料理大会に出した短編小説集

遠野 小路

第1話 なでぎゅ.comの化物共

 日常に疲れた女性に、ひとときの癒しと安らぎを。

 そんなキャッチコピーと共に現れた「なでぎゅ.com」は、クソ女が集うSNSとして瞬く間に有名になった。



 パンドラ社が運営するこのSNSにおいて、女性と男性はまるきり非対称な存在として扱われていた。

 女性側の投稿ページには、2047文字まで自由に書き込むことのできる文章欄と、写真や動画のアップローダーが設置されていた。

 対する男性は、女性の書き込みに対するリアクションとしてしかなにかを表明することはできず、そのリアクションも、わずか31字の書き込みか、お気に入り登録(なでなでとぎゅっの二種類がある)をすることしか許されていない。

 リアクションには、男性個人を識別できる情報は紐付けられておらず、完全に匿名の書き込み、匿名の反応として処理される。

 あくまでも主なターゲットは女性層であり、男性側は、女性側にリアクションをするためのモブ、得点ボードとしてしか認識されていない。


 いわゆる、出会い系サイトではないようであった。

 こういったSNSでは、別のサイトやアプリ、直接電話などでやりとりをするよう誘導したりする書き込みが絶えないものだが、そのような書き込み――電話番号や、他SNSにおけるIDなどを含むもの――はあらかじめ投稿できないようになっているか、或いは投稿できたとしても、30秒と経たないうちに削除された。

 投稿内容が女性を脅したり、貶したりするような、適切な内容ではない場合も同様に投稿できなかったり、すぐに削除された。

 どうやら単語抽出のような単純な仕組みではなく、簡単な暗喩や当て字などを用いたコメントや、皮肉のようなコメントまでもが削除対象となったことから、人間がリアルタイムで監視しているとしか思えない代物であった。

 病的なまでにコンセプトを守ろうとする徹底ぶり。

 それはさながら、楽園を護る強固な城壁とでも言わんばかりの威容を備えていた。

 しかし、その執念ともいえる努力の果てに生み出されたのは、強力なシステムによって守られた、自己肯定の亡者たちが織りなす地獄だった。


 そう。そこはまさしく地獄だった。

 反応がすぐに貰える者とそうでない者。

 なでぎゅ.comにおいて、それらの差は残酷なまでに可視化されている。

「人気の人を応援しよう♪人気投稿ランキング」とポップなフォントが踊るタブには、一日以内に投稿された人気の投稿が掲示されていた。

 そのタブの投稿に、なでなで、ぎゅっ、が集まり、コメントが付いていく様は、サイトにアクセスしている最中は常に、右側に表示されるようになっていた。

 たった一言「つかれた。。。」と呟くだけでも、人気のあるアカウントにはすぐに四桁数のリアクションが付く。

 自分の投稿の横に、燦然と輝き続ける人気者達の姿が常に在ることで、人々の競争心に昏い炎が灯るよう、なでぎゅ.comのサイトはデザインされていた。

 果たして、パンドラ社運営の目論見通り、リアクションを得るための競争は激化した。

 栄枯盛衰、諸行無常。

 そのサイクルはあまりにも早く、人気のアカウントたち、トップランカーと呼ばれるような上位陣が一月と経たずに入れ替わるような有様だった。



 はじめのうちこそ、トップランカーというのは、プロフィールに用いている画像が美人であるとか、美麗なイラストであるとかいったような、わかりやすい理由で人気を得ていた。

 そんな呑気な時代を飢えた獣のように喰らい尽くしたのが、目元や口元といった性的魅力をアピールできる部位だけを切り取ったアイコンの、セクシー路線のアカウント群だった。

 アイコンの力のみならず、書き込む内容も性的な仄めかしや暗喩をたっぷりと含んだものが溢れ、しばしばやりすぎたアカウントは運営によってアカウントごと投稿を消されていた。

