果てしない世界

さんぼんせんろっく

第1巻 リリィ・アレグリア

第1章 義賊『エロイカ』

プロローグ【エロイカ】1

「ごめんなさい…ごめんなさい…」


 満月の夜。月明かりが照らされる森の中で籠を抱えながら涙する女性が一人。

 腰まである長い髪は白く妖艶に光り、真ん中から分けられた前髪の額から一本の赤い角が生えている。

 赤く染められ白い花柄の模様がたくさん付いた振袖は普段であれば愛らしく女性がまだ歳若いことを示すであろう。しかし、ボロボロに裂けては破れており見るも無残な姿になっていた。

 女性の顔に肌に無数の傷があり血が滴っては凝固しており幾ばくか時間が経過していることを伺わせる。

 その女性はか細い声で籠の中にいる赤子に向けて何度も何度も謝る。赤子は先程まで泣き叫んでいたのだろう。目元には泣いた跡があり、時たま眉を潜めながら親指を咥えて寝ていた。


「本当にごめんなさい…ダメな母親でごめんなさい…」


 涙が一滴一滴と赤子の頬へと落ちていく。自身のことを母親と言うが父親の姿は見えず、森の中で佇むのは女性のみ。赤子の頬を撫でると籠を地面へとそっと置く。


「きっと…お父さんに似て将来は凄くかっこ良くなるわ…」


 頭を優しく撫で続け名残惜しそうにしている。


「ここなら…きっと大丈夫だから…良い人に…拾われてね…」


 まだまだ頭を撫で続けており離れられそうにない。


「本当にダメね…けど…もう行かなくちゃ…」


 そう言うと女性は首の後ろへと手を伸ばしフックを外す。スルリと手の平に落ちるのは赤く輝く卵型の石。

 表面には何かの花を連想させるような模様が描かれている。

 石のてっぺんに小さい輪っかが付けられており、紐が通されていてネックレスになっていた。

 それをそっと赤子の胸元に置く。


「ずっと…お母さんもお父さんも貴方のことをずっとずっと見守ってるからね…。愛してる…ずっと愛してる…」


 赤子の頬に手を添えながら一呼吸置いて


「お母さん…行くね……また…きっといつか………」


 額にキスをし名残惜しそうに頭から頬へと伝い撫で女性は立ち上がる。赤子を見つめたあと、女性は森の暗闇へと消えて行った。



――――



 太古より昔、神と竜との争いにより出来たとされる八つの大陸からなる世界――《シンフォニア》

 その神話は今や忘れさられ、神は信仰の対象へと、竜は空想上の生き物へと移り変わっていた。

 八つの大陸には多数の国があり、人間が治める国だけではなく亜人が治める国もある。そしてここ数百年、国家間同士の多少の小競り合いはあるものの戦争までには発展せず、魔物の活発化による討伐に追われていた。

 

 そんな、多数ある国の一つ。アマデウス国家の辺境、南西に位置したロール街にて、大きな麻袋を担ぎ街中を走る男が一人。


「ちぃっ!とうとう気付かれてしまったか!」


 舌打ちしながら後ろを振り返るが人影は見当たらない。

 時間は真夜中である為、日中の賑やかさとは打って変わり静まり返り、周りに人はおらず走るのは麻袋を担ぐ男のみ。

 そして、麻袋の中からガチャガチャと金属が当たる音が辺りに響き渡る。

 男はどこに行くわけともなく行く場所があるわけでもなく、ただひたすらに走る。


「早く逃げねぇと!が追ってくる…!」


 しばらく走り続け、この大きな通りではすぐに見つかってしまうと判断した男は目に付いた角を右折し、路地裏に入り息を潜める。

 辺りを見渡し人の気配を探りながら、今後のことを考えながら路地裏を左折し右折しゆっくりと歩いていく。

 そして左に曲がったところで不意に後ろで物音が聞こえ、驚きの声を上げたあと振り向く。


「ひぃっ…」


 しばらく震えながら物音の正体を探ると物陰から出てきたのは一匹の猫だった。


「にゃぁ」

「ちっ!猫かよ。しっしっ!」


 猫は甘い声で鳴きながら男の足元まで来ると脛に身体を寄り添わせ、顔を見上げてもう一度鳴く。あっち行けと言わんばかりに足を蹴り上げると猫は瞬く間に走り去って行った。すると今度は後ろから甘い音色で声が掛かる。


「にゃぁ」

「あぁ?!ここは猫の楽園かよ…?」


 俺にはやる事があるんだと苛立ちながら眉を顰め前を振り向くと、先ほどまで居なかったはずの気配があり男は息を飲む。そして、気配はまた甘い音色で口を開く。


「にゃぁ」

「――っ!だっ誰だ!」


 すぐにそれは猫のそれではない事に気付き、たまらず男は腰に差している剣を引き抜く。


――暗闇から姿を表してくるのは黒装束の人間


 背は高く濃い茶色の髪をオールバックにしており左目には眼帯。黒装束によりはっきりとは分からないが、その内側は鍛えられたであろう身体が雰囲気から相当な手練れであろうことが見て取れる。そして、男はその黒装束に見覚えがあった。


