Ⅷ-2

「正直にいっておくけど、小清水くん」

 めいが切り出した。

「勝率は三割五分といったところだ」

 僕はその言葉に、ため息をついた。

 いつものように、めいと街を散策したあと、僕たちは『サザンクロス』で編集長がめいを迎えに来るのを待っていた。

「なんの勝率だか知らないけど」僕とめいのカウンターの前に、ジンジャーエールと、瓶に入ったイチゴ牛乳を置いて、吉崎さんがいった。「三割五分なら上等じゃない」

 なぜこの店に瓶入りのイチゴ牛乳があるのかを突っ込む余裕はそのときの僕にはなくて、「打率の話じゃないんですよ」と答えるのがせいいっぱいだった。

「こちらの手札はふたつしかない。スーツケースの暗証番号と、タグの筆跡だけだ」

「それと、まったく同じスーツケース」僕は付け加えた。

 めいが肩をすくめた。

「それでも、まだ弱い」

「それにこれ」僕はカウンターの上に、ICレコーダーを置いた。

「ボクも聞いてみた」めいはレコーダーを手に取った。「確かに、それらしい声は録音されていた。でも、肝心な部分が聞こえない」

 めいから手渡されたレコーダーを僕は上着のポケットに入れた。

 めいは横目で僕を見た。

「だいたい、佐伯珠恵がキミの想定するような人物だとして、彼女がたまたま君と同じ飛行機に乗り合わせ、クロス・ピックアップする確率はいったいどれほど小さいと思っているんだ」

「僕は福客なんだろ。君がそういったんじゃないか。福客は人と人とを結び付ける力があるって」

「それはそうなんだが……」

 めいは珍しく言葉を濁した。

「めいちゃんは、小清水くんが傷つくことを恐れてるんだよね」

 僕たちのやりとりを黙って聞いていた吉崎さんが、ぽつりといった。

 めいはぷいっと横を向いてしまった。

「だいじょうぶだよ。僕なら。ありがとう」

 向こうを向いたまま、めいはいった。「それに、だ。仮にキミが想定していた通りだったとして、こちらからは何のアクションも起こせないんだぞ。こちらは向こうの連絡先が分からないんだ。向こうから連絡してくるのを待つしかない」

「構わない。これまでさんざん待ったんだ」僕はカウンターに頬杖をついて、めいの顔を覗き込んだ。「あと少しくらい平気だよ」

 ため息をついて、めいはこちらを向いた。

「わかった。ただし――」

 そのとき、店のドアが開いて、編集長が入ってきた。

「ご苦労様、小清水くん」

 編集長はそういって、めいの頭にぽん、と手を乗せると、めいに尋ねた。

「それで。懸案事項はうまくいきそう?」

「あとは待つしかない」

 めいの言葉に、編集長はうなずいた。「そう」

「しおり」めいは編集長を見上げた。「もし、先方と連絡が取れて、小清水くんが先方と会うときがきたら、ボクも一緒に行かせてほしい」

「だめだよ」と僕がいうのと、僕の目の前にめいが手をかざすのが同時だった。

「危ないことはしない。約束する」

 編集長は、ごしごしとめいの頭をかき回した。

「そういうと思って、姉に話はしておいたわ」

「かたじけない」めいはそういって、僕を見た。

 仕方なく、僕はめいにうなずいた。


     *


 そして、三割五分の勝率を僕はなんとかものにすることができた。

 とりあえず、第一関門は突破した。

 珠恵が指定した場所は、この街でもっとも大きなJRの駅、O駅のコンコースを出たところ、大きな映画のポスターが張ってある柱の前だった。人通りが多くて、すぐ近くには百貨店やホテル、目の前にはバスターミナルがある、賑やかな場所だ。

 問題は、めいの体調だった。

 この場所を聞いたとき、僕はめいを連れていくことを断念しようとした。

 でも、めいはついていくといって譲らなかった。

 結局、できるだけ僕の近くにいるという約束で、一緒に行くことになった。

 めいは、店の中や電車の中ではまったく問題がないけれど、今回の待ち合わせ場所のような開けたところが、最も発作の出やすい場所だった。僕と出かけるようになって、以前よりも症状はかなりましになってきたとはいえ、まだ予断を許さない状態だった。公共の場所で、人の動きが予測できない場所、広場や道路、公園、駅のコンコース、映画館のロビーなどは、相変わらず要注意だった。

 待ち合わせ時刻の十分前に指定の場所に到着した僕は、柱の前に立った。そして、柱の裏側に、めいも立った。僕たちの会話は聞こえにくい代わりに、僕たちからは完全に死角になっている。

 指定の時刻ぴったりに、僕のそばで、声がした。

「小清水さん」

 振り向くと、そこにサングラスをかけた女性が立っていた。

 僕がうなずくと、女性はサングラスを外した。

「佐伯珠恵です」

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