中国・六四天安門事件…

中国 天安門事件35年 北京は厳戒態勢 追悼や抗議活動を警戒

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240604/k10014470091000.html


1989年6月4日、中国北京で発生した大規模な市民弾圧事件は当時、単に天安門事件と呼ばれていました。これ以前にも似たような天安門付近で発生した1976年の天安門事件と区別するために(いつのまにか)「六四天安門事件」と呼ばれる用になった事件です。


ワイはこの時、まだ子供で学生でした。当時は今のような外国の情報が自由に簡単に取得できるような高度なインターネットネットワークもなく、また情報源は主にテレビで、しかも共産主義国から国際生放送があるというだけで驚き…という時代でした。この10年前にはソ連(今の露を始めとする15共和国の領域)や中華人民共和国は「鉄のカーテン」の向こう側で、正直、何をやってるのかよくわからない程でした。例えて言うならば「ボラー連邦」みたいな感じで彼らを見ていた程です。つまり「他の星の生き物」もしくは「ワープしないと行けないような国」という感じでした。飛行機に乗るということ自体、夢物語に近く、現在で言えば宇宙ロケットに乗るような感じか金持ちなどエリートだけが享受できる…くらいの感じです。


とはいえ、1989年時はかなり変化もあり、バブル期に海外旅行もできるようになったために「それなりに」情報が手に入るようになったのも事実ですが、現在とは全く感覚は違うということだけは念頭においていただけると助かります…m(_ _)m


 ※     ※     ※


ワイが六四天安門事件を知ったのは主にテレビでした。当時、中国は改革開放路線を取り、急激に資本主義化していた時でした。かなりリアルに即時放送されており、ほぼタイムラグなしで北京で発生していたことが東京(の三軒茶屋)でもテレビで見知っていたのです。


文革後の中国で改革開放路線が始まり、庶民の所得向上に伴って民主化への希求が自然発生的に(散発的に)発生。これをうけてか中国共産党内での路線対立が生じ、当時、改革派と言われていた胡耀邦氏が事実上の更迭。その後、「なぜか突然」死去するという事が発生してから中国で騒動が起き始めた…というのが当時の我々の理解でした。


当時から「中国共産党内の権力闘争」といわれ、そのため胡耀邦氏の死自体が陰謀論風に語られるなど不隠な動きがあり、死去(確か4月か春先)後に大学などで民主化要求が発生し、その後、天安門広場に学生らが集結。ここから「解放区」のような様相を呈してきた…ということでした。


さて、この時、我々東京での見方ですが、意外かもしれませんが2つに割れていたように思います。一つは「このまま民主化するのではないか?」という「中国で革命が起きる」派です。もう一つは「弾圧されるのではないか?」と危惧する人たちでした。日本では後者の方が多かったように思います。


ワイ個人はどうだったかというと「この人たち(=天安門広場の大群衆)、このあと、どうやってこの事態を収拾するつもりなんだろ?」という漠然とした不安を感じていたものでした。


学生だったワイは正直、70年代から日本や世界で続く暴力的な学生運動に対して「極めて否定的」でした。この天安門事件もまた北京大学などの大学学生運動から始まったことや、テレビで「権力闘争の側面がある」ということが詳細に解説されていた事から中国共産党内の権力闘争に利用されてるだけではないかという疑念に加え、改革開放路線が軌道に乗りつつある時に全てをひっくり返そうとするような暴力的…ということは最悪、文革への逆戻りもあり得るのではないかという懸念も持っていました。


中国の歴史は日本の歴史と違い、民衆暴動から革命が発生し、政権がひっくり返るということがしばしば発生してきた…というのを当時のニュースで詳細に中国史を紐解いていたことから、この民衆革命は成功するという見方さえあった程でした。

「それならそれで良いのでは?」と思わなくもなかったのですが、当時のワイは学生でありながら「社会を知ってるわけでもない学生が革命を起こし、国を起こしても成功するはずはない」と考えてもいました。中国史で民衆革命による政権が誕生しても大抵は長続きしなかったからです(いや、漢帝国はどうなの?…と言われればそうかもしれませんが)。国家経営は理想でやるものかもしれませんが、素人でできるものではない…と当時から突き放して見ていたのも本当でした。


当時の日本はバブルで浮かれており、中国での出来事に無関心だったのも事実で、ワイも「遠い別世界での出来事」程度の認識しかありませんでした。しかし6月になり、天安門広場からの中継を見ていた時に、すでに天安門広場にいる多数の学生ら市民の中に複数の派閥が出来、徹底抗戦派と柔軟路線派などにバラバラに分裂。対決を望まない一部の人たちが天安門広場から去っていったというニュースを鮮明に覚えています。このため、ワイとしては過激派が天安門に残って革命をおこすつもりではないか? しかし人民解放軍はこれまで多数の自国民を殺害してきたのだから「殺る」のではないか?? …と不安視するようになっていました。