「きっ貴様!どうやってここが!」

「にゃぁ」

「ぐっ…!」


 驚きよりも恐怖が勝り剣をわなわなと震わせながら男はこれまでのことを考え、思い浮かんだ一つの疑問を口にする。


「あっあいつらはどうした!高い金を払ったんだぞ!」


 事務所には高い金を払い雇った用心棒が二人いたはず。それも裏界隈で有名な奴らだ。そして、構成員も数十人いたはず。そう易々とやられはしないはずだと男は思うのだが眼帯からは気のない返事しか返ってこない。


「にゃぁ」

「――っ!にゃぁにゃぁ、うるせぇんだよ!」


 眼帯に向かって走り剣を一回二回三回と振り回すのだが、難なく短剣によって弾き返される。そして、四回目。

 剣を振り下ろしたのだが弾き返されたかと思うと剣は真ん中から折れて男の真後ろへと飛んでいった。

 たまらず、男は後ずさりをして腰の後ろへと手を回す。


「ちっ!俺はここで捕まるわけにはいかないんだ…よっ!」


 手に持った丸い玉を地面に向けて投げつけるや否や辺りに煙が舞い上がる。煙により眼帯が見えなくなったと確認した後、後ろを振り返り走り出した。


「こっここで捕まるわけにはいかねぇ…。そっそうだ!一旦、街を出て姿を消そう。それがいい。そして、騒ぎが治ったあと戻ってきてもう一度組織を一から作るんだ…っ!はは…ははは!」


 男は街へ出る門はどこだったか思い出す。ロール街には東西南北に一つずつあったはずだと。ここから近いのは東の門だと気付くとそこへ向けて進路を変える。


「出るなら、そのまま南から出れば良かったぜ…少し遠回りになってしまったが、ここを右に曲がり左へ曲がれば…っ!」


 大通りだ、門を出ればこっちのもんだ!と喜びもつかの間、上から先程の気のない猫の鳴き声が聞こえてきた。男は立ち止まり、上を向くと影が飛び降りてきて、男の数メートル先に降り立つ。


