ブルドッグ

池田蕉陽

第1話 初恋


恋をした。一目惚れだ。


廊下ですれ違った時、心臓をハートの矢で撃ち抜かれたのだ。


男は麻美を通り過ぎていき、廊下を歩いていく。

麻美はその後ろ姿を火照った顔でじっと見つめた。


麻美は今まで生きてきた16年間で恋をしたことはなかった。


なのに、なぜ今恋をしたのか。


しかも相手は3年の先輩。今まで顔も見たことがなかったが、スリッパの色が緑なので3年と分かった。

麻美の色は赤、1年生だ。


それに、問題はそこでない。


顔が犬のブルドッグなのだ。比喩なのだが、比喩ではないくらい似ている。

身長も麻美と同じくらいでやや肥えている。

あの顔で首輪をつけられ、四つん這いで歩かれたら、ワンチャン学ランをきたブルドッグと間違えるかもしれない。そんなレベルだ。


学校の噂で、ブルドッグがいるとは聞いたことはあったが、あの先輩のことだった。

初恋とは思えぬほど衝撃的な恋で、麻美自身も吃驚していた。


厄介なことになってしまった。麻美はブルドッグ先輩にトキメキながら、自分の教室に戻った。




「あさみ〜ん!一緒にご飯食べよ!」


昼休み、友達の薫が子供のようにはしゃぎながら、駆け寄ってきた。


「相変わらず元気ね、薫は」


「まぁね」


薫が満面の笑みを浮かべると、机ひとつ挟んで向かいの椅子に座った。


「あぁ〜彼氏欲しいなぁ!宮本先輩みたいな彼氏がほしいよぉ!」


薫が箸にタコさんウインナーを挟みながら、そんなことを言い始めた。


「宮本先輩って3年のサッカー部の人だよね?」


宮本先輩は学校1イケメンで、女子の中ではアイドル並の人気で、次々と玉砕者が出初めている。

男子からも人気で頭もよければ、先生のお気に入りでもある。


しかし、麻美は一切興味はなかった。ブス専という訳では無い。それでブルドッグ先輩のことを好きになったわけではないのだ。


数々とブス男は見続けているが、恋愛という感情は生まれない。

しかし今、麻美の頭の中ではあのブルドッグ先輩しかいない。


「ねぇ、あさみんは彼氏作らないの?」


「んー、まぁ好きな人ができたらね」


薫にブルドッグ先輩のことが好きなのは、まだバレたくなかった。

きっと、反対されるに違いないからだ。


「そっかぁ〜、まずはそっからだよねぇ〜」


薫がタコさんウインナーの頭をかじった。


「ねぇ薫、薫がもし誰かに一目惚れしたらどうする?」


薫は特に恋愛経験が豊富というわけではないが、麻美よりかはマシだった。

他にアドバイスを聞く相手もいないので、薫に頼る他なかった。


「一目惚れ?私が一目惚れしたら話しかけるかな」


「え、ハードル高くない?」


さすがにいきなりあのブルドッグに話しかけるのは、私にはレベルが高すぎだ。

ワンワンと吠えられるんじゃないか?いや、あの人は人間だった。


「何言ってんのよ、話しかけなきゃ何も始まらないでしょ」


「ま、まぁ...確かにそうね...」


薫にこんな風に正論を言われるなんて今までなかった。勉強面でもいつも麻美が薫に教える立場だったので、恋愛になった今、逆の立場になってしまった。


「急にどうしたの?」


「いや、なんでも」


「ふぅ〜ん、あっ」


薫の箸から卵焼きが落ちて、地面でぐしゃっとなった。

麻美はそれを見ると、頭の中でまたブルドッグが浮かび上がった。



放課後、早速ではあるがブルドッグ先輩に話しかけよう。

そう決意したものの、麻美の足は震えていた。


麻美はブルドッグ先輩の教室の前、いや、犬小屋と例えよう。犬小屋の前でブルドッグが出るのを待ち構えていたのだ。


やっとクラスのホームルームが終わったようで、ヅラヅラと3年生が出てくる。


出てきた、ブルドッグ先輩だ。

連中に犬は混ざっていた。


いけ!麻美!


