>キャラクターと「さよなら」するのが嫌だから
すごく分かります!
小説としては終わっても、彼らの人生はその先も続いていってほしいですよね。
私は、長編は必ずハッピーエンドにします。短編はバッドエンドもちょいちょいありますね。
長編のエンディングで拘っているのは、「物語の冒頭シーンとリンクさせること」です。
トラックの運転で始まってトラックの運転で終わったり。
「オペレーション!」で始まって「オペレーション!」で終わったり。
ストーリーが『円環』のイメージで、物語が終わることで一つの環が閉じる……と見せかけて、実は螺旋になってるといいなと思います。一周して、一段上がってる(成長してる)感じ。
作者からの返信
今回のコメント、うなづくことばかりです。
陽澄さんがこだわっている、物語の冒頭シーンとリンクさせること、というのはまさに自分も考えている事だったんです。
自作でも例えば若君は棺桶で目覚めて、同じ棺桶で眠りにつくラストにしてました。まさに円環が閉じるを目指していたんです。
こういう構成ってなんかすごく好きだし、やってみたいことなんですよね。私が陽澄さんの作品の読後感がすごく好きな理由はこの辺りにあるんだろうな、と改めて思いました。
まさに『往きて還りし物語』こういうの楽しいですよね!
読み終えた満足感がありますよね。
キャラクターとさよならするのが嫌、というのは心底同感です。
まだ途上で、この先も紆余曲折ありながら、物語を紡いで生きてほしいと思ってしまいますね。
わたしは下書きの段階で、『起』の次に『結』を書きました。
スタートとゴールを用意して、走ろうと思ったわけです。
しかし障害物競走のような借り物競争のような、どうにも真っ直ぐとは行かせてもらえない。
思い描いていたルートを塗り替えるように、『承転』を経て、蜃気楼の先にあった『結』を迎えたような感じでした。
『読後感の良い小説』はわたしにとっても、読みたい小説であり、書きたい小説(目標)です。
実は二尋さんの自己紹介を拝見して、「そうだなあ」としっくりきた言葉でもあります。
そしてバッドエンドは苦手ですね。
どうしようもないやるせなさに包まれて、なんだかシュンとしてしまいます。
作者からの返信
せっかく生まれてきたキャラクターですからね、エンディングでサヨナラはちょっとさびしいですよね。どうせならこの後も幸せに暮らしましたとさ、という余韻が欲しいものです。
ハジメとオワリを決めて書くスタイルの方はけっこう多いようですね。同時にちゃんとエンディングに向かっていかないというのも共通する悩みのようです。
でもそれもまた創作の楽しみなんですよね。
そして読後感。
これはやっぱり大事ですね。何でもいいからちょっと心にいい風が吹くようなモノ。そんなのが理想です。
映画『ロッキー』
試合には負けたけど、あのラストしか考えられません。
はじめ人間ギャートルズの最終話も大好き(ネタバレになるので言えないのが残念)
ディズニー的でハリウッド的なハッピーエンドって実は結構難しいのかと。
未来世紀ブラジルはラストが2種類あります。アメリカ用のハッピーエンド。そしてテリー・ギリアム監督が考えていた元々のラスト。
もちろん、後者の方が面白いのは言うまでもありません。
作者からの返信
相応しいエンディングってありますよね。
これはもうこうなるしかない、っていうの。
ギャートルズのエンディングは知らないので今度見てみたいと思います。
ディズニー的、ハリウッド的なエンディング、ピクサー絡みの作品見てしみじみ思いますが、よく考えられているなぁと思いますね。ストーリーからエンディングまでのちょっとフックの効いた展開はすごいですよね。
たぶん脚本チームみたいな人たちが考えてるんでしょうね。
未来世紀ブラジル、ずいぶん昔に見た記憶が。
テリーギリアムはホントすごいですよね、さすがパイソンのメンバー!
私はラストまで完璧に決めてから書き始めますが、『転』の辺りで見事にひっくり返されますね。こいつら(キャラ)が勝手にやりたいように動き回りやがる!
作者シカトすなー! ちゃんという事聞けー!
