第22話 岩戸天狗

 結論から言うと、祈願山への突入は困難を極めた。町から安原との合流地点までは何事もなかったのだが、いざバイクに乗せてもらい山道を走り出すと、間もなく黒いワゴンが一台、追いかけて来たのである。

「ちっ……奴らマジかよ、グラサンに黒服だぞおい!」

「最初から入り口付近に待機していたんだ……出鼻をくじかれたな」

「どうする?」

「決まってる。――強行突破だ、行け安原!」

「はっ……お前、前からヘタレだと思ってたが……撤回するぜ。行くぞコラァ!」

 雄叫びを上げた安原がトップスピードでバイクを走らせる。ヘルメットもつけていないしベルトもなく、ただ安原の腰に捕まっているしかないが、一はそれでも臆さない。

「そこをまっすぐ、次を左のカーブだ! どっかで後ろの奴を振り切ってくれ!」

「おうよ、任せな! この荒ぇ道を攻めると思うと、燃えてくるじゃねぇか!」

 しかし黒いワゴンもしぶとく、無茶苦茶な爆走を見せる安原にぴったりついてくる。何度か後ろからライトを威嚇するように明滅させ、振り返る事もできない。

「もう少し……確かその直線の先だ、そこが目的地だ!」

「よし……曲輪、そこの曲がり角で降りろ」

 なに、と思わず一はしがみつく手の力が緩みそうになる。

「そっから先はお前一人で行け。もうすぐそこなんだろ?」

「お前はどうする」

「後ろののろまどもを引っかけて、そのまま進む。つまり囮って奴だ。その間にお前は姐さんを助けろ!」

 安原は振り向かないが、本気である事は声調から窺えた。迷っている時間もなく、一は。

「……分かった。死ぬなよ、安原」

「お前こそ、気合入れろよ。姐さんをがっかりさせんじゃねぇ。……頼んだぜ」

 頷きは見えないだろうから返事の代わりに手を離し、躊躇せずバイクから転げ落ちる事で心意気に応じる。坂の下が柔らかい土で大した怪我はないが、上の方で安原のバイクが駆け抜けていき、数瞬遅れて黒いワゴンも通過する。どうやらばれなかったようだ。

「安原……ありがとな」

 それだけ呟いて、一は振り返った。空は最初に明莉と来た時と同じようにどんよりと曇って、今にも降り出しそうだ。灰色の空の下、一はあの岩山を目指して駆ける。



 拍子抜けするほど何の障害もなく、さしたる時を置かずして到着した。眼前にはあの見上げんばかりに雄々しく隆起した岩の塊が鎮座し、無機物ながらも厳然とした威容を放ち一を見下ろしている。

「やばい……どうやって中に入るか考えてなかった」

 いざやって来て、一は興奮が冷却されていくかのような感覚とともに棒立ちになった。独白した通り、この頑迷な岩扉を開く方法を見つけるどころか、念頭にもなかったのである。あんなに部長がたやすく開けたのだからと、心のどこかで慢心していたのだろうか。

 自分の迂闊さが嫌になるが、ここまで来て手ぶらで帰るなんてのはもっての他である。どんなやり方でもいいから内部へ入り込めないか、一は岩山の周囲を回るように巡るものの、これといった侵入口はなく、良い解決策も浮かばない。

 どうしよう、と途方に暮れて元の場所まで戻って来ると――あった。最初にこの祈願山を訪れた時、森の奥で回遊する、鬼火のような蛍火のような、緑の混じる青い光。それが扉の隙間から木漏れ日のように漏れ出しているのだ。

 手で触れようとすると、その光は一から逃げようとでもするかのように内側へ引っ込み――直後、空気を振動させる重厚な音を立てて岩の扉が開かれたのである。

「マジかよ……開いた」

 なぜ開扉ができたのか、理由は不明。光といい自動ドアみたいな扉といい、一連の挙動が何か魔法っぽいのは分かるのだが、これについて詳しく考察するのは後回しだ。一は降り積もる夜よりもはるかに濃い、地獄穴の入り口へと、急ぎ足で踏み出した。

 数えて一分ほどは歩いただろうか。壁や道の幅が広がったり狭くなったり、けれど一定の範囲は越えない細道をただ突き進み、やがて下の階層へ続くと思われる階段までやって来た。階段というより石でできた段差ででこぼことし、注意しないと転げ落ちそうだ。