「あ、あのーすみません」


「ガウ?」


なんということだ、反応まで犬じゃないか。

絶対にこの人の前世は犬だ。


しかし困った、話す内容を考えてなかった。

デートに誘う?いや、むりむりむり、それこそハードルが高すぎる。


「ブルドッグ、そんなところでなにしてるの?」


話しかけてきたのは、あの宮本先輩だった。


同じクラスなのか?いや、そんなことはどうでもいい。

まさか、本名ブルドッグ?なわけないか、あだ名だよね。


「あ、宮本くん...なんかこの女の子が僕に用があるみたいで...」


「へぇ〜そうなんだ」


宮本先輩が、二重まぶたで麻美の目をみつめる。確かに近くで見ると、ジャニーズレベルの美貌の持ち主だ。身長も170以上はあるだろう。

しかし、なんも麻美の心に響かない。響くのは犬の鳴き声だけ。


「君1年だよね?名前は?」


「立花 麻美です」


「立花さん、こいつになんの用があるのかな?」


宮本先輩が、ブルドッグ先輩の肩にポンポンと手をやる。


気のせいか、さっきからブルドッグ先輩が怯えているように見える。

心なしか、ガルルルルルと呻き声さえ聞こえてくる。


「いや、ちょっと...お話がしたくて...」


なんと答えていいのかも分からず、訥々とした口調になる。


「お話?はははは、こいつにかい?良かったね、ブル」


「わ、ワン」


ブルドッグ先輩が犬の鳴き声で返事をした。

どこなく震えていた。


「でもごめんね立花さん、今から俺とこいつでちょっと用があるんだ、また別の日にしてくれないかな?」


「は、はい」


宮本先輩のペースにのせられ、そのまま2人は麻美を置いて、行ってしまった。


麻美には人を見る目だけはある。あの宮本先輩、なにかあるな。

麻美の女の勘が働いた。



案の定、ブルドッグ先輩は宮本先輩にいじめられていた。

次の日の朝、麻美の推理通り現場は男子トイレで行われていた。

なんて典型的なのだろうと思いつつも、話の内容を外から聞いていた。


「今日いくらもってる?」


宮本先輩の声だ。昨日聞いた穏やかな声とは打って変わって、冷めきった声だ。


「い、1万円です」


その瞬間、鈍い音が聞こえた。

咄嗟に男子トイレを覗きこんだ。

宮本先輩がブルドッグ先輩の顔面を殴っていた。


「言ったよな?2人の時でも犬の真似はしろって」


「ワン...」


「ほら、はやく、1万円渡せ」


そのまま、男子トイレを覗くのには躊躇ったが見過ごせなかった。

ブルドッグ先輩が配布から諭吉を取り出すと、宮本先輩に譲渡した。


「あっ、それとお前あの女と知り合いなの?」


ブルルルとブルドッグ先輩が首をふる。


「そう、ちくったわけじゃないんだな?」


ブルドッグ先輩が頷く。


「よしよし、いい子だ、お手」


見てられなかった。


気づくと、麻美は男子トイレに足を踏み入れていた。

足音に気づいたのか、宮本先輩はこっちを振り返る。


刹那、麻美の右拳が宮本先輩の頬を食らわした。


「ぐへっ!」


マヌケな声が漏れると共に、宮本先輩はその場でしゃがみ込んだ。


「いい加減にしろゴラァ、あ?てめぇ黙ってみてたら器のちいせぇことばっかしやがって!それでも〇〇〇ついてんのか!?」


やってしまった、つい中学時代の元ヤンが出てしまった。

高校になったら大人しい女子になると決めていたのに。

ああ、これで高校生活も友達1人か。


宮本先輩は怯えた目でこちらを見据えた。まるで主の帰りを寂しく待つチワワのようだった。


「ご、ごめんなさいぃぃぃぃ!」


宮本先輩が典型的なセリフと共にとんずらこいて行った。


小さくなった背中が見えなくなると、麻美はブルドッグ先輩に目を向けた。


「大丈夫ですか?先輩」


「わ...じゃないや、うん、大丈夫だよ、ありがとう、本当に助かった、最高にかっこよかったよ!」


キュン


心臓が締め付けれた。

これが萌えきゅんというやつか。

たまらないではないか。


「どうしたの?顔が赤いよ?」


「あっ!いえ!大丈夫です!てか、はやくここからでないと誤解されてしまいます!」


麻美は必死になりながら、慌てふためく。


「あっ、それもそうだね」


2人はトイレから出る前に、周りにいないことをブルドッグ先輩に確認してもらうと、急いで出た。


「女の子なのに強いんだね...それに比べ僕はみっともない、こんな顔だからいじめられてたんだ」