なんて言っても、そっちの方が面白かったりするから、作者の方が根負けします。
で、ハッピーエンドとバッドエンドですが、私はやっぱりハッピーエンドが好きなので、そっちに持って行く傾向がありますね。
1作だけ例外があって、1話目でバッドエンドをガッツリ提示しているうえ、途中もどんどん悪い方へ向かっていって誰にも止められないという救いの無い話を書いてます。
これはハッピーエンドだとテーマから思いっきり外れてしまって、非常に安っぽい話になってしまう。そういうのも中にはありますよね。
これは無しだろ!って言うのもあります。
一人称主人公視点でずっと書き進めてきたのに、最後の最後で別の人の視点で語られたりした日にはがっかり。
作者からの返信
如月さんのGIFTはすごく面白かったですね。
ちゃんとハッピーエンドでしたしね。
他のどの作品とも似ていないのにちゃんと如月印になっているのがまた楽しかったですね。
如月さんの作品ではやっばりハッピーエンドを期待してしまいますが、逆にバッドエンドも見てみたくなりましたね。
どんな闇が見られるのだろう? なんて。
ちなみに人称の話は同感ですね。
のめりこんでいたところから、引き離されるのはやっぱり嫌ですね。
エンディングは基本ハッピーエンドが好きです。
自分で書くものもそうですが、たとえ人死にがあるドラマだとしても「めでたしめでたし」で終わらせたい。
後味の悪いものや「どうしてこうなった」と考えさせられる物語も読みますが、心の底から好きにはなれない。
こればかりは好みの問題だとは思いますが、だからこそ自分で書くものもそうでありたい。満足して本を閉じて欲しい。
そして「結」はプロットの段階でだいたい決まっています。
って考えなおしてみると事前に決まっていないのは「承」だけですね!?
だから書く時苦手なのかもしれません……。
とハッピーエンドだとしても確かに「ご都合主義」が強すぎる、無理矢理ハッピーにしたものは気になっちゃいますね。
これはおそらく書き手目線なのだと思いますが、創作物はいくらでも作者の「ご都合」で曲げられる以上、最低限そこを感じさせないよう配慮しなければ世界に入り込んでもらえないと思うのです。
結構、このあたりは周囲に聞いてみると「気にしない」という方が多くて、統合性や理屈よりも感情が満足するかに重きを置いている気がしますね。
そのあたり、温度差を埋める匙加減が難しい。
作者からの返信
草詩さんの話はすごく共感できます。
やっぱり満足して本を閉じたいですよね。
ご都合主義のハッピーエンドは私はけっこう気になるのですが、気にしないという方も多いようですね。
少年漫画では死んだと思っていたキャラが実は生きていた、しかもエンディングで登場、みたいなパターンがそれだと思うのですが、良かった半面モヤモヤが残ったりしますよね。
編集済
ええと……
コメントしようかどうか、ずーっと悩んでいたら、応援マークとコメントに、こんな時差が(笑)
薄目で読み流して頂ければと存じます。
「バッドエンド」が、「暗い、または悲しい結末」ならば、内容によっては大丈夫なものもあります。
web小説ですと適当な例が思い浮かばないのですが、『白鳥の湖』なら、悲劇ラストの方が好きです。
悲しそう過ぎて私も通しで観られない『フランダースの犬』も、ハッピーエンド型のラストのものは違和感を覚えてしまいます。
これは、悲しいラストの方が私にはストーリーとして納得できる、ということと、主人公の願いは叶っている(二人は結ばれる、ルーベンスの絵を見られた)からなのかなあ、と思います。
悲しい必要がないもの、「読者を泣かせるために不幸てんこ盛りラストにするぞ」みたいな意図が見えてしまうものは、あまり得意ではないかもしれません。
ハッピーエンドは、読んでいて心地いいですよね。
それなのに私は、どうもいまひとつさっぱりしないハッピーエンドにしてしまいがちです。
最終的に負ける、敵や悪役っぽい立ち位置のキャラの背景に、心を寄せるような描写を入れてしまうのです。
やっつけられる側の痛みや苦しみを思うとつらくて。
……申し訳ありません、長くなってしまいました。
作者からの返信
眞実さんコメントありがとうございます!
眞実さんもエンディングはいろいろと悩まれていた覚えがあります。まぁこのテーマを持ってきたのもそれが印象に残っていたせいもありますね。
眞実さんの作品を読んだ感じでは、八方丸く収まるエンドはちょっと飛躍がありますよね。みんなできるだけのことをして頑張って、最善の結果は残している。現実はそんなに甘いものばかりではない。それでも頑張ることで未来は変わるし、ちゃんと好転する。
そんなメッセージが伝わる気がしています。
ファンタジーをベースにしつつ、あくまでリアルに寄り添う作風であれば、やはりそういうエンディングこそがふさわしいと思いますし、それはそれで読み手に届くものがあると思います。
それはそれで余韻の一つですね。
ちなみにフランダースの犬は私見れないんです……
他の名作劇場はほぼ全て見ましたが、あれだけは見られない。話の断片は知っているのですが、それだけに。
キャラクターの幸せを願うと、一部悪漢は除いても、メインキャラクターは、ハッピーエンドの魔法にかけてしまいます。それから、エンディングは、プロローグに呼応するエピローグを作る場合があります。バイオリンをひいてはじまり、再びバイオリンで終わるなど。又は、第一世代の子が活躍後、第三世代が生まれ、第二部で、第三世代と第二世代が活躍とか、血の繋がりで登場したりします。それにしても、拙作をラストまで読んでくださる方がいた時は、とても驚き、感謝をしました。いきなり、カクヨムコン2の大晦日デビューだったので、右も左も分からず。読者選考の意味も分からなかったですね。やってみたいエンドは、一年後どころか、もっと二十年後の皆を描くとかしたいですね。
作者からの返信
ハッピーエンドの魔法、いい言葉ですね。
それこそが求めているものかもしれませんね!