 今さら逡巡する余地はなく、慎重に、けれども早足で降りて行く。足下が危ういのでスマホのライトで照らしながらなものの、終点らしき下方にほのかな光源が差しているのが見えた。電球や蛍光灯などという文明の利器でなく、松明のような原始的な光。

 最後の一段を下り終え、スマホをポケットへ戻して目を上げると、そこは広大な空間。でも、一には二度ほども見覚えのある場所。

 あの夢と寸分違わぬ、広いけれど冷たくて寂しい、岩しか見当たらない大空洞である。

 夢の時はここ――洞穴の中心部にいつも少女がいた。しかし今回はその姿はなく、代わりに別の、巨大な影が背を向けて佇んでいたのである。


「……貴様。どうやって入った」

 重圧のある低い声が響き、その影が振り返る。一は息を呑んだ。平均的な体格である自分よりも一回りも大きな身の丈。鍛え上げた筋肉が詰め込まれているとおぼしき丸太のような四肢。修験服のような衣装に身を包み、鼻の部分が伸びた漆黒の面をつけている。

 そこまでならまだ分かる。しかしそいつを人と異ならざる存在へとたらしめていたのは、衣装より覗く腕や手、首もとの皮膚が、ひび割れたような赤い皮膚で覆われている点だ。

 それだけにとどまらず、背中からは黒い両翼が生えている。身長相応の大きさ、そして重さを備えているだろうにまったく重量を感じさせず、かすかに羽根の先が動いていた。

 コスプレや作り物とは到底思えぬ、血の通った姿――すなわち、異形であると確信を抱く。何よりもそいつが放つこの重苦しい気迫。空気の重力が倍加したかのように、前に立っているだけで吐き気を覚え、膝が折れそうになるのだ。

「ここがどこなのか分かっているのか。もう一度問う。どのような手段で入った」

「し……知るかよ」

 質問というより、尋問とでも呼ぶべき問いかけに、一は虚勢を張って答えた。

 すると見る間にそいつの姿が膨れあがり――否、そう見えただけだ。殺気。そんなものを平和な日常で浴びた事のない一が他にそう言い表しようのないくらい、あまりに凄絶な鬼気が襲いかかって来たのである。だが、ここでくじけるわけにはいかない。

「お、お前……岩戸天狗だろ? ほ、星の……眷属っていう」

「ほう……単なる盗人や有象無象ではないらしいな。では理解していよう。主のような侵入者が、みだりに踏み入って良い場所でない事程度は。疾く立ち去るがいい」

 しゃりん、と岩戸天狗が右の手に携えた黄金の錫杖を岩に突いて、一つ鳴らす。その肌を挽くような金属音は禍々しく、一は知らず、半歩下がってしまっていた。

「ぶ、部長を返せ……俺はそのために、ここに」

「部長……? 神の元へ召された、星の巫女の事か。それはならん。主が何者か知らぬし、何処の手の者かも興味の外だが、かの者の神聖な術式を阻む事はまかりならぬ」

 一は岩戸天狗の後方へ視線を流す。壁面の両脇には二本の松明が据えられて炎を焚き、それらに挟まれるようにして佇立するもう一つの岩戸がある。夢で見た時とは違い、岩戸全体を封じるかのように無数の札が貼り付けられ、隙間からは青い燐光が漏れていた。

「あの奥だな……部長は。……悪いけど、連れ帰らせてもらうぞ」

「許さん、と申しておる。神体と星の巫女を守護するが儂の務め。その使命を果たすためならば容赦はせぬ。……これが最後の警告だ、立ち去れ。次はない」

 かしん、とあの錫杖が叩かれ、輪がこすれ合い波紋のように音が響き渡る。それはここより先へ進む事は容認しないという意思表示。恐らく一歩でも踏み出せば、物理的に排除される。それが一にははっきり分かった。分からされた、というべきか。

 口の中が乾いていた。大変な場所に来ている、という自覚はある。引き返すなら今しかなく、進んだとしても本当に容赦はされないだろう。まばたきもできず、目が痛い。さっきから汗が止まらず、背中に嫌な感触がまとわりついている。

