7 ふたたび、ケイエへ
7-1. ケイエ炎上――わたしにも、きっとできる
「下を見て!」
飛竜の背から、リアナは悲鳴をあげた。
「火が見える!」
それは、神話の光景と言われても信じられそうだった。
美しく巨大なドラゴンが十頭近くの群れになって、夜空を飛んでいる。
エサルの駆る赤い竜を先頭に、白い竜とより小型の竜たちが続く。
結局、あれほど出兵に反対していたメドロートは、リアナのためについてきたのだった。
冬の夜空は紺色に冷たく澄んで、
「ケイエから火が!」
「いや、違う。見ろ――」
〔
エサルに向けて放たれた強い念話が、リアナとメドロートにも届いた。〔畜生、届いているのか?!――閣下、エサル公、火事です!〕
〔見えている!〕エサルが叫んだ。〔エサルだ!〕
〔閣下! ご無事で……!!〕
フロンテラの領主は、リアナの目に、遠目にも見たこともないほど
〔状況を説明しろ!〕
〔
〔了解した。こちらはエサル、メドロート公、リアナ殿下の三人だ。白竜が
怒りを押し殺すような、領主の低い声が響いた。
〔いま駆けつけるから、待っていろ! 必ず助ける!〕
エサルが白竜について言及したわけは、それからすぐにわかった。シーリアに乗ったメドロートが下降していくと、焦げ臭い空気が消え、灰色の煙が薄れる。
その光景は、まるで霧がかき消えたかのようだった。
(空気を操っているの?)
リアナはメドロートに目を凝らしたが、どうやっているのかはわからない。彼女にはまだ出来ない技だった。すべての煙を消しているわけではなく、竜と
(黒竜の力で――火事の火を消すことができるの!?)
どうやら、まだリアナが知らない竜の力が、たくさんあるようだった。
バリバリという不気味な音がいたるところから聞こえてくる。白い煙が黒くなると同時に、家々の窓から赤い炎が噴きだしたが、次の瞬間、水柱にのみ込まれた。あちこちにあがる火の手と同じくらいの激しさで、地面から水が噴出している。水柱に覆われた建物からは炎が消え、一気に蒸発する水が音をたてた。
(これが、白竜の能力!)
シーリアが低く
煙をおさえ、火そのものを消す――
それはまさに、神にもひとしい力ではないだろうか?
(わたしも、同じようにできれば……)
リアナはほとんど躊躇せず、メドロートをまねて両手を地面に向けて伸ばした。
(できれば、じゃなくて、できるはず。ライダーなら必ずできるとデイミオンは言ったわ。わたしは、メドロートと同じ白竜のライダーのはず!)
〔お願いね、レーデルル〕
肩の上の白竜にそう呼びかけて、意識を自分の内部へと集中させた。身体の奥へ。むき出しの腕を撫でる熱風ではなく、冷たさを。そして穏やかさを感じるようにする。集中は、自分ではなく竜のためにある。
(デイミオンに教わったとおりに)
1、2と数えるうちに変化がやってきて、両目のあいだがひきつるように動き、額の目がひらいたのがわかった。そうとしか言いようのない感覚だ。身体の奥で、水が大きく動いている――岸を洗う波のように、寄せて、また引いていく潮。冷やしたエールを
竜の力と同化する上でもっとも大切で、もっとも難しいのは、頭を空っぽにたもつこと――デイミオンから習ったことを思いだす。竜の意識に自分の意識を重ね、ひらき、受けいれたとき、
文字通りに。
心の目が
地面の下を一本の
自分の呼吸と、手のひらの水位が連動して上下していることに気づくと、息を整えることが重要なのが体感としてわかった。身体のなかが海の縮図になったように、激しく干満を繰りかえし、やがて水をコントロールしきれなくなり、手のひらから鉄砲水のように勢いよくあふれだした。目標地点までいっせいに水が放たれるが、コントロールが未熟なせいで自分の顔にもめいっぱいかかってしまった。
「わっぷ」リアナと同時に、レーデルルがぶるると身ぶるいする。「で、できた……」
「リアナ殿下!」
エサルが紅竜の背から呼んだ。単独で動いていたせいか、顔や手は
「エサル公!」
「放水しすぎると、地盤が沈んで建物が崩れる! そろそろ潮時だ!」
ビョウビョウと鳴る風や、倒壊する建物の音にまじって、よくとおる大きな声でそう指示する。距離を考えると、声だけでこれほどはっきりとは聞こえないから、さっきの
「火事はどうするの!?」
エサルに負けないように声を張りあげる。
「南の端に肥料庫がある! あれを俺の竜が分解すれば、リンと窒素で消火できるはずだ」
「なんのことか、よくわからないけど! ……わたしにも手伝える!?」
エサルはほとんど
「分解の過程を間違うと爆発する! ……こちらは俺と黒竜にまかせて、住民の避難誘導に当たってもらえるか!?」
リアナはうなずきかけたが、はっとして首を振った。
「エサル公! 子どもたちは!? 〈里〉の子どもたちがいるのはどこ!?」
「東端に、
東の竜舎。おそらく、ケイエを出立する際に使った場所とおなじだろう。
「わかった!」
竜の首をめぐらし、東へと旋回する。飛竜は大きく身体を傾けてから、流れるようにするりと方向転換した。リアナは一瞬、どちらが上下かもわからなくなる。内臓ごと落ちていくような感覚も、振り落とされるようなスピードも、やっと慣れてきたばかりのところだ。
うねる竜の背で頭を起こすと、頭上すれすれを石の壁が通り過ぎていく。風の速さで背後に流れるのは景色ではなくて飛竜なのだが、体感としては景色のほうが流れ去っていくようだ。せり出した
考えてみれば、ここは彼のふるさとなのだ。
「ピーウィ、あなた、面白がってるわね?」
古竜ではないから、
風向きから推測はしていたが、やはり出火元は東のほうらしい。ピーウィが飛ぶ真下を、人びとが悲鳴をあげながら逆方向に走っていくのをリアナは見た。ケイエの市民、子どもたちに老人、人力の荷車に満載された家財道具が、押しあいながら流れていく。
「西の門へ向かって!」
リアナは、眼下の人々に向かって幾度も大声を張り上げた。「西門へ! あっちは消火されているから!」
竜舎は記憶どおりの場所にあった。違うのは、夜、飛竜の背に乗って踊るように降下していることだけだ。花びらのような形の竜舎は、堅牢な石造りが幸いして無事に見えるが、飼料置き場や木造の小屋からは火の手が上がっていた。
〈隠れ里〉の襲撃を思い出し、全身がこわばるのを感じた。あんな恐ろしい思いを繰りかえすなんて思っていなかったのに。でも、今度は違う。
(まだ、救えるかもしれない)
そう思って気持ちを奮いたたせ、飛竜にしがみつくようにしてさらに旋回した。
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