第1章.さて、どんな部活にしよっか?

1-1.

 ◆


 「へぇ。江戸君に妹なんていたんだ」


 口調こそ淡々としているものの、それなりに興味を持っている風に荒川は言った。


 月曜の朝、教室に入った俺の額の傷を見て事情を尋ねられ、昨日の出来事を簡潔に喋ったのに対する返事である。


 「どんな子? やっぱり江戸君に似てるの? 可愛い?」


 自分の家族に対し他人が興味を示してくれるのはその関係にある者として決して悪い気はしないことだったけど、その前に隣の席のクラスメイトが怪我をして登校してきたという事実についてはそっちのけという彼女のスタンスには少々失望せざるを得ない。


 しかしそんな内心はおくびにも出さず俺は、


 「似てない。可愛くない」


 やはり簡潔に答えた。明白な真理であるだけに楽な回答だった。


 しかし対する荒川はそれでは不満足だったようで、


 「えー、ホントに? 自分の妹だからそうは思えなくても、ホントはけっこう可愛かったりするんじゃないの?」


 身体をこっちに向けまでして食いついてきた。仏頂面が基本設定のこの女子にしては珍しく頬が緩んでいるのは、俺をからかって遊ぼうという意志の表れだろう。


 そんな荒川の姿に何となく妙な気分になりつつも俺は、


 「誰が見ても可愛くない。自分の妹じゃなくても俺はあいつのことを赤鬼としか思わなかっただろうよ」


 「赤鬼って、ヒドいこと言うね。仮にも妹なのに」と、荒川は一瞬だけ非難の色を目に交えてから、


 「てことはその子も江戸君と同じ髪色なんだ。名前は何ていうの? 年は?」


 「小野妹子。没年不詳」


 「真面目に答えて」


 「……今年中一。名前は……まだない」


 「は?」


 「……ミヅキ」


 「ミヅキちゃんかー。ふーん、会ってみたいなー」


 知り合ったばかりの他人に自らのプライベートをさらけ出すのは気が進まなかったので誤魔化そうとしたのだけれど、この女子に睨みつけられては反抗できず、結局俺は荒川に妹ミヅキの存在を知られることとなってしまう。つくづく拷問器具のようなおどろおどろしく圧迫感のある目を平気で人に向けることができる女だ。


 それにしても、この女子がキッツい目で人をねめつけるというのは出会ってからの一カ月間ちょいでもう何度も目にしたことだからそれについては特に言及することはないものの、俺はやはりどうしても今回のやりとりに違和感というか、何か不自然な感覚を抱かずにはいられなかった――が、その正体は考えてみればすぐにわかった。


 つまり、最初の自己紹介の時とか、五十嵐アリスや宮と自転車の話をしている時には見たことがあったけど――俺個人に対して、ちらりとではあるけれど、荒川がこんな親しげな笑みを向けてきたのが初めてだったかつ、『妹』という他愛も当たり障りもない普遍性のあるテーマではあるけれど、そんな普通の話題で荒川と会話したのも、思えばこれが最初のことだった。


 先週末のことで、少しは心を開いてくれたのだと思うと嬉しい――などと簡単に思うことは俺にはもちろんできない。何故かって、俺はできる限りこの女子との関わりを避けようとしていたんだぜ? それなのにいつの間にか避けるどころか仲良くなってしまっていたなんて、まぬけな話にも程があるってもんだ。



 と、そんなところへ、俺に気持ちを整理する時間も与えずに次なる挑戦者が現れる。


 「あっ、荒川さん! おはよー、体調良くなったんだね。良かったぁ。江戸君に自転車で転んで頭打ったって聞いたから、心配してたんだぁ」


 先週から話すようになったばかりのクラスメイト、宮だったのだけれども――彼女がセリフを放った瞬間――そして彼女が俺にも出会い頭の挨拶を言い俺がそれに応えるのよりも早く――荒川のかまいたちの如き視線が俺を突き刺した。


 宮は先週末に荒川と俺とランチをし、その後別れてから起こったことを知らない。ただ単に荒川は体調を崩して一週間休んでいたのだと思っていることだろうけれど、それも無理はない――どころか、表向きにはそういうことになっていたのだから、真相を知っているのはこの学校では荒川本人と俺だけなんだ。


 それゆえ宮は、荒川が――宮が自転車部入部の決意を表明してくれたあの日、俺がテキトーに説明した通り――転んで頭を打ったことが原因で体調を崩していて、週末明けの今日やっとこさ復活してきたのだと信じているに違いない――にしても、まさかまさか、俺が何の気もなしにテキトーに言ったことを、本人のいる目の前のここでわざわざ掘り返さなくても……。


 幸いにも、何も知らない宮の前だったからということもあってか、荒川は噴き出しかけていた溶岩の如き怨恨は「後でブッ殺すから覚悟しとけよ」というメッセージを目で送ってくるだけでこの場は抑えてくれたようだった。


 無類の自転車乗車テクニックを誇る彼女であるから、転んで頭を打ったなんてデマが流されるのは忍び難い屈辱でしかないだろう。誰よりも自転車を愛する荒川にとっては、それは凌辱されることと同等の恥だったかもしれない。身から出た錆というやつか。思わぬ形で彼女の顔に泥を塗ることになってしまった俺が今日はいかに保身を図るかと内心冷や汗タラタラになっているのも知らず、


 「ううん、別にそんな大したことじゃないから。もう大丈夫。心配してくれてありがと」


 平然と答える荒川。


 対する宮も青空の下のひまわりを思わせるような笑顔で、


 「元気そうで何よりだよ。あ、江戸君もおはよー。荒川さんが復帰したってことは、部活、今日から始まるんだよね?」


 ――その話題を振ってきた。

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