3-12.アーダルの暴走
「進行方向の竜たちを一掃できるくらいの炎が出せるか?!」フィルが叫んだ。
「呼べるが、危険だ!」デイミオンも返す。「ここ数日の戦闘で高揚している。これ以上興奮させると、制御できなくなるかもしれん」
デイミオンはアーダルを見下ろした。炎を吐いて飛竜を威嚇している。それでも、一瞬の隙を縫って近づいて来ようとする飛竜がいるようだ。冷静な青年にしては珍しく、表情には焦りがうかがえた。
「じゃあ、一頭ずつだな。……リアナを乗せたまま上昇できるか?」
「すぐ追いつかれるぞ」
「それでいい」
「……よし」
一度、戦場に入った古竜をその場から引き離すのは、主であっても難しい。デイミオンはありったけの精神力を振り絞ってアーダルの制御を図った。彼にとっては長い数拍だったが、そののち古竜は頭をもたげて尾をひねり、たたきつけるような動作をした。羽ばたきと合わせることで推進力を得ているとみえ、そのままぐんぐん上昇していく。デイミオンは頭を低くするだけでしのいだが、リアナは必死に竜の背にしがみついた。固い
「フィル!」
慌てて首だけをめぐらせて青年の姿を追う。リアナの位置からはアーダルの腹の影になって見えづらい――が、眼下では目を疑うような光景が起こっていた。
フィルバートは手足をばたつかせもせず、ほとんど階段でも降りるような動作で眼下に足を踏み出した。重力にしたがってまっすぐに落ちていくが、真下にいるのは一頭の飛竜だ。衝撃音とともに、操縦者のすぐ後ろに着地し、鞍の後ろをつかんで身体を安定させると、男が振り向くよりも早く蹴り飛ばした。仮面ごとの顔、そして胴に続けざまの二発で、
それを見届けたリアナが安心する暇もなく、フィルは姿勢を戻し、手綱を操って別の一頭に激しく体当たりをした。二度、三度と繰り返す。
止まった状態でさえ、ヒトの数十倍も体重がある竜が、さらに飛行のスピードを保ったままぶつかり合うのだから、その迫力はすさまじい。鱗をまとった固い肉同士がぶつかり合う音と、飛竜の鳴き声がけたたましく響いた。
「フィル!」
体当たりだけで、見る間に一頭の飛竜を墜としたフィルは、また別の一頭へと飛竜を近づけ、勢いをつけて飛び移った。時悪く味方の
「危ない!」
フィルの姿を見た操縦者が、慌てて前方へにじりながら戻る。フィルもなんとか足をかけ、じりじりと操縦者に近づいていくが、手綱と一緒につかんでいたマスケット銃が後方を向く。その銃身が、狙いを定めるためにわずかに動いたのが命取りだった。フィルが銃身を掴んで思いっきりねじり上げると、指が挟まれた操縦者は痛みのために手を放し、銃を奪われてしまう。彼は銃身を掴んだままくるりと一回転させ、今度は柄頭を振りおろして操縦者の頭を殴りつけた。
息つく間もなく、隣のデーグルモールから発砲。フィルは空中で上体をそらすようにして弾をよけた。マスケット銃の引き金を引き、男を撃った。
たった一人で、またたく間に四頭もの竜と、その操縦者を落としている。
(
鬼神のごとき戦いぶりに、リアナは呆然と見守るしかなかった。
戦場となった空中に、古竜アーダルが岩も割れんばかりの鳴き声をとどろかせた。地獄の入り口のような口から、ごおおっと炎が吐き出される。夜の闇の中に、松明を百も集めたほどに明るい炎が散った。身体を激しくくねらせ、尻尾を別の生き物のように振り回している。
「――アーダル! もういい、止まれ!」
主デイミオンの制止が聞こえていないようだ。飛竜の血を見たせいでさらに高揚してしまったらしい。
胸元に抱いていたレーデルルがパニックを起こし、毛を逆立てて手足をばたつかせた。リアナは慌てて幼竜を服の中に押し込む。混乱と怯えの感情が伝わってきた。それだけではない。〈呼ばい〉の絆から、デイミオンの感情が流れ込んでくる。それは、感情ではあるが、命令でもあった。なにか巨大で強烈な存在に、頭上から押しつぶされるような圧迫感に襲われる。デイミオンが自分の精神を限界まで古竜に開き、そのうえで制御しようとしているのがわかった。
「――やめて!」リアナは叫んだ。
(このままでは壊れてしまう!)
「やめて、デイミオン!」
だが、声は思ったよりも小さい。歯を食いしばって青年を見上げるが、紺色の瞳孔は見開かれ、とてもリアナにかまっている余裕はなさそうだ。
地震のように体を揺さぶるアーダルの動きと、頭を直接支配するかのようなデイミオンの〈呼ばい〉で、頭がぐらぐらする。
《やめろ! やめろ!》
《従え! 従え!》
言葉というには直接的すぎる、動物的な短い命令が大鐘のようにこだまする。リアナが味わっているものと同じ、いや、それ以上の圧を、アーダルは味わっているのだろう。苦しそうな鳴き声とともに身をくねらせる。その上にまたがるデイミオンとリアナは必死でしがみつく。兵士たちからは、見上げる先に竜巻のようなアーダルが、苦痛から身をよじって飛ぶ姿が見えた。
あばれまわる巨竜の背で、どちらが上下かわからなくないほどに振りまわされた、その直後、背後から強い衝撃が襲った。
「――なっ何!?」
何が起こったのか、かろうじて首を回すと、アーダルが岩に下半身を打ちつける様子が見えた。ノミを嫌がる小さな獣にも似た姿だが、その背に乗るものにとってはおそろしい想像だ。このままでは、振り落とされてしまう。デイミオンはまだ命令を続けていたが、頭を支配されるような〈呼ばい〉に疲れきったリアナには、もはや声は聞き取れない。
デイミオンが吠えた。黄金色の目と、怒りでなびく黒髪。まるで
(もう無理、落ちる――)
そう思った瞬間、リアナは本当に落ちていった。
すさまじい勢いで、落ちていく。
重力よりも、風の抵抗のほうをより強く感じる。耳もとでうるさいほどに風が鳴った。あまりの恐怖に、かえって現実味が薄れてしまったようだ。ついで、下方向と上方向に同時に引っ張られるような感覚。
(引っ張られる?――)
重力とは反対に働く力など、どこにもないはずなのに――
一瞬だけ、そう思った。同時に、〈呼ばい〉を感じた。ごく弱く、アーダルのものでも、デイミオンのものでもない、これは――
落ちる直前のリアナが感じたのは、そこまでだ。眼前いっぱいの緑色の中に飛びこんでいく。
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