第83話 ともだち?

 キャンパスの前に立つ秋山冬美は朗らかに微笑み、対照的に博之、花子、夏樹の三人は戦慄していた。


「ふ、二人はどうしたんですか!?」


 博之が健作たちの安否を尋ねた。


「あぁ、心配しないで。そのうち戻ってくるわよ。出口は開けてあるんだし」


 冬美がキャンパスを指さして言った。キャンパスの表面には、水面のように微かな波紋が波打っている。冬美がキャンパスの中の異界から出てきた故だろう。


「さ、私たちも帰りましょう。夏樹ちゃん」


 冬美は何事もなかったかのように夏樹に近づき、その手を取る。


「!」


 反射的に、夏樹は冬美の手を振り払った。


「あ、あなた……誰なの。冬美はどこ!?」


「どこって、目の前にいるじゃない。私が秋山冬美よ。2月25日生まれの15歳。血液型はA型。脇腹に大きなほくろがある」


「!?」


 夏樹は驚愕した。生年月日や血液型は調べればわかることだが、ほくろの事は自分と冬美自身しか知らないはずだ。


「そして、あなたは春川夏樹。7月2日生まれのAB型。腕の傷跡は、まだ治ってないわよね?」


「……!」


 夏樹は自分の腕を掴んだ。これもおいそれとわかる秘密ではないはずだ。


「わかったでしょ? 私が秋山冬美なの」


「違う! 冬美は、冬美はもっと……」


「……はっ!」


 冬美が鼻で笑った。


「もっとなに? 地味でダサくて、引っ込み思案で、いつもあなたの後ろに隠れているような女の子だったと、そう言いたいわけ?」


「……え?」


「あなたっていつもそう。わたしのやる事なす事口出しして、私が陽キャになるのがそんなに気に入らない? 私にいつまでも陰キャでいてほしいわけ?」


 一歩、冬美が夏樹に迫る。夏樹も一歩後ずさる。


「わ、わたし、そんなつもりじゃ……」


「えぇ、そうでしょうね。あんたがお古の服をくれた時も、頼んでもいないのに宿題の答えを教えた時も、私の絵に勝手に筆を入れた時も、きっとあんたは”そんなつもりじゃなかった”んでしょうね!」


 冬美の怒声が美術室を震わせる。


「ち、ちが……」


 夏樹は否定しようとするが、うまく声が出ない。誰かに憎しみをぶつけられるのは初めての事だったし、それが親友と思っていた相手からなら尚更の事だ。


 言葉にできない感情が目から涙となって溢れてくる。


「へぇ、あなたってそんな顔ができたのね。初めて知った」


 冬美はさも面白そうに歪んだ笑みを浮かべた。


「待って」


 二人の間に博之が割って入った。


「もう十分でしょ。それくらいにしといてあげなよ」


 博之の声には恐怖も焦りもない。むしろ、言い聞かせるように穏やかに話している。


 拳銃は懐にしまってある。ここでは必要ない。


 背後で夏樹が糸が切れたように崩れ落ちて、嗚咽を漏らし出した。花子が駆け寄って背中をさする。


「……あんた、斉藤くん? ずいぶんやつれたわね」


 冬美は博之とメフィストの関係を知らないようだ。


(この件は彼と無関係なのか? いや、わざわざ説明するような奴じゃないか)


 それに、どの悪魔が介入してようと、やる事は変わらない。


「秋山さん、僕のせいでこんな事になってしまったのなら謝る。だけど、君の望みはもう叶ったんだ。悪魔と手を切ってくれ。今ならまだ間に合う」


「望み? あんたに私の何がわかるっていうの?」


「わかるさ。僕もそうだった。自分を変えたかったけど、変わる勇気がなかった。それで悪魔に頼ってしまった。君もそうなんだろ?」


「っ……!」


 図星を突かれたかのように冬美はたじろいだ。


「な、なんであんたにそんな-」


「わかるんだよ! 悪魔はそういうやつを狙ってくるんだ!」


 博之は自分でも信じられないほど声を張り上げた。


「だからわかる。君の望みは……」


 背後で泣いている夏樹をチラッと見やる。


「彼女と対等でいたい。そうだろ? 違いかい?」


「!?」


「……」


 背後の嗚咽が小さくなった。


「本音をぶつければ相手を傷つけてしまうかもしれない。そう思うから言いたいことも言うべきことも言えない。大切な相手ならなおさらだ。けど、それは浅い友情だ。うわべだけの付き合いだ。本当の友達になるには、どこかで本音をぶつけ合わなきゃいけない。そう思ったから君は―」


