第4話 報告 と 発覚

「ああ、うん……ううん、気にしないで?」

「すみません……」


 画面を覗くと、透の名前が表示されている。

 何か動きがあったのかも知れない。情報が入手できたのかも知れない。

 特に急を要する内容ではないかも知れないが、逆に後手に回る可能性もある。

 俺は彼女に断りを入れながら椅子から立ち上がっていた。

 小豆ロスの影響からか、ここ数日間の教室内と廊下は閑散かんさんとしている。それはそれで、どうだろうとは思うけどな。

 だから別に教室で電話を取っても問題ないんだけど、やはり香さんの目の前で電話をするのは気が引けるのだ。

 そんな俺を見上げて苦笑いを浮かべながら返事をする香さん。

 彼女に同じような苦笑いを返してから、俺は足早に教室を出て行くのだった。


 廊下に出てきた俺は、窓際の壁に寄りかかりながら通話ボタンを押して携帯を耳に当てた。すると繋がりを知らせるように受話器から向こうの喧騒が聞こえてくる。

 繋がったことを確認すると、俺は相手よりも早く声をかけることにしたのだった。


「……おかけになった電話はダイヤルQ2仕様になっている為、後日霧ヶ峰善哉から別途請求がございますので、ご了承ねが――」

『切りますよ?』

「一般回線に切り替わりました!」

『……はぁ』


 はやる気持ちを和ませる意味で軽く冗談をかましていた俺。

 当然向こうも冗談だと理解しているのだろう。俺の言葉を待たずに、特に怒っているような雰囲気ではなく、「はぁ、またですか? やれやれ……」と言う雰囲気の、苦笑いを浮かべていそうな声色が受話器越しに返ってくる。

 切られても困るので慌てて言葉を繋げる俺に、呆れたような透の声が返ってくるのだった。

 まぁ、一般回線にダイヤルQ2なんてないし……そもそも、とっくにサービスは終了しているんだけどさ。

 

 正直に言ってしまえば、話の内容を「聞きたくないから」って部分もある。いや、聞かなくてはいけないのは重々承知のことなんだけどな。

 透がわざわざ昼休みにメールじゃなくて電話をかけてきているってことは……それしかないから。

 だからこそ、心の準備が必要だったのだ。


「ふぅ……それで何かわかったのか?」

『……ええ。まぁ……』


 心の準備を済ませて軽く息を吐いた俺は話を促していた。予想通りなのだろう、重苦しい雰囲気を纏った透の声が鼓膜を震わしていた。

 思わず体を反転して窓を開ける俺。少しだけ体を窓の外へと傾けて、重苦しい表情を浮かべていた。

 窓を開けた瞬間。周りの喧騒が一瞬だけ途絶えた。だけどすぐに喧騒が戻ったことに安堵して、俺は通話に集中するのだった。


「何が、あったんだ?」

『……いや、どうやら「彼女達」のバックについている連中って、「俺ら」の後輩を語っているようなんすよ?』

「……『あいつら』ってことか?」


 俺の言葉を受けて説明を始める透。会話に出てきた単語に思い当たる節があったので聞き返す俺。

 そう、あいつらとは『あまねるの一件』で接点を断ち切ったはずの連中のこと。

 俺ら――正確には俺がリーダーを務めていたチーム。まぁ、世間で言うところの『少年ギャング』なんだけどさ。

 中三になったばかりの頃。自分のバカさ加減に気づいて、俺はチームを抜けた。同時に、俺へ付き従ってくれている透達も一緒に抜けたのだ。

 いくら俺達が作ったからとは言え、自分達が抜けるからってチームを解散するのは自分勝手な我がままなのだと思っていた。

 もう、自分の我がままに周りを振り回すのはやめたかったのだろう。

 だから俺達は、後輩に代を譲ってチームを抜けたのだった。


 そんな俺達が抜けて、数ヶ月ほどしてから入ってきた『チームの後輩達』だったらしい。

 まぁ、だから俺の顔なんて知らずに……あん時、容赦なくボッコボコにされたんだけどさ。

 小豆の為とは言え、あまねるには格好悪いところを見せていた訳だ。

 冷静に考えなくても、第一印象、最悪だったわ。

 ……たぶん小豆がいなかったら俺なんて「ヘタレな軟弱者のカス野郎」ってイメージで、さげすんだ視線を送られ続けて、一生口もきいてもらえていなかったんだろうなぁ。小豆のお兄ちゃんでよかったね、俺。

 

『いや、どうやら違うみたいなんすよね……』

「……違う?」

 

 俺の言葉を否定する透。思わず聞き返してしまっていた。

 あいつら以外の後輩ってことなのか? 

 まぁ、そこそこの人数を誇るチームなんでな。確かに他にも後輩は存在するんだけどさ。

 あいつらは、今のチームのリーダー格の連中なのだ。さすがに俺のことを知っている連中の部下がバカな真似をするとも思えないんだけどな。

 そんな俺の疑問を悟ったのか、苦々しい声色で透が言葉を繋げていた。


『気になったんで、あいつらに連絡つけたんすけど……チームのやつらじゃなくて「なりすまし」の可能性が高いらしいっす』

「……そっちなのか」

『みたいっすね……』


 透の説明で、さっきの言葉――『語っている』の意味を理解した俺。

 今のチーム事情は知らないが、俺の存在を知っている今。あいつらやチームの連中が周りへ無闇にチーム名を語ることはないのだと思う。

 とは言え、俺達が在籍している時代に俺が作った『血塗りの掟ブラッディ・コード』の一つだから、今でも守られているならって話なんだけどさ。

 以前の邂逅かいこうで嬉しくはないんだが、俺――チームの初代リーダーに対する畏怖いふは健在だったみたいだから、今でもかたくなに守られていることだろう。

 って、ああ、うん。あの頃は俺も小豆のことを言えないほどに『中二患者』だったんだよな……まぁ、作ったのって中一ですけどね。ですが、お兄ちゃんはちゃんと中三で卒業しましたから小豆さんよりはマシです。


 つまり、チームとは無関係な連中が、チームの名前を語って『はくをつけよう』としているのだろう。

 それなりに名前の通っているチームだから周りへの影響力も多少はある。

 要は、『虎のる狐』ってことなのだと思う。


「まぁ、なんにせよ、厄介だな……」

『そうっすね。ただ連中のことは、それ以上情報がないんで、もう少し調べてみるっす』

「ああ、よろしく頼む……」

『了解っす。それじゃあ――』

 

 苦々しい表情で青空を見上げて呟く俺。

 厄介な連中。チームの名前を語っているってことは、自分達の存在を周囲に知らしめようとしている連中ってことだ。少年ギャングのチーム名を利用しようとしている集団。

 どう考えても、平和的な話し合いに応じる相手ではないのだろう。

 それこそ、かのはちゃんが得意とする『O・HA・NA・SHI』でしか通じない相手なのかも知れない。

 同時に、そう言う連中と一緒に行動している以上、『彼女達』が小豆達に何もしないと言う保証もなくなった訳だ。

 もちろん彼女達と連中の関係性なんて知らないのだが、お嬢様学校である宇華徒うかと学院の生徒がフダツキの人間と一緒にいる理由なんて他に見当たらない。

 とは言え、別に連中相手におくしている訳ではない。俺だけの問題ならば『O・HA・NA・SHI』すれば解決するだろうから。その方が手っ取り早いし、気が楽なんだけどな。

 ただ、あまねると小豆の絡みがある以上、できるだけ穏便おんびんにすませたいのだ。下手に騒ぎを大きくすれば、二人にまで被害が及ぶかも知れない。

 

「……ふぅ……」


 俺の言葉に了承した透は電話を切った。

 このまま踵を返して教室の中に入るのは、室内の空気を悪くしてしまうかも知れない。

 俺はそのままの姿勢で、耳から離した携帯を操作すると画像フォルダを開く。いや、スイカの画像ではない。心を落ち着かせるのが目的である。そう、心を躍らせてはだめなのだ。

 俺は画像フォルダ『女神達』を開く。

 そして画面に映し出される女神達のマイナスイオンを浴びながら、心の回復をしていた俺。

 回復を実感した俺は軽く息を吐き出してから、踵を返して教室へと戻っていくのだった。


◆ 


「すみません……」

「別にいいのよ……もう、話は終わったの? ……よんちゃん?」

「――は、はい……あ、あの?」

「……なに?」


 自分の席へと戻ってきた俺は、彼女に話の途中で席を外したことへの謝罪をしてから自分の椅子に座ろうとしていた。

 そんな俺に笑顔で言葉を返す彼女。

 座ることで視線が彼女の顔から、机の上に置かれた彼女の弁当箱へと移動していく。

 視線の先にある彼女の弁当箱は、俺が出て行く前から量に変化が見られない。きっと数分の間、食べずに待っていてくれていたのだろう。

 勝手に出て行ったのだから無視して食べていても文句は言えないんだけどさ。

 そんな優しさに、心がほんのりと暖かくなる感覚に包まれる俺。

 だけど、俺は弁当箱の奥――彼女が握っている紙切れに視線を奪われていた。

 出て行く時には持っていなかった紙切れ。彼女が持っているだけなんだから俺には関係ないのかも知れないが、なんとなく違和感を覚えて紙切れを疑視していたらしい。

 俺の視線が気になったのか、彼女が不思議そうな表情を浮かべて声をかける。

 ハッと我に返った俺は、焦り気味に返事をすると言葉を繋げるのだった。


「その紙は――」

「よんちゃんに聞きたいことがあるの」

「は、はい……」


 だけど、俺の言葉を待たずに彼女が真剣な眼差しで、淡々たんたんと言葉を重ねる。そんな彼女の気迫に押されて、俺はただ返事をするだけだった。

 きっと俺の言葉と視線で察したのだろう。彼女の聞きたいことは、手に持っている紙切れに関係することなのだろう。

 そう判断した俺は姿勢を正して彼女の言葉を待つ。正面に見据える彼女の後ろでクラスメート達の視線も一斉に俺達に集中する。


「……」


 少し気になってグルッと周囲を見回した俺。

 すると、教室内に残っていたクラスメート達全員の視線と重なった。そう、全員が俺達、いや正確には俺に集中しているのだ。

 全員が全員――真剣な眼差しで俺を見つめている。

 それも普段のような遠巻きの視線ではない。自分達も当事者なのだと言いたげな表情。

 まるで、自分達の代表で彼女が俺に聞いてきたと言わんばかりに――。

 俺はそんな異様な雰囲気に飲まれて、固唾かたずを飲んで彼女の言葉を待つ。

 だけど次の瞬間、香さんから紡がれた言葉。

 そして彼女の持っている紙切れに書かれている内容を知り、俺は全身の血が凍るような戦慄せんりつを覚えていたのだった。

 

◇5◇


「よんちゃんと小豆……血の繋がらない兄妹だって、本当なの?」

「――え?」


 俺は一瞬耳を疑った。聞き違いなのかと思っていた。だって、そのことを彼女は知らないはずだ。

 いや、知っているのは俺の家族と明日実さん……そして、あまねるだけのはず。香さんでさえ知っているはずのない真実。

 こんな重い話を、おいそれと公言する身内はいないのだ。

 それなのに何故、彼女の口からそんな話が出てきたのかが不思議だった。


「……これ……」

「え? ……。――ッ!」


 俺の表情で悟ったのか、彼女は手に持っていた紙切れを俺の方へと差し出してきた。

 視線を紙切れへと移し、書いてある内容に目を通した俺は息を飲み込む。

 そこには俺と小豆が血が繋がらないことだけではなく、小豆とあまねるの間に起きた『悲しいできごと』までもが克明こくめいに書き記されている。更に最悪なことに――

 小豆が『アニメオタク』だってことまで書き記されていたのだった。


 以前のトラウマを抱えている妹。あまねるとの一件は、彼女が理解を示してくれて無事に解決することができていた。

 だけどそれは、あまねるが優しい子だったってだけ。

 周りの人間が全て理解を示してくれるなんてことは絵空事だ。それは小豆が一番理解しているだろう。

 だから、小豆は無意識なんだろうけど、高校に入学当時アニメオタクだってことを周りには封印していた。

 だけど普段の生活でアニオタな妹が、外だからって完全にアニオタを封印できるとは思えない。って、アニオタ違いなんですけどね、小豆さんの場合。

 でも、そんな違いなんて周りからすればアニメのメインヒロインとサブヒロイン……更に言ってしまえばモブヒロインとの違い程度にしか感じないのだろう。


 つまり『何も違いが見当たらない』と言うことだ。うむ、情報量の違いなだけで可愛いことには変わらない。そもそもメインやサブやモブとは、そのアニメの世界で取り決められた役付けに過ぎない。

 よって、画面の外の俺にとっては全員が等しく、そして幾久いくひさしくヒロインなのである。

 要は……アニオタだろうがアニオタだろうが、周りからすればアニオタなのだから普段のアニオタぶりを発揮すれば、即座にアニオタだと認識されてしまう。

 だから簡単にボロが出てしまう可能性があると言うことだ。


 とは言え、幸か不幸か……既に入学している俺は周りからアニメオタク。いや、本人的にはアニメ好きなんだけどさ。そんな印象が定着していたのだ。

 だからその印象を利用して……俺が強引に小豆を巻き込んで、アニメについて語っている構図を演じていた。

 あくまでも、俺が小豆を振り回している。本人はアニメになんて興味がある訳ではないが、優しい子だからダメなアニオタのお兄ちゃんに気を使っている。そう言う方向でボロが出てしまう前に印象づけていたのだ。

 幸か不幸か……ブラコンな妹の言動も相まって、小豆をアニオタだと思っている人間は一人もいないのだと思う。まぁ、当然だけど香さんとあまねるは知っているんで、それ以外の生徒にって話だけどな。

 そんな認識が周囲に定着している状況なのである。


 それなのに小豆本人がアニオタだなんて知れ渡れば、周囲の印象が一八〇度変わることは必至の事案。

 そうなることが予測できていたから、小豆にアニオタだって隠させたのに――。

 心の中で渦巻く負の感情を抑えながら、手紙を睨みつける俺なのだった。

 

 簡単に予測のできる結末である真実を暴露してきた、匿名の印字された手紙。

 普通なら「一体誰が?」なんて驚くところなのかも知れないが、残念ながら犯人は目星がついていたのだ。

 既に『彼女達』が火を放っていたと言うことなのだろう。

 彼女達の家の財力があれば、俺達の家庭事情なんて容易たやすく調べられるってことか……。

 心の中で舌打ちをしつつ、今の状況にどう向き合えばいいのかを悩んでいた俺。


 香さんの性格からして、こんな大事な話を公の場で問いただしたりはしないはず。

 つまりは、ここにいる全員が知っていること。それが異様な雰囲気の正体なんだと思う。


「……」

「……実はね、この手紙は……ここにいる全員。それに……たぶん学校の何割かの生徒に配られているものなの」 

「――ッ!」


 俺の考えを肯定するように、彼女の言葉が紡がれる。だけど俺の予想を超えていた彼女の言葉に、驚きを隠せなかったのだ。

 そんな驚いている俺に、少し陰りを見せながら彼女は言葉を繋げる。


「ごめんなさい……本当はね? もっと前から手紙の存在は知っていたの」

「……」

「私のところに相談に来る子達の中に、その手紙を持ってきた子が何人かいてね? もちろん『無視して』って伝えているんだけど……」

「……ありがとうございます」

「ううん……」


 申し訳なさそうに伝える彼女に、優しく微笑みながらお礼を述べる俺。そんな俺の言葉に少しだけ表情を和らげて言葉を返す彼女。

 正直、前からだったことにはショックを隠せないでいたが、そのことを黙っていた彼女に腹を立てている訳ではない。と言うより、腹なんて立てられないだろう。

 もしも立場が逆で――「香さんが実は新川夫妻の養女だ」と言う内容の手紙を、誰かが受け取って俺に相談を持ちかけたとしたら、俺だって同じことをしていると思う。

 それがデマにしろ真実にしろ、面と向かって真相を聞く勇気が俺にはない。それがデマだとしても、確証がなければ彼女を傷つける可能性があるのだから――。 


 少しだけ表情を和らげていた彼女だけど、また表情を曇らせて言葉を繋ぐ。


「でもね……日を追うごとに報告をしにくる子が増えていて……さすがに私も気になっていたの」

「……」

「それで昨日、放課後に呼ばれて……ここにいる全員が受け取ったって聞いたの」

「そ、そう、でしたか……」


 彼女は一瞬だけ言葉を区切り、グルッと周囲を見回してから「ここにいる全員」と言葉を続けていた。

 たぶんクラスのみんなだって全員が一度に受け取っていた訳ではないのだろう。だけど俺達のことを考えて無視をしてくれていたんだと思う。

 とは言え、日増しに増え続ける現実。きっと人数的に『笑ってすませられる』ことのできない規模に達しているのだろう。だから香さんに相談をしたんだと思う。

 それは彼女も同じなのかも知れない。

 全員が無視をすると決めたとしても、記憶の抹消なんてできる訳がないのだ。

 さすがに、このまま無視をし続けると言うのは無理が生じる。

 何かの弾みで会話に出てしまう可能性だってあるかも知れない。

 そうならないようにと……距離を置く生徒が出てくることも十分に起こりうる事態だ。


「……」


 いや、違うのかも、な……。

 俺は教室の中をおもむろに見回していた。今、教室にはそれなりの人数が残っている。

 だけど三人で昼飯を食べていた頃よりも、はるかに少ない人数だった。

 まぁ、教室内と言うよりは廊下の人数が、なんだけどさ。さっき廊下に出た時に眺めたのだが、ほとんど生徒がいなかった。

 いや、昼休みの廊下なんて本来ならばそんなものだろう。そう、普通なら。

 だけど小豆がいた頃は『アイドルの入り待ち出待ち』のファンのように、相当な生徒が廊下にいた。

 正直「大事な昼休みにそんなことをするなよな?」なんて心の中で思ってはいたものの、特に小豆の邪魔をしたり迷惑はかけない。

 ただ妹を見ているだけ、手を振ったり挨拶を交わしたりしているだけ。それだけで幸せそうな雰囲気だった。全体的にそんな感じなのだ。

 ……うん。声優さんの入り待ち出待ちをしてみたいと願う俺としては、そいつらの気持ちが痛いほど理解できるので黙認していたのだった。

 そんな心待ちにしているアイドルが来なくなった。目的を失った。

 だから、小豆が一緒に昼飯を食べないことによる『小豆ロス』が閑散とした原因だと思っていた俺。


 だけど、もしかしたら……既に距離を置いた生徒がいるのかも知れない。

 もちろん断定できることではないが、その可能性はあるってことだ。

 つまり、そんな風に俺達の周りに『見えない壁』を作ることに繋がるのだろう。

 香さんの判断で無視することにした今回の一件。

 でも、それが引き金になって俺達の関係が悪くなるのは避けたいだろう。何より自分自身も真相が気になっている。

 だから最悪のケースを迎える前に、真相を聞いてしまうことを決意した。

 そんな彼女なりの苦渋の選択だったのだろう。少し辛そうな表情を浮かべて俺の言葉を待つ彼女。

 俺は彼女を見つめて決断するのだった。



「……」

「……」


 決断をしたはずなのに、俺の口から声が発せられない。開いた口から音が奏でない。

 喉まで到達している言葉も、緊張でカラカラになっている喉に引っかかってしまっている。

 そんな俺の表情を固唾を飲んで見守る全員の視線が、俺の喉に引っかかっている言葉に突き刺さり、心の奥へと押し戻されそうになっているのだった。


 もう、こんな状況で嘘はつけない。香さんを、全員を……あざむいてまで、そむいてまで真実を隠し通せるなんて思ってはいない。それは理解している。

 それに俺達は何も間違ったことをしていない。誰にだって後ろ指をさされることはしていない。

 血の繋がりがなくたって俺と小豆は兄妹だ。それは変わらない、るぎのない事実。

 そして小豆とあまねるの衝突しょうとつだって、あくまでも過去の話だ。過去があるから今があるんだ。

 そんな変わらない、そんな過ぎ去ったことに何かを言えるやつなんて存在しない。言えたとしても何も戻ってこない。

 そうさ。そんな「たられば」が叶うなら俺が一番に戻している。戻せないから苦しんでいるんじゃないか。

 そう、周りに小豆が何かを言われる筋合いはないんだ。それは理解しているんだけどな……。


 世の中ってさ、そんなに甘くないんだって、知っているからさ。俺の考えなんて単なる自己満足の域にすぎないのだろう。

 俺だって『対岸たいがんの火事』に、相手の立場で心を痛めることなんてしないと思う。それは申し訳ないけど普通のこと。

 だからこの真相について、小豆に悪い印象を持つ生徒が大半を占める可能性があるのだと考える。

 普段の小豆の態度を知っていれば尚更なおさらだろう。よこしまな印象が植え付けられるのかも知れない。


 ――真実は時に人を傷つける。

 俺も小豆も経験してきた。知りたくもないのに突きつけられてきた。

 それでも、これがまだ俺に降りかかる現実ならば、気にせずに真実を打ち明けられるさ。俺の独断で許されるんだから。俺の意志で選択したことだと割り切れるから。

 だけど、これは小豆に降りかかる現実だ。

 過去に苦しみ悲しんだ妹へ同じ現実を突きつけることになる。

 そうなるかも知れないのに、俺が決断してもいいのだろうか。俺がまた、妹を悲しませることになるとしても――。


「――ッ!」

「よ、よんちゃん……」


 開いていた口を固く閉ざし、唇を噛んで顔を歪ませる俺。そんな俺に心配そうに声をかける香さん。

 わかっている。わかってはいるさ……。真相を打ち明ければ妹を悲しませるかも知れないってことは、さ。

 だけど、だけどだけどだけど。それでも俺は真実を打ち明けるべきなんだと思うのだった。

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