 それでも、色仕掛けの効果は圧倒的であった。

 色香に惹かれた男共は、容易くリアクションを残していく。

 削除ギリギリのラインを攻めながら、性的魅力をこれでもかと訴えるアカウント達を、なでなで、ぎゅっする男のアカウントもまた、日を追うごとに増していった。



 競争は加速する。


 もっと直接的に、太腿や胸元といった大胆な部位をアイコンにするようなアカウントが増え始めた頃、それまで過激路線に向けて突き進んでいた反動のように、ごくごくありふれた日常の小さな、しかし確かな幸せを切り取っていたようなアカウントが唐突にランキングに台頭しはじめた。

 突然の変化に、しかしなでぎゅ.comユーザー達は素直に、柔軟に従った。

 傾向と対策。

 ランキングのために誰もが走り出していた。

 その傾向が見て取れるや否や、女性側は暖色系の色使いの、温かい印象を与えるようなアイコンへと変更し、投稿の内容も、人柄の良さが伺えるエピソードや、周囲に愛されていることが伝わってくる暖かいエピソードを綴るものが、瞬く間に数を増していった。



 競争は加速する。


 心温まる日常の一幕、しかしある種凡庸な書き込みが雲霞のように増え続けると、なでぎゅ.comユーザー達は二週間と経たずにそれに飽きた。

 日常を綴るアカウントの中でも、そういった物事を面白おかしい書き味で書き続けることのできる者だけが生き延びていった。

 それらのアカウントは「女を捨ててる」「ウケ狙いが寒い」などと陰口を叩かれることが多かったが、それでもリアクションの数は嘘をつかない。

 何を言われようとも、数字こそが正義だった。

 陰口にはリアクションが付かない。

 リアクションの付かないものを投稿する意味はない。

 パンドラ社による削除が行われずとも、陰口は自然となりを潜めていく。



 競争は加速する。


 日常の切り売りが底をつき、どこか歯切れの悪い、作り物のようなエピソードが並ぶ頃には、大きな流れというのは失われ、激動の時代を生き延びてきた個々人に着いた固定ファンの多さでランキングが決定されるようになった。

 流行の投稿というものがなくなったことにより、弱小アカウントや新規アカウントに勝ちの目はほとんどなくなったかのようであった。


 そして、その頃には、なでぎゅ.comにおける男女の立場は当初のそれとは大きく変わっていた。

 ただの得点トロフィーでしかなかった男達の中に、トップランカーの投稿に対して、適切な、しかしユーモアを含んだコメントをする人間が綺羅星のように現れたのだ。

 なでぎゅ.comの仕様として、男性側の書き込みから個人を識別する事は不可能なはずであったが、その特徴的な文体、乱暴にも見えるような、しかししっかりと記事を読み込み、それと向き合っていなければ書き得ないコメント群は、同一人物の手で無ければ書くことのできない芸術的な投稿である、となでぎゅ.comユーザー達に確信を抱かせるに十分な完成度を誇っていた。

 それはひとりの手によるものではなく、複数人による投稿であったかもしれなかったが、なでぎゅ.comのユーザー達は、モニターの向こう側に一人の異才を夢想したのだった。


 彼は『プロデューサー』と呼ばれ、『プロデューサー』のコメントを貰えることは、人気の証である、とまで言われるようになった。

 『プロデューサー』がコメントを書き込む女性アカウントには、他とは違う魅力がある。その時期のなでぎゅ.comからは、そういう空気のようなものが、確かに感じられたのだった。

 『プロデューサー』のコメントが付いたアカウントは、それまでがどれだけ無名であったとしても、たちまちランキング上位に食い込むほどの発言力を得るようになった。

 『プロデューサー』に気に入って貰えるためにはどうすればいいか。

 彼の興味はどこにあるのか。

 自分の投稿と、せいぜいトップランカー10人周りの投稿くらいしか見ていなかったなでぎゅ.comユーザー達は、『プロデューサー』の足跡を辿らんとして、上位に食い込んできた過去の投稿の、男側のリアクションまで舐め回すように確認するようになる。


 

