誰が為に夜景は輝く(七)

「良かった、まだやってるみたいね」



 漏らしかけながらも、キスキスキスと自分を鼓舞する呪文を唱えて乗り切った僕は、車から降りて観覧車を見上げ――凍り付いた。


 サイズは、遊園地に設置されているものに比べると小ぶりだ。高さはおよそ四十メートル弱、ゴンドラは全部で二十四基。



 そのゴンドラの全てに、人が乗っていた。



 しかし、駐車場には僕達の車しかない。



 地元の人が、歩いて登ってきた?




 もう夜九時近いというのに、こんな時間に『親が小さな子供を連れて』?


 しかも皆が揃いも揃って、『父と母と幼い息子』という構成で?




 違う――――構成が同じ、なんてものじゃない。




 全ゴンドラに、『同じ三人の親子』が乗っている。




 それに、夜なのにこんなにもゴンドラの中がくっきり見えるなんて、おかしい。




 全員、貼り付けたような笑顔でこちらを向いて、手招きしている――――それが不気味なほど、明瞭に見えるなんて!




 ああ、僕は何てバカなんだ……浮かれてて気付かなかった!


 彼らに『呼ばれてしまった』んだ!!




 すぐにここから離れなきゃ――そう思う心とは真逆に、僕はふらりと観覧車に向かって足を踏み出した。



「あ、待ってよ、リョウくん! あたし、まだ靴履き替えてないんだから!」



 止めようとしても、止まらない。どんどん引き寄せられていく……!


 慌てた声で呼び止めようとするハルカを置き去りにして、僕は早歩きで突き進んだ。



 違うんだ、ハルカ!

 本当は行きたくないんだ!

 なのに足が勝手に向かっていってしまうんだ!


 心の中で叫びながら、僕は言うことを聞かない自分の足に導かれるがまま、観覧車に近付いていった。



 観覧車は遠目で見るよりもひどく古びていて、骨組みは錆だらけだった。


 朽ちかけた昇降口の階段を登り、乗り場に到達した途端、足は全く動かなくなった。




 そして――恐怖で全身汗びっしょりになった僕の目の前に、ゆっくりと、ゴンドラがやって来た。




 カタリ、と鍵が勝手に外れる。

 ギィィ、と錆びた金属が軋み、耳障りな音を奏でながら、扉が開く。




 中には、三人の親子がいた。




 これまでずっと、気持ち悪いほど満面の笑みを浮かべていたのに――――扉が開くや、彼らの様相は一瞬で様変わりした。



「来でくれでぇぇぇ……ありがどぉぉぉございまずぅぅぅ……」



 割れた頭から脳味噌を垂らし、どこが目だか鼻だかもわからないほど潰れた顔面で、スーツ姿の男が言う。



「助かりました……私達、ずっと三人だったから、この子が寂しがって……」



 関節でない部分から砕けた四肢をぶらつかせ、折れて伸びた首をぶら下げた女が言う。


 ワンピースと思われる服を着ているけれども、全身が赤黒い液体で斑に染まっていて、元の色がわからなくなっていた。



「お兄ちゃぁぁん……遊ぼうよぉぉ……遊んでよぉぉぉ……」



 彼女の膝の上で、にちゃりぐちゃりと肉塊が蠢きながら言う。


 ぐっ、と喉が鳴った。


 女の腹部から溢れた内臓だとばかり思っていたのに、違った。




 それは、先程まで五歳くらいの少年の姿をしていた――――手足を失い、人の形を留めないまでに破壊され尽くした、彼らの子供だった。




「私達ぃぃぃ、この観覧車で死んだんでずぅぅぅ……窓を割っでぇぇぇ……天辺がらぁぁぁ……飛び降りでぇぇぇ…………」



 やめろ……聞きたくない!



「夫の会社が倒産して……莫大な借金を抱えて……どうにもならなくなって……最期を迎えるのは、この子が大好きだった観覧車にしようって……」



 聞きたくない! 聞きたくない! 聞きたくない!


 ダメだ、可哀想だなんて思うな!

 少しでも同情したら、引き込まれてしまう!!



「ボク、もっと遊びたかったの……それだけなの……悲しいよぅ、辛いよぅ、寂しいよぅ……」



 僕の心の隙を読んだのだろう。肉塊は元の可愛らしい少年の姿に戻り、つぶらな瞳からポロポロと涙を零した。




 少年の泣き顔に、自分が重なる――――この子は、僕の『もう一つの未来』だ。




 事故で両親を失ったあの時。僕は何で一人だけ生き残ったんだと自分の運命を恨んだ。


 父さんと母さんに会いたくて会いたくて、寂しくて寂しくて、辛くて辛くて、ずっと泣いていた。生きたくなんてなかった。一緒に逝きたかった。


 僕は、この子みたいになりたかったんだ。


 この子みたいに、連れて行ってほしかったんだ。この子みたいに、父さんと母さんとずっと一緒にいたかったんだ。




 なのに、置いてかれてしまった。




「お兄ちゃん……ボクと逝こう? 悲しくない、辛くない、寂しくない、楽しい世界に」



 そうだ、きっとそこには、父さんも母さんもいる。また三人で笑い合える日々が待っている。



 もう、苦しまなくていいんだ――――。



 少年が差し出した手を、僕は取ろうとした。






 寸でのところでそれを止めたのは――――ポゥン、という摩訶不思議な音だった。






 ポコポコ、ポコポコ。

 ボコボコ、ボコボコ。

 ドコドコ、ドコドコ。

 ドムドム、ドムドム!

 ドムドムドムドムドムドムドムドム!!




 我に返って、僕は辺りを見渡した。




 すると――――百を超えるゴリラが、周囲を取り囲み、揃ってドラミングしていた。




 真夜中の観覧車と、特盛りのゴリラ。



 何てシュールな絵面だ……異様さを突き抜けて、芸術的にすら思えてきたぞ。


 血迷ってライスにチョコレートシロップかけて食べた時のことを思い出すなぁ……って、それどころじゃない!



 彼らが言葉で伝えられない代わりに行動で示しているのは、『戦いなき平和的解決の要求』だ。


 ――――退け、今なら間に合う、と彼らは訴えている。


 逆を返せば、『退かねーならどーなっても知らねーよ?』という『警告』でもある。




 もちろん、このゴリラ達はどこかの動物園から逃げ出してきたリアルゴリラではない。肉体を持たない、オバケゴリラだ。




 たくさんのゴリラ霊達に包囲されるというトンデモ状況に、夫婦は呆然として固まっていた。

 しかし、少年はむしろ嬉しそうだ。


 うんうん、わかるよ。動物園でもこんなにゴリラが集まってるとこ見られないもんね。


 でも今は、喜んでちゃいけない!


 僕が忠告しようとしたのを見計らったかのように、ぷつり、とドラミングが止まった。





 残念ながら、タイムリミットだ。






「おいぃぃぃぃ…………てめえらかぁぁぁぁ…………? 観覧車を独り占めしてやがる、クソッタレの不届き者はぁぁぁぁ…………」






 地底を震わせるようなおどろおどろしい声と共に、僕の背後から現れたのは――――怒りで覚醒進化を遂げた、真・闇ハルカだった。


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