第2話 ジュース と スマイル

◇2◇


 小豆のことを心配して、休み時間と放課後を利用して各教室でラブレターについて頭を下げていた俺。


「……ふぅーーーーーーー」


 放課後。

 全部の教室でお願いを済ませた俺は「燃えたよ、燃え尽きた、真っ白にな……」なんて。

 往年おうねんの名作であるボクシング作品の主人公の感動のラストシーンの名台詞を脳裏のうりで再生しながら。

 役目を終えて、校舎内に設置されているジュースの自販機の横の壁に寄りかかり、そのままの姿勢で背中を密着させながら、「ズズズ」と音が聞こえてきそうなくらいに。

 深く息を吐き出しながら微笑みを浮かべて床に座り込んでいた俺。うん、別に役目と呼べるほど大したことはしていませんけどね。

 みずから望んで頭を下げていたとは言え、緊張はピークに達していたのだろう。座り込んだ俺のひざが小刻みに震えていた。密着している壁がヒンヤリと冷たさを背中に与えるくらいには汗をかいていたのだろう。

 

「お疲れさま、よんちゃん♪ ……はい?」

「お疲れ様です、お兄様、これを……」

「ありがとう……っと――ぐえっ!」


 数秒間だけ呆然ぼうぜんと目の前の景色を眺めていた俺の耳元で、「ガコンッ」と言う自販機の取り口にジュースの缶が落ちる音が奏でられる。

 そして直後、俺の目の前にジュースを差し出しながら、優しくねぎらう香さんと。

 控え目にタオルを差し出す、あまねるの姿が映し出されるのだった。


 わざわざ俺の教室巡回じゅんかいに同行してくれて、一緒にお願いをしてくれていた二人。

 だから本来ならば俺の方が二人を労うべきなのに、体が思うように動かず、俺の方が労われてしまっていたのだ。

 俺は二人に笑顔で感謝を伝えてタオルを受け取ると、少しだけ上半身を前に傾け、右手をズボンの後ろポケットへと回していた。

 ところが、普段使わない筋肉を酷使こくしした時のような倦怠感けんたいかんが上半身に走ったかと思うと。

 直後右肩から指先。そして背中にかけて、電流が走るような衝撃を覚えて声を発していた俺。

 思ったよりも緊張で体が強張こわばっていたらしい。無理にひねったから右半身に痛みを感じていたのだった。

 運動不足って訳でもないんだけどね。


「だ、大丈夫、よんちゃん?」

「お、お兄様、大丈夫ですか?」

「いてて……あ、ああ、大丈夫ぅぅぅぅぅぅ……」

「には見えないわよねぇ……」

「本当ですねぇ……」


 俺の声に驚きの声を返す二人。だから心配かけまいと「大丈夫」と伝えたかったのだが。

 自分の意志とは無関係に、体が悲鳴をあげて非常に残念で情けない声が漏れていたのだった。

 そんな俺の情けない格好を見ながら呆れた苦笑いを浮かべて言葉を紡ぐ二人。

 もちろん俺の様子から、「心配するほどのことではない」と理解してくれているからなのだろう。俺としても笑い飛ばしてくれた方が気が楽になれるのだ。


「……ふぅ。……えっと、これ……」

「いいわよぉ、今日は私のおごりで♪ あっ、雨音ちゃんも何か飲む?」

「ありがとうございます♪」


 二人の優しさに、心だけでなく体も楽になった俺は軽く息を吐き出すと。

 後ろのポケットから財布を取り出しジュース代を香さんに差し出した。当然三人分だけどね。労いの意味でお礼をしようと思っていたのだ。

 だけど香さんは笑顔で拒否をする。そして視線をあまねるに向けて彼女にも何か飲むかと聞いていた。

 香さんの言葉に笑顔でお礼を伝える彼女なのだった。


 当然ながら彼女は香さんを立てているだけのこと。

 確かに彼女も家がお金持ちだとは言え、自分の使えるお金は俺達の小遣い程度の金額と変わらないのだと思う。

 それでも別におごってもらわなくても、自分のジュースくらいは買えるはずだ。

