光と闇のアンチマテリアル

エグニマ

序章

プロローグ

それは、薄ぼんやりと幻想的でありながら、激しく鮮烈せんれつな暗闇の中の夢だった。


暗い石造りの広い建物の中どこかからか低い、うなり声が聞こえる。自分の直ぐ耳元で聞こえたかと思えば、はるか先の方から、不気味で不快な音が。


如何いかにも魔物がいると言っているものだろう、紫色の濃霧のうむのようなこの部屋の中ではその姿を確認することはできない。


その濃霧のうむの一角に黒い闇が揺らめく。

決して早くはない動きなのに、巨大な山が迫りくるような質量を感じさせる闇を、辺りにき散らせる。

その『影』が肌をビリビリ叩くような咆哮ほうこうをあげていた。


全てを不幸に、全てを終わりにする、全てを無に変える闇をまといながら、その体を動かしこちらに向かって来る。


その『影』を止める為だろう、戦支度をすました者たちが次々と邪なる者に向かって挑んでいく。少年、少女、獣人……種族の壁を越えて結束した彼らは絶望がすぐ隣にいる空間を駆ける。


一番槍を手にしたのは、がっしりとした体格の少年だった。

『影』から放たれた邪悪な波動をものともせず、オレンジ色の逆立った髪が彼の揺るがない意思を表しているようだ。

少年は身に着けたシルバーの鎧をきらめかせながら飛びかかった。


身に着けた鎧の重さなどまるで感じさせない軽やかな動きで『影』の頭部と思われる場所まで飛ぶと、持っていた長剣を振り上げた。


暗闇の中でもきらめく白銀の刃は、彼の意思を表すように真紅の炎をまとい始める。

渾身の力を込めて振り下ろされた。刃と炎が合わさった斬撃が暗い濃霧のうむを明るく照らしながら飛翔し『影』の頭部らしき部位に命中した。


少年は着地すると同時に自信に満ちた顔で、赤々と燃え盛る『影』を見上げる。

『影』の反撃を受ける前に、その場を次の者にゆずって下がる。


そのタイミングを待っていたかのように、下がった少年の背後にきらめく無数の粒子が宙を舞う。

それらは天に両手を掲げている少女の元に集中している、手を伸ばしているのは氷の結晶を全身に施したローブをまとう、水色の長い髪の毛の少女だ。


小柄で華奢きゃしゃな少女、出る所は出ているが、その身長は先ほどの少年よりも30㎝以上低くみえる。

整った顔はどこか気品のある雰囲気を与え、色白の肌に目を奪われそうになる。


少女は閉じていた両目を少しずつ開けていく。薄い赤みのかかった瞳が『影』の姿をとらえると煌めいている粒子たちが一気に加速し、その両手に集まっていく。


振り下ろされた両手に従い収束していたきらめき達が、解き放たれたように弾け、その激流は、未だに燃え続けている頭部を抑える『影』に吸い込まれるように向かい……巨大な爆発と共に爆風が周囲の濃霧のうむを巻き上げる。


尋常ではない一撃を二度も受けたにも関わらず、『影』はその姿を現すことなく鎮座していた。

周囲に先ほど少女がたくわえていた粒子とはことなる黒いきらめきの粒子が『影』の元に収束する。一つ一つがコインほどの大きさだが、その威力は人間を死に至らしめるには十分すぎる威力を秘めていることが、『闇』から発せられる圧力からとってわかる。


黒いきらめきは次第に形を変え、黒き雷へと変化していく。

濃霧のうむに包まれたその体……腕と思わしき部位を持ち上げるとその先に鈍く光る紫色の爪が、粘液をまとわせながら黒い雷を先端に収束させていき、その狙いを自身を攻撃してきた二人に向けられていた。


破滅をまとった雷が彼らに向かって放たれようとしたとき、彼らの後方から何かが飛び出した。

疾風迅雷しっぷうじんらい』この言葉通りの動きで『影』の腕の下に回り込むと、その雷を収束していた爪を大きく蹴り上げた。収束していたエネルギーは頭上高くに放たれ、石造りの天井を砕き、その瓦礫がれきが『影』に降り注いだ。