「こんな顔だから好きになった」


「へっ?」


しまった、口に出てしまった。麻美は思わず両手を口で塞ぐ。


ブルドッグ先輩は鈍感なようで首を傾げている。


よかった、バカだなこの人。


「あっ!こっちの話です、そうなんですか、最悪ですね宮本先輩、噂とは全然違うかったので吃驚しちゃいました」


麻美が片言になってることにも、違和感を覚えずブルドッグ先輩はそのまま話を続けた。


そのままなんと、麻美とブルドッグは2人で一緒に帰ることになった。

色々な話をした。

犬の話、趣味の話、麻美にとって、それは最高の一時だった。


しかし、まるでそれが悲劇の前触れだったかのように思わせることが起きた。


次の日の昼休み、校内放送で宮本先輩に公開告白をされた。屋上で返事を待つというセリフを加えて。


クラス中の女子の箸からタコさんウインナーを落としていったのを覚えている。


一瞬本当に麻美の迫力に惚れたのかと思ったが、すぐに違うと気づいた。

これが、宮本先輩の策略なのだ。

とんでもない悪だ。

自分が女子にモテモテだということを知っており、あえてそれを利用したのだ。

これで、麻美は今日から女子からのいじめの的だ。


さっそく、その日のうちに教科書が次々へと消えていった。

机の上は落書きだらけ。

絵に書いたようないじめだ。


「なんでこんなことに...」


泣いていたのは麻美ではなく、親友の薫はだった。

泣きながら一緒に机の落書きを消してくれているのだ。


「なんで薫が泣いてるのよ、それに私一人でやるわ、こんなの誰かに見られたらあなたまでいじめの標的よ」


幸い放課後だったので、教室には二人しかいなかった。


「そんなのいいの!私はそれよりあさみんがこんな酷いことされてる方が我慢ならない!」


「薫...」


麻美も泣きそうになったが、我慢した。

その時、教室のドアが乱暴に開かれた。


「立花さん!大丈夫!?」


入ってきたのはブルドッグ先輩だった。


泣いていた薫の顔が、いつの間にか獣を見るような目でブルドッグ先輩を見つめていた。


「私は大丈夫、先輩こそ今日なにもされませんでしたか?」


「うん、今日は立花さんのおかげでなにもしてこなかったよ、なんか宮本くんはそわそわしてたみたいだけど...」


ブルドッグ先輩が麻美の机に視線を落とした。

ブルドッグ先輩の拳が震えてるのがわかった。


「だ、誰...?」


薫が耳打ちでブルドッグ先輩に聞こえないようにきいてきた。


「私の好きな人よ」


麻美も耳打ちで返す。


その瞬間、薫がミサイルに吹っ飛ばされたかのように後に飛んでいった。


「え、ええ!?どうしたの!?」


ブルドッグ先輩が驚愕する。


「う、うそ!?麻美本気でいってんの!?」


5mくらい先で、薫が麻美とブルドッグ先輩の顔を交互に見ながら叫んだ。

前までは言うつもりはなかったが、どうせいつか言うだろうということで、今話した。


「ほんとよ、てかふっとびすぎ」


薫がごめんごめんと謝りながらまた近づく。


そして、なんでこうなってしまったのかをブルドッグ先輩のことも含めて説明した。


「なるほどね、まさか宮本先輩がそんな人だったなんて...全校生徒に教えてあげたいわ」


薫がショックを受けているのが分かった。


「そうね...」


「僕、ちょっと行ってくるよ」


ブルドッグ先輩の声が震えていた。


「どこにですか?」


「屋上にだよ、僕がいけないんだ、僕のせいで立花さんがこんなことに」


屋上では、告白の返事を待つ宮本先輩がいる。本当に目的は別だろうが。

そこにブルドッグ先輩が行くというのだ。


「そんな、先輩のせいじゃないですよ!」


「いや!僕の責任だ!君たちは待っててくれ!決着をつけてくる!」


ブルドッグ先輩はそう言って、重い足取りで走っていった。


「あっ!ちょっと!」


麻美が止めるも、ブルドッグ先輩は走りすぎていった。


「あんなこと言ってたけど当然追いかけるわよね?番長」


薫がニンマリと笑いながら麻美に訊いた。

薫とは同じ中学で、数少ない麻美の過去を知る人間だった。


「その言い方はやめて、行くよ」


2人は決着を付けるべく、屋上に向かった。




頑丈な鉄の扉を開けると、拳を振りかざす宮本先輩とボロボロになって倒れているブルドッグ先輩がいた。


「なにしてるの!」


麻美が2人に向かって叫ぶ。


「あっ」


