第77話 後方理解者 厠ノ花子比売
逃げるように女子トイレに駆け込んだ十魔子は、まず洗面台で顔を洗った。
赤面して熱を持った顔が冷えていくのがわかる。
そして、先程の言動を思い返すと、また顔が熱くなってくる。
その記憶を追い払うかのように、しつこいくらいに顔を洗ってから鏡を見ると、自分の後方、トイレの戸に寄りかかって立っている花子が写っていた。
花子は腕と足を組み、何やらしたら顔で不敵な笑みを浮かべながら十魔子を見ている。
(……なに?)
トイレの一つの戸が閉まっている。つまり、誰かが使っているという事だ。
十魔子は念話で花子に話しかける。
『十魔子ちゃんたら、オカ研について色々言ってたけど、要は健ちゃんが一言も相談してくれなかったのが気に入らないのよね?』
(別にそういうわけじゃ……)
『気持ちはわかるよ。健ちゃんてそういうとこあるもんね。昔から、妙な事を思いついては、みんなを巻き込んでいたっけ……』
花子は目を細めて遠くを見ながら懐かしそうに言った。
『でもね、決して悪気があってやってるわけじゃないの。健ちゃんなりに良かれと思ってやってるのよ。健ちゃんのそういう所、わかる子にはちゃんとわかるんだから』
(……何が言いたいの?)
十魔子の念話が無意識にドスの効いた声になったが、それに動じる花子ではない。
『今は健ちゃんの方が好き好き言ってるけど、十魔子ちゃんがそうやってツンケンしてると、健ちゃんの方が冷めちゃうよって言いたいの。そんで、恋が冷めた所に自分に好意を向けてくる子がいたら、そりゃあそっちにいくわよね、男でも女でも』
(……勝手にすればいいじゃないですか。健作君が誰と付き合おうと、本人の自由でしょ)
『念話で嘘がつけないことくらいわかってるでしょ?』
(……っ!)
念話は、通常の会話と違い、心の声で会話をする以上、魂の交流という側面がある。故に、表面に出す声でいくら嘘をつこうとも、その奥の魂に存在する意思までは誤魔化す事はできないのだ。
『十魔子ちゃん、何を怖がってるの? いいじゃない恋愛したって。恥ずかしいことじゃないわ』
(だ、だから、異界造りを終わらせるまで、そういうのは……)
『うそ。本当は怖いんでしょ。自分が変わってしまう事が。わかるよ、恋愛は人を変えるからね。成長できればいいけど、ダメになっちゃう時もある。それを恐れているのよね?』
(……)
『でも、健ちゃんは人をダメにするような子じゃないわ。それはわかってるでしょ?』
(それは、まぁ……)
『十魔子ちゃんのお父様だって、十魔子ちゃんが青春をふいにすることは望んでないと思うけど』
「勝手なこと言わないで!」
十魔子は思わず声を上げた。
父の後を継ぐ。それが十魔子が魔術師をやる理由であり、彼女の根本を形成するものだ。誰であろうと無闇に触れて欲しくない。
『しーっ! しーっ!』
花子が慌てて人差し指を口に当てている。
トイレの一室には、まだ人が入っているのだ。
「あっ……」
しまったと思った時には、もう遅く、水が流れる音がして、閉まっていた戸が開かれ、スラッとしたポニーテールの女の子が出てきた。
知った顔である。美術部部長の田所清美だ。十魔子と目が合った。
「……」
「……」
清美は、何事もなかったかのように十魔子の隣に立ち、手を洗い始めた。
(ど、どうしよう……)
咄嗟のことだったので、気配を消すことも出来なかった。
誤魔化すべきか? 逃げ出すべきか?
