Ⅱ-5
カセットテープをどうするべきか。
数日間、村山は頭を悩ませた。
もちろん、そのまま持っていてもなんの問題もないだろう。しかし、なにかもっといい考えがきっとある、そんな気がした。そして、あることを思いついた。
それはあまりに突拍子もない考えだった。
でも、少なくとも石川さんにこのまま返してしまうよりも(そもそも村山は石川さんの連絡先を知らなかったのだけど)、慶子に無理やり渡してしまうよりも、自分がこのまま持っているよりも、いいことだと思えた。
彼はまず、オーディオマニアの友人に機材を借りて、石川さんから預かったテープをダビングした。高品質のメタルテープに当時最高のノイズリダクションをかけて音質の低下を極力防いだ。
そうやってダビングした十本のテープを、音楽が好きで、信頼できる十人の友人たちに配った。
高校を卒業してから知り合った人間ばかりだったから、彼らは石川さんと面識はなかった。村山は、簡単な経緯を説明し、彼らにも同じように、音楽が好きで信頼できる知り合いに、そのテープをダビングして渡してもらうように頼んだのだ。
カセットケースには、これをまた音楽が好きな友人にダビングして渡してほしい旨を書き記した紙を入れた。
つまり、村山がダビングして友人たちへ渡す。彼らもまたそれをダビングして彼らの友人たちへ渡す。そうやって石川さんのテープの中身がどんどんいろんな人に渡っていくようにと。
そして、村山はいつかそれらのテープのひとつが、巡り巡って石川さんの手元に届くことを願った。もちろんその可能性は限りなくゼロに近い。でも決してゼロではない。
僕もそう思う。
「これがそのときのテープだって、よくわかりましたね」
僕は、隣でカセットテープをもてあそんでいる村山にいった。
「よく聴いたからね。曲順と、やっぱり音質が悪いことかな」
「ダビングを繰り返したからですね」
「まあね。でも、最後まで聴いてないから、もしかしたら僕の思い違いかもしれない」
「もうすぐオーナーが来ますから、そうすればたぶんはっきりしますよ」
店のオーナーは僕の兄の友人で、僕とも古くからの知り合いだった。電話で、カセットテープのことを知りたい人がいると話すと、すぐにこちらに来るといってくれた。
「ところで、君は、小説を書いているそうだね」
唐突に、村山が尋ねた。あのおしゃべり編集長め。
「ええ、まあ。まだ本になったことはありませんけど」
「でも、今でも書いているんだろ?」
僕は頷いた。
「これは、今回の仕事とは関係なく、個人的な頼みとして聞いてほしいんだが」
「はい」
「もし、このテープがあの石川さんのテープだとしたら、この話をもとに小説を書いてくれないだろうか」
それはとても意外な言葉だったから、僕はなんと答えたらいいかわからなかった。
「もしかしたら短編小説のネタぐらいにはならないかと思ったんだが。だめだろうか」
「いえ。それは僕としても、とてもありがたい申し出です」
やがてオーナーが到着した。
石川さんのテープだったかどうかは改めていう必要もないだろう。
テープをオーナーに手渡した人も、その人に手渡した人も、村山が知っている人間ではなかった。もちろんオーナーも、ダビングしたテープを知り合いに渡していた。
もしも、このテープが本当に石川さんの手元に届いていたら、たぶんそれは奇跡と呼んでもいいだろう。もちろん、世の中そんなにうまくいかないことくらい知っている。
でも、もしかしたら、どこかであなたはとても音質の悪い八十年代の洋楽のオムニバスを耳にするかもしれない。どこかの街で、どこかの店で、だれかの部屋で。
奇跡とまでは呼べなくても、ちょっと信じられない出来事に遭遇することは、誰にだってある。
かつて誰もそれに名前をつけたことはないけれど、それは僕たちを少しだけ勇気づけてくれたりするのだ。
たとえば、そう。ジョン・ベルーシのバック転のように。
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