 そもそも彼女は聡明そうめいで優しく、周囲に気配りのできる子である。

 彼女にとって、先輩であり姉である香さんに負担などかけたくないと思うのだろう。

 だけど香さんが無償で恩を差し出した。だから彼女は笑顔でお礼を伝えた。 

 そう、彼女は純粋に、香さんの厚意こういをありがたく受け取っているだけなのだ。そうしてもらう方が香さんも嬉しいのだろう。やはりしたわれるのは気分がいいからね。


 俺だって彼女達に笑顔を与えてもらった方が嬉しいし、喜んでくれると気分がいい。

 だから色々と、何かをしてあげたくもなるのだろう。

 ただ、毎度毎度俺が彼女達に何かをしてあげると……まぁ、もちろん小豆も含めての話だが。

 それはそれは、差額分のローンを組んで長期返済しないといけないくらいの。

 俺には贅沢ぜいたくすぎるくらいの最高級な笑顔と態度で接してくれる彼女達。

 愛している彼女達――まぁ、この段階では愛している香さんや、可愛い妹達なんだけどさ。

 そんな彼女達からの与えられる笑顔や態度は、俺にとっては声優さんの『限定十名程度のライブ会場見学』レベルの価値に等しいのだから、それは当然なのである。

 ……あれは奇跡としか言えないレベルだよな。イベント自体もそうだけど、当選することが奇跡だと思う。

 まぁ、自分の通う学校のアイドル四人と、アイドルとファンとしては考えられないほどの親密な関係でいる時点で俺の存在も奇跡以外に説明がつかないんだけどな。

 つまり、お返しが何百倍にもなってかえってくる現状。返しきれなくて膨らんでくる債権さいけん

 当然ながら彼女達は無償で返しているので、返しきれない状況でも俺に対する印象が悪くなることはないんだけどさ。

 債権という名の彼女達への愛が膨らむばかりなのであった。

 うん、正直彼女達の笑顔や対応に見合うようなものを与えられない自分に不甲斐ふがいなさを感じる一方なのであります……。


「とりあえず、はい、よんちゃん?」

「……」


 あまねるのお礼を笑顔で返した彼女は、俺に向き直ると再びジュースを差し出してきた。

 俺の分を渡さないとあまねるの分を買えないのだろう。

 うん。俺もあまねるにならって笑顔でお礼を言って受け取ればいいのだろう。

 俺も後輩だし弟なんだ。立ててあげれば彼女も気分がいいのだと思う。別でお返しすれば問題ないことも理解している。だけど。

 俺は素直に受け取ることができなかったのだった。


 いや、彼女の厚意を無下むげにしたいんじゃない。気持ちはとても嬉しいし、甘えることを拒む理由もない。それでも、俺は拒んでいた。そう、これは俺の気持ちの問題。

 小豆の為だけじゃないかも知れないけど、それでも俺の我がままに付き合ったくれた二人。俺が二人に対してお礼をするべきなんだ。

 なによりも、愛する香さんと可愛い妹のあまねるに。

 そして、この場にいないけど同じように可愛い妹の小豆に。

 男として兄として、そんな格好悪いところを見せたくない。少しでも好印象を抱いてほしい。

 そんな『見栄っ張りなプライド』が俺の気持ちを後押ししていたのだった。


「……」

「よんちゃん?」

「お兄様?」


 かたくなに受け取らない俺に、とても心配そうな表情を浮かべて声をかける香さんとあまねる。

 受け取りたくないからと言って、このままでいるのは彼女達に失礼だと感じていた俺。

 だから俺は次の行動に出ることにした。


「――ッ!」

「よんちゃん?」


 俺は片手で持っていた小銭を両手で包む。そして苦笑いを浮かべて彼女に言葉を紡いだ。


「すみません、香さん……俺、今両手がふさがっているんで、ジュースが持てないんです」

「……うん、そうよね?」


