4-6. いざ、脱出!

 カップそそがれた水を沸かし、冷やし、凍らせ、また沸かし、減った水分を冷やした大気中からおぎない、また沸かして……。


 少女の特訓を眺めながら、デイミオンはみずからがかつて、幼少期に受けた竜術の訓練を思い返していた。

「難しいのは、最初だけですよ、若様」

 家庭教師はそう言っていたっけ。

「卵を上手に割るにはちょっとしたコツが要りますが、一度できるようになれば、失敗することはほとんどありません。ライダーの竜術も同じ。誰しもたゆまぬ努力が必要な剣術や、コーラーの竜術とは違うのです」

 あいわらず、うんうん唸りながらではあるが、リアナは容器のなかの水を自在に変化させることができるようになっている。

 教えはじめて数日、決して飲みこみが悪いということもなく、逆に天才的に早いというわけでもない。そもそも、平民出身のライダーの多くは〈成人の儀〉前後からやっと訓練をはじめるのだ。習得の時期に差があっても、それが生涯の実力差につながることはあまりない。それが、ライダーの能力の不思議なところだった。

 そんなことを、デイミオンはつれづれに考えていた。

 

 人さらいたちに捕らえられて、五日目の夕方。


 いつごろからかわからないが、雨が降りだした。本格的な勢いになると風も強さを増し、ビョウビョウと廃城の壁に打ちつけている。

 壁を見ていたリアナが、スミレ色の目をぱっちりと開いた。

〔読めたか?〕

〔たぶん〕

 そして、振り返って高い位置の窓を見つめた。と昼間のような明るさの光が走ったかと思うと、まもなく、雷の音とともに雨が降り込んできた。デイミオンは古竜アーダルに呼びかけたが、反応はなかった。

〔こっちは手ごたえなしだな〕

 トカゲのようにするりと、幼竜がデイミオンの肩に駆けあがってきた。――レーデルルに触れたとたん、静電気に触れたようにぴりぴりと、竜の巨大な力の気配が伝わってくる。

〔強い〈呼ばい〉がある。それに、この天候〕

〔天候?〕

〔白の竜には、天候を操作する能力がある。だからこそ農業をつかさどる神と言われていて――まさか、おまえの竜が?〕

〔わからないけど――〕

 リアナが言い終わらないうちに、二発目の雷が落ちた。塔が割れるほどの轟音がした。〔教わったとおりに張ったグリッドに、点がふたつ。だから今夜、もうすぐ、だと思う〕

〔よし〕

 デイミオンは、、もう一度頭に描いた。〔おまえの計画で行こう〕


                 ♢♦♢ 

 

 その日の夜、夕食が届けられて、すっかり冷めきってしまうまで、リアナは悲しげに食器のなかを見つめていた。

「どうした、お嬢ちゃん?」

 気がついた見張り役が声をかける。「ポリッジに虫でも入ってたかい?」

 ふり向いた少女は、か弱げにうなずいた。

「取り替えてやってもいいぜ。こっちに持ってきな」

 口調は親切半分、下心半分といったところだろう。だがリアナはほっとしたように皿をもって立ちあがり、ステップを踏むようにかわいらしく男に駆けよったかと思うと――

 

 ……一瞬で皿の中身を沸かし、それを思いっきり男の顔面にぶちまけた。

 

「ぎゃああぁぁぁあ」

 竜術によって一瞬で沸騰した粥が、その高温のまま溶岩のごとく男の頭部を流れ落ちる。適度な粘性ねんせいが、より攻撃としての効果を高める形だ。男の悲鳴は、デイミオンの体当たりによって中断され、かき消えた。