 その時、甲高い耳につく音程が聞こえてきた。


「な、なに!?」


 夏樹が自分のポケットをまさぐる。音はそこから聞こえてくる。


 突然、夏樹のポケットからスマホが独りでに飛び出してきて、乱回転をしながら部屋中を飛び回る。


 そして、博之の顔の横でぴたりと止まり、画面が光った。


「!?」


 そこには、忘れようとしても忘れられない、金髪碧眼の美少年の顔があった。


「メ、メフィスト……」


 メフィストは、ニコリと笑うと、体を弓のように大きくのけぞらせる。


 次の瞬間、画面から拳が飛び出してきて、博之の顔面を殴り飛ばした。


「ぐわ!」


 博之の体が大きく飛んで壁にたたきつけられた。


 続いて、あっけにとられている冬美をデコピンで打ち倒す。


 最後に夏樹の方を向くと、花子が立ちはだかった。


『わ、わたし、黄麻台高校の神様で厠ノ花子比瑪ノ神って言います。こ、この子達を食べようっていうんなら、わ、わたしが相手になるわよ!』


 花子が震える拳を構えるり


『……』


 メフィストが指を少し動かす。すると、美術室の窓が独りでに開いた。


『?』


 一瞬、気を取られた花子の首根っこをメフィストの腕がつかんで、そのまま窓の外にポイっと投げ捨てる。


『キャア!』


 そして、再び指を動かして窓を閉める。


『……!』


 花子は何かを叫びながら窓を開こうとするが、無意味だった。声も聞こえてこない。


 この部屋は完全にメフィストの支配下に置かれてしまった。


 メフィストの腕が引っ込み、画面が上を向く、そこから立体映像のようにメフィストの上半身が浮かび上がり、夏樹の方へ向き直る。


「な、なに!? なんなの、あんた?」


『怖がらないで。僕は君の味方だよ』


 メフィストは無邪気な笑みを浮かべた。まるで赤ん坊のような微笑みなので、見る者は無意識に警戒を解いてしまう、悪魔的な笑みだ。


「み、味方?」


 夏樹も例外ではなく、ふっと恐怖と緊張が和らいでしまう。


「聞くな!」


 博之は声の限り叫んだ。


「そいつは悪魔だ。取り憑かれたら骨までしゃぶられるぞ!」


 そう言って、懐から拳銃を取り出してメフィストに向ける。


「早く逃げろ!」


「で、でも……」


 夏樹はよろよろと立ち上がりながら、冬美の方を見やる。


 冬美も立ちあがろうとしている。


「秋山さんの事は僕らがなんとかする。君がここにいると邪魔なんだ。外に出てさっきの女の子と合流すれば守ってくれる。行ってくれ!」


 博之は必死だ。そして、必死さとは伝わるものだ。


「わ、わかった……」


 半ば気圧されるように、夏樹は廊下への扉に向かう。


『はぁ〜……』

 メフィストが、うんざりするようなため息を吐くと、シュッと腕を振った。


 次の瞬間、博之の右肩に黒い杭が突き刺さっていた。


「うわぁぁぁ!」


 右腕に激痛が走り、拳銃を取り落としてしまう。


 左手で拾おうとするも、その手の甲にも杭が突き刺さる。


「ぎゃあ!」


「だ、大丈夫!?」


 夏樹が慌てて駆け寄るが、できる事はない。


 逃げるように言いたい博之であるが、激痛で声が出ない。


 夏樹のスマホが下を向き、メフィストの全身を浮かび上がらせる。


 メフィストがそのまま歩いてきて、博之の手を踏みつけた。


「……っ!」


『どこの誰だか知らないけど、話の腰を折るのやめてくれる?』


「!?」


 メフィストは博之の事を覚えていないらしい。


「ふ、ふふ……」


 博之は自嘲気味に笑った。


 考えてみれば当たり前のことだ。


 メフィストにとっては自分など餌の一つ。それも、自分から口の中に入るような狩る以前の獲物なのだ。記憶に残せという方が無理というものだ。


 だが、虎口を逃れた獲物が、いつまでも獲物のままでいなければならないという法はない。


 博之はカッと目を見開いた。


「うあぁぁぁー!」


 踏みつけられている左手に力を込める。


 灼けるような激痛が走る。


 だが、痛みを恐れて何もしない事の痛みを博之はもう知っている。


『お?』


 博之の腕の表面を、一条の光が走ったのをメフィストは見た。


「だあっ!」


次の瞬間、博之はメフィストの足の裏から左手を引き抜いた。杭は刺さったままだ。


 バランスを崩したメフィストだが、そのまま空中で回転し、強烈な蹴りを博之の顔面にお見舞いする。


「ぐはっ!」


 壁に叩きつけられる博之。


『やれやれ、さしずめ健作くんが呼んだ助っ人ってところだろうけど、これじゃあ無駄金もいいとこだよ。可哀想に』


 メフィストは鼻で笑いながら肩を竦め、夏樹に向き直る。


 博之は鼻血を垂れ流し、手や肩をはじめ全身の痛みに涙を流しながら、それでも、


 笑っていた。


 メフィストは今、博之の事を健作の助っ人と言った。つまり、取るに足らぬ"餌"ではなく、遥か格下であろうとも、"敵"として見たという事だ。


 それが、無性に嬉しかった。


(油断し過ぎだよ、メフィスト)


 博之の手には、拳銃がしっかりと握られている。


 命懸けの場だ。後ろから撃つことを卑怯とは思わない。


 狙うべきはスマホだろう。素人目にも、あれがメフィストをこの場に存在させるために重要な役割を果たしているとわかる。


 気づかれないように細心の注意を払いながら、撃鉄を、


 起こせなかった。


(……!)


 健作でも苦労するほど重い撃鉄である。博之が起こすには、あまりに非力であった。


 焦っていた故に、貸したはいいが、このような事態に思い当たらなかったのだろう。


(もう! こういうとこだぞ、健作くん!)

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