第86話 悪魔 リヴァイアサン

 気が付くと、健作は美術室の中で立っていた。


 大海蛇も、黒い海もなく、広さも通常のそれだった。


 部屋の真ん中で倒れているアロハシャツの青年がいなければ、異界の外だと錯覚していた事だろう。


 聖兵拳エンジェルは光を失っている。弾倉の中は空っぽだ。


 健作はウエストポーチの中から五十口径の結晶弾を取り出して弾倉に込める。


 バチッ バチッ


 聖兵拳の表面に火花が走った。


「あ、やべ!」


 慌てて結晶弾を取りはずす。


 あれだけの威力を放ったので、どこかに故障が起こったのかもしれない。高い買い物だったのだ。大切に使わなければ。


「さて、と」


 改めて、アロハシャツの青年に視線を戻す。


 蛇を倒しても消えていないところを見ると、やはり本体は彼だったのだろう。しかし、十魔子と冬美が無事に脱出し、いまもなお身動き一つしないのを見るに、エネルギーの大半を海と蛇に使っていたのは間違いないようだ。


 悪魔は死ぬと魂魄結晶になる性質がある。そうなっていないという事は、まだ息があるという事だ。


 だが、健作の手元にはとどめを刺せるほどの威力を持つ武器は残されていないし、殴り殺すのも気が引ける。


 健作は、青年を避けるように回り込んでキャンバスに向かう。動けないなら無理にとどめを刺す必要はないし、外の状況が心配だ。


 そして、キャンバスに入り込もうとした瞬間、足に何かが巻き付き、そのまま部屋の反対側へ投げ飛ばされた。


「うわぁ!」


 蛙のように床に張り付きながら、何とか着地。顔をあげると、アロハシャツの青年がまさに立ち上がる所だった。


 彼の右腕は蛇の尾のように変化している。健作の足に巻き付いたのはこれであろう。健作は、それを見ただけで動悸が早くなるのを感じた。


 残る左手で、眠気を覚ますように顔を拭う。そして、憎悪を込めた視線を健作に向けた。


『なんやっちゅうねんな、お前ぇ』


 健作は立ち上がって、その視線をまっすぐに受け止める。


「お前がリヴァイアサンだな?」


『せや、リバやん呼んでな。一つよろしゅう』


 リヴァイアサンは人を喰ったようなお辞儀をする。


「なんで外国の悪魔が似非関西弁を使ってんだよ。似合わねぇぞ」


『おや、ダメかいな? ウチなりにこの国に馴染もうと頑張ったんやけどなぁ』


「馴染んでやることが罪のない女の子を食い物にすることか!?」


『んなこと言うたかて、ウチら今までこうやって生きてきたんやもん。仕方ないやん? それにな、手当たり次第に食ってた昔と違うて、今は結構気を使ってるんやで? 一人の人間でできるだけ長く食い繋げられるように体調管理したりしてな』


「人間を家畜みたいに言うんじゃねぇ!」


『なんやそれ? 家畜のなにが悪いねん。ええか? 君は野生が無条件で幸福やと思とるようやけどな、全然そんなことない。野生の猪の一生を考えてみぃ。生まれてからこっち誰に食われるかわからんと、ビクビクして夜も寝られへん。毎日腹すかして方々歩き回って、たまに人里にでたらバキューンや。怪我とかしても医者とかおらんしな』


「……」


『その点、豚はどうや? 食っちゃ寝の生活してて、それを人間が守ってくれる。怪我とかせんように気を使われながらやで? 上手くするとヤれることもできるかもしれん。ま、その後はお肉屋さんに並ぶ運命やけど、なに、飢えてヤれないまま死ぬよりはマシや』


「……」


『な? 飼われることで豚は幸福なんや。言ってることわかるか? ん?』


 リヴァイアサンはヘラヘラ笑いながら、身勝手な理屈を捲し立てる。


 健作はそれを軽蔑の眼差しで見ていた。


「手前ぇら悪魔のバカげた言い分にはうんざりだ。二度と舐めたことができないように、ここでぶちのめしてやる!」


 健作は静かな怒りを湛えながら、指を鳴らす。


『ふ、ふふふ……』


 リヴァイアサンはそれを見て苦笑し始めた。


「なんだよ、笑ってる場合か?」


『いや、なにね。そうやって凄めば、ウチが退くと思ってるのがおかしくてね』


 そして、口元を緩めつつ、背後のキャンバスを指さす。


『君の目当てはあれでここから出ることやろ? 外の様子が気になるもんなぁ』


「チっ!」


 健作は舌打ちをした。確かに、今は脱出が急務である。拳銃が無く、偶像器も壊れかけている現状で、悪魔と戦うのは得策ではない。しかし、それを素直に見せるのは愚の骨頂。弱っている時ほど強く見せるのが兵法であると、師匠の受け売りである。


『ふ~ん、メフィちゃんからは君はアホ化身やと聞いてたけど、案外勉強しとるんやね』


「やっぱり、メフィストと組んでたのか?」


『おっと! ふふ、どうやろね?』


 リヴァイアサンがわらった。すなわち、その目的は定かではないが、外にはメフィストがいる可能性が高い。今、外側には十魔子に花子、それに博之が持っている拳銃がある。よもや、遅れを取ることは無いと思われるが、しかし―


「なぁ、ちょっといいか?」


 健作は構えを解いた。


『ん?』


「俺は外に出たい。大人しく俺を通し、この件から手を引くんなら、あ、あと金輪際人を喰わないと約束するんなら、今日の所は見逃してやる。お前も結構ギリギリなのはわかってるんだ。どうだ? メフィストに命をかける程の義理があるわけじゃないだろ?」


 リヴァイアサンは目を丸くして健作を見つめ、ヒュウっと口笛を吹いた。


『へぇ~、悪魔相手に交渉しよう言うんか? 君がベルちゃんをぶっ殺したと聞いたときは、他のマレビトと同じでつまらん奴やと思とったんやけどな、ふんふん、なるほどね~。昔を思い出すわ~』


(昔?)


 リヴァイアサンはさも嬉しそうに独り頷いている。


 どうやら上手く行きそうな気がして、健作が安堵すると、


『ま、答えはNOやけどな!』


 リヴァイアサンはきっぱりと言い放った。


「なに!?」


『まずな、君をここからだして、手を引くいうんはいけるんやけど、人を喰わんというのは約束でけん。それに、君の言い方が妙に上から目線なのが気に食わん。あとな……』


 リヴァイアサンの目が赤く光り、口が耳元まで裂けていく。


『君を喰いたくなった』


「……なんだと!?」

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