黒猫使いの少年と並行世界の魔獣ども

青葉台旭

丘の家(1)

 仮に「読木町よみきまち」と名付けよう。それがこの話の舞台。日本のどこにでも有りそうな小さな田舎町だ。 

 町の北側に、二十年ほど前に造成された住宅地があった。そのさらに北側には暗い針葉樹の森が広がっていた。

 その宅地と針葉樹の森との境い目に、高低差三十メートルほどの小さな丘があった。

 丘は、プリンの型を逆さまにして平たく押しつぶしたような形をしていた。

 斜面はコナラ、クヌギ、シデなどが茂る雑木林で、頂上部分には半径二十メートルのまるく平らな土地があり、その小さな台地を大小の砕石がガレ場のように隙間なく覆っていた。

 このような地形が自然に形成されるはずがない。なんらかの歴史的な経緯があるのか、それとも現代人の仕業なのか、いずれにしろ人の手が入っているのは間違いない。

 ……その小さな丘の頂きに、

 夜が明けたら、昨日まで何も無かった場所に、誰も知らない間に、家が建っていた。

 さらに不思議なことに……丘の上に突然現れた家を、前日には影も形も無かったはずのその家を、町の住民たちは、


 * * *


 新緑の季節、ある日の下校時間。丘の下を通る通学路を四人の少年が歩いていた。

 マサト、ヒロ、ケイタ、コウイチ。年齢としは十四歳。中学二年生。

 皆おなじ白シャツに灰色ズボンの制服姿……つまり同じ学校。しかも全員同じクラス。仲の良い四人組。よくつるんで遊んでいた。

「なあ……」

 四人の中で一番頭が良くリーダー気質でもあるマサトが丘の上に建つ家を見上げて言った。

「あの家……」

 言いながら、歩く速度を徐々に下げ、ちょうど丘の家の真下で立ち止まった。

 他の三人も仕方なく歩みを止め、振り返ってマサトを見た。

?」

 マサトの問いかけに、友人三人はそろって『こいつは今さら何を言っているんだ?』と困惑顔になる。

「マサト、そりゃ、一体いったいどういう意味だよ」三人を代表してヒロが聞き返した。

「あ、いや、すまん……ふと一瞬いっしゅん、『あんな家、昨日まで無かったのに』って思ったんだ。それが、つい口を突いて出てしまった」

 マサトの言葉を聞いて友人三人は、さらに困惑する。

「はぁ? なんだ、そりゃ」

「おいおい、大丈夫かよ? 試験勉強のやり過ぎじゃねぇのか?」

「あの薄汚れた西洋屋敷が新築物件だってのかよ? どう見たって五、六十年は経っているぞ……だいたい、あんなレンガ造りの重厚なお屋敷をどうやって一晩で建てるんだ? ああ、いや、そんな理屈言っても仕方ねぇな……通学路の途中にあって、毎日毎日、登下校のたびに視界に入っていた家を『昨日まで無かった』って……お前、マジで」四人組の中で一番口の悪いケイタがのあたりで指をクルクルさせた。

 誰よりも困惑しているのは、他でもない言い出しっぺのマサト自身だ。「せよ」と苦笑にがわらい顔を作り、すぐに真顔に戻ってもう一度、丘の上に建つ不気味な西洋屋敷を見上げた。「けど……まあ、確かにな……どうかしてるよな」

 マサトに釣られて、ヒロ、ケイタ、コウイチの三人も丘の家を見上げた。

「なあ、コウイチ」家を見上げたまま、ヒロが問う。「俺らが幼稚園の頃にはもう『幽霊屋敷』の噂ってあっただろ? 憶えてるか?」

 四人組の中でも、ヒロとコウイチは特に気が合った。二人の家は近く、幼稚園も小学校も同じだ。いわゆる幼馴染おさななじみだった。

「ああ。憶えてる」問われたコウイチが、丘の家を見上げたまま言葉だけでヒロに返した。「あの西洋式の上げ下げ窓の奥に、片目に眼帯をした若い女の影が見えるとか、何とか」

「え? 眼帯? 若い女? そうだったっけ?」ケイタがコウイチの言葉に首をかしげた。「俺が聞いた話では『執事みたいな格好をした顔色の悪い爺さんの幽霊』だったけどな」