宮本先輩がこちらを振り向いた。

暑くなったのか、宮本先輩の頬は赤く染まっていた。


「たちばな...さん...」


ブルドッグ先輩が、今にも死にそうなバトル漫画のキャラクターみたいなセリフを吐いた。


「先輩!」


その間に、宮本先輩が何故か顔を斜め下に向けながらこちらに近づいてきていた。


「来るよ」


薫が神妙な面持ちで、これまたバトル漫画のキャラクターみたいなことを言った。


「ええ」


麻美がファイティングポーズをとって、左右に軽くリズムステップを刻んだ。


拳が届く距離まで宮本先輩がきて、殴りかかろうとする。


「それで...返事はどうなんだよ...」


殴りかけた右拳が思わず停止した。


「は?」


意味もわからず、麻美は戸惑う。


「だから...告白の返事はどーなんだよ...」


宮本先輩が頬を赤らめながら、ずっと目をそらし、斜め下を見ている。


まさか、あの公開告白は本気だったの!?


度肝を抜かれた。


馬鹿すぎる。どこの人間に校内放送で告白するやつがいるのか。迷惑を考えて欲しい。


隣の薫も開いた口が塞がらないでいる、


「立花さん!そいつと付き合うことなんてないよ!」


どうやらブルドッグ先輩はあれが本当の告白だと思ってたみたいだ。さすが鈍感だ。


「え、ええと...」


すっかり麻美は戦闘モードだったので、熱が冷めていき、言葉がでないでいた。


「惚れたんだ!君の右ストレートに!」


まるで、路上喧嘩をたまたま眺めていたボクシングのスカウトマンのセリフだ。


「そ、そんなこと言われても...今私、あなたのせいでいじめられてるんです」


「なに!?」


やっぱり男というのはアホだ。

お父さんが、お母さんが通う病院の医者と浮気をしていると勘違いしていた時もそうだった。

相手はよぼよぼの定年間際のおじいちゃんだというのに。


「はぁ...もういいわ、とにかく邪魔だから眠って」


麻美は華麗に首筋をチョップすると、膝から倒れ込み気絶した。

隣の薫が「ひゅ〜」と口笛で煽った。


麻美は倒れ込むブルドッグ先輩の元に駆け寄って、手を差し伸べた。


「ありがとう...」


ブルドッグ先輩は申し訳なさそうにして、手を借りた。


「ごめ...」


「ありがとうございます!」


ブルドッグ先輩の言葉を遮るように、麻美が覇気の籠った声で言った。


「へっ?」


ブルドッグ先輩がポカンとして、首を傾げる。


「私のために飛び出してくれたじゃないですか」


「それはそうだけど...返り討ちだったよ...向こうはなんで僕に殴られそうになってるか分からなかったみたいだけど」


「それでも嬉しかったです!」


ブルドッグ先輩が照れた素振りをみせる。


よし、告白するなら今だ。


麻美は薫に視線を向けると、出て行けと顎で合図する。

薫はニシシと笑いながら屋上から姿を消した。


麻美が大きく深呼吸をする。


「先輩!」


ブルドッグ先輩がビクッとする。


「一目惚れでした!好きです!」


顔が真っ赤になってるのがわかった。告白がこんなにも緊張するとは思ってもみなかった。


さあ、ブルドッグ、どうでる?


麻美はブルドッグ先輩の顔を直視出来ず、目を若干横に逸らしていた。


「え、えーと...」


やばい、困ってるではないか。このパターンはまさか失恋エンドか!?


やがて、ブルドッグ先輩の口が開かれる。


「一緒にペットショップのブルドッグ見に行く?」


天然ボケエンドだった。


麻美は思わず笑いがこみ上げてきた。

ブルドッグ先輩は「え、なんで笑うの?」と首を傾げたが、もう麻美は説明しないことにした。

まだ時間はたっぷりあるんだ。

 

そう言えば3日も経って、ブルドッグ先輩にひとつ聞き忘れていたことを思い出した。

なんで今まで聞き忘れていたんだと、自分でも吃驚した。


「先輩、名前はなんですか?」


「あ、言ってなかったっけ?ニコライ・ブルドッグ」


まさか、本名だったとは。

しかも外国人。

目はほとんど閉じていて瞳の色が分からなかった。髪色も茶髪。


麻美は開いた口が閉まらなかった。

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ブルドッグ 池田蕉陽 @haruya5370

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