第8話 鬼頭の妻
激しい雨音でいつもより早く目が覚めた。鬼頭はリビングに下りて行った。朝食を作っているはずの妻・弥生の姿がない。まだ寝ているのかと、朝刊を取りに表に出た。振り返って二階の妻の部屋を見上げたがカーテンは閉じたままだった。
二人は随分前から寝室を別にしていた。妻は、家出している娘・倫華の部屋で寝泊まりしていた。鬼頭はリビングに戻り朝刊をめくったが、文字は入って来なかった。妻が下りて来るはずの時間が過ぎても、その気配は全くなかった。鬼頭は妻の寝室の前に立ったが、ドアのノックを躊躇した。
「寝てるのか?」
妻の返事はなかった。身に覚えのある鬼頭は、一旦階段を下り始めたが、何となく胸騒ぎを覚えて、もう一度妻の部屋に戻った。思い切ってノックをした。返事はなかった。
「開けるよ」
ドアノブに手を掛けると…開いた。ドアを開けた鬼頭はフリーズした。娘の制服を着た妻が首を吊ってぶら下がっていた。その目が自分を睨んでいた。鬼頭の頭に蒼空の声が反響した。
「先生の奥さん…自殺するよ」
妻の顔が徳永アキの顔に変わった。鬼頭は思わずドアを閉めた。しかしそのドアが中から押されたので、慌てた鬼頭は必死に押し戻した。開けようとする凄い力が加わっている。鬼頭は力いっぱいドアを押さえた。すると今度は内側から乱暴に叩かれ、物凄い力が加わり、ドアが外側に外れたので、恐怖を覚えた鬼頭は一気に階段を駆け下りた。追い駆けて下りてくる足音に焦って階段を踏み外し、派手にリビングに投げ出された。必死に起き上った鬼頭は階段を凝視し、下りて来る何かに体を固めた。
静かだ。足音もない。しばらくして緊張から解放された鬼頭は床にへたり込んだ。やっと正気を取り戻し、警察に連絡しようと受話器を取った。
「どうしたの?」
「えっ !?」
声に振り向くと、いつものように妻が台所に立って朝食の支度をしていた。
「どっかに電話?」
「いや…」
「遅れるわよ」
鬼頭は混乱しながらも、妻に促されるまま食卓に着いた。
「どうしたの? 凄い汗ね」
鬼頭は妻の顔を見れなかった。
「…そうか?」
妻の手から真っ黒に焼け焦げた目玉焼きの皿がテーブルに置かれ、カビの浮いたミルクが出された。鬼頭は必死に平静を装った。
「今日は食事してる時間がないんだ…早朝の職員会議があるから」
「…そう、じゃ急がないとね」
鬼頭はそそくさと立ち上がり、玄関を出て戸を閉めた。ホッと振り返ると、妻が笑顔で立っていた。
「行ってらっしゃい」
背中半分を凍り付かせながら、鬼頭は振り返ることも出来ず真っ直ぐ歩いて家から遠ざかったが、いつまでも妻の気配が背中を支配していた。
一時間目の授業は自分が担任のクラスだ。教室の戸を開けて教壇に向かう鬼頭の後ろに妻が居た。教壇に立った鬼頭は蒼空と目が合った。いや、蒼空の視線は鬼頭ではなく、鬼頭の隣にいる妻だ。鬼頭の妻は蒼空を見て微笑み一礼した。そしてアキの席に歩み寄った。
「あなたがアキさんね…ごめんなさいね。本当にごめんなさい」
鬼頭の妻は泣き崩れた。しかし、その姿はアキには見えるわけもなかった。見えているのは、蒼空…そして、もうひとり、転校生の子之神かごめだった。
鬼頭に蒼空の声が響いた。
「先生の奥さん…自殺するよ」
鬼頭が蒼空を見ると、彼女の視線の先はアキだった。また声が響いた。
「…雨が降ってる」
鬼頭は慌てて窓の外を見た…そう、今日は朝から雨だ。雨の音で起こされた。そして妻の首吊り死体を発見した。蒼空の言葉が現実となった。妻は死んだにも拘らず、出掛けに妻の幻影を見てしまった。
ふと気配を感じて振り向くと、そこに妻が立っていた。鬼頭はギョッとして後退った。
「おまえ、どうしてここに !?」
「先生、どうしたんですか?」
生徒たちが、出欠も取らずに突っ立ったままの鬼頭に違和感を持った。
「おまえたちにも見えてるか!」
「何がですか?」
「何がって…見えてなければ…別にいい」
鬼頭の変化に教室がざわめいた。
〈第9話「見えないものたち」につづく〉
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