霊感体質な僕と束縛気質な彼女

節トキ

【僕の秘密と彼女の本性】

小動物な僕と大怪獣な彼女

 僕には、付き合っている彼女がいる。


 名前はハルカ。僕にとっては、生まれて初めてできた恋人。

 高校の時からの付き合いで、今は同じ大学に通っている。


 可愛くてスタイル抜群、頭も良ければセンスも良い、料理上手で人付き合いも上手、誰にでも好かれて皆が憧れる、僕なんかにはもったいなさすぎる彼女だ。


 おかげで周りの奴らには『何であんな奴があんな可愛い子と』『どうせ金を貢がされてるんだろう』『彼女の弱みでも握ってるんじゃないか』などと噂される始末。


 けれど、反論しようがない。だって実際、その通りだから。


 暗くて地味で何の取り柄もなくて、中学高校と引き続き、大学に入った今も友達が一人もいない記録更新中の僕と、アイドル顔負けってくらい超絶美少女のハルカとでは釣り合わないなんて、自分が一番わかってる。



「リョウくん! お疲れ様!」



 講義を終えて廊下に出ると、ハルカが笑顔で僕に飛びついてきた。

 選択した講義が違う時は、いつもこう。トロくて教室の外に出るのも遅い僕を、彼女はダッシュで迎えに来て、こうして出待ちしてくれるのだ。


「今日もお弁当、作ってきたの。お天気いいから、外でランチしよ?」


 オシャレな小ぶりのトートを掲げ、ハルカが上目遣いに微笑む。


 長い睫毛に縁取られた色素の薄い大きな瞳、マシュマロみたいに柔らかそうな頬、赤みを帯びたぷるんぷるんの唇……全てのパーツが可愛い。そんな可愛いパーツを、可愛いの黄金比で配置した、可愛いの完全型フェイス。控えめに言って、天使だ。


 なのに僕ときたら、


「ああ、うん……」


 なんて、気のない返事しかできない。きっと顔も強張っていることだろう。


 これでもまだマシになった方なんだよ……ぼっちに慣れすぎたせいで、人との会話の仕方も表情の作り方も忘れちゃってたんだから。


 と、その時、背後から誰かに思い切り突き飛ばされた。ついでに舌打ちも飛ばされる。


 振り向いた時にはもう、そいつは人波に紛れて去っていった後だった。感じ悪いけど、教室の出入口付近で立ち止まっていた僕も悪い。


「リョウくん、大丈夫?」


 やけに近いところから声がすると思ったら……あわわわわ! 蹌踉めいた拍子に、ハルカの胸に飛び込んじゃってた!


 ピンクのニット越しに感じる尊い柔らかさ! 何というラッキースケベ!!


「ね、早く行こ! 場所なくなっちゃう!」


 けれどハルカは嫌な顔一つせず、エンジェルスマイルで僕の手を引いた。


 そっと周りを窺えば、男子生徒達の羨望と嫉妬の眼差し。


 僕は目を逸らして俯き、よたよたとハルカの後を付いていった。



 彼らには、芳埜よしのハルカが『男の理想を描いたような素晴らしい美少女』に見えているのだろう――けれどハルカの本性を知れば、その視線は哀れみの目に変わるに違いない。




 皆、彼女の恐ろしさを知らないのだ。




 空いていた構内のベンチに座ると、ハルカはにっこり笑って僕に手を差し出してきた。


「リョウくん、ケータイ」


 僕は素直に、ポケットから取り出したスマホを彼女に渡した。断るなんて、できるわけがない。


 ハルカは両サイドに無造作に垂らした髪を耳にかけ、慣れた手付きで僕のスマホを操作し始めた。ふんわり巻いた長い髪を緩く編み上げたヘアスタイルは、彼女によく似合う。


 けれど僕は、整った横顔に見惚れているのではない。この『儀式』が無事に済むようにと、神様仏様ハルカ様に心の中で必死に祈りを捧げているのだ。


 スマホのチェックは、会うたびに要求される挨拶のようなもの――そう、ハルカは俗に言う『束縛女』というやつだ。



 しかもその束縛は、かなり度を超えていて――。



「…………リョウくぅん?」



 鈴の音のような可愛らしい声とはうってかわり、悍毛立つような低い音声が耳を打つ。


 き、きた……!



