7 ふたたび、ケイエへ

7-1. ケイエ炎上――わたしにも、きっとできる

 


「下を見て!」


 飛竜の背から、リアナは悲鳴をあげた。

「火が見える!」


 それは、神話の光景と言われても信じられそうだった。


 美しく巨大なドラゴンが十頭近くの群れになって、夜空を飛んでいる。

 エサルの駆る赤い竜を先頭に、白い竜とより小型の竜たちが続く。おおきな竜は力ある古竜、そして水が流れるようになめらかに駆けるのが飛竜。リアナと飛竜ピーウィは、メドロート公の古竜シーリアのやや後方にいた。

 結局、あれほど出兵に反対していたメドロートは、リアナのためについてきたのだった。


 冬の夜空は紺色に冷たく澄んで、全天ぜんてんに銀の星を散らせている。ライダーたちが街の方角に向かって目を下ろすと、灰色の煙が雲のように渦を巻きながら東へと流れていく。煙の間から、ちらちらと明るく燃える火の手がはっきり見える。竜の距離では小さく見えるが、町を焼く大火事に間違いない。


「ケイエから火が!」

 竜騎手ライダーの一人が叫ぶ。「連竜山のふもとも。山火事か!?」

「いや、違う。見ろ――」


閣下かっか!〕

 エサルに向けて放たれた強い念話が、リアナとメドロートにも届いた。〔畜生、届いているのか?!――閣下、エサル公、火事です!〕

 通信兵シグナラーと呼ばれる、念話の能力に優れた兵士が、ケイエからあらゆる方角に向かって呼びかけているらしい。


〔見えている!〕エサルが叫んだ。〔エサルだ!〕


〔閣下! ご無事で……!!〕

 フロンテラの領主は、リアナの目に、遠目にも見たこともないほどけわしい表情をしている。王の葬儀で長く留守にしていた領地が、急いで戻ってきて焼けているのを見れば、内心怒り狂って当然だろう。

〔状況を説明しろ!〕

四半刻しはんこく前に、黒衣の兵団がケイエを急襲きゅうしゅう。黒竜が二柱ふたはしら含まれ、デーグルモールと思われます。国境警備兵とともに応戦、消火に当たっていますが、黒竜が火炎を吐き、街の四半分の一ほどが延焼えんしょうしています〕

〔了解した。こちらはエサル、メドロート公、リアナ殿下の三人だ。白竜が二柱ふたはしら、黒竜が三柱みはしらおわしめす〕

 怒りを押し殺すような、領主の低い声が響いた。

〔いま駆けつけるから、待っていろ! 必ず助ける!〕


 エサルが白竜について言及したわけは、それからすぐにわかった。シーリアに乗ったメドロートが下降していくと、焦げ臭い空気が消え、灰色の煙が薄れる。

 その光景は、まるで霧がかき消えたかのようだった。


(空気を操っているの?)


 リアナはメドロートに目を凝らしたが、どうやっているのかはわからない。彼女にはまだ出来ない技だった。すべての煙を消しているわけではなく、竜と乗り手ライダーたちだけを煙から守るように調節しているようだ。煙が全部消せれば、とリアナは思ったが、空気を遮断しゃだんすれば、まだ逃げのびていない人間も息ができずに死んでしまうかもしれない。黒竜のライダーであるハダルクのほうを見ると、彼が手を差しのべた方角の炎があっという間に勢力を弱めていく。


(黒竜の力で――火事の火を消すことができるの!?)

 どうやら、まだリアナが知らない竜の力が、たくさんあるようだった。


 バリバリという不気味な音がいたるところから聞こえてくる。白い煙が黒くなると同時に、家々の窓から赤い炎が噴きだしたが、次の瞬間、水柱にのみ込まれた。あちこちにあがる火の手と同じくらいの激しさで、地面から水が噴出している。水柱に覆われた建物からは炎が消え、一気に蒸発する水が音をたてた。

(これが、白竜の能力!)

 シーリアが低く旋回せんかいしながら、建物のあいだを縫うように飛ぶ。水柱が、その進路に高く上がっていく。


 煙をおさえ、火そのものを消す――

 それはまさに、神にもひとしい力ではないだろうか?


(わたしも、同じようにできれば……)

 リアナはほとんど躊躇せず、メドロートをまねて両手を地面に向けて伸ばした。

(できれば、じゃなくて、できるはず。ライダーなら必ずできるとデイミオンは言ったわ。わたしは、メドロートと同じ白竜のライダーのはず!)


〔お願いね、レーデルル〕

 肩の上の白竜にそう呼びかけて、意識を自分の内部へと集中させた。身体の奥へ。むき出しの腕を撫でる熱風ではなく、冷たさを。そして穏やかさを感じるようにする。集中は、自分ではなく竜のためにある。


(デイミオンに教わったとおりに)


 1、2と数えるうちに変化がやってきて、両目のあいだがひきつるように動き、がひらいたのがわかった。そうとしか言いようのない感覚だ。身体の奥で、水が大きく動いている――岸を洗う波のように、寄せて、また引いていく潮。冷やしたエールをそそいだ銅のジョッキのように、手のひらに細かな水滴が盛りあがる。ひとつ呼吸をするたびに、水滴は量を増して、ゆっくりと水の形になっていく。

