1-4. 里の若夫婦と、竜族の結婚のこと
結局、発着場で時間をつぶしすぎたせいで朝食に遅れ、おばさんにはさんざん小言を言われるはめになった。いわく、養い親そっくりの竜バカだとか、女親がいないからこんなにだらしない娘になったんだとか、服に食べこぼしてベリーの果汁がついてるとか。前にもそうやってブラウスをダメにしたなどと、昔のことまで持ちだされるので、リアナは右から左に適当に聞き流している。
「服を脱いで水につけておくんだよ! そうじゃないと、一週間ずっと野イチゴの染みをこすっていなくちゃならなくなるんだから」
おばさんはぷりぷりと怒りながら、そう言い捨てて部屋を出て行く。ぱたんと閉まった扉に向かって、リアナは舌を出した。
♢♦♢
昼食を済ませたあとパン屋に戻ると、おかみのハニが約束どおりドレスを持って待っていた。お礼を言って受けとったが、リアナはじつはドレスにはさほど興味がない。それより、身重のハニの手伝いでもしているほうがずっと楽しい。家の手伝いはほとんどしないので、おばさんが見れば
食器棚の上を片づけて、物置から子ども用品を出してきて、冬用の上かけをベッドにセットして、と頼まれごとをこなすと、リアナは勝手知った台所で二人分のお茶を淹れた。
「助かったよ」
ハーブティーを受けとって、ハニが言った。「自分でやろうとすると、そりゃあうるさくてね」
リアナは笑いながら椅子に腰かけた。
「ロッタさん?」尋ねると、うなずきが返ってくる。
「もう五人目なんだから、臨月ってたってなんでもできるって言ってるんだけどね。うちの人は、あのとおり過保護だから」
「愛されてるなぁ」リアナが冷やかした。
「ませた口はよしな」
照れかくしで、はたく真似をするので、リアナは「きゃあっ」と悲鳴をあげて笑う。お互いにけらけら笑ってから、ハニがふと、
「……おかしなもんだよねぇ、竜族の男ってのはさ」と呟いた。
「え?」口もとを笑ませたまま、リアナ。
「あんたは、ふた親とも竜族の子どもらしいから、ぴんとこないかもしれないけどね。ほら、あたしは人間だからさ」
ハニは温かいハーブティーを口に運び、また続ける。
「とにかく、子どもが好きなんだよね。うちの子だけじゃなくて、よその子もさ。……『子どもはこの世の宝だ』とか言っちゃって。若いころからそうだったもんねえ」
「まさか、のろけ話なの?」思わず、顔がにやっとするが、ハニは今度は乗ってこず、ただやわらかく笑った。
「ほんの二、三回いちゃついただけなのに、できちゃったもんで、あたしは真っ青になったもんさ。ちょうどあんたくらいの娘っこだったんだから。『やばい、しくじっちまった。親父に殺される!』ってね」
「へえー」そう聞くと、がぜん興味がわいてくる。リアナはティーカップを置いて、頬杖をついて続きをせかした。「それで、それで?」
「しかたがないんで打ち明けたら、あの人、なんて言ったと思う?……『たった三回で?! やった! これで君のご父君に結婚の許しがもらえる!』だって!……あたしはもう、ぽかんとしちまったよ。
喜びいさんであたしの手を引いて、うちにあいさつに来たんだけど、人間の親父がそんなもん、許すはずないじゃないか、ねえ? 『娘を傷物にしおってから、このトカゲ男が!』っつって、延ばし棒でさんざっぱら殴られてねぇ。その間もあの人、なんで親父が怒ってるのか、まったくわかってなかったんだから。……笑えるだろ?」
「トカゲ男はひどいなぁ。竜族のことなの?」身ぶり手ぶりつきの昔ばなしに、リアナは声をあげて笑った。「でも、結局許してくれたんだ。でしょ?」
「あぁ。あんたも反対されたって産んじまいな。そしたら、こっちのもんだから。孫かわいさに、不出来な娘のことなんて忘れちまうのさ」
「じゃあ、
「そうそう」ハニも笑った。「あそこは子どもができたのが遅かったんで、ウルカは『二人目の妻をもらう』とかほざいてねぇ。里の
「
「どうかねえ。あたしらはこの里しか知らないから、わかんないけど。都のほうじゃ、どうなんだろうね」
♢♦♢
晴れ着をかかえ帰り道すがらに、リアナは考えた。
ロッタと妻のハニは、見た目にはごくふつうのパン屋の夫婦だ。
が、「隠れ里以外で、彼らのような夫婦に出会うのは珍しい」と養父イニは言っていた。ロッタは竜族、ハニは人間、子どもたちはその混血。隠れ里では、およそ半数ほどの夫婦が竜族――しかも、竜族の男と人間の女の組み合わせで、これは国境沿いにあるからというだけではなく、里の成りたちに関わる歴史だと聞いたことがある。
近隣の村から今でも〈隠れ里〉と呼ばれているこの小さな集落は、
かつて竜族と人間との戦争が起こった際に、本隊から切り捨てられて逃げてきた竜族の男たちが人間の村に受けいれられ、ともに暮らしたという来歴を持つそうだ。人が行き来するのに向かず、農業にも不適で、岩場の荒れ地に慣れた山羊を飼うのがせいぜいの土地だから、隠れ住むにはもってこいだったのだろう。かつては人間の領土に属し、戦後、竜族の国の領土となったが、いまでも人間と竜族がともに暮らし、竜の繁殖で生計を立てている。そんな、特殊な集落だった。
リアナは一家のことに思いをめぐらした。
妻で母親のハニが人間なのは、一家にとってさいわいと言えただろう。一般的に人間のほうが身体が強く、多産で、さらに異種族間の出産にも耐性があると言われているからだ。銀髪に青い目をした夫のロッタは、里以外の人間の女性から見れば「夢で見る王子様のような」美貌だという――が、竜族ではごくありふれた容貌だし、長い職人修行とハニの料理のおかげで体型も変わり、もはや若いころほど人間ばなれしては見えないと彼女は笑っていた。
竜族はその美しい容貌のまま、人間の四、五倍の寿命を生きると言われているが、一般に病弱で、特に国境では寿命を全うしないものが多かった。ロッタは竜族にしては頑健だったから、その意味でも夫婦は幸運に恵まれていた。
『生きている間は、われわれ竜族は若く美しい。だがそれだけだ。竜族でも、人間でも、死ぬときには死ぬ。長寿種の竜族が、いつでも人間より長生きとは限らない』
養父はそう言っていた。
だからこそ、竜族と人間がふれあう里には意味がある。限りある生を、大切な人と幸せに過ごすこと――それが、イニのシンプルな人生哲学だった。リアナにとって、ロッタとハニの夫婦は、その言葉を体現する存在でもある。
(竜族でも人間でも、いつか、運命の人だと思えるような人と出会えたらいいな――この二人みたいに)
ライダーになりたい、というような具体的な夢ではないが、それは、リアナのもうひとつのまだぼんやりした夢と言えた。
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