有楽島立夢の無自覚
ジェネライト
#1
いつも使っている枕ってこんなだったっけと思いつつ、目を開けて確かめるのはなんとなく億劫だった。とても落ち着く匂いが鼻孔をくすぐっているからかもしれない。
既視感のようなものを感じる。しかし思い出そうとしても思い出せない。
この感覚には覚えがある。そこにあったはずなのにいつの間にかぽっかりと穴ができていたときの空虚感。
自分の中に知らないものがあるもどかしさに立夢が少し不安な気分になっていると、誰かに頭を撫でられる感触があった。
とても優しい手つきだった。これも懐かしさを感じる。
何かが喉の奥まで出かかっている立夢。だが、それはもう少しのところで形にならない。
先ほどからむず痒いことばかりだ。そろそろこのもやもやをはっきりさせたい。
近くで誰かが小さく吐息を漏らすのが聞こえた。やれやれといった感じのため息だ。
頭を撫でていた誰かの手が頬に添えられる。枕と同じ心地よさを立夢は感じた。
包み込むような温もりが全身に広がっていく。ふわふわと、それでいてしっかりと全体重を受け止められているような安心感。
まるで■■の中のような――。
やがて立夢の意識は深い奥底へと沈んでいった。
「んぅ……」
肌寒さを感じて立夢はゆっくりと目を開ける。
まず見えたのは、明かりのついていない棒状の蛍光灯が取り付けられた天井。見覚えがあるような、ないような。とりあえず自宅ではない。
体を起こしながらゆっくりと辺りを見回す。外からの光がカーテンで抑えられてやや薄暗い部屋。その壁際、立夢の寝ていたベッドを囲むようにしてさらにカーテンの仕切りがあり、薬品棚や病気の感染予防のポスターが仕切りの隙間から窺える。床はワックスのかかった木のタイルが敷かれていて、間の溝の黒ずみがこの部屋の利用頻度の高さを物語っていた。
どうやらここは学校の保健室らしいと見当付ける立夢。間取りも記憶している実樹女の保健室とほとんど同じだった。ただ、少し妙な感じがする。具体的に何が、と尋ねられると困るが。
妙と言えば、目が覚める前の記憶が霧に包まれたように不明瞭だ。唯一、幸福感の残滓とでも表現したくなる温もりが胸の中で一抹の存在感を主張するも、すぐにそれは霧散する。名残惜しくてその感覚に追いすがりたくなるが、今優先すべきは現状の把握に動くことだろう。そう決めて立夢は衣服の乱れを直し、部屋を出る。
向かう先は自身の教室。
「……にしても、校舎に誰もいないな。皆帰っちゃったかな?」
廊下を歩いていても誰ともすれ違わないどころか、人の気配すら感じ取れない。窓から夕陽が差し込んでいる辺り、下校時間は過ぎていそうだが、それでもここまで静寂に包まれているものだろうか。これまでの怪奇体験もあって剣呑とした心持ちになる立夢。
しかし、目的地のある階まで昇ったところで耳を澄ませてみると予感とは裏腹に、誰かが談笑している声が聞こえてきた。
否、談笑とは少し違うかもしれない。一人は確かに楽しそうな声色で話しているようだが、恐らくその対面の相手であろう人物の声は嗚咽交じりで震えていた。どうやら泣きながら喋っているらしい。二人の声は立夢が自分の教室に近づくにつれて大きく聞こえてくる。
「――絶対忘れないでよ!」
立夢が教室の入り口数歩手前で話し終えるまで待ってた方が良いかな、と考えると同時に女生徒が大声で叫びながら教室を飛び出し、外に立っていた立夢には一瞥もくれずに涙を煌めかせながら廊下を駆けていった。
「はいはい、お前みたいな泣き虫は一生忘れねえよー……ったくよぉ」
教室の中からは出ていった女生徒にやや意地の悪い返答が投げかけられる。そしてしばらくの時間、余韻に浸っているような空気が立夢の元にまで漂ってきた。
「……用があるなら入ってきたらどうだ?」
雰囲気に呑まれて教室に入ることを立夢が躊躇していると、再び教室の中から声がする。独り言、ではないだろう。ほぼ間違いなく、廊下で立ちんぼになっている立夢に向けられた言葉だ。
実際、教室に用があるので立夢は言われるまま入室する。
夕日の差し込む、見慣れた教室。厳密にはここも何かが違うような気がするが。人気がなくがらんとした中、窓際に座る知らない女生徒が原因だろうか。
まず見た感じからして不真面目そうな女生徒だった。派手な装飾はしていないが、制服はかなり着崩している。座っているときの姿勢も、普段からこんな我が物顔でいるんだろうなと立夢がすぐに推察できるほどのだらけ具合。しかし怠惰な印象を受けるかと言えばむしろ逆で、短く切られた髪とパッチリ開かれた目の爛々とした輝きからは彼女が活発に動く姿を想像させる。立夢は総括して彼女の第一印象を外向的不良少女と評した。
不良少女は立夢を値踏みするかのようにじろじろと眺める。
「ふーん。結構タッパがあるな。年上か?」
おおよそ年上に対する態度ではないのだが、きっと誰に対してもこうなんだろうなと思う立夢。
「いや、わたし一年だし多分同い年くらいだと思うけど」
「タメかよ! そりゃまたなんともご愁傷さま」
「…………?」
よく分からない返しをされた。立夢は言葉の意味を考えてみるが、それに構わず相手は話を続けてくる。
「お前、名前は?」
「え? あっ、立夢、です」
不意に聞かれたのでしどろもどろな上、変な敬語になってしまう。
「立夢か……聞いたことねえなぁ。あ、アタシは
(めっちゃフランクだなこの人……)
「それでなんでここに?」
「えーと、それがわたしにもよく分かんなくて。目が覚めたら学校にいたというか……」
初対面の相手なのに、立夢は素直に状況を説明してしまう。誘と話していると彼女の気さくな性格のせいか、ついつい口が軽くなる。
「あー、たまにいるんだよなぁそういうの。経験則から言うと大体、衝撃的なことがあって直前の記憶が飛んでるパターンだな。今のところはどいつも一時的なものだったからそんなに心配しなくてもいいだろうが、思い出すまでが長かったりするときもあってメンドーなんだよな」
「やけに詳しいんだね」
「ま、それなりに見てきたからよ、良い奴も悪い奴も。ただ――」
そこで誘は立夢を見つめて小首を傾げる。
「ただ、お前みたいなのは初めてだな。どっちか分からないっつーか、どっちでもないのか……?」
ぶつぶつと何かを思案するように独り言ちる誘。部分的に聞き取れる言葉はあったが、立夢にはいまいち要領を得ないものばかりだった。
さすがに気になって誘に尋ねようと口を開く立夢。しかし、声を出そうとした瞬間、目の前が捻じ曲がる。
「何、これ……ッ!?」
「ん? おい、大丈夫――」
様子のおかしい立夢に気づいて誘が心配した声をかけてくるが、その言葉すらも聞き終わる前にフェードアウトしていく。
そして、あっという間に立夢の意識は拭い去られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます