色を読む

三津凛

第1話

1.

音に色がついている。目が毎日、潰れる思いがする。

世界は残酷な極彩色だった。虹色だった。だから痛くて、どこまでも辛い。

いっそのこと、私の存在ごとモノトーンに沈んでしまいたい。



虹は多様性の象徴なんて、よく言う。初めて参加したLGBTのプライドパレードでは見たこともないほど虹色が翻る。

私は着てくる服を間違えたと歩きながら思った。思いのほか、外の風が冷たい。ボタンシャツは男でもあるし、女でもある、そしてそのどちらでもない。そんな中性の香りがして、私は好きだった。

下に一枚着てくればよかったな、と小さく後悔しても遅い。

ゲイでもレズビアンでもトランスセクシュアルでもない。自意識は女でも、真っ向からその女性性を抱き締めてやる気は起きない。胸はあるけれど、脚の間はまだ未定。生理がちゃんと始まるのか、出来損ないの男に分化していくのか判然としない。

そして、好きになるのは女性ばかりだった。レズビアンというのとはちょっと違う。

医学は私を女とは裁断しなかった。半陰陽とか、両性具有とか、インターセックスとか何とでも言える。

私の御魂みたまは女だった。身体はまだ未定なままだった。好きになるのは女だけだった。

これを多様性と片付けるには綺麗すぎる気がした。

私はここにいる。それでも、どこにも誰にもなれないような気がする。

どこにも分類されないことへの哀しみは、国籍を持てない難民や、どこへ行っても外国人扱いをされるハーフの子どもたちの悲哀と同じようなものなのだろうか。

シャツの下で、肌が粟立つ。

背中の方で大音量の音楽が流れる。それがどぎつい原色に変わっていく。

痛くて辛い、極彩色と虹色。

ゲイもレズビアンもトランスセクシュアルもいるのに、私はそのどれにも収まれない。

大音量で流れる国民的アイドルの音楽も、嬌声も手拍子や靴音も全てが溢れる色の洪水になって網膜を刺していく。これは通り魔だと思った。

「LGBTは存在していまーす!」

ふつうの人たちが振り返るたびに周りで大声が上がる。私はそこに心強さよりも孤独を感じた。

私はここにいる。でも、どこにもいない、いけない。

国籍を持てない難民か、故郷と故郷に跨るハーフの子どもだ。

音に色がついて見える。言葉から色が立ち昇ってくる。そんなことを言えば同じカテゴライズにいるこの人たちはどんな顔をするだろうか。

目が痛い。頭が痛い。心が、痛い。

私は取り残されて、震えながら歩き続けた。


「…ねぇ、大丈夫?」

潰れそうな色の狭間で不意に声をかけられた。振り向くと背の低い女の子が私を見上げている。

「あの、少し頭痛くて…」

「音楽すごいもんね、私もちょっと…苦手よ」

人懐こそうに笑いかけられる。

「あんまり今の音楽は知らないの」

「私も。カラオケとか行けない」

「普段何を聞くの?」

野うさぎのような茶色の瞳で見つめられて、私は固まる。

「バレエ音楽が好きなの」

「あぁ、チャイコフスキーとか?」

「そう」

「ふふ、私もロシアの作曲家は好きよ。ムーソルグスキィとかね」

へぇ、と思わず呟く。彼女の声は目を刺さない、薄い水色をしている。透明に近い水色だった。

「どうしてクラシックが好きなの?」

真正面から聞かれて、私は詰まる。

音に色が付いて見えるから、刺激のない色を出すクラシックに行き着いただけだった。

「…共感覚って、知ってる?」

「知らない、なにそれ」

私が唇を開きかけると、彼女は素早く周りを見渡して伸びをして私の耳元で囁く。

「ちょっと抜けましょう。私、あなたの声をもっと聞きたいわ」

飾りのない言葉には自己主張のない自然な色が乗っている。

私はそうして絶え間ない色の洪水から流れ出た。



次第に多様性のパレードから遠ざかりながら、私たちは歩いた。

「ふんふんふふーふふん…」

少し調子を外した鼻唄を歌いながら、彼女は歩いていく。淡い色が翼を広げるように私の横を通り過ぎて行く。

「チャイコフスキーの花のワルツ、好きなの?」

「うん。でも音楽はダメなの、音痴だしね」

「確かに」

「ひどいなぁ」

彼女は私を見て笑う。

この人の音と色はどこまでも優しい。ふと空を見上げると、風船が幾つか漂っていた。あのパレードからはぐれて来たものかもしれなかった。それがなんだかおかしくて私は指差した。パレットに思い思いの絵の具をひり出したようで笑みが零れた。

私が肩を叩くと、彼女はほんの少しだけ残念な瞳をした。彼女は全色盲のレズビアンだった。私とは真逆のモノトーンの世界で生きている。

「…全色盲って大変なのよ」

彼女の音は極彩色にできている。どうしてこうも皮肉なのだろうと思った。モノトーンに生きる彼女と、過剰な極彩色の中に沈む私の持つ色を半分分け合って混ぜれば、世界はちょうど良い美しさに映えるだろう。

「それで、共感覚ってなんなの?」

彼女が変わらない瞳を向けて聞いてくる。

「音に色が付いて見えたり、文章に色や音を感じたりするの」

私は彼女の瞳を見つめ返しながら言った。彼女は羨むこともなく、憐れむこともしなかった。

ただくすりと笑って、

「私たち、足して2で割ればちょうど良いのね」

と嬉しそうに呟いた。

その音にはとびきり甘い色が乗っていて、私は初めて心から人を好きになった。

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