「あ、あの……」
「大丈夫。わかってるよ」
「え?」
「イマジナリーフレンドってやつだろ? 私にもそういう時期があった。幼稚園の時だけどな。誰にも言わないから安心しな」
イマジナリーフレンドとは、幼少期に現れる本人にしか見えない友達である。大半は脳内で作り出したイメージに過ぎないが、中には霊的存在と交遊している場合がある。
「は、はぁ……。ありがとうございます」
なにやらひどい誤解を受けている気がするが、変に否定すると余計にややこしくなる気がしたので、十魔子はそのままにする事にした。
「それで、どう? 美術部やってけそう?」
清美は手洗いを終え、ハンカチで手を拭きながら尋ねる。
「え? あ、いや、今はまだ、なんとも……」
事実を言うわけにはいかないので十魔子は言葉を濁し、誤魔化すようにハンカチを取り出す。
しかし、見ようによってはこれは情報収集のチャンスだ。
「そう言えば、田所先輩が部長なんですよね? 見た感じ1年の秋山さんが仕切ってる風でしたけど、いいんですか?」
「ん? あぁ、別に構わないさ。私が部長をやっているのも1番古株だからってだけだしな。先輩だ後輩だとうるさく言うつもりはないよ」
「そうですか。それにしても、彼女、部活の時はあんな感じなんですか? 知り合いから聞きましたけど、以前はむしろ引っ込み思案だったというか……」
「部活でも、以前はそうだったよ。でもまぁ、今のようになりたいというか、変わりたい意思みたいなものは感じたよ」
「そういうの、わかるんですか?」
「あぁ、慣れないなりに声をだしたり、輪の中に入ろうとしたりな。私にもそういう時期があったからわかる。変わろうとする意思があれば、きっかけ次第で化けるもんさ」
「きっかけですか?」
「そう。まぁ1番わかりやすいのは、"恋"じゃないか?」
清美がニヤリと笑った。
「恋……ですか?」
「わかりやすいだろ? 本気で人を好きになれば、今までの自分なんて容易く捨てられるもんさ。違うかい?」
「恋……」
一瞬、十魔子の脳裏に健作の屈託のない笑顔がよぎった。同時に、十魔子の顔が赤く染まっていく。
「いや、いやいやいや。少しくらい性格が変わったからと言って恋をしてるというのは、短絡的じゃないですかね!」
「ん、そうか?」
「そ、そうですよ。そりゃ、以前とちょっと生活リズムが違ってるとこはありますけど、それは彼がはちゃめちゃな事をするからであって、決して私が変わったというわけでは」
「なんで、いきなりお前の話になってるんだ?」
「え? あ、いや、その……」
十魔子の顔が真っ赤に染まった。
「ふーん……」
清美が目を細めて何かを見透かしたかのように微笑む。その背後で、花子が腹の立つ笑顔で肩をすくめている。
「ま、個人的には男って線はないと思うよ。もし、秋山に男ができたら春川が黙ってないだろうからな」
「春川さんが?」
十魔子は濡らしたハンカチで顔を冷やしながら聞き返す。
「そういえば、竜見は春川に誘われて来たんだったな。仲良いのか?」
「いえ、その……。私、部活入ってなくて、彼女に今日勧誘されて」
「今の時期にか? まぁいいけど。正直、春川が秋山以外のやつとつるむのはいい傾向だと思うよ。仲良くしてやってくれ」
「え、どういう事です? 春川さんがどうかしたんですか?」
思えば、春川夏樹の言動は妙であった。
突然、人が変わった友人を心配している。それは間違いないのだろうが、一方で友人の変化を拒絶しているような。そんな印象があった。もし、今回の件がなんらかの霊障であるのなら、そこに核心があるような気がしてならない。
そう思った十魔子は、真剣な面持ちで清美に迫った。
「あ、いや、なんというか、ちょっと過保護な気がしてな」
十魔子に押される形で清美はこぼした。
「過保護?」
「あぁ、さっき、秋山が変わろうとしていると言っただろ? それを妨害していると言えば語弊があるだろうが、とにかくそばにいて、やることなす事口出しして、本人としては守っているつもりなんだろうが……」
「なるほど……」
「いや、あくまで私の勝手な印象だからな」
清美が慌てて補足する。
「わかってますよ。部長」
そう言ったが、十魔子の頭の中では何かが繋がったような気がした。
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