11.

「これが『不思議なこと』の正体ってわけ?」

 大雑把とはいえ事前に説明があってよかったと恵は思った。それほど取り乱さずに済んでいるのはきっとそのおかげなのだろう。

「あのね、これは恵さんの記憶なんだよ。料理も、この景色も、あなたが最期に見たいと、強く願った結果なの」

 そしてそれを分けてもらったのだとサエは微笑んだ。

 この三途の川のホトリ食堂には、美味しいものを分かち合うための決まり事がある。

『味だけでなく、思い出も感覚も分かち合うこと』

 恵たちは今、彼女の思い出の中にいた。

 それは、彼女がまだ学生だったころの記憶。

 家の食卓で、両親と弟と四人揃って食卓を囲むという、特別でもなく珍しくもない光景だった。

 若き日の自分の前に置かれた一皿に視線を落とし、恵はふうっと息を吐いた。彼らの前には、母が作ったポークチャップがあった。

「こんな家庭で育ったからかしら。家族揃ってのあたたかい食事とかそういうものは、私にとって『理想』だったの」

 当たり前の風景ではあったが、それは深く濃く自分の中にすり込まれていていた、幸せな家庭というものの理想の形だった。

「そうね。さっきみたいのも、きっとそう」

 恵は、楽しそうに料理をするサエと、それに口出ししながら見守る自分に、幸せな母と娘の姿を重ねたのだという。

 しかし自分の人生を振り返ってみれば、その理想とはずいぶんかけ離れていた。

 夫と二人きりの食卓を思い浮かべた。

 別に不満はない。不満はないのに、寂しいと感じることがあった。ただ漠然と物足りなさを感じる時があった。

「引け目を感じていたのね、きっと」

 恵は自分自身の発言を鼻で笑ってみせた。

「もしかして、若い姿になったのは、その頃に戻ってやり直したいとか、そういうこと?」

 サエが小首を傾げる。

 しかしすぐに恵が否定した。

「それは少し違うわ」

 戻りたいと思ったのは確かだ。

 だがサエが言ったのとは少し違う。

 やり直したいのではなくて、もう一度選択してみたかったのだろう。

「んん? それは、やり直すのとは違うの?」

「違うの。もう一度選択したときに何を選ぶのかを知りたかったんだと思う」

 こんな人生が待っていると知っていたら、若き日の自分はどんな未来を選択するのか、それが知りたかった。産まない選択をしたあの頃の自分に、何よりも仕事を優先した自分にもう一度問いたかった。

「例えば、仕事よりも家庭を選んで、母や姑にいろんな料理を教わって。それを夫や子どものために作って、そしてまた子どもに伝えて――そんな人生を選んだりもしたのかしらって」

 恵は微笑ましい事柄を穏やかに話しているつもりだったのだが、何故かサエが険しい顔をしている。

「何よ」

 じっと見つめる視線に対抗して、恵は眉をしかめた。

 サエは唸りながら真剣に言葉を選んでいる様子だったが、それは長くはもたなかったようで、息継ぎをするような仕草で顔の緊張を解いた。

 そしてぱちくりと目を瞬かせて、苦笑いを浮かべる。

「そうは言っても、恵さんは同じ道を選ぶ気がする」

「どうして?」

「うーん。『なんとなく』じゃダメ?」

「ダメよ! 何故その結論に至ったか、その理由をちゃんと考えないと、何の解決にもならないでしょ」

「でも……だって」

 それ以外に言葉を見つけられない様子のサエに、恵はため息をこぼした。そのため息はすぐに微笑みへと変わる。さらに、呆れた顔へと変えて「まあ、私もそう思うけどね」と、さらりと言い放った。

「どうして?」

 自分では見つけられなかった答えを求めて、サエが瞳を輝かせる。

 恵はもったいぶるにいいだけもったいぶって、結局、

「なんとなくよ」

 と、サエとまったく同じ言葉を吐き捨てた。

口元に意地悪な笑みをたたえていたのを見つけて、サエは全力で抗議に出る。

 恵はそれを適当にあしらいながら、親子の様子をちらりと見た。

 口ではそう言っていても、心の中に渦巻くものは、そう簡単にはなくならなかった。


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