第38話 巨熊・久太郎の縄張り

 配達員の格好をした白真永がマンションを出て来た。


「仕留めたか」

「邪魔が入りやがった」

「やはりマンションでは無理か…誘き出すしかないな」

「この車で怪しまれなかったか?」

「大丈夫だよ。ガキは珍しがったけど」

「ガキ !?」


 白真永が梅林理沙の命を狙いにマンションの部屋に向かった頃、雷斗はコロニーの広場で遊んでいた。雷斗はスケボーを転がしながら金村の車に近付いた。


「おじさん、恰好いい車だね。この村にはこんな格好いい車なんてないよ。乗せてよ」

「あっちへ行け!」

「じゃ、ちょっとだけ触ってもいい? みんなに自慢するんだ。ベンツに触ったよって」

「・・・・・」

「ね、ちょっとだけ」

「傷付けんなよ!」

「うん、ありがとう!」


 雷斗は運転席の死角である右前輪に手早くプラスチック爆弾を仕掛けた。雷斗が去って少しして白真永が車に戻り、ベンツはコロニーを出て行った。上からその様子を見ていた辰巳が呟いた。


「黒塗りのベンツで宅配か、はは」

「竜さん家族はすっかりこの村の人になったな」


 英雄たちが見守る中、雷斗を乗せた竜の軽トラが、ベンツの後を付けた。阿仁街道を北に向かい、国道が山間の坂道になった。


「雷斗、今だ」

「了解」


 ベンツの右前輪が爆発して、車が右回転しながら山の斜面に激突した。過疎の国道はめったに車が通らない。誰も呼ぶわけにはいかない金村らは、内陸線の駅を探して歩くしかなかった。


「金村さん!」


 白真永が立ち止まって身を強張らせた。脇道から熊が現れた。一頭だけではない。その後ろにもいた。更に横からもう一頭が加わった。金村たちは熊に囲まれた。

 白真永がサイレンサーに手をやった瞬間、突進して来た熊に、その手を喰い千切られた。七転八倒して絶叫する白真永の声が、人里離れた国道の山間に虚しく吸い込まれる。金村は白真永を残して、ひとり車の中に駆け込んだ。


 三頭の熊はゆっくりと金村の車に近付いて来た。そして車を押し始めた。車は斜面から車道に入り、金村は “しめたっ” と思い、急いでエンジンを掛けようとキーを回すとエンジンが掛かった。


「車道に戻してくれてありがとよ、バカめ」


 金村は急発進して一気に国道の坂を激走した。カーブに差し掛かってブレーキを掛けたが利かない…何度踏んでも加速する一方だった。そして、カーブを曲がり切れずにガードレールを大破し、車は崖を飛んだ。


 巨熊の久太郎と彼の子ども二頭は山の斜面を登り消えていった。腕を噛み千切られて取り残された白真永は出血多量で苦痛に支配されたまま生死をさ迷っていた。久太郎が去ると別の熊が現れ、白真永に近付いて行った。

 白真永は黒い物体がゆっくりと近付いて来て、自分の腹を喰っている様を他人事のように見ながら息を引き取った。


 その様子を遠くから見ていた竜と雷斗の軽トラはUターンして帰途に就いた。


「あの久太郎っていうボス熊は人間の肉を食べないの?」

「あの熊はな。昔、英雄さんが猟で撃ち取った大熊の子どもなんだそうだ。多くのマタギ衆が撃ち損じて生き延びていた山の主だったが、英雄さんが “しのび狩り” で撃ち取ったんだ」


「しのび狩り !?」

「殆どのマタギ猟は声を掛け合って熊にプレッシャーを掛けながら追い詰めるやり方だが、音を立てず、言葉も交わさずに熊に忍び寄って撃ち取る猟だ」

「獣に気配を悟られないって不可能なんじゃない?」

「英雄さんは神業なんだよ。彼は久太郎に小熊の頃から人間との共存の仕方を教え込んだそうだ。人を食べたら殺される…絶対に人を食べてはならないということを教え込んだんだ」

「久太郎は自分の子どもにも教えているよね。腕を噛み千切ったけど食べなかったもん」

「そうだな…それにもっと賢いのは、死体を片付けさせる熊を呼んだところだ」

「あの熊は久太郎が呼んだの?」

「そうだよ。あの熊は人間で言えばトラブルメーカーだ。仲間の掟を乱す熊を呼び寄せて人間を喰わせた」

「どうして、あの熊に喰わせたの?」

「人間に処分させるためだよ」

「・・・!」

「取り引きだな」


 雷斗は、久太郎が間違いなく山神様の使いの役割を果たしていると思った。その使命に導いたのは松橋英雄である。英雄は熊との共存は、人間のためでもあることを知っていた。

 動物愛護とは、盲目的に可愛がることではない。その習性を理解し、同時に人間のルールを教えることで成立する。虐待は人間の不勉強による無知が成せる業である。動物の乱獲も、無知の愛護も、動物と人間相互の生活を脅かす。その接点には、久太郎と英雄のような “使者” が必要なのだ。


 捨て犬や捨てネコ、繁殖した野良の類の殺処分は無意味なのだ。その保護活動も焼け石に水だ。活動が有効に機能しているかどうかは捨て犬・捨て猫の数が証明している。一向に減らないではないか…駅前で叫んでいる動物愛護団体を騙る募金活動なども鬱陶しいだけだ。

 最も優先して手を打つべきは、無責任なブリーダーの駆除にある。そこにメスを入れることでしか真の動物愛護の目途は立たない。


 鬼ノ子山は動物と人間相互が共存を学ぶ神聖な山であり、久太郎を頂点とする縄張りなのだ。そして、久太郎は育ての松橋英雄を鬼ノ子村民の頂点に位置付けているのだ。


〈第39話「雷斗と虎鈴」につづく〉

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