 目の前で両手をふさいだ俺に、「ジュースの受け取りを拒否した」と思って、特に怒ることもなく。

 普通に「目の前で見ているんだから、それくらいわかるわよ?」と言いたそうな表情で言葉を返す彼女。


「なので申し訳ありませんが……手の中の小銭を代わりに取ってもらえませんかね?」

「……ふぅ。……はいはい……っと。これで受け取れるわよね? ……」

「あ、ありがとうございます……それと――」


 俺は申し訳なさそうに両手を広げて彼女にお願いしていた。

 俺の言葉に呆れたように軽く息をついて苦笑いの面持ちで了承すると、俺の両手で包んでいた小銭を取ってくれた香さん。

 そして言葉を繋ぐとからになった俺の手の平に、差し出していたジュースを乗せてくれた。

 少し時間が経過しているからだろう。缶ジュースには水滴が覆っていた。缶の冷たさと水滴の潤いが手の平に伝わり、これだけでもりょうをとれていた俺。

 清々しい気分で彼女にお礼を伝えて言葉を繋いだのだった。


「俺の手の平で暖めて小銭がしているかも知れないんで、ちょっと調べてもらっていいですか?」

「ん?」

「――え? むむむぅ……」


 俺の言葉に疑問の声を発する香さん。そして目を見開いて驚いていたあまねるは……香さんの手の平の小銭を目を細めて真剣に凝視していたのだった。

 当然ながら、俺と香さんは彼女に苦笑いを送っていたのである。

 うーん。あまねるに変なことを教えてしまったかな。いや、冗談なんだけどね。ある訳ないじゃん、人間の手の平の熱で硬貨が変形とか。

 お嬢様である彼女には俺の庶民ジョークが通じないのであった。いや、庶民関係ないけど。

 とにかく、あまねるに間違った知識を植えつけてしまう前に次の言葉を香さんへ繋ぐのだった。


「ほ、ほら、ちょうど横に自販機あるじゃないですか? ……ちゃんと使えるか調べてもらえません?」

「……ぁぁ」

「……ん?」


 香さんは俺の言葉を聞いて理解してくれたのだろう。小さく声を漏らしていた。

 そんな俺達の会話で何かに気づいたらしく、あまねるは視線を俺に移して疑問の声を発していた。よし、もう一息だ。頑張れ、あまねる。


「ああ、でも一本だと不安なんで二本分買えれば問題ないと思いますし……俺は香さんに『おごってもらった』ジュースがあるんで……二人にお願いしてもいいですか?」

「……だ、そうよ?」

「……ああ!」


 俺の言葉に「はいはい、わかったわかった……」と言いたそうな笑みを溢すと、隣のあまねるに声をかけていた香さん。

 どうやら完全に理解してくれたようで、あまねるは納得の表情を浮かべていた。

 よし! ジェスチャーミッションコンプリート! まぁ、ジェスチャーではないんですけどね。

 ある意味達成感を覚えていた俺は心の中でガッツポーズをしながら叫んでいた。

 ミッションの報酬ほうしゅうは当然、手の中にある缶ジュース。って報酬先払いのミッションとかハードル高いな。失敗は許さんってことだもんな。……成功してよかった。

 

「あっ、お手数かけるんで残りは手数料と言うことで?」

「はいはい……そう言う訳で雨音ちゃんも手伝ってね?」

「はい♪ ……ありがとうございます、お兄様♪」

「ありがとね、よんちゃん♪」

「ははははは……」


 とりあえず念押しで付け加えておいた俺。うん、俺の分を返されても意味ないしな。

 香さんは俺の言葉に苦笑いを浮かべて了承すると、あまねるに声をかけていた。

 彼女の言葉に笑顔で了承すると、俺に向けて満面の笑みでお礼を伝えてくるあまねる。

 同じように満面の笑みで礼を伝えていた香さん。

 俺は恥ずかしさから苦笑いを奏でるだけなのであった。


 ほら……ほらな? これだもん、こんな笑顔が返ってくるんだぜ?

