとどめ、剣を構えた。

「殿下」

「待って!」

「情けは――」

「違うの、ハダルク、これは、この人はもしかして――」

「デーグルモールはじゃありません」


「わ・たし・は・・ちが・う」

 ははじめて声をあげた。断末魔、というには、いくらか奇妙な声だった。口ではない器官から、無理やり声を発しているかのような。


「白竜の……おんきみ


 膨張ぼうちょうした身体が、片側にかしぐ。竜騎手の一人から、「ひっ」という押し殺した悲鳴がもれた。


 かれらに直視できなかったとしても、リアナはをじっと見つめた。毛髪が抜け落ち、血管が浮きあがり、眼球がれあがってはいるが、たしかにもとは人間――あるいは、竜族であった名残がある。


「わたしは、ゼンデン家のエリサの娘リアナ。オンブリアの今の王よ」

 リアナは毅然きぜんとした声を作った。

「あなたの王の命令に答えなさい。名は?」

「アナ……アエル」

 たしかに、竜族の名だ、とリアナは思った。「質問は三つよ。デーグルモールは子どもたちをどこに連れ去っているの? ケイエへの侵入経路は? あなたはなぜそのような姿になったの? 答えなさい、アナアエル」


 むき出しの眼球が、独立した生き物のようにはげしく動いた。ごきっ、ぎぎっ、と化け物じみた音がする。身体の内部で、骨が折れて組み替えられているかのような音だ。数秒の沈黙は、なんとか理性をかき集めようというアナアエルのこころみだったらしい。


「一つ目は、わからない」と悲しげに答えた。


「彼ら・・には、都がある。竜族の国・では・ない……不死者・たちの……都が。だが、そこには行っていない」

 びちゃっ。さばいた肉を床に落としたような音がする。

「王よ、わたしがこのような・あさましい・姿になったのは……今しがた」


 ごぷっ。喉から漏れ出る音で、会話が途切れた。が、アナアエルは必死に続ける。


「このケイエで、〈竜族の心臓〉を・移植うつされ・いまわたしは・『変容へんよう』している」


「『変容』」リアナはあえぎながらくり返した。


へ?」


 もはや竜族としての原型を失いつつあるは、うなずきととれる沈黙を返した。少なくとも、リアナにはそう読みとれるものを。


「わたしが……やつらを、ケイエに。……王よ、二つ目と・三つめの・答えは・同じ」

「続けて」

「妻が・殺され・息子が・連れ去られ……わたし、は・兵士・だっ・た」


「ケイエの国境警備兵か」ハダルクが問うた。苦し気に息を吐く怪物に向かって、さらに確認する。

「子どもを人質にされたのだな? そして、ケイエにやつらを引き入れたのか」


 は沈黙で答えた。

「『変容』が……王よ、『変容』がると……」悲痛な声が途ぎれがちになる。「いま……殺して……」

「限界か」ハダルクがつぶやき、剣先をあげた。

「殿下、彼は同胞を裏切った大罪人です。本来なら処刑のご指示を頂くべきですが……ことを急ぎますので」


「待って! まだよ!」リアナが叫んだ。罪人を裁くよりも大切なことが、いまは山ほどあるのだ。体面に構ってはいられない。


「デーグルモールは何人いるの? やつらの頭領リーダーはだれ? 『変容』はいつ、どうやってはじまるの? なんでもいいわ! なにか答えて!」

 かつて竜族だった生物は、腐った沼のような音を立ててくずおれた。脈打つような動きがおさまり、肥大化していた身体が目の前でだんだんしぼんでいく。しかし、その姿はデーグルモールのようではなく、身体を覆うまがまがしい刺青は消えかかっていた。


「これは……」ハダルクが言った。「そうか、『変容』が失敗したのか」

「えっ?」

「聞いたことがあります。デーグルモールになるための『変容』は、肉体の保持者に大きな負担をかけると。その負荷に耐えたものだけが、デーグルモールとして生き返ると」

「そんな……」

「ですが、そのほうが良かったのです。この手で同胞どうほうを斬らねばならないところだったのですから」

 リアナはハダルクの制止を振りはらって、男に駆けよる。

「死んではだめ!」不気味な肉塊にくかいにためらいなく手をかけ、揺さぶった。「あなたの子どもを助けに行くのよ!」


 つぶやいた。

身体からだが燃えていく」


「どうしてなの……!」

 リアナの手の先で、肉塊は急激に発熱していった。眼球が熱で白くにごり、肉が固く黒く変色していく。肉の熱された嫌な匂いが鼻につき、触れた指が驚くほど熱い。それでもリアナはかまわずに呼びかけ続けた。

「死なないで!」


「王よ、王よ、これが地獄の火なのですか? ……とても熱い」


 兵士の声は奇妙に平坦で、まるでデーグルモールになりかけていたのが嘘のように、ごくふつうの声のように聞こえた。


(こんな光景を、二度と見ないためにここまで来たのに……!!)


 リアナは無力感と生理的な嫌悪をおさえ、力をふりしぼって、凍る力をもう一度起こそうとした。死の間際に、男の身体が灼熱を感じずにすむようにと祈る。いまの自分には、それしかできることがない。


 どんな理由でかはわからないが、その祈りは聞きとげられ、周囲に冷気が満ちていった。男は最期に、安堵あんどのため息を漏らした。

 ぱきぱきという音とともに、冷気が湯気のように立ちのぼり、しぼみかけた身体が黒く変色していた。それが、かつてはケイエの守護兵士だった男の最期だった。


 リアナはこみあげる嗚咽おえつを止めることもできず、ただ、手負いの獣のようにその場にうずくまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る