 競争は加速する。


 そして、『プロデューサー』の後を追うべく、男側のリアクションが加熱してゆくことになる。

 二匹目のドジョウを狙う者たちによる、自分こそがより素晴らしいキングメーカーであるのだと主張するリアクションが増え始めることとなった。

 それは主となるべき女性側の投稿を無視したような、男たちによる醜いリアクション戦争の幕開けであった。

 女性側の投稿を虚仮にしたり、馬鹿にするような形で笑いを取ろうとするもの、別の女性の投稿こそが至高であると、あらゆるアカウントへのリアクションで騒ぎ立てるもの。投稿そのものを無視した自己紹介を貼るもの。

 本家の『プロデューサー』のコメントとは比べようもない、稚拙な自己主張でしかなかったが、たった31字のコメントならば、自分にできないはずはない、とタカをくくった無能は山のように存在していた。

 そういった幼稚なリアクションは当然嫌われ、程度の低いリアクションの少ない投稿者が人気になっては、程度の低い男たちによる低劣なリアクションが群がり、すぐに人気を失っていった。


 なでぎゅ.comにおける男女間の軋轢は徐々に大きくなり、男性側の本投稿を無視した内容のリアクションを自粛するよう呼びかける抗議活動を、トップランカー数名が協力し、一週間ほど続けたが、目立った効果は無かった。

 議論のための投稿が続き、なでぎゅ.com当初のキャッチコピーであった、「日常に疲れた女性に、ひとときの癒しと安らぎを」とは遠くかけ離れた、不毛で果てのない議論が延々と続いた。

 そんな中、31字しか投稿できない男性側に、全く意味の通じないように見える投稿を行う者が目立つようになってきた。


「最近、みんなギスギスして怖いょ。。。昔のなでぎゅ.comが懐かしいなぁ。。。」

「>wそわそわ~。主c乙だょ。逸好なぎv by神薙剛」


 こういった意味のないように見える投稿は、運営の手によって30秒ほどで消されるのが常であったが、どうしてかこれらの書き込みは消されることが無かった。

 どころか、この書き込みを見た女性投稿者側が、嬉しそうに会話を行っているのだった。


「わー。いつも応援ありがとうございますっ! わかってもらえて嬉しいなぁ。」

「>俺主c逸見ね!ななぎぎv by神薙剛」

「ええっいつも見られてるの恥ずかしいよぉ。。。なでぎゅありがと。がんばるね。」

「>wも恥顔見台~v by神薙剛」


 リアクションに反応する女性側の投稿を読むことで朧げに浮かび上がってきたのは、どうやらこの意味不明に見える文字の羅列は、普通の日本語を圧縮したものであるという事。

 なるほど、漢字の一つ一つを拾ってみれば、意味が推測できなくもない。

 なでぎゅ.comにおけるコミュニケーションには、細かい語彙が必要なわけではない。

 そこに必要なのはただ一つ、肯定の意思だけ。

 圧縮言語使いが台頭することにより、その事実が浮き彫りとなったのだ。


 圧縮言語使い達は、栄枯盛衰する人気アカウントを巡る攻防の最中、地下で静かに、しかし確かにその文化を熟成させ続けていたのであった。

 『プロデューサー』を巡るリアクション戦争とは違う、別の系統樹に属する文化圏。

 殺伐とした議論に疲れ果てた、なでぎゅ.comユーザー達は、彼ら圧縮言語使い達の技術を即座に吸収した。



 競争は加速する。

 

 圧縮言語の登場により、男性側の醜い自己主張はまろやかな物へと変じていった。

 31字で当意即妙なリアクションをしてのける『プロデューサー』のような技巧は必要なくなり、字数制限を超えて自己主張するために、強い言葉、印象の強い表現を、といった方向に進んでいた男たちが、自分の名前を文末につけながらもそれなりに自分の意図を伝えることができるようになったからだ。

 それでいて、しばしば生まれるコミュニケーションのすれ違いが、逆に会話のやりとりを楽しむスパイスとして働いていた。

 男性側の圧縮言語を読み解くことのできる、流行に聡い、或いは全く新しい言語感覚にも容易く適応できる女性のアカウントがランキング上位を占めるようになり、その中でも自ら使う必要のない圧縮言語を、自分でも使ってみせる女性がランキングのトップに躍り出た。



