神様の名前

浅緋せんり

0.

 私は呼び掛けていた。何に?ーーーたぶん、自分の人生に。今だ、今しかないと。

 鳥居をくぐって神社の裏、竹やぶの中を分け入る。一旦なかには入ると薄暗い。竹の密度は少ないのに、頭上高くで葉が重なりあっているからだ。

 私は走った。何かに惹かれるようだった。ただただ予感に忠実に、私は走った。斜面は茶色くひからびた笹の葉で覆われていた。ザクザクと、時々地面や竹に手をつきながら、ずっと走った。自分の荒い息だけが、耳に響く。

 薄暗くて道とも言えない山の中なのに、身の危険や迷ったらどうしよう、何てことはみじんも考えなかった。今しかないと思った。このまま進めば、この竹やぶを抜けたら、きっと違う世界が広がっている。私の人生にそのときがくる。

 空には赤黄青の月が浮かんでいるかもしれない。泉で一角獣が水浴びしているかもしれない。国を滅ぼされた魔法使いが助けを求めてくるかもしれない。

 この扉が開くとしたら、今だ。こんなにおあつらえ向きの今、何も起きないというのなら、私の人生はこれからもきっとそうだ。明るい光が近くなり、下草をかき分けて飛び込む。


 風が柔らかく頬をなでた。桜色の風だった。

 気持ちの良さそうな原っぱが青々と陽を浴びている。その周りをぐるりと桜の木が囲んでいるのだった。

 再び風が吹いた。微かな風なのに花びらは枝から離れ、夢のように舞った。

 ここはどこなのだろう。扉を開いたのだろうか。

 何かが目に留まった。風に揺れる草の間から、人の姿が見えたようだ。背中を丸めて、一心に何かを探しているような。

 そっと近づく。足音を立てないように。

 さくり。さくり。草を柔らかく踏んで。

 あと少し。あと少し…。

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