走れ、軟弱者!(七)


 ハルカに全てお任せして食事をするという、王様も羨むような贅沢な時間を過ごした僕は、トイレに行くと告げて芳埜よしの組を離れた。


 午後のことを考えるとまたお腹が痛くなってきたのもあるけど、できたら早めに赤組の子ども達にお礼を言いたかったのだ。この隙を逃したら、もうチャンスがなさそうだったし。


 二つしかない簡易トイレには、数人の列が並んでいた。



 すると、何たるラッキー。赤いハチマキをした少年達もいるじゃないか!


 おまけに鶴野つるのさんと亀山かめやまさんの姿もない!!




 今だ、と駆け寄ろうとした足は――しかし、唐突に動かなくなった。



「え……」



 凄まじい力で、両足首が掴まれている。


 叫ぼうとしたけれど、声も出なかった。これまた何者かの手で、口が塞がれたからだ!



 それの姿は、目には見えない。けれど、確実に僕の行動を邪魔しようとしていることだけは理解できた。



 これは……校舎にいた子ども達の霊じゃない。



 だって両足と口を押さえる手は、僕なんかよりも大きい。この手の持ち主が、子どもであるはずがない。




 待って、何で!?

 どうしてこんなことするの!?




 その存在に心当たりがある僕は、必死に身を捩って暴れながら、心の中で問いかけた。



「あの人、何か変な顔してない?」


「動きもおかしいけど……もしかして、漏れそうなのかな?」


「こんなところで漏らしたら可哀想だよね。先に譲ってあげよう」 



 口を押さえ付けられているためとんでもなく歪んだ顔で、足が固定されているため手と上半身を苦悶するタコのようにウネウネ激しく動かしていたら、皆に勘違いされたらしい。


 ささっと列が割れ、トイレから出てきた人にも中に入るよう勧められた。



 すると足の拘束が解け、代わりに背中が押される。つんのめるようにして僕は、トイレの個室に叩き込まれた。



 途端に、僕の周囲から『奴ら』の気配が消えた。



 な、何だったんだ……何だっていうんだ!?



「ヤッベー! 変態ウンコマンだー!」

「くっせー! 俺、このトイレ使わねー!」

「ウンコ菌が伝染るぞー! 逃げろー!!」



 この声は恐らく、赤組の子ども達だ。


 変態ウンコマンって、ひどくない? まだ何も出してないから臭くないよ! ウンコ菌って、君達だってウンコするでしょーが!!



 心無い言葉を浴びせたのは、敵の白組にいる僕を応援してることがバレないように……なのかな?



 何とも釈然としない思いを抱えながら、僕は外で待っているであろう人達を気遣いつつ、お尻の筋肉を駆使して最速の最小音量で用を済ませた。




 ハルカ達の元に戻ると、三人はもう片付けを終えていた。


「ね、リョウくん。ちょっとそっちに移動して」


 ハルカにお願いされた僕は、それに従って休憩中のため誰もいないトラックに出た。



 すると三人は剛真ごうしんさんを真ん中にしてこちらを向き、ついでに何故か僕に一礼した。



「いざぁぁぁ、出陣ーー!」



 剛真さんの太く強くよく通る声が、空気を切り裂くように轟く。



「我らがぁぁぁ、結城ゆうきリョウゥゥゥ、此の地にぃぃぃ見参っ!」



 そしてビシッとポーズを決めて、独特の節をつけて雄叫びを上げる。



「オラッ、イヤッ、ハッ!」

「イヤッ、ハッ! オウ、オウ!」



 それに続き、彼の背後に控えていたレイさんとハルカも『WE♡RYO』の扇子を開閉しながら次々とポーズを繰り出し、鋭く掛け声を放った。



「飛翔し、討ち取れーぇい! 乱舞し、勝ち取れーぇい!」


「ソラソラ! ソラソラ!」

「セイヤッ! ソイヤッ!」



 腕の角度まで綺麗に揃った動きで、三人はリズミカルに踊る。ううん、踊りじゃなくて……これ、演舞ってやつじゃない?


 僕の学校にはなかったけど、応援団がやるアレだ。



「天上ぉぉ天下! 唯我ぁぁ独尊! 彼の先にぃぃ敵なし! 後にぃぃ道あり!」


「ファイオー! ファイオー!」

「ファイヤー! ファイヤー!」


「仇なす者ぉぉ、命運は灯! 同朋共ぉぉ、燃やせよ篝火! 彼が放つは愛の閃光っ!」


「ラブミー! ギブミー!」

「ラブユー! ギブユー!」



 本物の応援団ばりの見事な演舞に、皆が唖然として釘付けになっている。僕もポカンと口を開けたまま、華麗に舞う三人を見つめていた。



「オラオラ、ソラソラ、ラブラブラブラブ……リョウ・ザ・ワッショーイッッ!!」



 三人が声を揃えてラストの決めポーズを取り、締めに礼をすると、あちこちから拍手が沸き起こった。



 なのに……どうしてだろう?


 こんなに熱烈な応援をしてもらったのに、嬉しいどころか今すぐにでも消えてしまいたい気分フルスロットルなのは。


 ああ、向こうの世界にいる父さんと母さんに会いたいなぁ……。



「おい、魚人の雄よ」



 鳴り止まない拍手の中、あの世に現実逃避している僕は背後から声をかけられて振り向いた。


 すると、亀山さんが険しい顔で僕を睨んでいる。



 もしかして、競技の準備を邪魔しちゃったのかな!?



「その……何じゃ。ありがとうな、盛り上げてくれて」



 てっきり怒られると身構えていたのに、亀山さんは意外にも小さな声でお礼を述べた。



「昔はこの運動会でも、応援合戦をやっとったんじゃ。だが参加人数がどんどん減って、競技を削らざるを得なくなってな……楽しかった応援合戦もなくなってしまった」



 応援合戦は、準備にも練習にも大きく時間を割かねばならない。そのせいで廃止になったんだろう。中学高校の体育祭の時は、僕もしんどい思いしたっけ。


 亀山さんは皺だらけの目を細め、初めて僕に微笑みを見せた。



「オラも長い間、女だてらに応援団長をやっとったんじゃ。その時のことを思い出して、らしくもなく感傷的になってしもうたわい」



 へ?


 亀山さんって、女性だったのーー!?



 身長も僕より高いし、何より鶴野さんと対等に渡り合ってるから、てっきり……。



「あっ、亀山! ワシのチームのエースに何の用だ? まさか、あらぬことを吹き込んだんじゃないだろうな!?」



 名前を思い浮かべた瞬間、僕の心を読んだかのように鶴野さんが現れた。



「おう、お前の過去の悪事を全部バラしてやったわ。これで魚人の士気は下がったじゃろうなぁ……ケケケ、ザマーミロ!」


「ぐぬぬ、卑劣な! ワシもお前のチームの皆に、お前の過去を洗いざらいぶち撒けてやる!!」


「待てぇい! オラの作戦を横取りするな! お前こそ卑怯者じゃ!!」



 駆け出した鶴野さんのツルピカ頭を追いかけ、亀山さんも一つに結んだ長い髪をひらめかせて慌ただしく去っていった。



 やっぱりあの二人、実は仲良しなのかも。



 ちなみにこの後で聞いたところによると、剛真さんは大学で応援部に所属してたんだって。


 ハルカ曰く、振り付けを練習する時は普段温厚なパパが体育会系の鬼と化して、超怖かったそうな。



 そりゃあんなにもワンダフルパーフェクトな仕上がりになるよね……。

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