「電池の減り方、おかしくなぁいぃ……? 講義の前は72パーセントだったよねぇ……? でも今は64パーセント、90分の間にどうしてこんなに減るのかなぁ……? メールも増えてないし着信履歴も変わらないように見せかけてるけどさぁ、バックグラウンドデータに削除したアプリケーションっていう表示があるんだよねぇ……? これ、どういうことかなぁ……? もしかしてぇ、連絡ツールか何かをダウンロードしてぇ、女と連絡取り合ってぇ、証拠隠滅にアプリごと消しちゃった、とかぁ……?」



 ハルカがゆっくりと顔を上げる。



 そこにいたのは――――天使の仮面を脱ぎ捨てた、悪鬼だった。


 しかもとんでもなく怖くて強そうなやつ。戦闘力高すぎて、計測不能レベルみたいなやつ。ラスボスの後に出てくる、真の裏ボス的な感じのやつ。


 一睨みで射殺されそうな目付きに震え上がりながら、僕は懸命に弁明した。


「そそそれは、ゲームです! 授業があまりにもつまらなかったから、ゲームしてたんです! でもそのゲーム、とんでもなく面白くない上に容量が大きくて! だからすぐに削除したんです! ううう嘘だと思うなら、ストアもチェックして下さい! そこに履歴が残っているはずですから!!」


 するとハルカは怨嗟と憤怒と殺意に満ちた目を僕のスマホに落とし、素早く細い指先を滑らせて、僕の証言を検証し始めた。



 おかげで一分も経たずに、彼女は悪鬼から天使に戻ってくれた。



「んもー、びっくりさせないでよぅ。あたしがどれだけ心配したか……リョウくんの意地悪! バカバカバカバカバカ!」


 ええ……僕が悪いんかい。


「それと、授業がつまらなくてもちゃんと受けなきゃダメだよ? 一緒に卒業して、その後すぐに結婚するんだからね?」


 けけけ結婚!? 初耳なんですけれど!


「それにしてもさぁ、リョウくん……やけに慌ててたよねぇ……? やましいことがないならぁ、あんなに全力で否定しなくてもいいよねぇ……?」


 うお、そっちいく!? まずい、またダークサイドに堕ちた闇ハルカが目覚めてしまう!


「だだだだだだって、ハルカに誤解されたくなかったんだ! そ、そんなことになったら、僕、死んじゃうし!!」


 間違いなく、葬られるよね。もちろん、楽には死ねないよね。針で全身隈無く刺されて、人間剣山みたいにされるくらいは覚悟しなきゃだよね。


「えっ……それって、あたしのことが死ぬほど好きってこと……?」


 ハルカが頬を赤らめて、大きな目を瞬かせる。


 あ……そう受け取る? まあ別にいいんだけど。間違ってはいないし……。



 って、うわあ! 自分の思考に自分で恥ずかしくなった!



 ハルカ以上に赤くなった顔を隠そうと、僕は俯いた。けれどハルカはそれを頷いたのだと勘違いして、更には歓声を上げて抱き着いてきたではないか!


「リョウくん、嬉しい! あたしもリョウくんのこと、大好き! リョウくん一人でなんて死なせない! 死ぬ時も一緒だからね!」


 物騒なこと言うなし!

 しかもまた胸当たってるし!

 ふわんふわんのぽよんぽよんだし!