 でも。だからこそ。一はそのために来たのだ。困難なのは承知の上。それでも、なお。

 歯を噛み締め――覚悟を決めて、足を突き出した、一秒後の事だった。


「……え?」

 目にも止まらぬスピードで肉薄して来た岩戸天狗の錫杖の、その先端が。一の胸よりやや下、腹部の上に突き立てられていた。あまりに一瞬、唐突の事で、間抜けな声が出る。

「が……う、ぇっ……!」

 錫杖が引き抜かれるように離れた瞬間、打ち込まれた衝撃が体内で暴れ狂った。筆舌に尽くしがたい激痛が胴体から頭の先まで駆け抜け、視界が白黒に染まり、胃のあたりから何かが駆け上がってくる。口腔から生暖かいものが吐き出されて初めて胃液と分かり。

「がぁ……はっ、が……うぐ……!」

 がくりと膝を折り、地面に手を突いて身体を支えようとして――それすらもかなわず、顔から岩の上へ突っ伏していた。身を丸めて、引くどころかますます強くなる痛みに両目からは涙があふれ、強い酸味が鼻の奥でしたかと思うと。

 吐いた。さらに胃液。吐瀉物に混じる赤。血。吐血。体温と同じくらいの熱量の血液が、一の口からとどまる事なく流れて止まらない。内臓が傷ついているのだ。ひょっとしたら肋骨も折れているかも知れない。死ぬ。すーっと頭から熱が引き、一はその実感を得た。

(痛い……痛い痛い、痛い痛い痛い痛い……!)

 痛みしか頭にはなく、凍えるような恐怖が全身を縛り付ける。たったの一撃。それも大して力を入れているようには見えないあの錫杖で、これだけ身体を壊された。

 後悔するだけの気持ちの余裕すらなく、ただただ身に迫る破壊的な痛苦に悶え苦しむ。

「……勇ましいかと思えば、この程度か。侵入者が笑わせる」

 頭の上から、冷め切った言葉が降ってくる。その矢先にさらに痛めつけられるのではないかと四肢の先が震え出すが、相手はそれ以上一を気にかけるつもりもないようで。

「さっさと失せろ。命までは奪わん……その価値も主にはない」

「ぐ……っふ……!」

 涙が止まらない。かつてないほどの痛みと、絶望にも似た悔しさ。どうにもならない。

 ちょっと粋がったところで、自分ではこれが限界なのか。暴力に訴えられれば何も打つ手がなくなるくらい、情けない人間だったのか。


 ――あんた達と、もっといっぱい遊びたい。だらだらしたいし、甘い物も食べたい。アホな悪党をぶっ飛ばすのも悪くないし、この間みたいに、みんなでお祭りを楽しむのもいい――。


(――いや、違う)

 一は満身込めて、地面に手を叩きつける。痛みも負傷も置いていくつもりで上体を起こし、恐怖を拳の中に押し込めるつもりで強く握り込み、岩戸天狗を睨もうとして。

 鈍い音が側頭部でした。視界が反転し、身体がゴミのように真横へ回転しながら吹っ飛ぶ。錫杖で殴られた、と思考が正解を弾き出す頃には、一は壁へ頭から叩き込まれていた。

「その闘争心……どこから湧き出るものか知らぬが、抵抗するつもりならば相応の目に遭うのだと、その痛みで悟ったろう」

 岩戸天狗が何か喋っているようだが、鼓膜はわんわんと超音波めいた不協和音を反響させるだけで、聞こえない。首からは疼痛。頭には鈍痛。鼻からも口からも血が止まらない。

 身体は――大丈夫なのか。分からない。でも、四肢の感覚は残っている。ところどころ虫食いみたいに欠けてはいるが、まだ動く。一はゆっくりと身を起こす。

「部……長」

 ぽつり、とうわごとのように呟いて、砕かれる肉体に伴い揺さぶられる気持ちの焦点を立て直す。やるべき事がある。だからまだ倒れるな。

 一はよろめきながら岩戸天狗へ向かって行った。すでに血糊で彩られた拳を丸め、打撃技一つの心得すらないのも構わず殴りかかる。しかし間合いもなく振られたそれは、あえなく無為に空を切り、逆に振りかぶった錫杖がまたも一を打ち据える。

