“アラバマ”に返礼を

フカイ

土砂降りのあの日と、スコールのいま

#1 土砂降りの出航


 あの日も雨が降っていた。

 ひどい土砂降りの雨だった。


 ワシントン州バンゴールのキトサップ海軍基地。1995年。


 世界を滅ぼすことになるかもしれない航海を前に、私は予断を捨て、埠頭に横付けされ、激しい雨にさらされている艦の前で声を荒げていた。私たちが“ボート”と呼ぶ弾道ミサイル原子力潜水艦『USSアラバマ』の前で。


 私の前には、私のボートに乗り組む155名の水兵たちが直立不動で立っていた。

 誰もが、これから自分たちがくり出すことになる航海が、世界の歴史を変える可能性を感じていた。良いほうに変わればよいが、もちろん、そこで歴史にピリオドを打たれる可能性もあった。第三次世界大戦という名のピリオドを。


 私は、その緊張と動揺を打ち消したかった。

 そのようなことは、ワシントンにいる鼻持ちならない政治屋が考えることだった。私たちがすべきなのは、命令を受ければ直ちに、固い信念に基づいて潜水艦発射弾道核ミサイルの発射キィをひねることだった。


 だから私は怒鳴り声を上げていた。

 こんな風に。

 「水兵アヒルどもよ、ロシアでトラブルだ!」


 その声に、彼らのタマが半インチほど、すぼみ上がるのを私は感じていた。


 「それで彼らは我々を呼んだ。 

 そして我々はそこへおもむく。 

 かつて発明された最も凶悪な武器を抱えて。

 我々は戦争の歴史上、いまだかつてない火力を持った、強力な兵器を使用できる。

 ただひとつの目的のために。

 そう、我々の祖国を守るためだ。

 我々は国防の最前線にとなり、同時に最後の防衛線となる。

 私は要求する。

 諸君のベストをだ!

 それができない者は、空軍にでも行きたまえ」


 緊張を隠したまだ若い兵士たちが、苦笑する。


「最高司令官は大統領であるが、これは私のボートだ。

 そして、私が諸君に望むのは、ただひとつ。

 私に従うことだ。

 それができないなら、自らのケツに、奇妙な感覚を覚えるだろう。

 すなわち、私のブーツの先端がめり込む感覚だ!」


 再び笑いが起こる。

 そして私は演壇に上がり、マイクを取る。

 正式な出航の号令だ。マイクの音が軽くハウリングし、土砂降りのドッグに響き渡る。

「ミスター・最先任下士官COB?」

 スピーカーを越しの私の呼びかけに、最先任下士官が大声で返答する。

「イエス・サー!」

「この船の名前を知っておるか、ミスター・コッブ?」

「よく知っております、サー!」

「それは誇り高い名前を持つものか?」

「きわめて誇り高いものであります、サー!」

「優秀な人々を意味するものか?」

「極めて優秀な者達であります、サー!」 

「誠に偉大なる州に住む者達か?」

「誠に偉大であります、サー!」

「そこは世界に冠たる州であるか?」

「世界に冠たる州であります、サー!」

「そしてその名は何か、ミスターコッブ?」

「“アラバマ”、であります。サー!」

 いつもの返答に、私は満足した。土砂降りのキトサップ海軍基地のドックで。雨合羽を着込んだ、私のアヒル達を前にして。

 私は最後のがなり声をあげた。

「気合いを入れたまえ!」

 その声に応え、先任曹長が叫ぶ。

「ゴー! バマ!」

 そして、全クルーたちが右手の拳を突き上げて言った。

「ゴー! バマ!」

 私は「艇長、乗組員解散!」と言って、全員を持ち場につかせた。

 忘れもしない、私の最後の航海の、最初の一日のことだった。


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