 突き放すことも抱き締め返すこともできず、下手くそなエアドラマーみたいに両手をあわあわバタバタさせていると、不意に燦々と射していた陽光が陰った。



「真っ昼間から、イチャつきすぎじゃないか? 少しは控えろよ、芳埜」



 振り仰げば、太陽を背に爽やかを絵に描いたような背の高い男が立っている。


 けれど彼の姿を目にした瞬間、僕の背に戦慄が走った。この男、さっきの……。


「あ、高見たかみ先輩、こんにちは!」


 どうやら、このもぎたてフレッシュ果汁迸るイケメン様は、ハルカの先輩に当たる人らしい。


「あんまり見せ付けるなよな。こっちは寂しい独り者なんだからさ。羨ましすぎて爆発しろって思っちゃったよ」


「エヘヘ、すみませぇん。でも、リョウくんが可愛すぎるのがいけないんです」


 また僕のせいですか、そうですか。


「あ、紹介しますね! あたしの最愛の彼氏の、結城ゆうきリョウくん。将来を誓い合った仲で、同時に死んで、あの世でも来世でも、輪廻転生繰り返し続けて最期は無になっても、永遠にずっとずっとずーーっと一緒にいるって約束してるんです。ね?」


 いやいや待って、何その約束。千代に八千代に果てしなさすぎて見えない将来が怖いよ!


「へえ、これが噂の芳埜の彼氏さんか。どうも高見です。芳埜とは中学が同じで、一つ年上の二年生。芳埜と同じ、文学部なんだ。幸せ者の君と違って、悲しいことに恋人募集中。哀れな奴だと思って、よろしくしてやってくれると嬉しいな」


「…………ども」


 僕はさっと彼から地面へと視線を転換し、下を見たまま小さく返した。


 よろしく、なんてできるはずない。


 ミスター何とかに選ばれそうなくらいイケメンで、着ている服もセンスが光ってて、彼女がいなくても哀れみなんて感じないほど余裕たっぷりのモテモテオーラを放ってて……何もかもが僕とは正反対。同じ男で何故こうも違うのかと劣等感を煽られるあまり、神を恨んでしまいたくなる。



 でも違う。そんな理由で、この男と仲良くできないんじゃない。



 だって、この男――――『たくさんの女のパーツにまとわりつかれている』んだ!



 おかげでちらりと後ろ姿を見ただけだったけれど、この男が僕を突き飛ばした張本人だとすぐにわかった。


 マニキュアを塗った指にしがみつかれ、長い髪が巻き付き、血涙を流す眼球に睨まれ、口紅に彩られた唇に食い付かれ……一体これまで、どれほどの女を泣かせてきたのか。


 生霊に似ているけれど、一つ一つはそこまで強くない。彼に弄ばれた女達の恨みが共鳴して集ったものの、しかし『自分だけのものにしたい』という独占欲がそれぞれにあるおかげで、こんな形になったようだ。


 その手が、髪が、目が、唇が、今はハルカに向けられている。


 どうやらこの高見とかいう奴、ハルカを狙ってるらしい。

 だから僕の存在が目障りで面白くなくて、あんな子供じみた嫌がらせをしたんだろう。



 うう…………そうとわかっても牽制するどころか、まともに直視もできないよ。怖すぎて無理!



「ええと、彼氏……結城くん、だっけ? すごく、その、暗い……いやごめん、大人しいタイプなんだね」


「そうなんです。あたし以外の人にはこんななんですよ〜。怯える小動物って感じで、食べちゃいたいくらい可愛いでしょ? でもあたしだけのものだから、絶対に手出ししないでくださいね! リョウくん、待たせちゃってごめんね。うんうん、お腹空いてるんだよね〜。うふふ、今日はリョウくんの大好きな唐揚げだよ!」


 春の陽射しの下、寒気に震える僕の気も知らず、ついでにさらっと高見まで無視して、ハルカがお弁当箱をせっせと開く。うんざりしてきたのか、高見がため息混じりに吐き出した。


「はいはい、ごちそうさま。ランチ食べる前に、お腹いっぱいにされちゃったよ。俺も芳埜みたいな甲斐甲斐しい彼女が欲しいなあ。あ、そうそう。今夜の新歓コンパ、必ず来いよ。それだけ言いに来たんだ」


「ええ〜! 行かないって言ったじゃないですか!」


「来年の専攻分けは、ウチの英文コースを選択したいんだろ? なら今の内に教授や先輩達とも顔を合わせて、詳しい話を聞いておいた方が良い。ウチのコースは倍率高いし、自分の学びたいことを話して理解を得られれば強みにもなる。先輩からの助言だ」


「むぅ……はぁい、わかりましたぁ。行きまぁす……」


「彼氏とラブラブもいいけど、勉強の方もしっかりやれよ。恋人も作らず頑張ってる俺を少しは見習え……なんてな。じゃ、また後で」


 ハルカの返事に満足したようで、高見はやっと去ってくれた。



 ああ、怖かった……。い、いや、待て。安心するのはまだ早い!