 今度は下方からの打ち上げ。腹部をえぐり抜かれ、体重も関係ないとばかりに数メートル宙を飛び、背中から地面に叩き付けられた。骨が軋む。肉が潰れる。皮膚が裂ける。

「……もうよい。立ち上がるな。闘争は無意味と、主も理解できたろう」

 ああ、分かっている。死ぬほど分かっている。……だけど。

 意識が朦朧とする。それでも一は、視線の高さを岩戸天狗へと合わせた。

「まだ……立つか。柔な肉体にはそぐわぬ、大した精神力だ……」

「ほんと……なんで立ち上がるんだろうな。無駄な努力をあれだけ敬遠してたのに」

 その考えに変わりはない。努力は期待を裏切る。元よりある実力差は覆らない。でも。

(強い……奴は、強い。弱い……奴は……弱い。俺がどっちなのか、今分かる……な)

「……悪くない目だ。無力……憤激、執着……渇望。他者のために力を振るう真の戦士とは無縁の、月明かりの下の海面のようなほの暗き呪詛に満ちておる。星もさぞ主には食指を伸ばしたい事だろう」

 だが、と岩戸天狗は、青息吐息に立つ一へ宣告する。

「あくまで屈せぬというのなら、それも良かろう。どこまでも応じるまでだ」

「……上から目線だな。むかついてくる」

 すぐにでも飛びかかりたいが、今は腕を上げるのすら難しい。せっかく相手はこちらを侮っている事だし、時間稼ぎでもして体力の回復を図るとしよう。

「なあ……こんなに強いあんたが恐れる、魔神ってなんなんだ。どこから来たんだ」

「……初めに願いがあった。切なる、ささやかな願いだ。だが人の欲望とは底のなきもの、願いに込められた、言葉に表せぬ裏側の負……すなわち呪いが生じたのだ。塵も積もれば、と言うであろう。幾星霜の年月を経て積み重なりやがて魔神へと形を取ったのだ」

「つまり……人間の悪い心が作ったとか、そんなベタなやつかよ?」

「星の奇跡は失われ、呪いだけが残った。魔神とは畢竟、生きとし生けるもの、そのもののカルマなり。人が作りし神々を、人ならざる存在が防ぎ鎮める。なんと業深き事か」

 訳が分からない。そんな下らないものに部長は巻き込まれて、人生を棒に振ろうとしているのか。それにたとえ役目を完遂したとしても、諸悪の根源が滅ぶわけじゃない。

「なんなんだよ……お前らは。どいつもこいつも、人任せ人任せ……やってる事は前と変わらないじゃないか。ずっとずっと、何かに願いすがって目を背けてるだけじゃないか!」

 もう付き合ってはいられない。終わらせよう、ここで。一は右手を真っ向へ伸ばし、左の手で右の手首を掴む。それを目にした岩戸天狗はわずかに態度を変えた。

「むう……その構えは、よもや。いや……主の如き未熟が、使えるとは思えんが……」

 それでも油断は感じられず、岩戸天狗が迫って来る。今度こそ叩き伏せるべく、錫杖を振るう。その姿から目を逸らさず、一は意識を集中した。

(――駄目だ、手応えがない)

 部長に構えを教わってから以後、暇を見ては練習を重ねて来た。体力がつくようランニングだってしてるし、少しは身体が作られて来ているはずなのに、いまだに手応えどころか、撃てそうな気配すらないのである。

 今こそ行使するべき時なのに、あの技――鬼気砲は何も反応がない。そもそも世界の違うような技で、最初から無理だったのか。今だけでも、部長のようにはなれないのか。

「ぬぅん!」

 岩戸天狗の錫杖が振り抜かれて腹部を打ち、返す刀でがら空きの脇腹を薙がれる。悲鳴すら上げられず黙したまま血を吐き出し、けれども一は足を地につけ、構えを解かない。

(何が足りない……考えろ! 思い出せ……部長の構えを、教わった事を!)