「にゃぁ」

「くそっ…!ここで終わるわけにはいかないんだ!死ねえええええ!」


 あと少しで街から出られるという期待から男は焦り、拳で真っ向勝負を挑んでしまう。しかし、殴りかけた拳は打ち払われ眼帯に当たることはない。


「くそっ!くそっ!くそっ!」


 眼帯は余裕がある様子で次々に男の拳を打ち払っていく。段々と埒のあかない状況に苛つき、男は担いでいる麻袋を眼帯に目掛けて投げつける。

 もうこの際、金なんかいらねぇ!逃げれば良いんだ!逃げれば!そして、俺は一から組織を立て直すんだ!と。

 しかし、その麻袋は男に当たらずにそのまま床へと落ちる。眼帯がいない!と思ったのもつかの間。男は下からの衝撃により飛び上がる。


「がはっ…」


 眼帯は投げられた麻袋をしゃがみ避け、そのまま男の下まで詰め寄っていた。下からのアッパーにより男は飛んだのだが、眼帯は男の襟を掴むと地面へと叩きつける。

 男は衝撃により肺の空気が吐き出され苦しそうに呻く。

 その間に男の手を足を縛ると、眼帯はマスクを下へとズラす。そして空を見上げて用心棒を任せた癖っ毛のあるボサボサ頭のことを考える。


「さて、あっちももう終わったかな?」



――――



 事務所がある建物の前で男は槍を構えながら倒れているもう一人の雇われた男を見る。


「おい、坊主。なかなかやるじゃねぇか…」


 目の前にいる癖っ毛のあるボサボサ頭の黒装束の男へと視線を戻す。しかし、そのボサボサ頭からの返答はない。

 短剣をクルクルと上へ飛ばしたり持ったりしながら、槍を構えた男を値踏みしてるかのように睨んでいる。

 槍の男は返答がないこと、余裕がありそうな感じに少しずつ苛つき始めていた。


「ちっ!話す気はないってかぁ!」


 一歩大きく踏み出し槍を勢いよく突き出しボサボサ頭を突こうとしたのだが紙一重で躱されてしまう。

 しかし、先程の戦闘でボサボサ頭の実力を知った為、狼狽えず槍を引いては更に突く。

 それも躱されてしまうのだが引いては突く引いては突くを繰り返していく。


「おらおらおらぁ!どうしたよ!逃げてばっかりかぁ?!」


 男は挑発しながら槍を突いていくのだがボサボサ頭には何も変化がない。そして、槍を突くと見せかけボサボサ頭の手前で槍を下へと下げると引っ掻くように上へと折り返す。

 しかし、それをしゃがみ躱すボサボサ頭。


「ほう…今のを躱すか。だが、逃げてばかりじゃつまらんぞ!」


 今度は槍を上段に構える。ボサボサ頭は今度は短剣二つを構え対峙する。ほんの数秒、睨み合ったかと思うと先に動き出したのは槍を持つ男だった。


「はぁっ!」


 上からの攻撃。それを双剣で受け止めるのだが、槍の重さはすぐに消える。今度は横から薙ぎ払うが如く槍が襲ってくる。

 ボサボサ頭は受け止めた手が上にあった為、次は受け止めるのが無理だと判断し後ろへ飛ぶのだが、男はそれを見てニヤリと口角を上げる。


「もらったぁ!」


 大きく前へ飛び掛り、槍を引っ込めたあと前へ突き出す。討ち取った。男はそう確信したのだが、肉体を貫いた感触がない。一瞬、呆気に取られたがすぐさま意識を下へと向けるが、気配がないと分かると。


「上かっ!」


 上を見上げるとボサボサ頭は既に男の頭上を飛んでおり、右手から何かが投げられてきた。

 頭上で槍を回転させ投げられてきた物を防ぐ。

 地面に落ちる三つの投げナイフ。

 そして、ボサボサ頭は着地したと同時に男に向かって襲い掛かる。

 右から左から短剣を打ち込むのだが槍で防ぐ。そして、短剣以外ではなく蹴りまでも追加し叩き込んでいく。槍で防いで入るものの打ち込む、叩き込む速さが徐々に早くなっていく。


「くっ…!」


 段々と防ぐのが覚束なくなってきた瞬間、ボサボサ頭の気配が消える。そして、足に衝撃があったかと思うと男は倒れる。

 足払いか…!と気付くのだが倒れたところをボサボサ頭が短剣で襲い掛かってきた。それを転がり躱し、すぐさま立ち上がるのだが、目の前にはもうボサボサ頭が迫っていた。

 そしてまたも短剣に蹴りにと打ち込まれていく。

 男はこのまま防ぐばかりでは無理だと判断し、大きく後ろへ下がると槍を下段に構え、打ち込むんできた手を槍で払う。

 そして、半回転し背中から槍が見えないようにし腋から石突を突き出す。が、上からの衝撃により地面へと叩き落とされてしまう。


「ちぃっ!小賢しい!」


 そのまま石突を地面に突き立て、男は飛び上がりボサボサ頭の背後を取ると穂で突く。ボサボサ頭はそれを回転し避けると、そのまま回り男の近くへ行くと顔面に裏拳を入れ、よろめいた反対側から蹴りを顔面へと打ち込む。

 そのまま男は数メートル吹っ飛ばされる。


「ぐっ…」


 モロに受けてしまった為か立ち上がろうとするも力が入らず立ち上がれない。その男の元へボサボサ頭はやってくる。


「もう、終わりですよ。大人しくしててくださいね」


 息切れも起こさず落ち着いた雰囲気のボサボサ頭。それを見やうと男はクソッタレと一言悪態をついて意識が途切れる。

 先に倒した男の手を足を縛り、次に槍の男の手を足を縛る。そこへ事務所の扉を開き小太りの男が出て来る。

 倒された用心棒二人を見て、さも当然のように口を開き。


「そっちも終わったみたいだな。こっちの構成員も片付けたぜ」

「こっちも無事に捕まえたぞ。これでここのは終わりか」


 暗闇から姿を現したのは麻袋を持ち、縛り上げられた太った男を担いだ眼帯の男だった。ボサボサ頭は眼帯の言葉に頷くと一言。


「はい。これで、ここは一段落…ですかね」

「そうだな。営業の権利書なども回収してきたから元あったところに返すのみなんだが」


 小太りはそう言うと眼帯に視線を移す。眼帯は麻袋を持ち上げて金も取り返したぞと表現する。ボサボサ頭は達成感を得た笑みを浮かべながら眼帯へと意見を仰いだ。


「こいつらは、どうします?」


 ボサボサ頭の指し示す方には縛られた用心棒二人と太った男が一人。眼帯は暫し考え込むと


「身包み剥いで街の中央にでも置いておこうか。俺たちは人殺しでもなく裁く人間でもない。ここから先の裁きは自警団にでも任せよう」


 了解とボサボサ頭と小太りは返事をすると男達の服を剥いでいく。


「さて、あとは裏で繋がっていたビリーという商売人のやつとこだな。権利書と金、そしてそいつらの事はエド、頼んだ。あとで先日の作戦通り合流しよう」


 エドと呼ばれた小太りはオーケーボスと返事する。眼帯はボサボサ頭へと目をやると顎を使い行くぞと告げる。


 そして、眼帯とボサボサ頭は壁を蹴り上げて屋根へと飛び上がると走り去って行く。

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