灰翅
言無人夢
1.二人の地獄。同じ夢
その晩、彼はぼくと同じ夢を見たようだった。いや、ぼくが彼と同じ夢を見た、の方が正しいだろうか。
それはぼくらが最後に共有した過去の一場面。
その日ぼくの地獄は唐突に終わった。
こんな簡単に終わってしまうものだったのかと呆けたような感慨にふけりながら、両親の死体がふたつ転がるのを見る。真夜中。ぼくの部屋。血塗れのナイフ。
月明かりが差し込み虫の声が響くに至って、人が死んだところで窓の外側の世界は変わりなく回り続けるのだという当たり前過ぎる事実に今更思い至る。
息を吸って吐き出す。その動作がとことんにわずらわしく、しかし目の前の彼らにはそれさえももう贅沢な悩みなのだと気づき、吐きかけた息は意図せず途中でため息に変わった。
それにしてももう、これ以上の逃避は無理のようだ。現実と向き合う時間が迫っていた。
「……」
地獄は終わった。しかし終わらせたのはぼく自身の手じゃない。
血に濡れたのはぼくの手ではなく、彼の手だった。
彼はナイフを取り落として少し笑った。あるいは彼だって死んだ二人を憎んでいたのかもしれないし、尋ねたならそうだと言ってまた笑うのだろう。
数年ぶりに会った彼は外見以外、何ひとつ変わっていなかった。勝手にぼくを置いて消えてしまったあの日と同じように、前触れなく戻ってきてこれまた勝手にぼくを救ってしまった。
「まだ殺さないといけない女がいるだろ?」
そして今、飴細工のようにゆるりと笑顔を溶かしながら。彼はぼくを追い詰める。
「あいつはお前を救いはしなかった。むしろお前の地獄を知らないふりをする陰で、そのじつお前を嘲笑っていたのかもしれない」
その言葉はやけに神経を逆なでて、ぼくは小さな反抗を試みる。
「知らないふりはともかく、嘲笑いはあの子に似合わないと思うけどな」
鼻先で笑われる。
「真実の気持ちはこの際どうでもいいだろうよ。問題はあの女がお前の地獄の横で幸福だったことだ」
「……」
ぼくはそのまま卑怯な沈黙に逃げ込むつもりだった。
「拾えよ」しかし彼は自身の取り落としたナイフを顎で示した。「今からあいつを殺しに行こうぜ。実際やってみると簡単過ぎて、思い切るのに時間をかけた自分が馬鹿みたいに思えちまうからよ」
ぼくは言われた通り、ナイフを拾った。拾いながら湧き上がった感情の色は憎しみだった。
「あの子を殺す?」
ぼくは今こいつに、香織を殺せと言われたのか?
「お前があの子を殺すんだ。そしてようやくお前の地獄は終わる」
そうだろうか?
ぼくは目を閉じた。息を吸って、吐き出す。
自分を見失いかけて、手探りにその欲望を確かめようとした。どんな人間になりたい? どんな人生を歩みたい?
何も出てこなかった。それがぼくという存在のすべてだった。たった一度きり。二度と誰とも関わらず地獄に耐え続けて、助けを求める声さえ喉の奥に押し殺して、ただ明日の次の日を想像せずに人として浅い何かであり続けたことがぼくの思い出せる過去のすべてだった。
「……」
そしてぼくはその夜、彼と同じ人殺しになった。
ぼくは彼を知っている。彼はぼくの罪の形だ。
さて、この夢はそこで終わりだったけれど、現実には続きがある。ぼくらがこれから交代で語るのはその夢から地続きの未来だ。
あの日から一年。すでに地獄を抜けたぼくは、この街に戻ってきていた。
特別な夜。何かが起こる前の最後の平穏。この街でぼくの帰りを待ち続けていた彼も、今夜ばかりは何かを予感したのかもしれない。だから眠っている間にも、こんな過去を思い出してしまったりしたのかもしれない。
ぼくは綾宮クロと同じ夢を見ている。
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