 これが〇円だなんて世も末だよな。某ファストフード店の概念はおかしいのだろう。まぁ、人にもよるかも知れないけどさ。

 絶対に俺のスマイルなんて金を払っても誰も受け取ってくれないだろうし……小豆以外。

 まぁ、小豆の場合は――


「わ、私もお小遣い少ないから……ね? 一日百円でいい?」


 とか、某ファストフード店の概念について話していた時に。

 ビクビクしながら財布片手に真剣な顔で聞いてくる始末なのであった。



 ――ったく、お前は何を聞いていたんだ?


 お兄ちゃんのスマイルにそんな価値などございません! 

 ご愛顧あいこいただける皆々様にはフリー素材としてご提供しております!

 お気軽にお申し付けいただければ誠心誠意真心をこめて笑顔を献上けんじょういたしますので、お客さまの心の末席まっせきけがすことをお許しください。


 まぁ、スマイルだけじゃなくて俺の存在自体がフリー素材なのかも知れない。

 つまり、小豆には俺を自由に使える権利があるのだ。だって俺は小豆のお兄ちゃんなのだからな!

 ……と言うより、普段からお兄ちゃんのことを自由に使っているのに何を言っているんだろう、この子は?


 俺はただ単純に、お前達のスマイルが俺には高価すぎるのに無料で受け取っておいて。

 俺のスマイルも同レベルの無料でもらってくれているのは申し訳ないって話をしていたんじゃねぇか。

 そもそも、「俺が金を払っても誰も受け取ってくれない」と言っているのに、なんで、自分が払おうとしているんだよ? 百円なんて出されたら……俺の人生を買えちゃうじゃねぇか!

 俺の人生が一日百円も価値があるのかは無視しておいて。


 お前は俺を奴隷にしたいのか? ……まぁ、小豆がご主人様なら、そんな人生も悪くはないって思えるけどよ。

 って、いやいやいや、本心だけど妹の苦労を考えてから言えよ、俺……。

 とは言え、現段階の『擬似ヒモ生活』よりは俺が奴隷になって妹に献身的なご奉仕をする方が、小豆の負担は減少することを、あえて考えないフリをする『今』のダメなお兄ちゃんなのであった。

 なお、小豆の言葉を聞いた時は、何も考えずに開いた口が……小豆の放り込んだ、あんこ玉で閉じられただけなのだった。

 話を進めよう。


 とにかく、こんな俺にはもったいないくらいの笑顔が当たり前のように返ってくるのだ。

 正直、缶ジュース一本と言わず……自販機一台を買ってあげても足りないくらいの笑顔だと思う。まぁ、二人なんで二台ですかね。あと、「そんなに飲める訳ないでしょ!」と怒られると思いますが。

 だけど俺にはそんな甲斐性かいしょうはないのでむなしさが心を膨らますのです。

 彼女達の笑顔で心はかなり満たされておりますが、虚しさで更に膨らんだ部分を。

 冷たいジュースで満たすように、缶を開けて一気に中身を流し込んでいた俺。心ではなく、お腹に流れ込んでいますけどね。

 流れ込んできたジュースの冷たさと、柑橘系の清涼感ある味わいが、一時の休息を心に与えていたのである。 

 そんな俺を眺めて嬉しそうに微笑んでいた二人も、ゆっくりと缶を開けて飲み始める。

 俺も二人の「コクコク」とのどを鳴らしてジュースを飲む可愛い姿を眺めていた。

 ……うん、床に座る俺の視線の先。目の前で普通に立っている二人の制服のスカートから伸びるスラッとした四本の芸術品。

 更に一瞬だけ視界に飛び込んできた『ライトグリーン』と『純白』の彩り。ほ、本当に一瞬だけだよ?