「どうした事だ、この男……これだけ打たれて小揺るぎもせんとは。ならば……!」

 岩戸天狗が一歩後退し、蹴速をつけて錫杖を大振りに振りかぶる。次の一撃で決める気だ。そう察知した一は、身体から余分な力が抜けていった。諦めたわけではない。これをどうにかできなければ終わりだと、むしろ意識が確たるものになったのである。

 錫杖が空を切って迫る。多分本気の部長にも引けを取らぬ速度と威力を兼ねた、必殺の打撃だろう。それこそ戦車をも吹き飛ばせそうな、当たればただでは済まぬそれ。

 ――時間が止まるような感覚があった。極限状態に陥り、焼け付くように無数の選択肢を選んで回転する脳から、ある動作が引き出され、一はその通りに動いた。

「……ぬぅ!?」

 岩戸天狗の、その漆黒の面に覆われた顔から覗く、赤い眼が見開かれる。錫杖が何の手応えも返さず、そのまま振り抜けてしまった事に驚愕しているようだった。

 一は水面を揺らす小さな波のような足運びで半歩横へ移動し、数センチ頭を下げる事で錫杖をやり過ごしていたのである。暴悪な強撃が頭上を横切り、続けて素早く頭を上げ、元の構えを取った。

 今、岩戸天狗は攻撃の直後で体勢を立て直せていない。ここしかない、命中させるのは。

(撃て……撃て、鬼気砲……!)

 なのに事ここに至っても、やはり何も出ない。駄目なのか。心が急速に萎えていく。まぐれで回避できようが、攻撃できなければ勝てない。勝てなければ、一は部長には。


 ――違う、って。もっと力抜いて、ほら。


 その時、そっと寄り添うように細い手が、一の右腕に添えられる。

「え……?」

 ――フォームが大事、ってあれほど言ったでしょ。ちゃんと直さないと駄目。

 この、声。幻聴。いるはずがない。だというのに、一の痺れるような鼓膜は鮮明にそれを拾っていた。二度と聞けないのかと、屈しかけていた心に何かが灯る。

 いる。いてくれる。振り返る必要もなく、感じる。だから一は、言われた通りに構えを修正した。だって、部室では及第点をもらったのだ。今回もできないはずがない。

 ――うん、そう。いい感じいい感じ。やればできるじゃん。

 その刹那。型にはまったようにかっちりと、それでいて無駄な力みのないフォームが完成していた。

 すぐ側で、笑うような気配がする。――そうして、いたずらっぽく耳元でささやいた。


 ――


 立てた右手の先で、白いもやのようなものが浮かび上がっているのが見えた。と同時に、一は体内に残った全てを、あらん限りの叫びとともに解き放つ。

「おおおぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 白いもやが、いっそう大きく濃く、爆発的に勢いを増して――凄まじい衝撃が右手から打ち出される。あまりの反動に足が軽々と浮き、右腕に新たな耐え難い痛みが走った。

 しかし、放たれた衝撃波は岩戸天狗を呑み込むように衝突し、その頑強な体躯を十メートル近く吹き飛ばしていた。

 白い衝撃が炸裂し、巨大な暴風雨のように乱反射して洞窟を揺るがしていたのである。

「……やっ……た……! 成功、だ……! 部長のとは、少し、違うみたいだけど……」

 片膝を突き、肩で息をしながら懸命に脳へ酸素を送り込みつつ、右腕を下ろすスタミナさえも残っていなかったが、それでも一は喜びと共に達成感を覚えていた。

 だが。

「……驚かされたぞ。実に幾年ぶりか……この技を見たのは」

「え……」

 もやのような、霧のような衝撃の余波が晴れた先。直撃したという手応えはあったはずなのに、めり込んだようなクレーターとなった地面の上には、錫杖を両手で構え、防御するような姿勢を取った岩戸天狗が佇んでいた。

「惜しむらくは、悲しい程に技の練度が足りておらぬ事。ゆえに備える事ができた……今少し慣れていれば、倒すには至らずとも儂に、相当の手傷を与えられていたものを」

「う……そだ」

 感情がついて来ない。一は愕然としたまま立ち上がり、なおも構えを取ろうとしたが。

「……うっ、ぐ……!」

 ぐらり、と視界が傾ぎ――あっさりと転倒した。痛みのせいではない。全身、筋肉や神経、臓器の一つ一つから熱が失せて、血流も止まったかのように身動きが停止させられたのである。闇が落ちるように目の前が暗くなり、一は部長の言葉を思い出していた。

 一日一回が限度。使った瞬間倒れてもおかしくない――部長が口にしたその制約は残酷なまでに事実で、いくら意志を奮い起こそうとしても、身体の電源が切れたみたいに冷たくなっていく。死をも想起させる枯渇した状態に、一の意識は霧散していった。

(部長……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る