終章.始まったばかりの自転車部
終ー1.
◆
二日後、月曜日。ツーの言っていた通り、荒川がちゃんと学校に来た。
俺が教室に入ると、既に席について何やら浮かない顔をしていた。よっ、と声をかけても、「あっ、おはよ……」みたいな曖昧な笑みしか返してこない。それでも、真っ赤だった目元は元に戻り、身だしなみもいつも通り綺麗で五泊六日弾丸傷心旅行に行っていたことは微塵も感じさせない。
元気はなさそうだけれど普段から情緒不安定な荒川のことだし、知らない者がつい二日前まで進行していた彼女を巡る物語のことを伺う術はないだろう――事実この教室内でそれを知っているのは俺と宮しかいない。スバルや奥田といった一部のメンツにはやはり体調不良のまま通してあるし、先日のちょっとした冒険については進んで話すべきことでもないだろう――話すべきなのだとしたら、その時はきっと自然にやってくるだろうさ。たぶん。
俺はちょっとワケあって時間ギリギリに教室に入った。それゆえ授業前に荒川と話す時間はなかったので、一時限目が終わった後の空き時間に手っ取り早く伝えることだけ伝える。
「荒川。手短に言う。今日の部活、楽しみにしとけ。あっと驚くイベントがあるからな」
荒川は明らかに意味がわかっていない困り笑顔を作って、
「何……それ。別に、もういいんだよ? あたしは気にしないから、江戸君、部活来たくなければ無理して来なくても」
「バカ言ってんじゃねえよ、」
荒川がテンションダウンしてるのをいいことに俺は彼女を一刀両断。
「誰がもう行かないなんて言った? 勝手にやめさせてんじゃねーよ。俺だって立派な自転車部員だ。てか発案者は俺なんだから、どっちかというと俺の方が偉い。部長はまあ、お前の方が適役だとして……そうだな、俺は会長ってとこか? 代表取締役会長ってトコだな。だから勝手にやめさせるなんて許されねーぞ」
「会長だと、何かむしろ退職した後って感じがするけど」
「……まあ、とにかく細かい事は気にするな。今日の放課後だ、放課後。部活するぞ部活。お前がいないから先週は何も進展できてねーんだよ。責任持ってちゃんと来いよな。来ないとまたセクハラしてやっぞ。いいな、腕づくでも連れて行くからな」
荒川には戸惑いと怪訝を一対二で混ぜたような目を向けられたけど、拒否はされなかったから良しとして――この場で厄介なのは彼女じゃなかった。
「またセクハラって……江戸、何だお前、荒川にセクハラしたのか!?」
「えっ、それは引くっていうか犯罪だよ。江戸君、本当なの?」
奥田がデカい声を出したせいでスバルにも聞かれてしまった。
迂闊だった――部活のことに意識が寄るあまり、すぐ後ろにはどうでもいいことにだけ耳聡い奴がいるのを忘れていた。奥田だけならまだいいとしても、スバルの耳に入ったのはマズい。既に悪を裁く正義の目線がまっすぐに向けられている。助けを求めて咄嗟に荒川の方を見るが――ダメだ、既に傍観者を決め込んでいる。ていうか被害者当人に助けを求めるなんて馬鹿か俺は……!