 思わず凝視したくなる衝動を覚え、慌てて視線を顔付近へと移した俺。

 とは言え、実際には究極の選択にも等しいのだから自分の選択が間違いだとは思えず。

 至福の時間を味わっていた俺なのであった。

 

 こんな感じで二人に協力してもらい、小豆のことを心配して、全ての教室でラブレターについて頭を下げていた俺だったのだが。

 それとは別に――まぁ、これは小豆には関係ないんだけど。

 小豆が寝るまでは俺も寝ないで起きているから……たまに脱落寝落ちするけど。

 単純に俺自身の寝不足解消の為にでもあったんだけどね。

 いや、小豆には「私に付き合ってお兄ちゃんも起きている」なんて悟られないようにしていたから気づいていないと……思いたい。でも、あいつアニオタだからな? 何とも言えないんだよ。

 その事実に気づいていないと思ってはいるものの、「俺を立ててくれて何も言ってこないだけなのかも?」って考えもある。だから真相は謎のままだ。


 ……そう言えば、夢の中で、俺の部屋のカーテンの青で染まった朝焼けに包まれた室内。

 小豆がベッドに寝ている俺の枕元に座り、俺を膝枕して――


「お兄ちゃん、遅くまでごめんねぇ? そして、毎日私の為にありがと♪ ……起こしにくるまで、ゆぅ~っくり寝ていて、いいんでちゅよぉ♪ ……うん、えらいでちゅねぇ……いいこ、いいこ♪」


 なんて、聖母のような微笑みを浮かべながら、赤ちゃんをあやすお母さんのような口調で優しく頭を撫でている。

 小豆の手の平の感触や俺の頭を乗せている膝の感触。更に体温や小豆の香りまでもがリアルに感じられるような夢。

 小豆の部屋の蛍光灯が消えるまで頑張っていた当時――いや、正確には夜遅くまで頑張っていた頃かな。

 その頃、毎日必ず見ていた夢なんだよね。 

 なんで、あんな夢を見ていたんだろう……まぁ、純粋に俺の願望が夢になったのかな。

 うん、小豆に甘えられることなんて、夢でしか実現しないだろうから余計に嬉しいんだよね。

 だけど、なんで単なる俺の願望なのに、毎日決まって同じ夢が見られるのかは謎なんだよな。特に気にしてはいないけどさ。


 なお、夢を見ていた時期をわざわざ訂正した理由。

 俺は毎日、小豆が寝静まるまで起きているのである。いやいや、変な意味ではないのだよ。……言い訳すると逆に変な意味に聞こえそうだけどさ。

 純粋に妹が、もしも寝る前までに具合が悪くなったり、怪我したりとか。

 そんな感じの『何かあった時』に対応する為なのである。つまり、レスキューって意味なのだ。

 おかげさまで俺が霧ヶ峰家の『自宅警備員』に……雇用主こようぬしの採用可否かひを完全無視して勝手に就職してから。うん、面接もしていないですからね。そもそも応募もしていなかったのですが。

 そんな不測ふそくの事態には……お兄ちゃん絡みの『嬉し恥ずかしイベント』以外には起こりません。いいのか、それで? まぁ、妹が無事なら問題ないし、その手のイベントはお給料だと言うことにしておこう。