 競争は加速する。


 圧縮言語の言い回しは、日進月歩の勢いで変化していった。

 前の週まで流行っていた言い回しが、次の週には古臭く、面白みのない表現であるとして廃れていく。

 絶えず変化しゆくそれらの流行を追い続けるだけではトップに上り詰めることはできず、広く受け入れられる圧縮言語を生み出せる者でなければ、ランキングに残ることは不可能であった。生まれては消える流行を、常に追い続けることが必要とされた。

 通常のコメントで有名になった『プロデューサー』も、すぐさまこの圧縮言語に適応し、常に新しい流行を作り続けることに貢献した。

 圧縮言語においても『プロデューサー』はシーンを牽引する側に立っていた。

 『プロデューサー』による先鋭的な圧縮言語は徐々に独自の体系を築き上げ始める。

 『プロデューサー』の紡ぐ圧縮言語に着いてこられない者は、すぐさまランキング外へと転げ落ちるようになっていた。

 逆に、それができるものは、すぐさまトップランカー達に取り入れられ、ランキングに名を連ねることができた。

 狂気の時代。

 多くのアカウントを振り落としながら、圧縮言語の流行は先へ先へと進み続けた。

 そして。


「ゴッティたぁ~。なもなもさまだゆ。」

「wSc02,6hbdnv」

「主乙待夜六鰤種鳩」


 気づけば人々は、互いの言葉を共有できなくなっていた。

 圧縮言語の習得具合は人によってまちまちであり、共通の了解はいつのまにか崩壊してしまっていた。

 未知の圧縮言語が何を意味するのか、説明してくれる存在はどこにも居なかった。

 圧縮言語は、それに着いてこれる人間のためのもの、そして着いてこられない人間を排斥するためのもの。

 その符丁に着いてこれない者はダサいのであり、それは即ち、自分より下であるという証拠であった。

 誰もが自分の得た価値を守るため、体系だった翻訳を纏めようとはしなかった。

 そして誰もが、最新の流行であるその圧縮言語を『わからない』と公言することができなかったのだ。

 結果として、なでぎゅ.comユーザー達は、自分の勝ち得た領分を守るために、通じているのか定かではない言葉を闇雲に投稿し続けた。

 その様は、ランダムな文字列を綴るbot達が戯れているようにも見えた。


 競争はここに終結を迎えた。

 ランキングが機能停止状態となり、四桁どころか三桁数のリアクションが発生する投稿すら稀となったころ、なでぎゅ.comは唐突にサービスを終了したのだった。




 かくて楽園は崩壊した。

 残されたのは、常人には全く理解できない圧縮言語を駆使し、肥大しきった自意識を抱えた化物の群れであった。

 元なでぎゅ.comユーザー達は、次の居場所を求めてインターネットのあらゆる場所に現れるようになった。

 その場所で最も人気の高いものの行動を真似たコンテンツ、しかし圧縮言語により意味不明に捻じ曲げられたものを提供し、あるいは、圧縮言語による意味不明のリアクションを付けていく。

 そう、彼らは捨てられなかった。

 彼らの故郷を焼き滅ぼした、圧縮言語を捨てることができなかったのだ。

 それは彼らにとって誇りであり、日常であり、かつての栄光であった。

 それが捨てられるのであれば、次の居場所を探す必要などなかったろう。


 なでぎゅ.comの化物たちを突き動かすのは渇望である。

 誰かに肯定されたいという渇望。

 しかし、その言葉を解する人間は今やほとんど存在していない。

 理解できないものを肯定することは、できないだろう。

 永遠に満たされない欲求に突き動かされ、それでも止まることのできない彼らが癒やされる日は、おそらくやってこない。


『日常に疲れた女性に、ひとときの癒しと安らぎを』


 彼らの楽園は失われ、ひとときの癒しすら得ることはできなくなってしまったのだから。

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