 竜の力と同化する上でもっとも大切で、もっとも難しいのは、頭を空っぽにたもつこと――デイミオンから習ったことを思いだす。竜の意識に自分の意識を重ね、ひらき、受けいれたとき、乗り手ライダーは竜の力を世界に向かってはなつ放水栓ほうすいせんになる――

 

 

 心の目がみわたり、目の前にある火事の情景が消え去って、まったく違うものを感じた。廃城でやり方をおぼえた、あの網目グリッドの力と同じものだ。自分の知覚を、竜のそれと同化させて広げたもの。

 地面の下を一本の暗色あんしょくの水脈が走っている。太いものが一本、そして数本の支流がある。支流の先で、血管が破けるように水が噴き出しているのは、メドロートとシーリアの力だとわかった。水は足もと深くから湧きあがりながら、おのれの力に作用としようとする二柱の竜をいぶかしみ、その力の源を突きとめようとするかのようにうごめいていた。

 

 自分の呼吸と、手のひらの水位が連動して上下していることに気づくと、息を整えることが重要なのが体感としてわかった。身体のなかが海の縮図になったように、激しく干満を繰りかえし、やがて水をコントロールしきれなくなり、手のひらから鉄砲水のように勢いよくあふれだした。目標地点までいっせいに水が放たれるが、コントロールが未熟なせいで自分の顔にもめいっぱいかかってしまった。


「わっぷ」リアナと同時に、レーデルルがぶるると身ぶるいする。「で、できた……」



「リアナ殿下!」

 エサルが紅竜の背から呼んだ。単独で動いていたせいか、顔や手はすすで汚れ、ふだんの貴公子ぶりは見る影もない。炎に似た色の竜は、漆黒の目をぐるりとまわしてリアナを見た。おおきな竜だ。

「エサル公!」


「放水しすぎると、地盤が沈んで建物が崩れる! そろそろ潮時だ!」


 ビョウビョウと鳴る風や、倒壊する建物の音にまじって、よくとおる大きな声でそう指示する。距離を考えると、声だけでこれほどはっきりとは聞こえないから、さっきの通信兵シグナラーと同じような原理の技なのだろうか。リアナは見えるようにうなずいた。エサルはケイエの領主だから、地質や建物の強度を知っているのだろう。また、紅竜は冶金やきんや加工を得意とする性質を持っているので、彼の竜の能力でそうわかるのかもしれない。


「火事はどうするの!?」

 エサルに負けないように声を張りあげる。

「南の端に肥料庫がある! あれを俺の竜が分解すれば、リンと窒素で消火できるはずだ」

「なんのことか、よくわからないけど! ……わたしにも手伝える!?」

 エサルはほとんど躊躇ちゅうちょせずに首を振った。

「分解の過程を間違うと爆発する! ……こちらは俺と黒竜にまかせて、住民の避難誘導に当たってもらえるか!?」


 リアナはうなずきかけたが、はっとして首を振った。

「エサル公! 子どもたちは!? 〈里〉の子どもたちがいるのはどこ!?」

「東端に、城砦じょうさい警備用の竜舎がある。おそらく、隣の職員宿舎だろう!」

 東の竜舎。おそらく、ケイエを出立する際に使った場所とおなじだろう。

「わかった!」

 竜の首をめぐらし、東へと旋回する。飛竜は大きく身体を傾けてから、流れるようにするりと方向転換した。リアナは一瞬、どちらが上下かもわからなくなる。内臓ごと落ちていくような感覚も、振り落とされるようなスピードも、やっと慣れてきたばかりのところだ。

 うねる竜の背で頭を起こすと、頭上すれすれを石の壁が通り過ぎていく。風の速さで背後に流れるのは景色ではなくて飛竜なのだが、体感としては景色のほうが流れ去っていくようだ。せり出した松明たいまつにぶつけないよう、急いで頭をひっこめる。頭を出した瞬間、がくんと急降下して、アーチの下をくぐり抜ける。ピーウィはまるであらかじめ地図が頭に入っているかのように、危なげなく飛んでいく。


 考えてみれば、ここは彼のふるさとなのだ。

「ピーウィ、あなた、面白がってるわね?」

 古竜ではないから、こたえはない。が、狭い市街を速度を上げて通り抜けるには、古竜より飛竜が向いているのは間違いなさそうだとリアナは思った。


 風向きから推測はしていたが、やはり出火元は東のほうらしい。ピーウィが飛ぶ真下を、人びとが悲鳴をあげながら逆方向に走っていくのをリアナは見た。ケイエの市民、子どもたちに老人、人力の荷車に満載された家財道具が、押しあいながら流れていく。


「西の門へ向かって!」


 リアナは、眼下の人々に向かって幾度も大声を張り上げた。「西門へ! あっちは消火されているから!」


 竜舎は記憶どおりの場所にあった。違うのは、夜、飛竜の背に乗って踊るように降下していることだけだ。花びらのような形の竜舎は、堅牢な石造りが幸いして無事に見えるが、飼料置き場や木造の小屋からは火の手が上がっていた。

 〈隠れ里〉の襲撃を思い出し、全身がこわばるのを感じた。あんな恐ろしい思いを繰りかえすなんて思っていなかったのに。でも、今度は違う。


(まだ、救えるかもしれない)


 そう思って気持ちを奮いたたせ、飛竜にしがみつくようにしてさらに旋回した。

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