 うん……俺、一度寝ちゃうと朝まで役に立たないから。起きても完全に寝ぼけているし。 

 だから最低でも小豆が寝るまで、俺は警備をしていないと給料泥棒になってしまうのだ。恩は返さねばならないのである。

 とは言え、別に小豆だけを気にしているのではなく、智耶のことも同じように気にかけている俺。

 ただ、俺の部屋の隣は小豆で、小豆の部屋の隣が智耶の部屋になっているから、小豆ほど気にかけられないのは心苦しいのだがな。その分は姉がフォローしてくれていると思う。

 肝心の姉が俺の部屋に入りびたっている間は正直不安なのだが……。

 そして、智耶は小豆より早く寝る。だから小豆が寝るまで起きていれば問題ないのであった。

 まぁ、智耶は小学三年生ですからね。夜の十時には消灯するのです。

 でも俺が小学三年生の頃なんて夜の九時に消灯していたので、智耶さんは不良さんなのですね。嘘です、ごめんなさい。ただ俺が起きていられなかった子供だっただけです。

 第一、起床時間は智耶さんの方が早いのです。

 うん、寝る子は育つと申しますが……寝すぎたお兄ちゃんは育たなかったので智耶の睡眠時間の方が正しいのだと思われます。あと、不良は昔のお兄ちゃんの方でした。よし、謝罪も済んだところで話を戻そう。

 

 とにかく、妹二人が無事に睡眠するのを確認できれば「兄としての責務は果たせるだろう」と考えている俺。これも俺なりの恩返しなのである。

 なお、親父達については……知らん。いや、あの二人なら何かあっても大丈夫だろうからさ。


 あと、俺が寝てしまった場合の我が家の有事は親父達の責務なのである。

 って、俺達兄妹のことは最初から親父達の責務なんだし、その自覚は十分すぎるほど感じてはいるけどね。高校生になっているから少し気恥ずかしさは感じているけど、とても嬉しく思っているのだ。

 まぁ、「だから」ってことでもないんだけど。

 まだまだ息子として両親に責務を果たせるほど大人ではない俺。扶養ふようなので偉そうに言える訳がないんだけどさ。

 長男として兄として、せめて妹達だけには格好つけたい年頃なんだと思う。意味はないのだろうけどね。

 

 とにかく、俺的には悟られていないと思っているし、別に俺の寝不足について「小豆が悪い」なんて思っていない。

 だって、俺が自宅警備員の任に使命を燃やしていただけなのだから!