「どうだ痛いか?」倒れふした男を見下ろして、デイミオンは残忍に笑う。「は、食べ物で口のまわりを汚さないもので、その痛みは分からんなぁ」

 食事のために一時的に壁の手枷てかせを放たれ、代わりに縄で縛られた格好だが、その油断が甘い。


「……性格悪っ」

 高笑いする男に、近づいたはずの心の距離がちょっと遠のくリアナだ。

「ロブ! どうかしたのか……ぐぁっ、ぎゃあああ」

 ばたばたと駆けよってきたもう一人の男もまた、最後まで言い終えることができなかった。1、2、3の軽やかなステップにのせて、煮えたつ粥の攻撃、再び。


 そう、粥は二人分あるのだ。

「名付けて、あつあつポリッジの刑!」


「お見事」

 とどめを刺す声は、男の後ろから聞こえた。からんからん、と床の上で鳴る食器。粥をかぶったまま、ずるりと膝からくずおれる男。そして現れたのは、抜き身の剣を下げたフィルバートだった。

「おれの〈ぜひ遠慮したい死に方〉にランクインしましたよ、『あつあつポリッジの刑』」

「フィル!」リアナの顔が輝いた。「来てくれたのね! 待ってた!」


 さて、これは種明かしになる。

 天候をも従える古竜の知覚は、森ひとつの生き物すべてを把握するに及ぶ、と言う。その知覚を借りれば、この廃城のどこに何人の人間が集まっているかを知ることができるのだ。デイミオンはそれをグリッドと表現したが、言うはやすく行うはかたし。リアナが救援の存在を事前に読み取ったのは、鬼の特訓の成果だった。


「お待たせして、すみません……ケガは?」後半をデイミオンに向かって問い、近寄りざまに、剣で手首の縄を断ち斬る。相変わらず、無駄のない動きだ。

「骨が二、三本折れたのと、あとは打撲くらいだ。動ける」

 デイミオンは簡潔に言い、フィルが了解のうなずきを返した。

「ホールと入り口は押さえてある。おれがそこまで退路を開くから、デイは殿下の護衛を頼む」

「本隊は? 間に合ったのか?」

「いや。おれとテオだけだよ」

 ゴロツキの根城に、精錬の兵士とはいえ二人きりで乗り込むとは。だがフィルは何事もないかのように言う。「場所だけなら、二日前からわかってたんだ。いろいろ調べてたんだけど、ここまで用心することなかったな」

 右見て左見て、また右を見て、うなずく。フィルの合図に合わせ、いざ、脱出だ。



 騒ぎを聞きつけた男たちが駆け寄ってくるのに、デイミオンが「思った通りの阿呆あほうぞろいだな」と呟いた。


「えっ?」リアナはきょとんと聞き返した。

「こんな狭い通路であいつに剣を向けるなど、順番に細切れにしてくれと言っているも同然だ」

 その言葉が大げさでないことは、すぐに証明された。


 相手は一人が斬りかかり、打ちあった隙にまた一人がというような戦法のように見えるが……打ち合い、切り結ぶ剣の音すら、ほとんど聞こえない。すべて最初の一撃で倒されているということだろう。眼前に繰りひろげられる惨劇に、リアナもうなずくしかない。

「そっか、この狭さだとほとんど一対一にしかならないから……」

 邪魔にならない距離に下がって、解説めいたことを口にする余裕すらある。

「まあ狭さだけでもないがな。平地で四方八方から襲いかかっても、せいぜいが一度に七、八人だろうし、あいつを相手にその人数では何にもならん。射手やコーラーが背後に控えていてもがよくなるとも思えんしな。正直、一マイル先から黒竜の炎で絨毯爆撃するくらいしか、あいつを殺せそうな策が思いつかん」

 淡々としているが、その言葉はここ数日でデイミオンを知るようになったリアナにとっては、最大級の賛辞に聞こえる。


「前から思ってたんだけど……あなたとフィルって、どういう関係なの?」

 問われたデイミオンは、一瞬、奇妙な顔をした。面白がっているような、口にしたくないような、反応が見たいような、そんな表情だ。


「なんだ、気づかなかったのか?」

「もったいぶらないでよ」

「兄弟だ」

「えっ」

 かたや高慢ちきなライダーの貴公子 。かたや優しさと鬼神のごとき剣技をあわせ持つ〈ハートレス〉。この二人が、この二人が、兄弟なんて。


「ぜんっっぜん! 似てない!」

 リアナの叫びが通路に響きわたった。

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