「そりゃ、俺らが小学三、四年くらいの時に流行はやったやつだ」ヒロがケイタを見て言った。

「そうだっけ?」とケイタ。

「要するに怪談って噂話だからな……同じ幽霊屋敷にまつわる怪談でも、年によって拡散する内容が変わるんだよ。良い加減なものさ。ある年に流行はやった怪談に出て来た若い女の幽霊が、別の年には男の執事だったり」

「へええ、年によって出てくる幽霊が違うのかい?」

「『丘の上の不気味な西洋屋敷』っていうな素材があって、そこを舞台にした幽霊話を誰かが暇つぶしにデッチ上げる……話は学校じゅう、場合によっては町じゅうに広まって、みんなしばらくのあいだ騒ぎ立てるけど、すぐに飽きて忘れてしまう……で、しばらくすると、また別の誰かが別の幽霊話をデッチ上げて学校じゅうに広める……その繰り返しだろ」

 ヒロの説明にコウイチが頷いた。「まあ実際の所は、そんな感じだろうな……知ってるか? こんな話もあるんだぜ……男子三人、女子三人の高校生グループが、ある夜、西洋屋敷あのいえに忍び込んだ」言いながらコウイチは、さも『馬鹿馬鹿しい』という風に半笑いの表情を作った。「高校生たちが何故なぜそんな事をしたかって? もちろん『肝試し』のためだ。それとエッチ目的……ところが、朝になっても、六人の高校生は屋敷から出て来なかった……全員行方不明になったんだ」

「六人全員が? 一人残らず?」

「ああ。噂じゃ、そういうことになっている。もしそれが本当なら、町じゅうはおろか日本じゅうが大騒ぎになったはずだ……な……なにしろ高校生が一度に六人も行方不明なんだからさ……でも、この小さな町でそんな大事件が起きたって記録は何年さかのぼっても出てこないし、警察やマスコミがあの『幽霊屋敷』に押しかけたって事実もない。行方不明になったとされる高校生たちの家族が名乗り出て情報提供を呼びかけたなんて話も聞かない」

「つまり、根も葉もないデッチ上げ、と」

「しょせん幽霊話なんて、そんなものだろ。超常現象の部分には目をつぶるとしても、それ以外の部分に矛盾が多すぎるんだよ」

「コウイチの言う事はロマンが無いよ……まあ、その通りなんだけど……」

 その時、突然、マサトが「おいっ!」と叫んだ。

 ヒロ、ケイタ、コウイチの三人が驚いてマサトを見る。

 マサトは、相変わらず丘の家を見上げたまま、西洋式の上げ下げ窓の一つを指差していた。

 その視線と人差し指の先に……女が居た。

 丘のいただきに建つ西洋屋敷の、木々の間に見える窓の奥に、女が居た。

 端正な、青白い顔をした美しい女だった。

 しかし、どこか『異様』だった。

 何が、とは言えないが、何かが決定的に『崩れていた』

 女は片方の目に白い眼帯を当てていた。

 残った片方の目で、ギョロリと少年たちを見下ろしていた。

 女の姿が見えたのは、ほんの一瞬のことだ。すぐに窓際から離れて部屋の暗がりの奥へスッと下がって見えなくなった。

「おい、お前ら……見たな?」相変わらず屋敷の窓に視線を固定したまま、マサトが言った。

「ああ……見た」コウイチが答えた。

「はぁ? 何が見えるって? 相変わらずの古ぼけた西洋屋敷が有るだけじゃねぇか」ケイタが反論した。ヒロがうなづいてケイタに同意した。

「女だよ! 片目に眼帯をした女が窓際に立っていただろ!」コウイチがになる。

「おいおい、そりゃ、さっき話していた幽霊まんまじゃねぇか……お前ら揃って、なに幻覚見てんだよ……それともマサトとコウイチ二人でしめし合わせて、俺とヒロにでも仕掛けてんのか?」