 ……ごく、たまーに職場放棄していましたけどね。

 そんな個人的な理由もあったのだった。



 うん、事情が事情だけに……もちろん俺個人の話なんてしていないけど、さ。

 小豆のことを想って全員が納得してくれていた小豆へのラブレターの件。

 まぁ、俺のおかげと言うよりも小豆の人望。そして、香さんとあまねるも手伝ってくれて一緒にお願いしてくれていたからだと思う。

 小豆がそうなのだから、二人もラブレターと言う名のファンレターを大量にもらう立場。そして小豆同様、きちんと返事をしているのだと言う。

 二人とも信用の連鎖を小さい頃から意識して生活していたのだろう。小豆だって、そう言う意識があるはずだ。

 さすがに明日実さん相手に手紙を送ろうなんて勇者は……うん、滅多めったにいないけどさ。きちんと彼女だって返事をしているそうだ。

 そんな四人に倣ってなのか。

 各クラスのアイドル達も、送られたラブレターには丁寧に返事をしているらしい。いわゆる『神対応』と呼ばれるものなのだろう。神対応について詳しくは知らんけどな。


 ――だからなのかは知らないけど、それが周囲のファンとの間に深い絆としてつちかわれてきた要素。

 昼休みに香さんが言っていた――


『よんちゃんは自分の妹だから、そう感じているのかも知れないけれど……あの子は周囲の人達に対して、そんな薄っぺらい付き合いなんてしていない』


 ってことなんだと思う。今回は小豆のことだったけど、香さんやあまねるにも同じような考えを、俺は持っていたのかも知れない。

 うん、三人の周囲への接し方を間近で見てきたはずなのに、実際には理解できていなかったってことなんだな……。

 他の人達よりも距離が近すぎたからなのか。はたまた、俺の心の葛藤かっとうが原因だったのだろうか。

 俺は三人と『薄っぺらい付き合い』しかしてこなかったのかも知れない。

 暗に、俺の三人に対する付き合い方を問われたようにも思えていた。

 もしかしたら。

 そんな薄っぺらい付き合いしかしてこなかった俺なんて、三人の誰かを選んで告白する権利なんてないのではないだろうか。

 俺なんて……たまたま近くにいたから表面上だけの付き合いをしていたのであって、深い繋がりなんて最初からないのかも知れない。

 俺自身が『そう言う関係』であることに安心して、何も踏み込んでいなかったってことなのかも知れない。

 ……そう、アニオタだと宣言して結婚を申し込んでくる小豆でさえ。本当に俺を求めているのかはわからない。

 過去のトラウマ。両親への恩。そう言うものに縛られているだけなのかも知れない。だから。

 俺が小豆を選んだとしても、あいつは自分のあやまちに気づき、過去を清算せいさんしようとするかも知れない。そう、拒否をする可能性もあるのだろう。

 残念ながら俺には、三人の気持ちはわからない。人の心が読めないのなんて当たり前だけどさ。

 だから、表面上に見える付き合いが本心だとは限らないってこと。恋愛対象としては見向きもされていないかも知れないのだ。


 でも俺の気持ちは変える必要はない。三人を愛している気持ちは俺の気持ちなんだからな。

 いざって時に備えて、少しでも深い繋がりを持てばいいのだろう。気づけたのなら修正すればいいのさ。

 人生は甘くなくても、諦めずに何度だって立ち向かっていいんだからな――。


 いや、今ここで俺が決意表明を固めても……ラブレターを見せられていた当時には何も関係ないから回想に戻るとしよう。


◇3◇


 そんな理由から、小豆への一日に送られてくるラブレターは三通に減ったのである。もちろん平日限定だけどさ。

 そして、『今日』は香さんのクラスが順番だったってことなのだ。


 そんな感じで量こそ減りはしたものの、毎日三通は必ず送られてくる現状。

 それは小豆に限ったことではなく、香さんやあまねるも同じように三通に減っていた。

 別に「小豆が三通になったのだから」と言う話ではなく。

 俺の話を聞いて、全員が彼女達の苦労を考えた結果なのだと思う。

 二人が一緒にお願いしているんだから、誰だって理解できると思うしな。


 三通だとは言え、毎日必ず送られてくるほどラブレターを書くものなのだろうか。

 当番制だとしても当日にクラスで三通が集まるのか。ラブレターなんて何通も書かないだろうと思うかも知れないが必ず集まるのである。

 まぁ、ラブレターと言うよりは、ファンレターとかブログみたいな内容だし、書くことは無数にあるのだろうからリピートが続出しているってことなのだと思う。


 量が減ったとは言え、毎日三通は送られてくる訳で。

 それはそれで大変なのかも知れないが、小豆的には喜んでいるのだと思う。誰からも見向きもされなかった頃に比べれば、な。

 そして、突然送られてくる量が減ったことについても、特に気にしていない様子だ。

 香さんとあまねるは減った理由を知っているのだから気にしないだろうが、小豆は突然で「戸惑うのではないか? 悲しむのではないか?」と心配したのだが、まったく気にしていないので安心していた。

 と言うより、減ったおかげで一通に対する思い入れが深まっているようにも思える。本当、変な方向にな……。


 うん、送られてくるラブレターを俺も一読するのだが。……未だに、その行為に疑問しか感じていないのですがね。

 送ってくる相手も感覚が麻痺まひしてきているのか、俺の話題が必ず出てくる。いや、既に話題の中心になりつつある俺。えっと、小豆宛の手紙ですよね?

 男女問わず送られてくる内容に、俺の話題が出てこないことがない。中には小豆そっちのけで俺の話題しか書かない手紙まで存在するくらいだ。いや、なんで?


 本当、俺に気があるんじゃなかろうかと勘違いをしそうなほどに……色んな方向で。

 本当、嬉しくて泣きそうになって勘違いを起こしたくなるほどに……色んな方向で。

 うん、小豆のことは理解しているようだが「かまってちゃん」である俺のことは誰も理解していないようだ。当たり前すぎて虚しいだけですが。そして、俺が読んでいるなんて思ってもいないのでしょうがね。


 ただ、さ。すごく気になるのが……ファイルの手紙――


『お兄さんの意外な一面が知れて嬉しかったです。』


 は?


