第45話 談判者 三葉健作

 翌朝。


「何を考えてるんですか!?」


 健作はそう怒鳴って、黒壇の机に叩き割る勢いの拳を叩きつけた。


「!?」


 机の主の小太りで頭部の寂しい初老の男性、黄麻台高校の校長は目を白黒させている。


 授業も始まらない朝早く、いきなり一人の生徒が校長室に乗り込んできて、わけのわからないことを言い出せば、こうなるのも当然だろう。


「いいですか!? 確かに自分は十魔子さんの異界造りに巻き揉まれましたよ? 悪くすれば死んでたのも事実です。依頼人の校長先生からすれば確かにミスでしょうよ。ですがね、その内訳を考慮せずにただミスだと杓子定規に断ずるのはどうかと思います! 相手はメフィストフェレスっていう悪魔なんですよ。先生も聞いたことはあるでしょ? 確かファ……ファ……ファミ―」


「ファウスト?」


「そう、それです! そういう昔の小説にも出てくる古い悪魔なんです。名前を持った悪魔というのはかなり強くて、そのうえ狡賢いんですよ。新米の十魔子さんが生き残れただけでも御の字ってレベルの相手だって事を考えてください。しかも、自分も博之もまだ生きてる。実質被害はゼロなんです。それなのに報酬を取り上げるなんてあんまりじゃないですか! そんな固い頭でよく教育者なんてやってられますね!」


 健作は机をバンバン叩きながら、一気にまくし立てた。


 対して、校長は目を白黒させながらも耳を傾けている。その時である。


 バン!


 背後の引き戸が音を立てて開いた。そこには、目を限界まで見開いた十魔子が立っていた。


「あ、十魔子さんいいところに。十魔子さんからも言ってやって―」


「大霊波ぁ!」


 怒りの込められた光が健作を襲った。


「すみません! すみません! 本っ当にすみません!」


 十魔子が校長に何度も頭を下げる。その足元で健作が白目を剥いて倒れている。


「後でよく言って聞かせますので、どうか許してあげてください」


「あ、いや、別に怒ってはいませんよ。彼のいう事にも一理ある。今回の件はかなり特殊なものだと聞きました。それを考えれば報酬の全額返却はやりすぎな気もします」


「いえ、仕事を任されて報酬をもらう以上、私はプロです。プロであるなら、魔術師としてのルールに従うべきだと思います」


 十魔子は背筋を伸ばし、凛として言い放った。


「嘘つけ!」


 気が付いた健作が机の淵を掴んで起き上がる。


「昨日お義母様に聞いたら、そんなルールはないって言ってたぞ」


「あのね、マレビトの世界に明文化されたルールなんて無いの。だからこそ、個々人のモラルが重要になるの。私は私のモラルに従って報酬を返却した。これでこの話はおしまい! 私の問題である以上、あなたにとやかく言われる筋合いはないわ!」


 十魔子は健作の目をまっすぐに見いてる。


「う……」


 あまりに堂々とした態度に、健作はたじろいだ。


「なるほど、自分のルールに従って報酬を返すというなら、確かに余人が口を挟む事ではない。一理あるね」


 校長は指を組んで言った。そして、健作に視線を向ける。


 健作は、何か反論しようと目を閉じて唸る。


 そして、何かを閃いたのか、カッと目を開いた。


「校長先生。十魔子さんが返してお金ってまだあります?」


「あぁ、あるけど?」


「じゃあ、こうしましょう。そのお金で今度は私を雇ってください。私はそれを十魔子さんに回しますので。これで先生は一人分の報酬で、マレビトを二人雇ったことになる。すげぇ、まるで錬金術だ!」


「錬金術とは違うかもしれないが、私はそれでもかまわないよ」


 校長は納得したように頷いた。


「ちょっと、なに私抜きで話を進めてるんですか!? 健作君も勝手な事しないで!」


「あぁ、勝手さ。でも、これが俺のモラルだ。惚れた女にひもじい思いをさせたら、俺のモラルが許さない。俺の問題である以上、十魔子さんは口出しできないはずだ。そうだろう?」


「それ、私がさっき言った事じゃない。マネしないで!」


「しかし、マレビトとして自身のモラルに従うというのなら、三葉君のいう事にも一理ある」


 校長が助け舟を出す。


「先生!?」


「そうでしょう? さっすが~、校長先生は話が分かる~」


 健作は滑るように校長の背後に移動し、彼の肩をもみ始めた。


「さすが一校の長、校長先生ともなると柔軟な発想をされますね~。教育者の鏡ですよ」


「そうやって、すぐに掌を返すのもどうかと思うがね。お、なかなか上手いね」


「ハハハ。それにしても、なんでまた異界造りをやろうって気になったんです?」


「おや、聞いてないのかな? 昔は異界造りは当たり前にやってたみたいだよ」


「へぇ、初耳です」


「それは、そうだろうね。私も長年教師をやってて噂程度には聞いていたが、事実だと知ったのは校長になってからだ。ただ、今は不況だし、それほど効果がないって意見も出て、やりたかったら校長が自費でやるってことになってるみたいだよ」


「いや、効果がないなんてことはないでしよ。実際に悪魔は存在するんですし。ねぇ、十魔子さん?」


 健作は十魔子の顔を見た。


「どうかしらね。結局、そこにいる人次第なとこがあるし。人間がちゃんとしてれば、悪魔や悪霊は最初から寄り付かないものよ。逆に、異界造りをしてても、そこにいる人間がちゃんとしてなければ、悪魔の餌食よ」


 十魔子の言葉には、若干の失望めいたものが混じっていた。


「いやいや、そうは言うけど四六時中ちゃんとするっていうのは無理だよ。人間、張り詰める時もあれば弛む時もある。それが自然なんだ。もし悪魔がその弛む時を狙っているのだとしたら、そこは守ってあげなきゃ。ちがうかい?」


 校長が恍惚の表情をして言った。


「それは、まぁ……」


「むしろ竜見さん、私から見れば、君は張り詰めすぎな気がするね」


「わ、わたしが!?」


 突然、自分の事を言われ、十魔子は面をくらってしまった。


「責任感が強いのは結構な事だが、行きすぎれば自分を殺す事になる。もっと人を頼ってもいいんじゃないかな?」


「その通りです先生! もっと言ってあげて下さい!」


 健作の肩を揉む手が激しくなる。


「三葉君は少し弛みすぎなんじゃないかなぁ?」


 校長は呆れながら言った。

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