第50話 いじわる

 黄麻台小学校の旧校舎は度々改修を受けており、トイレは校舎とは不釣り合いなタイル張りで、陶器製の便器だった。しかし、大便用は和式である。


「調べるって言ってもなぁ……」


 見た感じ、異様なものは見当たらない。周囲には俗に人魂と呼ばれる光球が漂っているが、これは異界であることの証明のようなものなので問題はない。


 十魔子ならば、それっぽく手を翳して何かを感じ取れるのだろうが、健作には不可能だ。


 なぜなら、分霊人には霊感が備わっていないからである。


 本来、誰しもが大なり小なり備えている霊感を、魔術師は幼少期からの訓練によって磨き上げ、能動的に視覚や聴覚に繋げることで、霊的な存在を見聞きしたり、また邪悪な霊気を感じ分けることができるのである。


 対して、分霊人は霊的存在を、直接五感で捉えるようになる。


 ある意味で霊感が極まっていると言えるが、その弊害か、霊感という感覚がわからないのだ。


 十魔子には匂いや空気の肌触りでわかると説明はされたが、健作の嗅覚や触覚には違和感がない。そもそも何が違和感なのかもわからない。これは経験不足によるものだろう。


 少なくとも、メフィストがばら撒いた穢れのような悪臭はない。という事は、とりあえず危険はないという事だ。


「……問題なしで、いいのかなぁ?」


 ふと、大便用の便器を覗いてみるが、綺麗なものだ。異次元に引き込まれる気配はない。旧校舎が使われなくなったときに綺麗に掃除されたのだろう。健作も使ったことはない。ここで遊んでいたときに催して来たら、わざわざ新校舎に行ったものだ。


「……」


 健作は、自分の腹を擦った。


 今夜仕事だというので、体力をつけようといつもの二倍の晩御飯を食べた。順当に消化されていれば、今頃は胃で消化されてるだろう。


「……まだ大丈夫かな?」


 と、安心した途端、不意に何かが背後を何かが横切る気配。


「!?」


 振り返ると小学生くらいの白い人影が多数、トイレの中を行ったり来たりしていた。中には便器を使用しているものもあった。


 とっさにポーチから木刀を取り出して構える。


 しかし、襲ってくる様子はない。だが、異常事態である事は間違いない。女子トイレはどうなっているだろうか?


「十魔子さん!?」


 健作は駆け足で男子トイレを出て、女子トイレに入った。


 女子トイレも似たような光景が広がっていた。


 十魔子は便器の一つに手を翳して蹲っている。


「十魔子さん大丈夫!?」


「ん? なにかあった?」


 と、振り向かずに言った。


「なにかあったかじゃないよ。周りを見て!」


「なんなのよ。もう……」


 うんざりした様子で立ち上がり、白い人影が闊歩する周りを見渡す。


「あぁ、これの事?」


「う、うん」


「これはね……。とりあえず出ましょう。ここ女子トイレだし」


 十魔子は健作の背中を押してトイレを出た。


 廊下に出ると、そこでも白い人影が大量に行き来していた。


 大半は小学生くらいの大きさだが、時折、大人くらいの背丈の人影が通る。


「これは建物に染みついた人の光景。建物の記憶みたいなものね。古い建物にはよくあるのよ」


「へぇ、犯罪捜査とかに使えそうだな」


「そんなうまい話はないわよ。染みつく光景に法則性はないから、都合よく犯罪の瞬間だけを記憶してるみたいな事はないの。それにほら、見ての通り顔もわからない影法師でしょ?」


「ん~、まぁ確かに」


 目を凝らして人影を見ても、わかるのは背丈と輪郭だけで、顔の造形はわからない。犯罪捜査には使えそうもない。


「さ、次に行きましょ」


 十魔子は人影を気にせず歩き出す。


 しかし、健作は何となく人影を避けて後を追う。


 その時である。


 天井から小さな人影が落ちてきた。


「!?」


 思わず立ち止まって目を丸くする十魔子。


 小さな人影は、床に尻餅をついたまま消えていった。


 人影が落ちた後の床は、丸く窪んでいた。


「え!? な、なに!?」


 天井を見ると、ちょうど子供一人分くらいの穴が開いている。


「あれ、どうしたの十魔子さん?」


 健作が追い付いてきた。


「い、今、子供が天井から……」


 十魔子は天井の穴を指さして慄いている。


「あ~、それ多分俺だよ」


 天井の穴を見て、健作はあっけらかんと言った。


「え?」


「あれは、もう卒業間近な頃だったな。例の女の子と、いつものようにかくれんぼしてたら床が抜けちゃってさ。まぁ幸い大したことなかったんだけど、おかげでここに出入りしてるのがばれちゃってさ。いや~、怒られた怒られた。親に怒られて、先生に怒られて、警察に怒られて、あれほど怒られるの、一生に一度くらいだろうなぁ。アハハハハ」


 健作は気楽に笑った後、ふと切なげな顔になった。


「あの子に会ったのも、あの日が最後なんだよな……。あれ以来、出入り禁止になって、秘密の抜け穴とか全部塞がれちゃって。結局、あの子はどこからきてどこに住んでたんだろ? 学校の子じゃなかったしなぁ。う~む……」


 と、一人で唸っている健作を、十魔子は細い目で眺めていた。腕を組み、口を真一文字に結んでいる。


「……じゃあ、あなたのせいで旧校舎が取り壊される事になったのかもね」


 十魔子はそっぽを向き、冷たく言い放った。


「……え?」


「だってそうでしょ? 子供がケガをした施設なんて存在を許されないもの。今はそういうの厳しいからねぇ」


 健作の額に脂汗が滲んだ。


「で、でも、事故が起きたのは三年以上前だし、と、特にそういうのは言われてないし……」


「そりゃ公園の遊具とは違うもの。手続きやらなんやらで三年くらいかかるんじゃないの? あなたのご両親は優しいから、生臭い話題は耳に入れないようにしてただろうし。あ、もしかしたら責任問題にまで発展したかもね。児童にけがをさせたとあっては学校の信用にかかわるもの。校長先生辺りが追及されたのかもね~」


 十魔子は考えられる可能性を口にした後、ちらりと健作を見た。


 健作の顔には滝のような汗がダラダラと流れていた。口は半開きで、目の焦点が定まらず小刻みに動いている。


「どど、どうしよう……。そういえば五年の時の先生が結婚するとかで学校をやめたけど、もしかしたら責任を取らされて……」


「いや、それ多分関係ない」


 わけのわからないことを言い出す健作を見て、十魔子の心がチクリと痛んだ。


「ま、まぁ可能性の話だし。こんなに古い建物だもの。遅かれ早かれ取り壊されてたわよ。仮にあなたの件が一因にあったとしても、それはきっかけに過ぎないわけで、むしろいい機会を与えたというか……」


 と、精いっぱいのフォローをしてみるが、健作の顔の汗はとどまる事を知らない。同時に、ギュルルと腹から変な音が鳴りだした。


「うぅ……。お腹痛くなってきた。ちょっとトイレ」


 健作は腹を押さえてトイレに戻ろうとした。


「あ、このトイレは使えないだろうから、外の仮設トイレに行った方が……」


「う、うん、そうだね」


 健作は方向を変え、玄関に向かった。


「えっと、ちゃんと異界から出てするのよ!」


 十魔子は健作の背に向かって叫んだが、健作は反応せず、足を引きずって歩くのみだった。

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