第19話 鬼頭の供述
鬼頭は事情聴取を受けていた。
「あの日…」
夏休みに空手部の部活に出た倫華は、体調を崩して早く切り上げ帰宅した。玄関に見慣れない女物のハイヒールがあった。違和感を覚えて音を立てないように階段を上がって自分の部屋に向かうと、両親の部屋で情事のような声がした。倫華は母が実家の法事からもう帰っているのだと思った。
「律子…」
母と違う名前を言う父の声がして、倫華は急に胸騒ぎがした。思い切って両親の寝室のドアノブに手を掛けるとそのまま開いてしまった。そして、自分が慕っている音楽講師の下條律子が、ベッドで父親と絡み合っている姿を見てしまった。凍った空気を察した律子は動きを止めて振り向き、倫華と目が合った。
「倫華さん!」
倫華は激しくドアを閉め、自分の部屋に入った。
律子が慌てて鬼頭家を出て行く姿を、倫華は部屋の窓から見ていた。これで自分の人生が終わったと思った。鬱屈した気持ちで非行に走るのも子供じみてかったるいし、このまま耐えて社会に出たところで、きっと幸せになんかなれないと思った。男にも女にも偏見と疑念が憑いて回る未来は疲れるだろうなと思った。母のようにはなりたくない…今の父を作ったのは母の異常な猜疑心だ。大恋愛の末に失恋して、それを癒すために父と結婚した結果、二人とも苦しみを抱えて夫婦生活を送っている。無意味だ。ないほうがマシな人生だ。
そんなことを考えていると、ドアがノックされた。
「倫華…」
父だ。可哀そうで、今や完全にウザい父の声だ。今日からあの声を聞くたびに鳥肌を立てなければならないと思うと、うんざりした。両親の空気に気遣っていい子を演じるのはもう嫌だ…
「倫華…傷付けてしまって…済まなかった」
こういう言い訳を、母は何度も聞いてはヒステリックに父を責め立てていた。この男は病気なんだ。女を傷付けずには生きていけない病気…こういう人間が世の中にうじゃうじゃ息をしている。自分の父親もそのクソのような人種の一人にすぎないのだ。
「少し話せないかな、倫華」
父親に名前を呼ばれただけで嫌悪を覚える。いや、父親の名付けた名前自体に虫唾が走る。この男には、並べる御託の引き出しはたっぷりあるだろう…毎回、浮気がバレるたびに母に説いた一時凌ぎの長々としたお経を聞かされるのか、私も。そんなものはどうせならテープで用意しておけよ…そのテープを神木に呪いの五寸釘で打ち付けといてやるからさ…とでも言いたかった。
「倫華!」
ほら、始まった。母にはこの流れでDVだ。私にもそうするというのか…いいんじゃないの? 倫華は突破口が見えた。そしてドアを開けた。
「あんたはクソだね」
「なに !?」
「あんたはクソだねって言ったんだよ」
「よしなさい、そういう汚い言葉は!」
「汚いクソには、汚い言葉が相応しいでしょ」
鬼頭は倫華の頬を叩いていた。
「クソは、クソな行動しかとれないのね」
鬼頭はまた倫華の頬を叩いた。
「ぶたれたら、お母さんは泣き喚くわよね。でも私は平気。クソのやることになんか屈しないわ」
鬼頭はカッとなり、我に返った時には倫華が自分の両手の中で窒息死していた。
「倫華…倫華! 倫華!」
息絶えた倫華の顔は微笑んでいた。
鬼頭は倫華の遺体をトランクに入れ、律子との逢引の場所である下條家の別荘に運んだ。渡されていた合鍵でドアを開け、物置の床を剥がし、穴を掘った。深く掘り進むうち、その穴が自分の墓のように思えて来た。
トランクを開けると、目を開けたまま異様に微笑んでいる倫華が話し掛けて来た。
「お父さん、一緒に入ろうよ」
鬼頭は慌ててトランクを閉めた。中からドンドンと物凄い力で開けようとするのを、必死に押さえ込んでロックした。ふと我に返った鬼頭は、倫華が息を吹き返したなら助けなきゃと思い、恐る恐るトランクを開けた。
「倫華? 倫華…」
やはり、死んでいる。娘を殺してしまった…鬼頭は初めてそう思った。土に触れさせて汚したくない…鬼頭は、トランクのまま埋めることにした。埋めながら、鬼頭の目から親らしい涙が流れた。
鬼頭はその日を境に、娘と同じ年代の女性に病的なまでの異常な執着心を持つようになった。
別荘に呼び出されて律子と久々の再会をした鬼頭は、彼女から早瀬との一件を相談され、“しめた!” と思った。
しかし、その後、別荘で白骨死体が発見されるや、律子は警察の事情聴取で、鬼頭との関係から何もかも洗いざらい話してしまった。鬼頭は逃げ切ることが出来なくなってしまい、娘・倫華の殺害を自供するに至った。
〈第20話「安の滝」につづく〉
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