宮――唯一味方についてくれそうな人間を呼ぶには、少し彼女の席が遠すぎた。左隣の女子からはもう逃れられない。放課後を迎えるには、一つ余計な壁を乗り越える必要ができてしまったようだった。
とまあ、そんなこんなで放課後はやって来て。
俺は荒川の腕を引っ張って部室へ突き進む。
「ねえちょっと、そんな引っ張んなくてもいいじゃん! 心配しなくてもちゃんと行くからさ。放してよ!」
荒川はひたすら逆方向に進もうとしているのだけれど、それを俺がそのまた逆に引っ張っているため、前に進んでいるように見えて実際は靴を滑らせて後ろに下がっているという図が出来上がっている。ちょうど綱引きで力比べをする車同士のようだ――この場合どちらもハイパワー車だけれど、重量的に俺の方が有利なのは言うまでもない。
見方によってはこれこそセクハラ及びパワハラにあたりそうだったけれど、そんなことは気にしている場合じゃない。俺はとにかく一刻も早く荒川を部室に連れて行きたかった。時間が経てば経つほど、いつ荒川が変な気を起こすかもわからない――そうならないうちに、彼女にアイツを見せておきたかったんだ。
今日俺が教室に入る時間がギリギリだったのは、その前に一度部室に寄っていたからだ。それも荒川の後になるよう、見計らって。何故そんなことをしたのかと言えば、部室にある荷物を置いていきたかったからだ――荒川や宮を真似ていうなら、ただの荷物じゃない。やっぱり言うなれば、アイツだな。
俺はこの日、アイツで登校してきていた。俺の場合、アイツは自転車置き場に置くんで構わなかったのだけれど、ここは荒川を真似てみるのもまた一興。重いアイツをわざわざ五階の部室まで担いで登って、荒川がいつもそうしているように、俺も授業中は部室に保管しておく。そして放課後、荒川にサプライズでアイツをお披露目する――って寸法だったのだけれど、とりあえずいちいちアイツとかって言うのは面倒だな。やめよう。別にそこまでする必要もないだろう――俺は普通に呼ぶことにするよ。
「あー、痛かった。もうっ、何をそんなに急いでるワケ? まさか、あたしの自転車に何かイタズラしてるとかじゃないでしょーね」
部室の前に着くなり不機嫌なオーラを出し始める荒川。けっこうな力で引っ張って来たから、それもムリはないだろう――けっこう痛そうに手首を抑えてる。さすがに引っ張りすぎたかもしれない。後でそのことは謝ろう。
でも今は、先にやらないといけないことがある――と言っても、後はもう、扉を一枚開けるだけなのだけれど。
この扉の向こうに、全てを終わらせる景色がある。荒川に見せることで、この一週間の内に起こったショートストーリーに終止符を打つことができる。その確信が、俺にはあった――しかしまた、もう一つの確信もある。
それは、この先に待っている光景が一つのストーリーの終わりであると同時に、別の物語の始まりでもあるということだ。それはたぶん、今回のようなショートストーリーなんかじゃ終わらない――これからずっと続くであろう、長い物語の始まりだ。そのことに対する不安はあった。そんないつ終わるかもしれない物語に自分が身を投じることとなることに抵抗だって、もちろんあった。
でも、それでいいんだ――少なくとも、今回のSSがバッドエンドで終わるよりかは、ずっといい。何がいいかって、そりゃ気分的にいいってことさ。スッキリできる。
始まりの物語が悲しい最後を迎えて、それから物語とも呼べないただの不幸が延々と繰り返されるのよりは、まだ見ぬ冒険の世界に胸をトキめかせながら突入していく方が、まだマシってもんだろう? まあ個人的には平凡な日常がずっと続くのが望ましいのだけれど、そんな選択肢はとうに宇宙の彼方へ飛ばされてしまっていたらしいからな。他の誰でもなく、この荒川輪子という女子によって――彼女と出会った時から、既にそういう運命だったのだろう。
だからもう、クヨクヨしていたって仕方ない。今は今、手元にあるカードのどちらかを選ばないといけないのなら、まだマシと思える方を選ぶのは、当たり前のことだろ?
「イタズラっちゃ、イタズラかもな。でもお前の自転車に対してじゃない。これはお前自身に対しての、サプライズだ――」
そして俺は、扉を開いた。
その先にある光景――自転車部の未来を象徴するとも言える部室の風景。
最後の最後まで胡散臭そうな顔をしていた荒川の表情が変わる――言葉を失って、唖然と立ち尽くす。
彼女の目に映った物――それは、一台の自転車だった。
彼女のモノじゃない、はたまたアリスさんのモノでもない。
この部屋に姿を見せるのは初めての自転車。まだ誰も見たことのない、新しい自転車。
荒川の自転車に寄り添うように並べられたその自転車は。
俺が買った、俺の自転車だった。
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