私もプロローグに呼応したエピローグという構成は大好きですね。最初に戻るというか、円弧が閉じるような。
最近読んだ中でも、ましろさんのPWSがまさにそんな印象でしたね。
結末はだいたい決まっていて書き出すことが多いです。その時点で、バッドかハッピーかだいたい分かれています。
個人的にバッドエンドも嫌いではないのであまり拘ってはいませんが、バッドエンドの場合、何か読者に惜しまれながら終わる感じにできたら、と意識はしています。
でも、ハッピーエンドが支持されやすいという傾向は受け止めてプロットを練った方が、読んでくれる人は多くなるのかなぁなんて思ったりします。常にボーッとしてるわたしには難しい問題ですが。。
作者からの返信
コノハナさんは(ここで切っていいのか分かりませんが……)、結末を決めてから書き出すタイプなのですね。
この書きものをしてからというモノ、いろんなタイプがいるな、と思う事ばかりです。
ハッピーエンド支持の男女比というのもちょっと気になりますね。
いろいろと考えるのは楽しいですね。
一切の救い無しでバッドエンド、というのは私にはストレスなので、嫌いですね。(読者として)
教育的効果を狙ったものであっても、完全なバッドエンドは嫌いです。
でも、ご都合主義のハッピーエンドは興が削がれる……私も同じですね。私自身の作品でも、長編作品ほど、『全て上手く行きました』という感じにはしていないと思います。
私は短編と長編で、ラストに関して自分に課しているものが違うんですが、短編の方はシンプルに『面白かった』と思ってもらえるものにしないといけない、というものです。
長編は、もちろん面白かったとも思ってほしいんですが、『物語の冒頭が懐かしくなる』ようにしないといけない、ということを大事にしています。ちょっと切なさというか、ロスというか。読み手にそんな感情を抱かせる物語にしたいです。
あと、これはちょっと別のちっぽけな話ですが『こんな嫌な出来事があったとさ』『こんな不快な出来事があったとさ』みたいなだけの小説ってありますよね。
私はそういう小説って、時間を無駄にさせられるようで、読み手としてはハッキリ言って大嫌いなんです。全く理解できません。
高校生の時、課題図書としてスティーブン・キングの「キャリー」を読んだんですが、ただただ陰惨とした気分につつまれるだけで、課題図書に指定した教師に怒りすら覚えました。笑(結局途中をすっとばして読んで、ごまかしました)
でも、それがいい! 素晴らしい! ともろ手を叩いて称賛する人達も大勢いるわけで。自分と感性や小説に求めるものが全く違うだけでなく、理解も共感も全くできない人達は世の中にたくさんいるんだ、という事は小説を書いている時、度々思い浮かびます。
作者からの返信
繰り返して読んでみたくなる、これはすごく分かりますね。
読み手としてもありますよね、そういう作品。
なんかもう一周したくなるもの。
それはやはりバッドエンドでもなく、強引なハッピーエンドでもなく、ただただ面白かったぁ、この面白さをすぐにもう一度! な心境なんですよね。
キャリーが課題図書というのもまたずいぶんですね(笑)
シャイニングは私はすごく好きなのですが、キャリーは今一つのめりこめませんでしたね。
明確にエンディングを考えて書いたことは今まで一度もないですね。
「書ける!」と感じたときに書くと勝手にそれっぽいのができあがります。不思議とこの書き方で誤字や修正がほぼないんですよね。
思いがけない結末がぽろっとできたりしておもしろいです。
新宿鮫の作者の方も同じようなことをどこかで書いて(言って)ましたねぇ。
作者からの返信
ないに。さん、コメントありがとうございます!