その後の展開は皆さんのご存知のとおりです。

戦車や軍による弾圧の様子は隠し撮り含めて極めて膨大な量が日本にも配信されました。「ひどいことになった…」と、しかし思ったとおりの展開だったと見ながら感じたものでした。日本でも学生運動や左翼によるテロ・暴動が頻発していた時代がありましたが、戦車で轢き潰すことはなかったので「これが共産主義国のやり方か…」と改めて感じたものでもありました。まだ生まれていなかったプラハの春などの暴動鎮圧もこうやっていたのだろうな…と共産主義の理不尽さを感じたものでした。


しかしその後の中国がどうなるかは当時のワイにはわかりませんでした。西側は経済制裁を加えていて「確かに正義」を示したかもしれませんが、いずれは無関心になるだろうと直感もしていました。事実、そうなりました。


この時、ワイが感じたのは「学生たちは何処に落ちどころを持っていこうとしていたのだろうか?」という疑念でした。十分に計画し、思案して慎重に事に当たらなければ全てが灰燼に帰す…と当時から考えていたからです。確かにワイが左派的な直接行動に否定的だったのは否めません。よって学生運動家たちにシンパシーがあまりなかったのは事実です。しかし逆にいえば「暴走する正義」という疑問を「天安門広場の殺された学生たち」に感じてもいたのです。


この事件はワイにとっては「小さな出来事」でした。特に人生に大きな影響を与える出来事ではありませんでした。ワイが中国人ではないことや暴力革命に否定的な事などが理由です。

しかし同時に「共産主義は人・政治権力・構造含めてこの世から抹殺しなければならない」という確信を持ったのも事実でした。ワイが新自由主義へと徐々に傾倒していくきっかけの「小さな一つ」ではありました。「国家や政治、イデオロギーが人の上にたち、権力を奮ってはいけない」という「小さな政府論」とリバタリズムの本質でもある「無政府主義的資本主義」を確信させる出来事ではあったのです。「平等」なる偽善をテーゼとした全体主義=共産主義という確信でした。


革命にも否定的で、国家や思想にも否定的。暴力革命に否定的なので平和憲法も肯定的…という、ある意味「矛盾した保守」ともいえそうなワイの思考は、それでも確かに六四天安門事件によって、さらに一歩前に進めることになったのです。


いまでも思うのですが、もし彼らに言えることがあるのなら「天安門広場から解散しろ」と言うだろうな、ということです。彼らは偉大な民主主義者であり、自由を求めていたのでしょう。実際には改革開放により貧富の格差や絶望的な当時の中国社会に対する強い危機感もあったことでしょう。その意味では「大切な、価値ある中国の愛国者たち」だったのであり、軍隊ごときに轢き潰されて良い人材ではなかったのです。


彼らは死んでよい人たちではなかったのです。なのでワイは「今は撤退すべき」とさとしにかかっただろうと思います。国内の分裂は国力と自分たちの生活の破滅をもたらすことも、すでに判っていましたし、日本国内の暴力沙汰にうんざりしていていた(当時の日本の治安はいまより遥かに悪い)こともあったからです。なにより彼らは生きてその後の中国の「民主化」に寄与すべき有為で偉大な志をもったひとたちだったはずだからです…。


 ※     ※     ※


その後、大人になり、カネから見るようなクセが付きました。香港の自由化・民主化要求とその挫折も似たように考えていたのは事実です。思うに香港の学生たち含めた若年層の失業問題や将来の生活苦の問題〜特に劣悪な住宅環境や気狂い沙汰な不動産価格により、若者たちが自分の将来に希望が持てないことが香港暴動の主因であり、民主化は「しなければ自分たちの将来の生活が見えてこない」という切実な経済問題〜死活問題があったからこそ、あれだけ激しく戦えたのでしょう。これを挫折させた以上、やはり中国共産党には「正当性はない」というしかないのではないでしょうか?


大きな政府は悪い政府。よって全体主義は否定されるべきものです。共産主義や権威主義、民族主義や国家主義などです。個人の生活や未来を潰してしまうものだからです。

と同時に暴動や騒乱、デモやテロによって社会を「良い方向に変えよう」とする(特に若い人たち)は「正しいのかもしれないが、そのやり方はやめるべき」ではないかとも思うのです。


そう考えるとガンジーは偉大だったのだな、と思います。武力闘争で勝てないのなら、頭を使って勝つ…というのは、なかなか勇気のあることだったのだなぁ、と改めて思いますね。無論、ガンジーにあったことはないのですが…

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