6-7. 五公会の招集と、空白の親書

 エサル公と王太子リアナの名で五公会が招集される、その早朝。


 任務から戻ってきたテオに渡された手紙を前に、リアナは困惑して立ちつくしていた。

「……そんな」

 今日は、とても重要な発表をするつもりだ。そしてこの手紙が、その補強となるはずだったのだが――

 手にしたものは、彼女が求めていた内容とはほど遠いものだった。

「あちらさんも、そう簡単に言質げんちをとらせるわけにもいかないでしょう」

 目につきにくい、王専用ではない飛竜の発着場にいる。ハートレスの兵士、テオは差し出された水を一気に飲み干したが、それ以外には目立った疲労の様子はない。かかった日数を考えれば、かなりの強行軍だったはずだが、フィル同様兵士としてずば抜けた作戦遂行能力があるのだろう。だがリアナにはそれに感心している余裕もなかった。


「わかってるけど、これでは……エンガス卿は動かないわ。どうしよう」 

 くじけそうになりながらも、いまのリアナは忙しく考えをめぐらすほかはなかった。


 ♢♦♢

 

 戴冠式たいかんしきを間近に控えていたことが幸いし、五公をはじめ主要な貴族たちの多くはタマリスに集まっている。早朝の招集にもかかわらず、領主たちは次々と〈王の間〉に入ってきた。竜の足場となる広い岩棚から直接城内に入ることができる造りは、まさにこういった緊急時のためのものだ。日が昇りはじめてもいまだに薄暗かったが、扉の前はあわただしく兵士たちが行きかっている。大柄なメドロートが進んでくると、ぱっと道が開いた。


 中に入ると、まだ日の差していない部屋を照らす松明が目についた。部屋の中央には無骨な大机が置かれ、地図を前に諸侯たちが情報交換をしている。中心にいるのは、王太子リアナだった。

「メドロート公」

 少女が顔をあげてこちらを見た。あまり寝ていないのか、目の下にうっすらと隈ができている。「どうぞ、こちらへ」


 通常の密室ではなく、この〈王の間〉が、今回の五公会の会場となるらしかった。基本的には招集した者が議長を務めるので、王佐のエサル公がその役割に当たるようだ。

 リアナの服装は、上半身は身体に沿って細く、スカート部分はたっぷりとした、伝統的な形のドレスだった。黒を選んでいるからか年若い雰囲気が薄れ、王太子らしい落ち着きが感じられた。

(この子は、あんまりにも早く大人になっていく)

 それをまわりの誰もが当然だと思っているのが、(もんごぃむごいことだべ)、とメドロートは思った。


 しかし、そんな感傷かんしょうも長くは続かなかった。

 リアナとエサルが説明した、ケイエを襲うかもしれない危機はおそるべきものだった。


 南部領フロンテラを中心に相次いでいる半死者デーグルモールの襲撃の背後には、武器や人員を提供しているものたちがいる。

 それは状況的にはアエディクラかイーゼンテルレだと考えられるが、いまのところ確証はない。

 〈隠れ里〉を襲撃したのは、戦争兵器になる竜だけでなく、その操縦者となりうる混血の子どもたちを収奪するためと二人は考えている。

 もしそれが正しければ、デーグルモールたちは近いうちに必ず、生き残った子どもたちを連れ去りに来るはずだ。


 そのあとに巻き起こった侃々諤々かんかんがくがくの議論については、メドロートは沈黙を保った。他の領主と比べても、北部の彼は国内情勢にうとい自覚があるからだ。しかしともあれ、長く国境を守ってきたエサル公の言だけに、その主張を無視できる領主はいない。議論は、陰謀の真偽よりも、ケイエへの派兵についての是非に移っていった。


「西から兵を集めれば、国境の守りが薄くなる」

 まず反対の声を上げたのは、デイミオンだ。

「西のニザラン先住民自治領ディストリクトとは友好的だが、逆に言えば膠着こうちゃく状態にあるともいえる。守りを薄くして、やつらを挑発したくない」


 リアナは発言者のデイミオンではなく、五公の長老のほうをじっと観察した。エンガスがどの程度、その危機を信じているかで、自分が発するべき言葉も変わってくる。

「ニザランの王も交代したばかり。政権を安定させたいのはあちらも同じよ。こちらに攻め込んでこないわ」


「なぜそう言いきられるのです?」エンガスが静かな声を発した。

「かの地を、オンブリアと同じ国とはおぼすな。人間の国家と同じくらい、彼らはわれわれと異なる野蛮で下賤げせんな民なのです」

「……」


 エンガス卿の領地は西部で、その多くをニザラン先住民自治領ディストリクトと接している。それだけに、卿の発言は軽くはない。

「かの地では王権などというものは、迷信深い農村で祭の間だけ存在する仮王と同じくらいの権威しかない。そして〈くろがねの妖精王〉が立った時点で、彼らは戦に備えているも同義なのです」

「ご高説ありがとう、エンガス卿。わたしがそれを知らないとでも?……田舎娘とあなどられるのは面白くないわね」

 リアナは冷たい声で返した。残念ながらもちろん演技だ。ニザランについて、ファニーから授業を受けたのはつい最近のこと。そこではじめて、リアナは養父イニがおとぎ話として語っていたが実在することを知ったのだった。

 けれど、知識が浅い自覚はあれど、準備はおこたっていない。十分とは言えなかったが、できるだけのことはやった――不安が湧きあがる心を抑えて、平静をよそおって切りだす。


「ニザランの王に親書を送ったわ。そして返答ももらっている」


 五公たちがざわめいて、そっと目くばせしあう。リアナは焦る心を抑えて、できるだけ効果的と思える間を置いた。「――これが返ってきた親書よ」


 エンガス卿の目が驚きに見開かれている。


 ここからが勝負。ここでうまくいかなければ、テオの働きが無駄になる。ケイエが大きな危険にさらされるだけでなく、そこに保護されている子どもたちの命が脅かされるのだ。そう思うと、喉がからからに乾いて、手まで震えてくる。

 あの時の襲撃で、〈隠れ里〉は全滅したと思っていた。飛竜乗りのケヴァンまで死んだのだから、そう思って当然だった。自分の目で隅々まで確認した惨劇がよみがえってくる。無残に散らかされた祝祭の準備。赤黒く変色した内臓と、モノのように打ち捨てられた死体たち。誰ひとり、死んでもいい里人なんていなかった。みんな、それぞれの人生を精いっぱいに生きていた。


(いま、考えちゃだめ――)

 でも、子どもたちは――ロッタとウルカの子どもたちが、まだ生きてケイエにいるのだ。

(死なせたくない)

 イニなら、それを煩悩だと言っただろう。


(死なせたくない)

(死なせたくない)

(死なせたくない)


 頭の中で、自分の思考が割れ鐘のように響いて、止めることができない。

(やめて)


「拝見を――」


「まさか」


 エンガスが切りだすよりも早く、デイミオンが彼女の手から親書をひったくった。


 手が冷や汗でべとつく。

(だめ、見ないで……)


 声は、〈ばい〉にならないほど弱かった。彼にだけは隠せないと、最初からわかっていたからだ。〈血のばい〉の前には、なにひとつ隠すことはできない。


 デイミオンは、穴があくほど親書を見つめている。


 二つの心臓が恐ろしいほどに響く。


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