「馬鹿っ、そんなんじゃねぇって!」コウイチはますますになってマサトに加勢を求めた。「お前も、こいつらに何とか言ってやれよ。最初に『女』を見つけたのはマサトだろ」

 窓に女の幽霊(のような人影)を見たと主張するマサトとコウイチ、見なかったと主張するヒロとケイタ、四人の中学生は二対二で向かい合って互いの顔を見つめた。

「入ってみよう」とマサト。「あの『幽霊屋敷』に入ってみよう」

「ええ? そりゃ、いくら何でも……」コウイチが困惑ぎみにマサトに返す。

「マズいんじゃないか?」とヒロ。「何十年も無人の空き家だったからって、建築物である以上、どこかに持ち主が居るんだろ? 勝手に入ったら不法侵入だぞ」

「高校生たちが肝試しに入って、行方不明になったんだろ? つまり前例があるわけだ。不法侵入かもしれないが、やってやれない事はないさ」

「いや、だから、そりゃ、デッチ上げのフィクションだって」ケイタがなだめるような口調でマサトに言った。

(マズい……)ケイタは思った。

 普段はリーダー気質で冷静なマサトが、今回ばかりは何故なぜか興奮気味だ。何とかして奴の頭を冷やすんだ……でないと、成り行きが悪い。

「窓に『眼帯の女』ってのも、今の今までデッチ上げだと思っていたよ」マサトがケイタに反論する。「でも、俺は本当に見た……俺とコウイチは、そのヨタ話そのままの姿の女を屋敷の窓に見た」

「だから高校生の話も事実だってのか? マサト、そりゃ矛盾してるぞ……だったら、俺たちはその高校生たちみたく行方不明になるために、わざわざあの屋敷に侵入するって事になる」

「いや……そういう訳じゃないけど……」マサトが言葉に詰まる。他の三人は内心ホッと胸をなで下ろす。

 しばらくの思案顔の後、リーダー格のマサトは「じゃあ、屋敷の玄関先まで行って、そこで引き返そう」と言った。

「丘の斜面を登って、頂上の家の玄関先まで行くんだ。仮に誰かに見られたとしても、まさか、玄関先に立ったくらいじゃ怒られないだろ? もしかしたらこの丘ぜんぶ丸ごと誰かの私有地なのかもしれないけど……何か言われたら、すっとぼけて『すみません、知りませんでした』とか言っとけば大丈夫だって」

 言いながらマサトは、斜面の雑木林に獣道けものみちのようなものは無いかと視線を左右に振って探し始めた。

「おいおい、マサト……」ケイタが心配声で問う。「まさか、今から丘を登るっていうんじゃないだろうな……?」

「来たくなきゃ、ついて来なくても良いよ。一人でも俺は行く……自分でも何故なぜだか分からないけど、どうも俺自身の感情に『火がいちまった』らしい。こうなったら間近まぢかであの幽霊屋敷を見ない事には気が済まない……じゃあな……明日また学校で」

 そう言い残し、マサトは他の三人を置き去りにして、スタスタと丘の斜面を登り始めた。

「……おい……どうする?」残された三人のうち、ヒロが他の二人に言った。

「どうする、って言われても……」とケイタ。

「まあ確かに奴の言うことも一理ある」コウイチが再度、丘の上の屋敷を見上げた。「丘を登って屋敷の玄関先に立つくらいなら、万が一、住人に見咎みとがめられてもそんなに怒られることはないだろう……そもそも住人が居たらの話だけどな……いや、むしろ、もし本当に誰か住んでいるなら、そいつ会ってみたいとさえ思うよ……あの、いっしゅん窓の中に見えた眼帯の女は本当に存在するのか、それともお前らが言うように幻でも見たのか……俺も確かめられるものなら確かめたい」

 コウイチは改めてヒロとケイタの顔を見た。二人とも決心しかねているようだった。

「まあ良い……俺も無理強むりじいはしない。帰りたきゃ、先に帰ってくれ」

 そう言い残し、コウイチはマサトの後を追って丘の斜面に刻まれた細い筋のような獣道けものみちを登り始めた。

 ヒロとケイタは、斜面を登って行くマサトとコウイチの背中をしばらく見つめていたが、やがて「やれやれ仕方が無い」とでも言いたげに肩をすくめ、互いに顔を見合わせ、先行する二人の後を追って丘の上の西洋屋敷を目指して歩き出した。

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