「ハル……んぐ!」


 顔を上げて物言おうとした口に、待ち構えていたように唐揚げが押し込まれる。


 もぐもぐ……こ、これは美味い! 生姜が効いた上品な味わい、冷めても残るサクサク感と柔らかジューシーな肉の食感とのハーモニーが大変見事だ。


 じゃなくて!


「ハル……んむ!」


 今度はプチトマト。トマトは苦手だけど、これはフルーツみたいに甘くて美味しい。おお、トマト嫌いを克服できたかもしれないぞ!


 じゃなくて!!


「次は、ハルカ特製の卵焼きだよ〜」


「ハルカ、待って待って待って! 今夜の新歓コンパって、あの人も来るんだよね!?」


 突き出された卵焼き攻撃を躱し、僕は舌を噛みそうなくらいの早口で尋ねた。このチャンスを逃したら、いつまで経っても話をさせてもらえなさそうだもの。


 ハルカは箸を戻し、不思議そうに小首を傾げた。


「うん、高見先輩のいるコースの会だし、先輩が幹事だから……」


「だったら、あの人には気を付けて! 絶対に二人きりになっちゃダメ! コンパだけじゃなくて、これからもあの人には注意してね!?」


「うん、わかった。……やだ、リョウくん、心配してるの? 高見先輩に、妬いちゃった?」


「そそそそそそう! ハルカのことが心配なの! 妬いちゃったの!」


「きゃあ、リョウくん可愛い! 心配しなくても、あたしはリョウくんだけのものだよ! リョウくん、だーい好きっ!」


 箸を放り出して、ハルカがまた抱き着いてくる。んもう! 少しは人目を気にしてくれよ!!



 恥ずかしいを通り越して諦めの境地に達した僕は、彼女の肩越しに、キャンパスを歩く人々を眺めた。



 こちらに好奇の目を向ける僕と同じ新入生と思われる男子の肩には、頭ばかりが大きい妖怪が。


 無関心に通り過ぎていった講師の腰には、渦を巻く黒い靄が。


 友達同士連れ添って談笑を楽しむ女生徒達の間には、長い髪を前に垂らしたモノクロの女が。



 僕、結城リョウは、『普通の人には見えないモノ』が見える。


 けれど見えるだけで、何もできない。おかげで『奴ら』には、何度も酷い目に遭わされた。この力のせいで、誰とも仲良くできなかった。


 でも、ハルカだけは特別だ。


 こんな僕の力を気味悪がるどころか、『それもリョウくんの個性だよ』と笑って受け入れてくれた。おかしな力も含めて、僕を真っ直ぐに見てくれた。


 そして僕も、一目見た時から彼女に惹かれていた。



 何故なら彼女は、この力を得て以来、何者にも何物にも囚われずに『一人でいる』姿を見た、初めての人だったから。



 出会ったのは、高校に入学してすぐ。


 可愛すぎて近寄り難いというのもあったんだろうけれど、皆の期待と緊張感漂う教室の中、人も人でない者も等しく寄せ付けず、独り佇む彼女の姿は、凛と咲く一輪花のように強く清らかで――でも、一吹きの風で折れてしまいそうなほど儚く、寂しげにも見えた。



 いつか彼女を守れるようになりたい……なんて思ったけれど、今となってみれば烏滸がましすぎて恥ずかしい。


 だって、僕はいつもハルカに守られてばかり。


 ハルカは僕にとって文字通り、守護天使なのだ。


 いや、守護神? いやいや、守護獣……と呼んだ方が正しいかも。



 とにかく、ハルカのおかげで僕は、多少の難はあれど今とっても幸せなのである。

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