巨大な四本の爪の内、蹴り上げられた一本は根元とから折れ、石畳に突き刺さっている。

人間離れをした技をやってのけたのは、金色の長い爪を手甲てっこうに施した形の武器を装備した白銀プラチナ色の髪をした少女だ。


太腿ふとももがほぼ見えるほど短いホットパンツに上半身を隠す為のシャツはへそより上の辺りで破いてある。

唯一背中に羽織はおっている六芒星ろくぼうせいが描かれた外套がいとうが、彼女の肢体したいを隠せるものになっている。


白銀プラチナ色の腰までかかる長い髪、頭には二つの小さな尖がった耳、小柄で幼さの残る野性的な顔は興奮からか頬を紅潮こうちょうさせている。

それでも彼女の金色の瞳は霧濃のうむの奥に潜む『影』のみを見据えていた。


爪を折られた腕は、再び濃霧のうむの奥ヘと下がっていく。

その隙を彼女は見逃さなかった、大きく息を吸い込むと、小さな体からは想像もできないほどの殺気が凝縮し、金色の瞳が猫のように立て細くなる。


少女は溜めこんだ息を、『影』に負けずともおとらない咆哮ほうこうと共に吐き出した。

吐き出された息は灼熱を帯びた火球となり『影』の胴体に当たると同時に炸裂した。周囲に火花が舞い散るほどの熱量をたくわえた火球を吐きだした少女の口元には、可愛い八重歯やえばをのぞかせていた。


―――それでも『影』はその生命力を失うことは無かった。


『影』は周囲の濃霧のうむを吸い込むと、白銀プラチナの少女がやったと同じように紫色の火球を吐き出す、それも彼女だけではなく全員を飲み込むほどの大きさだ。


しかし、その火球の前にしなやかな肢体したいをした黒髪の女性剣士が躍り込んでくる。

言葉の通り、踊る様にしてその火球に六連撃ほどの斬撃を加えると、火球は綺麗に六等分に別れ、彼らに当たることは無かった。


ショートの黒髪に、紅蓮ぐれん色をした金属の胸当てに、魔法金属で編み込んだアシンメトリースカートから見える傷一つない足は男性の目を引き付けるだろう。


手にした細身の剣は、長剣より威力が少ない分、取り回しに長けている。

そして身軽な軽装をした彼女ならではの妙技みょうぎで次々と『影』に斬撃を浴びせていく。


さすがの『影』もその巨大な身体をよろめかせ、彼らの顔にも笑顔が見られた。



だが―――



『影』は自分がき散らした闇を再び自分の元に戻し始める、怒号をあげながら吸収されていく闇は彼女たちが放った、どの技よりも早い。


水色の少女が咄嗟とっさに防御壁を全員に展開すると同時に、『影』もまたそのたくわえた闇の一撃を放つ。


それは、想像を絶する……一撃だった。


熱い、寒い、そんな感覚もない一撃を受けた。

『凄まじい一撃』としか言いようのない攻撃を受けた……




そう思った瞬間、カインは目を覚ました。

目に映るのは紫の濃霧のうむにまみれた異空間ではなく、見慣れた自室の天井だった。

薄暗いのはまだ日が昇り始めたと気付くのに数分ほどかかった、何度もまばたきをすると先ほどの光景はすべて夢だと分かった。


ゆっくりと体を起こし、ため息をつく。何の変哲へんてつもない普通の朝、強張こわばった体を伸ばし、欠伸あくびをした。

薄暗い外を見る為に窓に近づくと、そこに映るのは、短めの黒髪、人当たりのよさそうな顔をした、自身のだらしない顔だった。


天井から何かが彼の頭に落ちてきた。

カインはその正体が何かを分かっており、優しく掌を差し出す。すると落下してきた物体が乗ってくる。

薄緑色の小さな生き物はギロリと縦長の瞳孔をカインに向けた。


「おはよう、ギガント。相変わらず早いね」


ギガントと呼ばれたトビトカゲは、挨拶をしたと言わんばかりに再び飛ぶとカインが寝ていた布団へと潜っていった。

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