先日、ちょこっとよみに行ったところです。
ま、それはともかく、
やはりスタイルは人それぞれですね。
自然とエンディングが浮かび上がってくる、それだけスムーズに物語が流れている事でしょうからね。
こう書くと、あまりに突飛なエンディングを最初に想定して書くと、どんなことになるんだろう?なんて興味も出てきますね(笑)
最初からエンディングのシーンは頭に浮かんでいます。ただ、あくまで漠然としたものなので、少しずつイメージを固めていきます。書きたくてうずうずする気持ちをグッと抑えるのがひと苦労です(笑)焦ると、過程がお座なりになるので。
ホラーは、ブラック的なバッドエンドが好きです。ニヤリとなるエンディングなら余韻が心地良く感じられます(おいおい)
でも、ドラマやファンタジーは、ハッピーエンドがいいです。思い入れのあるキャラには幸せになって欲しいと思います。後日談風に語って幸せを感じさせるエンディングは、自分への癒しでもあります。読み直して「書いて良かった」と思う作品がいいですね。
作者からの返信
RAYさんは最初から最後までしっかりと物語をコントロールしている印象がありますね。私もRAYさんほどではないにせよ、近い書き方をしているな、と思うことが多々あります。
エンディングに対するスタンスもすごく共感できますし。
ちなみに架空の自伝、みたいなスタンスの物語、RAYさんにはけっこう向いているかもしれませんよ。
なんてふと思いました。
編集済
ハッピーにせよバッドにせよ、エンディングには『自分の中で思い描いた理想』をぶつけるので、ある意味独りよがりになりがちかもしれません。最終的に読者に「読んで良かった」「面白かった」「感動した」と感じていただけるかどうかは、きっちり閉められているかどうかにかかっている(と私は思っている)ので、神経質になりますし何度も書き直しますが、「考えすぎて大外れ」の可能性も否めないので、こればっかりは読者の方の反応を見るまでわからないし安心できない、というのがすべてを書き終えた時の正直な気持ちです。
そして『自分の中で思い描いた理想』を書いているので、読者の感情とのギャップがどの程度なのか、めちゃめちゃ気になります。反応がイマイチで、読者に自分のイメージが伝わってないと思った場合、血の涙を流しながら書き換えます
(^_^;)
というか、実際しょっちゅう書き換えてます。webにおいて読者の反応は『神の声』なので、心の中で平謝りしながら血眼になって問題点を探します。いただいたコメントは全て真摯に受け止めます。間違っても「この読者はわかってないな」なんて思いません。絶対に理由があるはずなので悪いところを探します。その時点ではいただいた反応の意味が完全に理解できなかったり、自分の力不足のせいで、修正に至るまで半年以上先になることも多く、改稿に終わりはないのですが、常に心の底に疑問を置くようにしています。
その上で、なのですが「バッドエンドよりもハッピーエンドのほうが好き」です。ハッピーエンドの方が確実に『神の声』を拾いやすいからです。自分が読者の立場だと「バッドエンドにはコメントしにくい」というのもあります。
などと長々と書きましたが、要は反応が欲しいんですね(笑)。
作者からの返信
叶さんのエンディングに対するスタンスは私も同じですね。
私も読んで良かった、面白かった、そんな風に思ってもらいたいな、と思いながら書いてます。
ちなみに私はあまり書き替えませんが、某賢者の手は投稿直後にとある方のコメントを読み、さらにいいエンディングをひらめいたのですぐに書き替えてます。
(ナイショですがひまわりさんありがとう!)
あれで最後のピースが嵌まった音がしました。
ということで意見を書いてくれるというのは本当に貴重ですね。
私もそうですが、なかなか意見を書くのも勇気がいるモノ、それを超えて届けてくれるのですから、感謝の気持ちしかありません。
意味のあるエンディングにこだわります。
ハッピーエンドにしてもバッドエンドにしても、そうなる意味を持たせたいのです。
書く側としても、読む側としても、同じ考えです。
書くときは、出だしも結末も両方決めてから書きます。
大河ドラマ「真田丸」では、真田幸村は史実通り戦で命を絶ちます。
その後、意味ありげなナレーションでドラマは完結するのです。
一見バッドエンドですが、ただのバッドエンドなのか、考えさせられる終わり方でした。ハッピーエンドではありませんでしたけどね。
そういうエンディングが勝手な理想です。
ハッピーエンドでなければ読まない、というかたもいらっしゃっるでしょう。
それを否定する気はありませんが、作者が描いた結末の意味は考えて頂きたいですし、自分自身も考えながら読んでゆきたいです。
作者からの返信
意味のあるエンディング、確かに大事な要素ですね。
ハッピーエンドもバッドエンドもそれ次第というのは私も同じスタンスですね。
まぁ実生活みたいなものでも、エンディングというものがそうそうないにせよ、大団円のハッピーエンドばかりではありませんからね。
好きなエンディングは読後感が爽やか、ほっこり、ハッピーエンドです。
「結」を決めてから書くタイプですが、最近、どんでん返しも楽しくなってしまいました。オチが欲しいって昭和のお笑い芸人化しています。
作者からの返信
わたしも、読後感は大事にしたいと思ってます。
書くときは特にそうですね。読んでよかった、とか、あー面白かった、なんて感想を持ってもらえるように書いてマスね。
ハナスさんの作品、コメディーはしっかりコメディー、しっとり物はしっとりと、すごくメリハリ聞かせて書けるのはすごいな、と思っているところです。