『お兄さんって実は凄い人?』


 へ?


『もっと、お兄さんのことを教えてください!』


 なんで? 

 こんな文面を読んで、正直送られてきた手紙の内容よりも、小豆の返信の内容が気になってしまうのだ。


「お前は返事に何を書いているんだ!」

「えぇ~? お~兄~ちゃんのぉ~ことぉ~だぁけぇどぉ~? ……むにゃむにゃ……」


 思わず視線を小豆に移して問い質していた。

 加速世界の住人と化していた妹も、羊羹同族を退治したことで現実世界に戻ってきていたのである。

 ……うん、関係ないけど俺も色々な回想世界を回って。

 やっとラブレターのファイルを差し出された時間の世界に戻ってきたのでした。


 きっと、その代償だいしょうなのだろうか。瞳がトロンとなって、かなりスローペースで言葉を紡いでいる妹。

 いや、普通に眠くなったんだろうけど。ここ最近夜更よふかししていたからな。


「……まったく、しゃーなしだな? ……そぉ~っと……よしっと……ちょっと待ってろよ?」

「……」


 本当は何を書いたのか聞きたいところなのだが。眠そうな妹を起こしても可哀想だと判断した俺。

 聞くのを諦めるように左手で頭をかいて呟いていた。

 そして、慎重に右手へ絡まっている小豆の腕を取り外す。既に睡魔の勢力が妹の腕の力を奪っているようで、簡単に外せることができた。と言うより反応がなかった。いや、寝ているのかもな。

 拘束が解けて自由になった体で立ち上がると、小豆に一声かける。当然だけど反応がない。


「……。……よし、ほっ……よいしょっと!」

「ふにゃ~? 私およめしゃ~ん……」


 俺は部屋を出て、小豆の部屋の扉を開けて中へ入り。

 ベッドの布団をめくって、扉を開けたまま自分の部屋に戻る。もちろん、自分の部屋も扉を開けたまま。

 そして戻ってくると小豆を抱きかかえる。

 突然、ふわっと体が浮いたことで目が覚めたのか、小豆がぼんやりとした瞳で俺を見上げて言葉を紡ぐ。

 やっぱり寝ぼけているな。まぁ、寝ぼけているとは言い切れないけどさ……言い間違い的にさ。

 実は『あやてちゃん寝入り』なのか? まぁ、世間では『たぬき寝入り』と呼ぶ人もいるらしいけどな。どっちでもいいか。


 俺が小豆にしているのは『お姫さまだっこ』だ。

 うん、小豆の部屋に連れて行くだけだし、ベッドに寝かせるだけだから、お姫さまだっこでも問題ないのだと思う。だから先に扉を開けて布団をめくっておいたのだ。


「それを言うなら、お姫さま、だろが……落ちんなよ?」

「おにいちゃんが、およめしゃんだっこ、しているからぁ~、ちゃんとぉ~、おきているよぉ~」

「そっちじゃねぇし、お姫さまだっての……って?」

「……くぅ~」

「寝ているじゃねぇか! って、まぁ、いっか……」


 小豆の「お嫁さん」が恥ずかしくて、訂正してから「落ちるな」と伝えていた俺。

 当たり前だが「だっこしてんだから腕から落ちるなよ?」と言う意味で言っていた。

 ところが小豆は再び間違えながら『寝落ち』しないと言ってきた。まぁ、起きているから落ちないってことかも……いや、どっちもなのか? どうでもいいな。

 そんな妹の言葉にツッコミを入れながら顔を眺めると……既に寝息を立てていた。まぁ、いつものことかな。

 意味もなくツッコミを入れた俺だったけど、無防備に腕の中で眠る妹に微笑みを送りながら言葉を紡ぐ。

 そして起こさないように、落とさないように――

 俺のお姫さまを大事に抱きかかえながら、小豆の部屋へと歩き出すのだった。

 

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