安見さんは休みたい

石田篤美

安見さんは休みたい

 コンコン……。


 カーテン越しに夕日が差し込む部屋にドアのノック音が鳴り響く。

「ん……っ?」

 布団にくるまっていた少女はゆっくりと目を覚まし、手元の目覚まし時計を確認する。時刻は夕方五時を回っている。

「……うん、寝よう」

 少女はまた夢の世界へと向かおうとしていた。

 

 すると、突然部屋のドアが乱暴に開けられ、外から少年が入ってきた。

「おいこら。何二度寝しようとしてんだ」

「……」

「無視してんじゃねえよ」

 そう言うと少年は、手提げかばんからピコピコハンマーを取り出し、眠っている少女の頭をたたく。

 しかし少女にダメージはないようで、何事もなかったかのようにベッドからのそのそと起き上がる。


「んー……? ああ有働うどうか。おはよう」

 ひらひらと手を振る少女に対し、有働と呼ばれた少年は溜息をついて言葉を返す。

「おはようじゃないよ。もう夕方だぞ、いつまで寝てんだお前」

「うるさいなぁ、私がどんだけ寝てようがあんたには関係ないでしょ」

「いや関係あるわ馬鹿。お前のお母さんに『娘をよろしく』って頼まれてるんだよこっちは」

「……あのくそババア」

「くそババア言うな」

 有働はまたハンマーで頭を叩いた。

 

 有働が手を焼くこの少女、名前は安見やすみ

 彼女は極度のめんどくさがりで、学校にも行かず一日中部屋でごろごろしている。

 曰く、自分は世界で一番休みを愛している女、だそうだ。


「というか、なんで学校来ないんだよお前」

「え? 学校ってもう始まってんの? あーごめん、春休みだと思ってた」

「……お前この前もそんなこと言ってたな」

 新学期が始まって一か月ちょっと経っているのに、その言い訳はさすがにきついぞと有働は思った。


「違う。ゴールデンウィークだ」

「それももう終わったわ」

「あーもーうるさいなぁ……。いいよ学校なんか面倒くさいし」

「面倒くさいじゃないよ、とうとう本音漏らしたなお前」

「てかなんで学校行かなきゃいけないの?」

「はあ?」

「なんで学校になんか行かなくてはいけないんでしょうかッ⁉」

「どうしたお前、情緒不安定か」

 いきなりテンションが変わった安見を、有働は怪訝そうに見つめる。

「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。学校という閉鎖的な空間の中で、人間は何を知り、何を学び、そして、どこへ向かうのか……」

「おお、寝すぎてとうとう頭がおかしくなったか」

「教えてくださいよぉ学校一の優等生、有働さぁぁん」

「おい抱きつくな」

 安見は有働にべたべたと正面から無理やり抱きつくが、有働はそれを思い切り引きはがす。


「ひどい! 乙女の身体に触れておいてその態度!」

「お前が勝手に引っ付いてきたんだろうが」

「そんなに学校が好きなのか! 死ぬまで愛し続けるのかこの校畜が!」

「校畜ってなんだ、社畜みたいに言うな」

「学校行くより大事なことが世の中にはあると私は思いますね!」

「どこの専門家だ。じゃあ一応聞くけど、学校行くより大事なことってなんだよ」

「それはわかんない」

「なんでわかんねぇんだよ」

「うるさいよ! てかさっき触っただろ私の胸! やーらしーやーらしー欲情ゴリラ!」

「そこ掘り返すなよ。ゴリラじゃないし別にそんなぺったんこな胸なんかで欲情しねえわ」

「なっ……⁉」


 おっと、これはさすがに失言だったか。有働の言葉で安見は完全に固まってしまった。

「ああその……、悪い。言い過ぎた」

 有働が謝ると、安見は布団にくるまり、泣きそうな声で呟いた。

「……じゃあ、学校に行かなきゃいけない理由早く教えてよ」

「それは……あれだ。学校行って勉強しとかないと将来働く時苦労するからだろ」

「えー……?」

「……お前まさか働きたくないとか言うんじゃないだろうな」

「いやそこまでは……。私だって働きたいよ、家でごろごろしてるだけのニートにはなりたくないし」

「今まさにゴロゴロしてるけどな」

 すると安見は腕を組み、何かを考え始めた。

「ねえ、家でゴロゴロしてるだけで百万円もらえる仕事ってないかな」

「社会なめんなよ。あるわけねえだろそんな仕事」

「むー……。現代日本には夢がないなあ」


 ぶつぶつと文句を言う安見に、有働はだんだん腹が立ってきた。

 しかしそれを心の中でぐっと落ち着かせ、優しく諭すように語り掛ける。


「安見。お前それ日本だからいいものの、他の国だったらそうはいかないからな」

「え?」

「世界にはな、まだまだ貧しい国がたくさんあるんだよ。学校に行きたくてもいけない子供たちだって大勢いるんだぞ?」

「あー」

「それなのに学校行きたくないなんて、贅沢すぎやしないか?」

「!」

 有働の言葉に、何か思うことがあったらしい安見は、ベッドから降りて、有働に向かってこう返した。


「……そうだな、私の考えが間違ってたよ」

「おっ、分かってくれたか」

「うん」

 ようやく理解してくれたのか――。有働はそっと胸をなでおろした。

 ここまで来るのに早数年。色んなことがあった。そう考えると感慨深いものがある。有働の瞳から自然と涙がこぼれる……。



「よし。じゃあ引っ越すわ」

「はっ?」


 すると安見は、部屋中に転がっている本やノートパソコンをてきぱきとキャリーバックに詰め始めた。

「え、ちょっ、おい。何やってるんだよ」

「いや、学校に行かないのが贅沢なんでしょ? なら私がその学校のない国に引っ越して、ずっとゴロゴロしてるわ」

「全然わかってねえなコイツ‼」


 さっきの感動は何だったのか。

 零れた涙は引っ込み、有働はハンマーを天高く振り上げ、今日イチのフルスイングを安見にぶつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

安見さんは休みたい 石田篤美 @isiadu_9717

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